きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.16(水)
西さがみ文芸愛好会の会報編集委員会を小田原で行いました。編集委員5人のうち、お一人は以前からご都合悪かったのですが、あとの4人は全員出席。たたき台用の版下は別の編集委員に作っていただいて、編集長としてはこんな恵まれたことはないなあと大喜びです。完全原稿に近い版下での討議ですから、作業も順調に進んで、予定の2時間の半分で済んでしまいました。印刷、発送は明日行います。版下を組んでくれた委員には、今夜のうちに手直しをしてもらって、明日の印刷に備えるという作業が残されてしまいますけど、よろしく! です。
今までは代表や事務局長に負担が集中していましたが、体制を見直して、この4月からは皆で分担するようになっています。順調に推移していると言ってよいでしょう。一人でやった方が早いのですが、それでは組織として将来性がありません。時間は掛かっても皆で分担する。しかも過度な負担にならなように、できる範囲でやってもらう。それが組織運営の鉄則だと思っていますけど、西さがみ文芸愛好会ではうまく回転していると思います。亡くなった代表を始め、先輩の智恵が息づいていることを感じています。
○清水榮一氏詩集『述懐』 |
2009.12.15
宮崎県宮崎市 本多企画刊 1905円+税 |
<目次>
第一部
翅翼 10 少女に 12 憂い 14
諸肌脱いで 16 薔薇一輪 18 麦畑 20
第二部
死の影 24 餞 26 骸−病院にて 28
プラットホームにて30 眼鏡 34 自転車置き場にて 38
黒雲−街頭にて 40 野良犬 44
第三部
悔恨−引退の日に 48 泣き声 50 猫の鳴き声 52
会葬 56 秋色 60
第四部
線路二題 達磨の首 64 汽笛 66
留守番 68 ある夫婦 72 回想(1)−モスクワ放送 78
回想(2)−事務所にて82
拾遺詩篇
偶感−事務所にて 88 海(素描) 90 病床にて−夏の昼下がりに 92
冬空−河川敷にて 94
*あとがき 97
留守番
その時僕らは
凍て付く廊下の端に腰掛け
母を待っていた
母は亡き父から買ってもらったという
取って置きの矢絣の着物を箪笥から引き出し
まだ日が出て間もない薄暗がりのなかを
単身歩いて買出しに出かけて行った
後には四隅に糠の固まりだけがこびりついている木製の米櫃と
身を切るように冷たい陶製の火鉢が一つ残され
飢えと寒さに戦く僕ら四兄弟妹(きょうだい)の後姿を
気の毒そうに見詰めていた
日はすでに大きく西に傾き
夕食の支度にでも取り掛かろうというのか
近くの家々からは粗朶をへし折る音や
鉄製のポンプで水を汲むせゝこましい音が聞こえはじめた
僕らはそれぞれ黙っていたが
内心 母の身に何かあったのでは……
という不吉な思いを打ち消すのに懸命だった
その時 開け放たれた木戸の所で
何か得体の知れないものが
動いたような気がした
それは 待ちくたびれた僕らの
目の錯覚のようでもあり
目的を達することが出来ずにさ迷っている
憐れな母の心魂の叫び その悲痛な声の
先駆けのようでもあった
僕らは怯えた
僕らはその時 自分たちの力では
米粒一つ調達することができない幼い僕らの生命が
あの辛抱強いがどこかヒステリックな
若い母親の心の動きひとつに掛かっているのを
初めて知った
そして僕らは一様に
おそらく打ち拉がれた母親の帰途に
手薬煉(てぐすね)引いて待ち構えているであろう
東武野田線の芝川の鉄橋の高さを
(その中空を走る
流麗な飛び込み台のような
枕木の姿を…)
思い浮かべていた
8年ぶりの第3詩集です。ここでは少青年期の実体験から紡ぎ出されたという第四部から「留守番」を紹介してみました。〈凍て付く廊下の端に腰掛け/母を待ってい〉る〈四兄弟妹の後姿を/気の毒そうに見詰めていた〉〈身を切るように冷たい陶製の火鉢〉が印象的です。私にも〈自分たちの力では/米粒一つ調達することができない幼い僕ら〉を感じた少年期がありますので、この詩は胸に沁みました。飽食の現代では想像もつかない世界ですが、決して忘れてはいけない時代だろうと思います。
○個人詩誌『雲の戸』8号 |
2010.1 埼玉県所沢市 山本萠氏発行 200円 |
<目次>
天空の庭 晩夏 石の永遠
あとがき
天空の庭
午後の木洩れ陽が
やわらかく部屋に散り始めると
窓の外に
チッ チッ と空気を揺すって
ひそやかな声がやって来る
あたりは一気に清浄の気配
わたしは凍えた椅子に 蹲り
思念のどこかへ重く沈潜していた 刹那が
微笑へと反転する
おいで小鳥
枯れ技みたいな山椒の木を
ブランコにして
それから
焼締めの大壷の口辺にきりりと止まり
訝しそうに小首をかしげる
(ここは なつかしく神秘!)
白いふちどりの目の無垢が ぶるると
煌めき立ち
刻んだ林檎の小皿まで なんと弾んで
青いのだろう
荒れた庭から気まぐれな風が起ち上がると
つんつんと 草の芽が
まっさらに生まれ出ようとする
おいで小鳥
この千年 わたしのしたことといえば
忘却だけだった
砂に半身埋もれながら
銀に波立つ風紋をとめどなく辿り
川が天空を轟々と流れ去って行くのを見た
来る日も
来る日も
星屑を拾った
その罅(ひび)だらけの土器を胸に捧げ持ち
砂嵐を行く 疲れた旅者だった
から
おいで小鳥(明日も!)
(まだ何ひとつ始まってはいないのだ)
水浅葱の早春の空は
悠久が とおく見渡せるほど澄み
さりさりの林檎の実を
宝石のように小皿にふるまえば
まるく輝くおまえの無垢が そっと
小さな微笑を運んでくる
〈小鳥〉の〈ひそやかな声がやって来る〉と〈あたりは一気に清浄の気配〉になるというのは分かるように思います。拙宅は田舎ですから小鳥もカラスも多くいるのですが、現実にはその声に耳を傾ける余裕がありませんけど…。〈この千年 わたしのしたことといえば/忘却だけだった〉というフレーズも佳いですね。これはよく分かります。〈天空の庭〉は〈悠久が とおく見渡せるほど澄〉んでいるとまで感性豊かに暮らせてはいませんが、できればこの心境に近づきたいものだと思った作品です。
○個人誌『休憩時間』6号 |
2009.11.24
千葉県八千代市 凪事務所・星清彦氏発行 非売品 |
<目次>
真っ赤な太陽 2 夏が降ってきた 3 美しく咲いた記憶 4
53歳のキックオフ 5 こぼれる秋 6 台風一過 7
紅葉 8
後書き 9
美しく咲いた記憶
輝かしい時期がありました
かなわぬほどの大きなものにさえ
真正面から立ち向かう
闇雲な向こうっ気にも溢れていました
花は華でありました
美しく鮮やかに咲いたこと
それは確かな事実でした
大切な大切なそれぞれの記憶
記憶になった今だけれど
たくさんの種を抱えています
輝かしい未来の芽を抱えています。
毎号、写真に詩が添えられていますが、この作品では枯れて茎が折れたヒマワリでした。その無残な姿を〈美しく咲いた記憶〉としたこの詩に敬服します。そして、見た目のみすぼらしい姿だけではなく、その中には〈たくさんの種を抱えています/輝かしい未来の芽を抱えています〉と読み取る視線に、この詩人の深い洞察力を感じました。写真はどうしても奇麗なものばかりに眼が行きがちですけど、こういう視点を持つことも大切だと教わりました。