きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.6(日)


  その2




三田洋氏詩論集『ポエジーその至福の舞』
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2009.12.10 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
第一章 ポエジーその至福の舞
ポエジーその至福の舞――詩の真髄への旅 8
狭義的抒情詩論から脱却しよう――他者へ差し出す孤独の手 14
個別性から普遍性への舞――二十一世紀の抒情 22
意識の彼方で触れ合う手と手――詩の真髄と評価をめぐって 32
詩の魅力と言霊・抒情 39
無意識の裾野の果てで――わたしの詩作ノート 43
不思議な気配の源泉をもとめて――プラス・アルファの世界 48
第二章 時代の変質と詩歌
時代の変質と文学 58
あるものはあるがままに 60
デジタル時代の詩の選択 64
死に至る時代の病 66
心身を襲う生態系破壊――日本的なるものの危機 73
詩的世界の変容をめぐって 79
詩人はどこへいったのだろう 121
夢や理念から遠く離れて 132
第三章 今日にとって「狂気」は存在するか
抒情詩の系譜(一九六〇年代以降を考察する)――鋭い認識が抒情を醸し出す 140
戦後抒情詩は「四季」派をどう超えたか 156
日常こそ強固な「実在」――日常生活を描くことの今日的意味 165
今日にとって「狂気」は存在するか――服部達「ロバート・シューマン論」にふれて 178
「三丁目の夕日」は美しかったか 188
「詩=音楽」の放つ究極の輝き 197
第四章 詩人論
名詩には何ものかが棲んでいる――いま北原白秋を再読する 212
存在を衝く抒情のエネルギー――三好達治を再読する 219
批評の原点を衝く無垢な精神――批評家服部達を再考する 228
あふれた涙について――高田敏子私論 235
いのちと愛をうたう――新川和江著『詩の履歴書』をめぐって 252
清新で無垢な個性・森ワールドの輝き――森常治詩集解説 261
抒情詩への篤い思い――秋谷豊氏を悼む 267
詩は宇宙の密やかな光――モンゴル詩人メンドーヨ氏 275
あとがき 284
初出一覧 286




 
ポエジーその至福の舞
      ――詩の真髄への旅

 このところ詩の真髄を探る旅をしている。詩の真価や評価などをめぐる旅でもあり、それは常に古くて新しい困難な旅だ。優れた詩とは何か。最も重要な規準とは何か。その私的定義はこうだ。まず、その詩が読み手の心身にとり憑き、内部で培養される「何ものか」を包容していることである。だから詩の真髄への旅とはその「何ものか」という得体の知れぬものへの旅ともいえる。
 詩の真価を決定するものは意味・内容やイメージ・リズムだけではない。そこにはそれらを超えたある何ものかが暗躍している。私たちはしばしば特異な技巧とか独創的な詩的表現も有していないにも関わらず、そのフレーズたちに触れただけでいきなり心身にとり憑かれてしまうという体験をすることがある。それは内面深く入り込み風を吹かせ増幅し続ける。そのような得体の知れぬものに出会うことがあるだろう。たとえば立原道造の、中原中也の、宮沢賢治の、萩原朔太郎の、鮎川信夫の、会田綱雄の、吉岡実の、荒川洋治の、それらのフレーズたちのなかに潜むあるものとの遭遇だ。
 たとえば荒川洋治詩集『水駅』のフレーズたち。透明感あふれる甘美な抒情の匂いたつそれら。その美しすぎて意味さえ追いつけぬ佇まいに触れながら、私たちは未知の抒情の秘境を分け入るような光景に立ち会うだろう。

 妻はしきりに河の名をきいた。肌のぬくみを引きわけて、わたしたちはすすむ。

 みずはながれる、さみしい武勲にねむる岸を著
()けて。これきりの眼の数でこの瑞の国を過ぎるのはつらい。
                                  荒川洋治「水駅」より

 妻のきく「河の名」とは、「肌のぬくみ」の向こう、「さみしい武勲にねむる岸」とは何ものか。私たちはそう問いつつもそれらはフレーズまるごと読み手・わたしの心身にとり憑いてくる。私たちはそれを瞬時にただ感受するしか術はない。感受するだけでいい。とり憑いてくるフレーズとともに世界は一瞬に展かれていくだろう。もはや意味・内容を超え、私たちは深い抒情の極地を引きわけてすすむだろう。
 そのようなフレーズたちは詩人の意識の遥かなる領域からしばしば偶然的に生まれる。それらは彼のものであり、もはや彼のものではない。そのとき、私たちはその無意識界に疼くある種の「抒情の気配」に気づくはずだ。そのような得体の知れぬものの深奥に疼く抒情性の存在をわたしは以前から予見していた。心身深くとり憑くフレーズたちの無意識界の領域。そこに抒情の変容した佇まいを見るのだ。
 もともと抒情や情感は感動を伴い、感動は微視的生理的にみれば分子の振動であり波動であるはずだ。それらは心身にとり憑く特性をもつだろう。優れた抒情性ほどその振動や波動は鋭く深いはずだ。だから優れた抒情は思想や論理などに比し無意識界へより深く潜入できるだろう。その微視的な場では、たぶん抒情は分子に変容し読み手の心身深くどこまでも潜入するにちがいない。
 そのとき、その遥かな無意識界の領域では何が起こっているのだろう。抒情・感動が産み出した書き手と読み手の分子たちは相互に共有のかたちを確認しあいながら親しく触れ合い、あるいは結合し合い遊び舞うだろう。そこには最早個は存在しない。それは個別性から普遍性への美しい舞であり、非選択的にこの場所に放たれた私という人間存在がア・プリオリに包容する限界性、そこから初めて解き放たれる感動的な瞬間でもあるだろう。それこそポエジーの至福の舞である。その場こそ、優れた抒情という詩の真髄の秘奥の現場であるはずだ。
 詩の真髄・ポエジーはこのとき最もかがやきを発揮するはずである。いわゆる抒情の世界は主観的情感を述べる類のものから名詩たちの包容する無意識界の裾野へとつらなる広大な領域をもつ。真の抒情は単なる個の情を述べるという類のものではない。研ぎ澄まされた感性、思想、認識まで包容する奥行きの深いものだ。抒情が詩の核となる要因はそこにある。抒情詩の領域はどこまでも遠大なのだ。

 もしかしたら、私たちは詩を読むとき、ある過ちを犯しているのかもしれない。そう感じることがよくある。例えば、そこに何が書かれているか。何を表現しているのか。テーマは、この語の意味は何か。形象化はどの程度成功しているかなど。詩の批評的規準として、私たちはこのような観点に拘泥しすぎてはいないだろうか。確かにこの鑑賞・批評の規準・観点は誤ってはいないだろう。しかし、もっと本質的な何かが欠けてはいないか。詩をまるごと捉える直感・詩のいのちの核のようなものを究める鑑賞・批評の精神性。そのようなものを私たちは回避してはいないだろうか。
 たとえば、詩作品を前に、自らの観念を無にして素直な姿勢で立ってみよう。そうすれば、詩作品の側も自らを素直に開示してくれるにちがいない。濃霧がはれるように、あるいは厚い殻を脱ぐように、その不可思議で魅力的な内奥が見えてきたり、何かが棲んでいたり、思わず息を呑むような光景に晒されたりするかもしれない。その作品のいのちのような、核のようなものが姿を現し、読み手の心身にとり憑き風をふかせ、ふるわせてしまうのだ。
 そのように優れた詩歌の内奥には何ものかが棲んでいる。そのものに私たちの心身はとり憑かれ、その作品の虜になっていくのだろう。芸術とはそういうものだ。 (以下略)

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 1998年の『抒情の世紀』(土曜美術社出版販売刊)以来の3冊目の評論・詩論集です。1977年から2009年までに様々な詩誌等に発表した論文が収められていました。ここではタイトルともなっている「ポエジーその至福の舞」から冒頭の部分を紹介してみましたが、ここだけでも重要な問題が提起されています。すなわち〈真の抒情は単なる個の情を述べるという類のものではない。研ぎ澄まされた感性、思想、認識まで包容する奥行きの深いものだ〉という部分は、戦後すぐに起きた“短歌的抒情の否定”への今日的な意味づけ、あるいは正当な評価への回帰と採ることができましょう。また、〈もしかしたら、私たちは詩を読むとき、ある過ちを犯しているのかもしれない〉という指摘は私個人にとっても重要な問題です。11年近く、拙HPで詩を紹介していますが、〈そこに何が書かれているか。何を表現しているのか。テーマは、この語の意味は何か。形象化はどの程度成功しているかなど〉、〈このような観点に拘泥しすぎて〉〈もっと本質的な何かが欠けてはいないか〉と反省させられます。判らない詩をさも判ったかのように書いていることはないか、そう考えると赤面の至りです。

 かようにこの詩論集は刺激に満ちたものでした。目次をご覧いただくだけでも、思考の広さ深さはお分かりいただけるでしょう。詩の抒情性を肯定するにせよ否定するにせよ、一読の価値がある本です。お薦めします。




詩誌『青衣』130号
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2009.11.20 東京都練馬区
青衣社・比留間一成氏発行 非売品

 目次
<表紙>…布川 鴇
瞼のスクリーン…比留間一成 2         くりかえし…伊勢山峻 5
秋を剥く…井上喜美子 8            遠い日(そろり ぞろり/武士の娘)…表 孝子 11
窓…布川 鴇 14                秋は野で…上平紗恵子 16
「日塔聰詩集」が私にもたらしたもの…伊勢山峻 18
平仄…21
<あとがき> 目次…22




 
瞼のスクリーン/比留間一成

     ――追悼 菊地貞三君

六月 君の棺を見送ってからは
君は濃い霧に包まれて丘の上に佇っている
肩を落とし ぼうっと遠くを見ている
霧は絶えず流れていく

八月に入って 君の足元から虹が立ち
気がつくと 虹の橋の中程に立ち
手を振っている
いつ着替えたのか白衣の天使の服装
もう痛みもとれたのだなと
こちらも手を振る
と 五彩の雲が現われ三人の天使が
抱えるように乗せていった

手を振ったのは 早く来いとの合図か
否 あの忌しい戦争で多くの友を失った同士
平和への努力を頼むとの合図と見た
敏子さん均さん仲間の天使が集い
なつかしげに迎えてくれよう
そこから こちらを見守っていてくれ

今宵また 君への想いを抱えて独り酌む
即興の戯
()れ歌を作って唄い合ったね
  おでんやの あの子は
  お酒を呑んで
  だれかさんに連れられて いっちゃった
  今ごろは何してる
  ……

君は照れ 苦笑いの顔で楽しんでいた

シュメールの星占いの結果は
「神秘な扉を開く哲学者」とでた
切り口の鋭い詩 題名が現代を諷す
カミサマも老いて地球の経営がとりとめない
たよりになるのは酒の神だけか
君は もうカミサマグループ
ぜひ いい助言をたのむ

たまには 又隣へ坐って
杯を空にしてくれ

 今年〈六月〉に亡くなった菊地貞三さんへの鎮魂歌です。第2連までの〈瞼のスクリーン〉が、ありし日の貞三さんを私にも想い起こさせてくれました。〈敏子さん均さん〉は高田敏子さん、安西均さんでしょう。〈即興の戯れ歌を作って唄い合〉いながら、いつもの〈照れ 苦笑いの顔〉をも思い出しています。〈もうカミサマグループ〉になった菊地貞三さんのご冥福を改めてお祈りいたします。




詩とエッセイ『焔』84号
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2009.12.1 横浜市西区 福田正夫詩の会発行
1000円

<目次>

限界点/ただのペット 黒田佳子 4       金大中の死/冬の祝祭 工藤 茂 6
吹く 保坂登志子 8              命 阿部忠俊 9
コスモス畑に集う人々 布野栄一 10       朝がきた 上林忠夫 11
未来への地図 地 隆 12           流灯 伊東二美江 13
真っ青な空 福田美鈴 14            ふたたびこころよ 瀬戸口宣司 17
クリスマスの夜に/聖地 濱本久子 18      追悼石垣りん 新井翠翹 20
逆上 山崎豊彦 22               凛と 長谷川忍 24
三鷹まで 平出鏡子 26             こわれた心 浅見洋子 28
死がわからない 亀川省吾 30          冬の朝 金子秀夫 31
遍歴より 花の子 古田豊治 32         扉の文字が消えている 許 怡允  許 育誠訳 36
恩愛 穹 仁  許 育誠訳 38
第二三回 福田正夫賞 発表 41
受賞の言葉
選評=選考委員 傳馬義澄 古田豊治 瀬戸口宣司 亀川省吾 金子秀夫
受賞詩集『メール症候群』作品抄
<連載> 人生いろいろ 許 育誠 50      錦連回憶録 第一章 生い立ち・その2 錦 連 54
<特集/桜井滋人・天彦五男>
天彦五男さん追悼 去っていった−と君は思うか  桜木半治 62
無類・無頼の詩人桜井滋人 竹川弘太郎 65    天彦五男追悼『思い出軌跡』 未原正彦 68
「原形」のこと 金子秀夫 70
.          天国の階段を 戒名を携えて 星 雅彦 72
桜井さんと天彦さんのこと 福田美鈴 74     詩魂昇天−天彦五男と桜井滋人を偲ぶ− 金子秀夫 76
<覚書> 十一月七日覚書二題 福田美鈴 83
詩誌紹介 長谷川忍 88             詩集紹介 金子秀夫 92
編集後記
表紙 福田達夫                 目次カット 湯沢悦木




 
限界点/黒田佳子

幾ら楽しく飲んでいても
これ以上は美味しくないという
限界点が突然やってくる

幾ら純粋の愛でも
これ以上は変質してしまうという
限界点もある

興味をみせず
視線も向けてくれなかった人に
謝ることが沢山あると思った
けれどももう娘の謝罪は
枯れきった胸には浸みこまない
母と娘の限界点なのか

ともに暮らしてきた異性が
ふと孵化前の虫に見えることがある
これは夫と妻との限界点
限界を見つめながら仲良く進もう

 それぞれの〈限界点〉は誰もが身に覚えがあるところでしょう。起承転結できれいにまとめた作品だと思います。特に最終連が佳いですね。〈孵化前の虫に見〉られてしまう側としては怖さもありますけど、〈限界を見つめながら仲良く進もう〉と書かれて安堵しています。〈突然やってくる〉〈限界点〉にもめげず、私たちは生きていくしかないのかもしれません。






   
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