きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.15(火)


 12月27日の会期までにはどうしても観ておきたかった、目黒区美術館の「‘文化’資源としての<炭鉱>展」を観てきました。副題が「<ヤマ>の美術・写真・グラフィック・映画」となっており、珍しい炭鉱美術の企画展です。
 私が生まれた所が北海道の芦別、10歳まで育った所が福島県湯本・常磐。実母との死別後、1年間芦別に預けられて、私の幼少の記憶は炭鉱の町なのです。私の家は床屋でしたので直接炭鉱とは関係なかったのですが、親戚の多くが炭鉱に勤め、炭鉱住宅(炭住)もボタ山も身近な遊び場でした。炭鉱が運営する共同浴場にもよく行っていましたし、坑口に入り込んで遊んでもいたのです。その後、ご存知のように国のエネルギー政策の転換で炭鉱は潰れ、私も実母の死去とともに炭鉱の町からは足が遠ざかってしまいましたけど、昭和30年代の私の風景は炭鉱でした。その企画展ですから、何がなんでも観なくちゃと思っていたわけです。

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 写真は目黒区美術館の入口です。展示は思っていた以上の圧巻でした。版画、水彩、油絵は明治時代の炭鉱風俗から始まり、昭和30年代ごろまでのヤマを伝えていました。写真も土門拳を筆頭に充実したものでした。また、戦後のサークル誌の紹介もあって、美術館の展示としては異色だと思います。作品のいずれもが力勁いタッチなのは、炭鉱という職業のせいかもしれません。私も子どもの頃を覚えていますけど、ナヨナヨしたのは駄目だったのです。いつ落盤、爆発が起こるか分からない地底での労働が力勁さを生んだのかもしれません。

 この炭鉱を通じて、現在の石油に依存するエネルギー政策を考え、昭和30年代を考えるのは、この10年来の私の密かなテーマだったのですがいまだに果たせていません。そのジャンピングボードにと思って期待していた炭鉱展は、充分な刺激を与えてくれました。その思いが形になるかどうか…。あとは私の心がけ次第ということでしょうね。




塩田禎子氏詩集『柳絮舞う川のほとり』
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2009.12.10 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
T 山に会う
山に会うために 8  四阿屋山山頂から 11 山の上で 13
雪の天城山 16    茅が岳 19      城峰の麓 22
山のホテルで 25   花の名も山の名も 28 枯草の道 31
三十槌の氷柱 34   雷雨 37       冬の筑波山 40
U 風の流れに
七草の寺 44     花の斜面 47     小鹿野鉄砲祭り 50
ムサシトミヨ 54   広場のオカリナ 57  足尾 小滝の里 60
葦原 63       川のほとり 66    むくげの花が咲いて 69
昌徳宮の庭で 72   柳架
(りゅうじょ)舞う川のほとり 75
V ふるさとの野辺
浮野の里に 80    緑濃い野 83     夕暮れの空 86
風の音 89      母の声 92      駅 95
桜の下 98      宝蔵寺沼 101
.    酔芙蓉 104
紫陽花の道 107
.   光のなかへ 110
あとがき 114




  りゅうじょ
 
柳架舞う川のほとり

どこからともなく
ふわり ふわり
綿毛が風にのってやってくる
水原川のほとりにある
ひっそりとした野外の音楽堂

日本から訪れた詩人のひとりが
ステージに上り
五月の光のなかへ言葉を投げかける
すると 仲間をさそい
またやってくる白い綿
次の人が言葉を投げ
また次の人 と
朗読のすすむほどに
綿毛は数を増して舞う

少しの間があって
最後の詩
が放たれる
遠い秋風嶺を越えて渡る
雄大な詩の流れ
あこがれと悲しみのにじんだ
その詩人の頬に
かすかに涙が映る

無数の種を
やわらかい綿にひそませて
柳絮のいのちがしきりに舞う
この国で生まれるうたも
空を舞い
風に運ばれて
たくさんの花のかたちになるのだろう

    * 詩「秋風嶺」秋谷豊氏 朗読
      日韓現代詩交流35周年「アジアの詩の集い」が、二〇〇八年五月に
      韓国ソウルで開かれ、最終日の四日目、世界遺産でも知られる水原華
      城の、水原川のほとりで、野外朗読会が行われた。

 第1詩集のようです。ご出版おめでとうございます。登山の詩、旅の詩が多くあって、地図と首っ引きで楽しませていただきました。ここではタイトルポエムを紹介します。
昨年11月に86歳で亡くなった、詩誌『地球』主宰の秋谷豊さんと共に韓国に行ったときの作品ですが、〈白い綿〉状の〈柳絮〉(柳の種子)が舞う様と〈言葉を投げかける〉様が美しく重ねられた詩だと思います。秋谷さんはこの旅の半年後に亡くなったわけで、〈その詩人の頬に/かすかに涙が映る〉のは、著者の詩人としての予感だったのかもしれません。言葉を緻密に選んだ佳い詩集だと思います。今後のご活躍を祈念しています。




山田雅己氏詩集『全部抱きしめて』
−老人ホームに陽をのぼらせて−
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2009.11.13 栃木県宇都宮市 下野新聞社刊 1800円+税

<目次>
T章 鉄腕アトム
母と子のホームラン 12           美しい日本に生まれて 16
限られた命を自分らしく 20         千羽鶴 22
されど私の人生 26             人間なんて 30
天使の仕事 32               戦艦大和 34
風林火山 38                おきざりにした悲しみは 42
鉄腕アトム 44               フォークシンガーの青春 46
U章 人生の最後に
渡良瀬慕情 50               東京大空襲 52
雑草と薔薇 54               流星 56
紫陽花 60                 愛 62
人生の最後に 64              アジアの片隅で 68
V章 排泄人形
殻 74                   鈴の鳴るお手玉 76
尊厳 78                  結婚しようよ 80
旅の宿 82                 全部抱きしめて 84
喝采 86                  祭りのあと 88
人生を語らず 92              まにあうかもしれない 94
襟裳岬 96                 明日に向かって走れ 100
シンガーソング介護士 102
.         地球 106
微笑み 111
.                菩薩の声が聞こえる 112
裏町のマリア 114
.             新宿でコンサート 118
幸福 120
.                 排泄人形 122
介護福祉士の決意 124
跋 山田雅己の詩について 127
.       あとがき 130




 
全部抱きしめて

老う身に病む身に戦争も貧困も通り過ぎて
やっと手にした平和と繁栄の中に
余生の残り火が燃えている
病気と闘い障害を越へていく姿には
心を打たれ涙が流れる場面もあり
くやしさも淋しさも切なさも
共に全部抱きしめて歩いて行こうと
この人たちに命を捧げる決意を新たにする
幾多の傷を抱えながらも笑い泣きじゃくり
涙を夕焼けで乾かしながら
明日が少しだけでもいいから
いい日になるように祈ろう
もう祈ることしかできない人たちが
老人ホームには沢山いる
車椅子を押して押されて季節がめぐり
雪が解け桜が咲いて螢が舞い枯れ葉が散り
病める命に介護の日々は続いていく
戦争も貧困も耐えて刻んできた年輪の
尊敬すべき人生の大先輩たちを
介護できる喜びに胸を熱くさせて
時代も運命もその人に残された時間も
共に全部抱きしめて
明日からもまたぼくは車椅子を押していく

 第1詩集のようです。ご出版おめでとうございます。著者は1956年生まれですが、二十歳まで生存できないと宣告された未熟児だったそうです。少年時代から詩をノートに書きつけ、フォークソングを歌い、現在はターミナルケアの介護福祉士。波乱の半生がぎっしり詰まった詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、〈人生の大先輩たちを/介護できる喜び〉というフレーズに著者の思想と行動の真髄があるように思います。〈くやしさも淋しさも切なさも〉、〈時代も運命もその人に残された時間も/共に全部抱きしめて〉いくという姿勢に心からのエールを送ります。詩人としても今後のご活躍を祈念しています。




詩とエッセイ『条件』80号
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2009.12.21 埼玉県草加市
条件グループ・渡辺研氏発行 500円

<目次>
迷子…岡田恵美子      2       其処から私は来た…塚本月江 4
樫の木…三本木 昇     8
追悼 山法師…三本木 昇  12
轍…高山利三郎       15       梱包…齋藤新一       18
羽虫…川野辺 朗      21       微粒子抄W…渡辺 研    24
編集余滴




 
迷子/岡田恵美子

雨戸を閉めながら
何気なく眺めた西空
茜色が消えしっとりと昏れてゆく空
夕ぐれ−
幼い日の私は夕ぐれがくると
締めつけられるような悲しみに
襲われた事を唐突に思い出した

いつも私は迷子だった
母からはぐれ
家族からはぐれ
捨てられた小犬のように
心細さに震えながら
あてもなくさまよっていた

大人になっても私は迷子
夫からはぐれ
世間からもはぐれ
心の中の闇をさまよっていた
背を温める陽ざしに
いつも遠かったのは
捜しものが見つからないからか

−此の道は何処に行くのでしょう−
−捜していたものは何だったのでしょう

答えのない問いを
自らの胸に訊いては
迷子のまま それでも
何かを捜しながら
たどたどしく歩き続けている

 〈幼い日〉も〈大人になっても私は迷子〉。これは生きている私たち全てに言えることかもしれません。人生の目標を持って、歩む道をしっかり確かめて…。なかにはそういうことがちゃんと出来る人もいるでしょうが、少なくとも作者や私には無理なことでしょう。同じ意味で〈捜していたものは何だったのでしょう〉とも問わざるを得ませんね。それが“人生の目標”なのかもしれませんけど、それすらも私たちには朧です。短い作品ながら大きな命題を投げかけている佳品だと思いました。






   
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