きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.18(金)
夕方から神田の東京電機大学で日本ペンクラブと日本出版学会の合同シンポジウム「グーグル・ブック検索訴訟 新和解案をめぐって」があったのですが、行きませんでした。新和解案で何が変わったのか、今後の動向は?という興味あるテーマだったのですが、疲れています。この1週間ほどは毎日のように出歩いていましたから、さすがに休日が欲しくなりました。今回は私の出番も無いし、と思ってサボらせてもらいましたけど、関係者の皆さん、ごめんなさい!
で、ひたすらいただいた本を拝読していました。
○柏木勇一氏詩集 『たとえば苦悶する牡蠣のように』 |
2009.12.20 埼玉県所沢市 書肆青樹社刊 2200円+税 |
<目次>
T
ここにむかし樹木があった 10 門 14
花びら 18 手紙 22
いのちの道のり 26 蜘蛛 30
そこに眠りついたもの 34 冬の形相 38
流れを拒絶する川 40 わたしは幸せな男だ 42
言葉が果てるまで 46 マンモスの骨 48
けさ目撃したこと 50 静かな一日 54
U
眠る母 60 ゆがむ母 62
たとえば苦悶する牡蠣のように 64 蜜と戯れる果実 66
午後二時のまどろみ 68 孤高 70
気配 74 過ぎてゆく秋だから 78
刻印 82 傷 86
証人 90 その果て、暗闇へ 94
とどのつまり 98 あとはよろしく 102
あとがき 106
たとえば苦悶する牡蠣のように
つまりこういうことか
ヒトはおのれのからだに無数の傷をつけながら消滅する
音もなく叫ぶ骨を残して
ヒトはその定めを知っているから
涙を流すためにまぶたの河口に深い皺の谷を掘り続ける
悲痛も絶望も苦悩も吸い込んで
涙は海に注がれ 海を膨らませ 海は窪む
そこには腐食の支配者が存在するのだろう
まず眼球が一気にえぐりとられ
そして耳 頬肉
唇が崩されていく
その海の窪みにはやがて
悲痛と絶望と苦悩の襞を幾重にも重ねて貝が棲みつく
たとえば苦悶する牡蠣のように
5年ぶりの第7詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈悲痛と絶望と苦悩の襞を幾重にも重ねて貝が棲みつ〉いて、〈たとえば苦悶する牡蠣のように〉〈ヒトはおのれのからだに無数の傷をつけながら消滅する〉、と採ってよいかと思います。おもしろい表現ですが、書かれている内容はかなり重いと云えましょう。結局、〈ヒト〉は〈腐食の支配者〉の存在から逃れられないのだと受け止めました。
○詩とエッセー『橋』59号 |
2009.7.1 石川県羽咋市 若狭雅裕氏発行 非売品 |
<目次>
詩 移ろい 相良俊子 1 花と鼻歌 高橋サブロー 2
橋畔雑記 若狭雅裕 2 山中以都子詩集『水奏』を読んで 若狭雅裕 3
詩 若き日の花火の夜 若狭雅裕 4 受贈御礼 後記 4
花と鼻歌/高橋サブロー
短い花の命でも
我が世は 春だと
スプリング ハズカム
と鼻唄謳う
[草]の[早]を[化]と
入れ替えた「花」に
[鼻]の字を「鼻に掛け」て
鼻毛を伸ばして
江戸の幕府安心させた
加賀の前田の殿さん
患者の鼻毛を診ても
鼻持ちになってはいかぬ
耳鼻科のお医者さん
鼻毛を抜いても
鼻毛を数えても いかぬ
耳鼻科のお医者さん
高貴高齢者も
我が世の春だと
スプリング ハズカム
と鼻唄謳う。
作者は〈耳鼻科のお医者さん〉ですから、こういう詩が出てくるのでしょうね。普通の人ではとても思いつかないテーマでしょう。〈鼻毛を伸ばして/江戸の幕府安心させた/加賀の前田の殿さん〉というのは知りませんでした。地元では有名な逸話なのかもしれません。楽しませていただいた作品です。
○詩とエッセー『橋』60号 |
2009.11.1 石川県羽咋市 若狭雅裕氏発行 非売品 |
<目次>
詩 秋のうた 相良俊子 1 サントリーニ島に遊ぶ 高橋サブロー 2
橋畔雑記 若狭雅裕 2 歌誌『綺羅』13号を読んで 若狭雅裕 3
詩 ふるさとの海 若狭雅裕 4 受贈御礼 後記 4
ふるさとの海/若狭雅裕
広い砂丘は
太陽の恵みの光で
目映(まばゆ)い砂漠!
靴を脱いで
砂浜に立ったら
足の裏に
母の温もりがあった
青い海水(うみみず)が
押し寄せる渚に立って
浪が奏でる
音楽に耳を傾けたら
父が好きだった
小原節が
朗朗と流れてきた
大波小波を
巧みに泳ぎながら
緑いろの髪の若布(わかめ)が
バイオリンを弾いたら
その優しい愛の讃歌を
妻が雲の峰から
顔を出し聴いていた
小学生達が
浜辺へやって来た
若い女の先生が
“海は広いなあ
大きいなあ”
と歌ったら
老いも若きも合唱!
〈ふるさとの海〉は何度か行ったことのある千里浜や内灘を想像して拝読してみました。〈広い砂丘〉や〈青い海水〉、そして〈大波小波〉が眼に浮かぶようです。作者は地元の方ですから、ひとしお〈母の温もり〉や〈父が好きだった/小原節〉、そして〈雲の峰から/顔を出し聴いていた〉〈妻〉への思いが強いのでしょう。最終連の〈老いも若きも合唱!〉というフレーズに〈ふるさとの海〉への〈愛の讃歌〉を感じた作品です。