きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで




2009.11.25(水)


 天童大人さんから電話があって、「
La Voix des poetes(詩人の聲)」への第4回目の出演が決まりました。日程等は次の通りです。

 日 時 2010年1月18日(月)開場=18:30 開演=19:00
 場 所 NPO法人東京自由大学
      〒101-0035 千代田区神田紺屋町5 TMビル2階
      Tel & Fax:03-3253-9870(ただし火・水・金の13時〜18時)
      URL
http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/
 入場料 予約 大人2,500円
     当日 大人2,800円 大学生1,500円(学生証提示) 高校生500円(学生証提示) 小・中学生無料(保護者同伴)

 まだ何をやるか決めていませんが、第2〜4詩集はすでに読んでいますので、第1詩集『プラスチック粘土』か、第5詩集『特別な朝』を読みたいと思っています。よろしかったら聞きにおいでください。予約は私あてでも結構です。




下前幸一氏詩集『ダンボールの空に』
エリア・ポエジア叢書4
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2009.10.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1800円+税

<目次>
非表示の 6        春風は 10         ダンボールの空に 13
僕は寄る辺がない 20    僕のいない所で 27     猪鍋の夜 33
私の中の遠いところで 37  場の日没に 41       と、 44
桜舞う春の 48       踏み切りに人影はなく 51  君のいない夜 56
寝苦しい夜 60       降り向けば 65       見ることは 70
君が眠りの淵を辿るとき 73 山すその畑にて 77     行政代執行 81
雨の朝 88         君の理由を携えて 94    六月の雨に 97
あとがき 104




 
ダンボールの空に

前線が接近している
寸断された一月の視界に
雨が降っている

強制排除の恫喝にさらされて
今頃、長居公園のテント村では
野宿者たちの影がたたずむ

公共空間という排斥
自立支援という
選別と棄民

自己決定、自助努力、自己責任
「自」という孤立の周辺に
激しい雨が降っている

雨に濡れた
ダンボールハウスは沈黙する
ブルーシートの染みは沈黙する
軒先の布団は沈黙する
コインロッカーの全財産が沈黙する
冬枯れた
河川敷の樹木は沈黙する
吹きさらしの深夜二時が沈黙する
ハローワークは沈黙する

執行者によって与えられた名づけや
名づけという隔離にさらされて
沈黙が口をつぐむ

   *

生きるための
場所

居場所
寝る場所
食べる場所
営みの
心を横たえる場所

が、
撤去されていた
痕跡は抹消されて

施錠されていた
隠蔽されていた

傍観者のバリアに遮蔽されて
今、
そこにはなにもない

公共空間のからっぽ
街頭オブジェの暴力
そこにはなにもない

しんしんと冷え込む足元に
漠然とした不安が忍び寄る

形にはならない
昨日の記憶を訪れる
凍える気持ちを傾けるようにして

寒い日、大輪祭り
「地球に寝てる」野宿詩人
橘安純が死んだ仲間をうたっていた

路上に
地下茎がはびこる

そことこことは意外に近く
そして僕たちのあいだに
とらえどころのないものがはびこっていく

分からない明日

痩せた現実

炊き出しの粥

ダンボールの空に

     ※二〇〇七年二月五日 長居公園の野宿者テント村が強制撤去された。

 4年ぶりの第3詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、〈
長居公園〉とは大阪市東住吉区にある公園のようです。〈テント村〉の〈排斥〉は各地で問題になっていますが、作品はそれを真正面から採り上げています。憲法の趣旨から言えば〈自立支援という/選別と棄民〉はあってはならないものですけど、現実には行われています。それに対する抗議とともに、〈傍観者〉の私たちにも問題を突きつけていると云えましょう。考えさせられる作品です。




詩とエッセイ『千年樹』40号
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2009.11.22 長崎県諌早市 岡耕秋氏発行 500円

<目次>

海峡と童唄 佐々木一麿 2           身体のなかの水・記憶のなか わたなべえいこ 6
山並み水の流れ 和田文雄 10          ゆうぐれ・夏空・自己完結・さくら・晩夏・ボヘミアン 松尾静子 12
「北総台地U」の為の習作・秋の夕暮れ
.早藤 猛 24 スローステップ 高森 保 30
秋の遅い午後・十二月の夜 岡 耕秋 32
エッセイほか
自由の鐘(一一) 日高誠一 36          国府の丘の上で 森田 薫 41
絵画つれづれ 松尾静子 48           手紙 −五〇年の後に− 高森 保 52
縄文人のことばを聞きたい 早藤 猛 54     カニの味 岡 耕秋 57
樹蔭雑考 岡 耕秋 65
『千年樹』受贈詩誌・詩集など一覧 66      編集後記ほか 岡 耕秋 68




 
身体のなかの水/わたなべえいこ

睡眠の量
(かさ)
身体のなかの水位に似ている
どれくらい熟睡できたか
どれくらいの水があがっているのか
どちらも
いまを測ることはできないが

身体のなかに
水を充たしている水がめがあって
ひたひたと
かすかな水音がきこえる
血管から採血するように
その水は測ることができるのか
身体の七〇パーセントが
水という

耳をすませると
身体のなかの水がめには
魚が棲んでいて
夜になると
飛び跳ねる音が聞こえる

眠りのなかで
ひと晩中
蛇口を伝って
したたり落ちる水滴をきいている

 〈睡眠の量は/身体のなかの水位に似ている〉という発想に驚きます。〈いまを測ることはできないが〉〈どれくらい熟睡できたか/どれくらいの水があがっているのか〉を感じるというのは新鮮です。〈身体の七〇パーセントが/水という〉ことは知られていますけど、〈身体のなかの水がめ〉に思いを馳せた作品はほとんど無いのではないでしょうか。思考の楽しさを味わった作品です。




詩誌『薇』創刊号
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2009.12.1 さいたま市見沼区
飯島正治氏方連絡先 非売品

<目次>
詩作品
かわいい幽霊  石原  武…2         立ち早くすもの 秋山 公哉…5
山村の記録   飯島 正治…8         未来へのことば 北岡 淳子…11
秋に      栗原 澪子…14         八月の馬    中尾 敏康…18
放物線のゆくえ 宮尾壽里子…21         九月      杜 みち子…24
訳詩
椅子とテーブルのデュエット-『音楽読本』より−ジャック・スパイサー 石原武訳…26
小景
石原  武…28 秋山 公哉…31 飯島 正治…32 北岡 淳子…33 栗原 澪子…34
中尾 敏康…35 宮尾壽里子…36 杜 みち子…37
編集室から…38
題字 飯島 誠




 
立ち尽くすもの/秋山公哉

一年ぶりで帰った街は
何かが違っていた
暮すには差し障りを感じない
でも街にとっては大切な何か

道ができた
家が建った
街はきれいになった
田は消えた

そんなものではない
何か
何かが無い
失くしたものを探して歩く

光だ
いや光はある 在り過ぎるのだ
影だ 影が無いのだ
心のひだを映す影が

木だ
街の真ん中にある神社を囲む大木
守り神の銀杏
いや幹はあるのだ

枝だ
青い空に広がる枝
いや あれは手だ
世界に向けて広げた手だったのだ

すべての手を切り落とされた大木が
変わっていく街で
なすすべを無くし
立ち冬くしているのだ

私たちが伐ってしまったもの
それは千手観音の手ではなかったのか

 転勤から〈一年ぶりで帰った〉詩人は〈何かが違っていた〉と感じて、〈失くしたものを探して歩〉きます。まず、〈在り過ぎる〉ほどの〈光はある〉けど、〈心のひだを映す影が〉無いことに気づきます。そして〈幹はあるのだ〉が〈青い空に広がる枝〉が無いことにも気づきます。物をより多く売ろうとする、人間の欲で増える〈光〉。〈銀杏〉の落葉が不愉快、という人間の都合で〈すべての手を切り落とされた大木〉。都市とは何かを考えさせられます。最終連の〈私たちが伐ってしまったもの/それは千手観音の手ではなかったのか〉というフレーズが見事です。〈守り神〉の手さえ切り落としてしまう人間の行く末を、この詩は暗示しているように思いました。






   
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