きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.14(月)


 日本詩人クラブ「国際交流インド2009」のイベント最終日は
駐日インド大使館内「インド文化センター」での<インドと日本の心に触れる夕べ−タゴールと啄木>でした。開演は午後6時半と遅かったのですが、私は講演の背景に映し出す写真や文章のパソコン操作を依頼されていましたので、3時集合でした。プロジェクターはインド大使館の物ですから、技師はインド人、通訳は日本人の館員で、日本語、インド語(ベンガル語?)、英語が飛び交うおもしろい光景でした。

 プログラムは比留間一成日本詩人クラブ会長の開会の挨拶に続き、スピーチが「インドと日本を結ぶ詩心−R・タゴールの『蛍』をめぐって」(早稲田大学名誉教授清水茂氏)、「インド詩との邂逅−ゴンド族のラブ・ソングとジャヤンタ・マハパトラ」(文教大学名誉教授石原武氏)と日本詩人クラブ会員ばかり。メインの講演は日本詩人クラブが招聘したインド国立文学院会長シュニル・ゴンゴパッダエ氏の「英国支配へのインド抵抗運動とラピンドラナート・タゴール」。この講演の背景が私の担当でした。

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 さらにインドの歌と踊り「タゴール・ソング」(奥田ゆか氏)と続き、写真はそのときのものです。2階のプロジェクター室から撮っていますので上からの視線になっていますが、300mmの望遠はなかなかのものだと自画自賛。
 国際啄木学会副会長・明治大学教授池田功氏の講演「石川啄木とインド、そしてタゴール」のあとに明治大学合唱団さわらびコールによる「日本の歌――石川啄木」の爽やかなコーラスがあって、公式な全日程を終了しました。
 当日の参加者は150名ほど。新設なったインド大使館は、大使館員自身があちこちで利用を促しているだけあって、立派な建物でした。急成長しているインドの国力を見せつけられた思いです。九段下という1等地、機会があったら訪れてみてください。




鈴木昌子氏詩集『白い骨』
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2009.10.16 東京都千代田区 砂子屋書房刊
2500円+税

<目次>
白い骨
終電を待って 10   いろり端 14     舞鶴 18
白い骨 22      海は広いな 26    小さな墓石 30
小さなうどん屋 34  百日紅 38      風っ子 那須太郎 42
父の葬式 46
ほむら
毛髪の願い 52    一本のエントツ 56  野焼き 60
大血川 64      見沼代用水 68
いまをいきる
縁どりを走る 72   樹氷 76       真っ白 真っさら 78
きざし 82      墨絵の世界 86    きゅうりの塩漬け 88
休耕田のハンの木 92 散歩道 96      中廊下 100
あとがき 104
装幀・倉本 修




 
白い骨

太い針金が突き立っている脱穀機
日向色した籾粒が 滝のように零れて
忽ち大山に積もっていく 私は見とれていた

ガガガガ――
突然モーターが止まった
――スイッチ切って!

険しい母の声が響いた

幾つもの思いの迷路に 彷徨っていた母に
空白の一瞬があったのだろうか
稲束と一緒に引き込まれた 魔の世界から
引っ張り出された母の左手

真っ白い骨が三本

母は慌てることもなく
へばりついた藁しべを 水で流し 宥
(なだ)めて皮膚を載せて
ふっと 一息吐いて 出て行った

信じられない長男の戦死
母はそこから一歩も踏み出せないでいた
弾丸を潜り抜けて やっと戻ってきた次男に
――文
(ふみ)なの!
長男の名を口にしてしまった

酒の勢いを嵩に 鉈を振りかざしては坂戸に 障子に
戦場での苦悩 孤独の鬱積
(うっせき)を吐き出していた次男
私達家族は 真夜中の恐怖に怯え続けていた
小さかった私は 戦争の無残さはわからなかったが

母の涙のよう 稲束の上に
血の雫が落ちていた

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。あとがきに《まとめてみて、びっくり、戦争の作品が半分近く占めていました。母の、そして十歳に満たなかった私の、人生の苦悩はここから始まったことを、改めて思い知りました》と書かれています。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、やはり戦争の影が色濃く残っていると云えましょう。しかし、作品としては〈母〉の人間性や〈次男〉の〈苦悩〉がよく描けていると思います。第1詩集ながら、それ相応の年輪の深さを感じさせる詩群です。今後のご活躍を祈念しています。




詩とエッセイ『炎樹』60号
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2009.11 千葉県我孫子市 鈴木文子氏発行 500円

<目次>
作品
影…茂山忠茂 4              ニイハオ…坂田トヨ子 6
たちあおい…高橋英男 8          看取る…中山公平 11
台風一八号が教えてくれたこと…佐藤文夫 12 異端審問一九三九…三浦健治 14
トワイライトエクスプレス…仲 玲央 18   白と黒のカフェ…堀内みちこ 20
電車に乗る鵜…西山正二郎 22        馬の話…恋坂通夫 24
踏む…瀬野とし 26             書きくさし…猪野 睦 28
クニさん(田代栄助の妻)…赤木比佐江 32  ブリキの玩具…中村藤一郎 35
ひとときの春…光田年雄 36         六つの断章−ぼくの一九六〇年…宮崎 清 38
富士山…一宝 実 40            罪状…鈴木文子 41
古い楽譜と歌詞たちの…白永一平 44     残像…本多照幸 47
夜の散歩…萱野笛子 50
エッセイ
佐藤文夫詩集『津田沼』読後感 佐藤文夫詩集『津田沼』を読んで=赤木比佐江…ほか同人 53
西山正一郎詩集『繋ぐ』感想集 「闘ってこそ人間」を証明する 西山正一郎の「詩集 繋ぐ」へよせる=白永一平…ほか同人 65
今年の総会報告(付・周辺のスケッチ)…一宝 実 74
連載・反戦詩を読む(13) 生命ある武器――軍馬をめぐって…瀬野とし 77
プロムナード…宮崎 清・坂田トヨ子・一宝 実 30
*巻頭詩 瀬野とし1 *編集後記81 *同人名簿83 *表紙絵 宮崎若菜 *カット 堀内みちこ




 富士山/一宝 実

若さに背中を押されて午前8時に山頂につく
だが無理をしたのと酸素不足のせいだろう
頭がずきずきしてきて早々に下った
登山道をはずれ傾面を滑るように
軍手をはめた手で長い杖をつかって
借りもののヤッケに古いズボン姿で

下るにつれて頭の痛みはとれ
はるか下の湖水を美しいとみる余裕がでた
ふり仰ぐとやや黒い黄土色の山肌をみせ
富士はどっしりとしていた
――50年前のことである

だが山肌へ弾薬を実弾射撃で打ち込んでいる
2時間で44トン 3億5千万円という
しかも今年で51回目というのだ
日本一の山といわれる富士よ
休火山のままでいいのか

 〈はるか下の湖水〉とありますから、第2連は富士吉田口を下山したのかもしれません。最終連の〈今年で51回目というの〉ですから、これは東富士演習場の陸自・総合火力演習のことでしょうか。一度も見に行ったことはありませんけど、たしかに〈2時間で44トン 3億5千万円〉という規模のようです。この詩でおもしろいのは最後の1行です。〈山肌へ弾薬を実弾射撃で打ち込〉まれている〈富士山〉。〈休火山のままでいいのか〉! そのうち怒りで爆発するかもしれません。富士山噴火説はそこまで見据えているのかなと思ってしまいました。




詩とエッセイ『杭』52号
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2009.12.10 さいたま市大宮区
廣瀧光氏代表・杭詩文会発行 500円

<目次>
■遺稿■
暮れ八つ煩悩 佐波 周(槇 晧志) 2    災いか 福か 二瓶 徹 6
■追悼■ 飛べ 飛びつづけて−二瓶徹よ   廣瀧 光 8
■詩■
夕映えのなかで 大谷佳子 10        ノ〜プレイス 斎藤充江 13
ハイ・チーズ 山丘桂子 16         夏の午後 池上眞由美 18
マイペースで 長谷川清一郎 20       目がしらが 白瀬のぶお 22
摩文仁の丘 比企 渉 24          手 三浦由喜 28
柳絮 尾崎花苑 30             地中海 伊早坂 一 32
枯渇 廣瀧 光 34
■エッセイ■明治という時代 『夜明け前』から『坂の上の雲』 河田 宏 36
共に生きるベトナム 平松伴子 40      続 早稲田ノート 平野成信 50
大谷佳子詩集『小瀬田峠』合唱曲に 大谷佳子 52
母(6) 郡司乃梨 53            '09・夏の入り 右往左往 笠井光子 57
杭51号の集い 山丘桂子 62
題字・槇 晧志




 追悼
 飛べ 飛びつづけて −二瓶徹よ−/廣瀧 光

生涯をかけて
何処を どう歩いたのだろう

  父親につれられて、『杭詩文会』の会合
 に初めて姿を見せたのは、まだ二十代だっ
 たろうか。あなたの挨拶はカタコトのよう
 で誰にも届かず、声だけがか細く流れた。
  父親が代弁した。その父親を間もなく亡
 し、母親も葬り、障害をかかえての一人ぼ
 っちに。

  ただ、パソコンに向かい震える指先でキ
 ィーを叩き、精一杯の表現を続けた。時に
 は猫の眼を借りて、環境問題、人間のあり
 様、地球の未来等々見詰めていたが、自分
 の苦しみ、心痛、悩みごとは語らずじまい。

そのパソコンを開いたまま
旅立たれた あなたは
何を伝えたかったのだろう

あなたの描いた
絵図が風に舞い
あなたの言葉が
那須の山山に谺し
弾む足音が
天を翔ける        〈平成二十一年七月三十日逝去。冥福を祈ります。〉

 二瓶さんとは私も日本詩人クラブの例会などで親しくさせてもらっていました。その彼が急に来なくなって、どうしているかなと思っていたところ、つい先日、亡くなったと知り驚きました。お会いしているときは〈カタコトのよう〉な言葉でしたから、あまり意味はとれず、パソコンでのメール交信でやっと真意が分かるという状態でした。作品はたしかに〈猫の眼を借りて、環境問題、人間のあり様、地球の未来等々見詰めていた〉ものでしたが、やはり私にも〈自分の苦しみ、心痛、悩みごとは語らずじまい〉だったのが不満だったのです。詩や文章で、まったく障害がないかのような書き方は、本人にとってはそれなりの意味があったのだろうと想像できますけど、一般論にしかすぎない、高所に立ったモノの見方ではなく、あなたの障害を通じての世の中への視線こそ、私は知りたかったのです。それは障害を売り物にするというのではなく、事実をありのままに見つめて、私などとは違う視点で作品化してほしかったのです。それをいつかは伝えなくてはと思ううちに、あなたは逝ってしまいました。無念です。

 しかし、廣瀧さんにこれだけの追悼詩を書いてらえて良かったね。〈父親につれられて、『杭詩文会』の会合に初めて姿を見せた〉ことを初めて知りました。あなたの家庭での片鱗を見た思いです。改めてご冥福をお祈りいたします。






   
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