きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.20(日)


 珍しく、暮だからという理由で庭木の手入れをしました。冬はそんなに伸びないだろうと思いがちですけど、どうしてどうして…。ところどころ成長している部分があるのです。それがポツンポツンと伸びていて格好悪いので剪定しました。午前中の2時間ほどで終わりましたが、今の時期に切っていいものかどうかは分かりません。まあ、ダメだったら出入りの庭師に泣きつきます(^^;

 午後からは、以前からもらっていたタダ券を使って、御殿場市の「富士八景の湯」で汗を流してきました。この1年ほど前にできた温泉で、1度だけ行ったことがあります。2回目の今日は様子も分かっていましたから、ノンビリと露天風呂に浸かってきました。

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 写真は温泉から見た富士山です。“富士八景”と名づけるだけあって、良い眺めでした。天気は快晴。携帯で撮った割にはまあまあの出来だと思います。
 こうやって、穏やかに暮れていく年の瀬は良いものですね。そんなことが続いて、老境というものを迎えるのでしょうか。




細井章三氏詩集『黒い帽子と黒いマント』
エリア・ポエジア叢書7
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2009.12.23 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1800円+税

<目次>
独房残日 6      明暗 10        ピアノ狂騒曲 13
標的 16        出会いの分類 18    光のいちにち 21
夜の光 24       蟻 27         あじさいの咲くころ 30
欅 33         雨の日 36       冬の蝉 39
ふるさとがアブナイ 42 忘れていた風景 45   駅前広場 48
広瀬川に寄せて 51   来ませんか 54     ヨコハマたそがれ 58
ひとり 港で 61    今週の空 64      神奈川県立図書館 67
男たちの遺したもの 71 絵画展 74       叫ぶ版画 77
しおり 80       遺稿歌集 81      十進法 86
心境 87        重力 88        徒労 89
桜見物 90
あとがき 94




 
来ませんか

霧が一切をとざして何も見えない港の丘に
来ませんか

忘れた頃に思いもよらぬ方角から
死にかけた虎の最後の歌をうたう響きが
丘の上にとどく…………
不安をかきたてるような、あるいは希望を抱かせるような
何とも言いようのない音の波が
あなたが息を呑んでいる間
霧の中から、せつせつと訴えかけてくる
一条の汽笛が
多分 あなたの全身をゆさぶるでしょう

丘の上のくちかけたベンチは
すっかり濡れてしまっているけれど
並んで腰かけて
お互いの思い出を、ただ胸の中で繰り返し
伝えたいと思うまで、掌を握り合って
心臓の温みが満ちてくるのを待ちましょう

ボクは あなたの未来を聴きたい
あなたが、おなかの底まで愛した男のことを
聴かせてくれませんか
霧に濡れながら
汽笛が再び、ご自分を物語りはじめるのを うながすまで
何も見えない港を見下ろしていますから

墨絵の世界にひたっていれば
あなたは、どんな色彩にでも
好きなように色を重ねて
ご自分を描き出すことができます

何も見えない方がいい
 港に入ってくる客船のおぼろげな影のほかは
何も聞こえない方がいい
 忘れたころに、ひとをゆさぶりにくるコントラバスの汽笛のほかは

霧にすっぽり包まれた
何も見えない港の丘に
もう一度来ませんか
異国の詩人が好んだ黒い帽子と黒いマントを用意して
濡れたベンチで待っていますから

 2年ぶりの第2詩集です。この詩集にはタイトルポエムがありませんが、紹介した詩の最終連から採っていると思います。作品中の〈港の丘〉は、著者のお住まいが横浜市であることから「港の見える丘公園」と思ってよいでしょう。そこに〈来ませんか〉という〈あなた〉への誘いは、〈お互いの思い出〉を語りたいためですけど、実は〈何も見えない方がいい〉し〈何も聞こえない方がいい〉と思っているのです。これは〈霧にすっぽり包まれた/何も見えない港の丘〉に象徴されるように、“心の闇”を謂っているのではないかと感じました。それが〈黒い帽子と黒いマント〉として表出させているのかもしれません。平易な言葉を遣いながらも構造はかなり複雑です。何度も味わえる佳品だと思いました。




詩とエッセイ『ネビューラ』10号
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2009.12.15 岡山市北区 壷阪輝代氏代表 非売品

<目次>
吉備野の花詞(XIV)−やまたちばな(やぶこうじ)−…中川貴夫 2
写経道場…川内久栄 3           おかやまのうた・葡萄…行吉正一 4
晴れた秋の日に…日笠芙美子 6       バルコニー…香西美恵子 7
産生の森の主…三村洋子 8         空白の六ヶ月…吉形みさこ 9
ピアノからの贈り物…西ア綾美 10      歴史ヒストリアを見た…田原伴江 11
祭り…下田チマリ 12            夜明け…武田理恵 13
友…岩アゆきひろ 14            さあ、これから…田尻文子 15
レプラコーン…広畑ちかこ 16        周波数…武田章利 17
湧いてくる音…今井文世 18         冷えと温もりと…谷口よしと 19
今夜ここに辿り着く…中尾一郎 20      還り箸…壷阪輝代 21
エッセイの窓
演じるということ…今井文世 22       詩の題材の模索…岩アゆきひろ 23
「斜陽館」…下田チマリ 24          碑を照らす風、今もなお…田尻文子 25
朗読をもっと身近に…谷口よしと 26     お地蔵さま…壷阪輝代 27
晴れの国紀行・岡山墓参…手皮小四郎 28   こんなふうに詩作する…中尾一郎 29
詩の土壌…日笠芙美子 30          観光遍路の美学…広畑ちかこ 31
信ちゃんと梟…三村洋子 32
装幀・尾崎博志




 
祭り/下田チマリ

 遠い日のことだ。秋祭りの日、私は着物を
着せてもらって、神社へ参詣した。参道の両
脇にはぎっしりと屋台が並び、綿菓子、飴細
工、お面やブリキのおもちゃ、時には古着ま
で売っていたような気がする。如何わしい物
もごた混ぜに並んだ参道を、御輿が通る、獅
子舞が舞う。子供達は僅かな小遣を握り締め、
何を買おうかと、あちらこちらを走り回り、
みんな幸せそうだった。
 そんな時、屋台の群から少し外れた大きな
樟の木の下から、「さあさあバナナの叩き売
りだよ。甘くておいしい栄養満点のバナナ、
南の島から今着いたばかりのバナナ、さあ買
った買った」、という男の声と、台をバンバ
ン叩く音が聞こえてきた。その頃のバナナは
貴重品だ。特別な日にしか食べられないバナ
ナを私は見るだけでもうれしくて、その声の
方に近づいた。
 台の上にバナナは無かった。男は喋りなが
ら空っぽの台を棒で叩いているだけだ。私を
見て「お嬢ちゃん、おいしいバナナはどうか
な、うんと安くしておくよ」と声をかけてき
た。「バナナなんか無いじゃない」と言い返
すこともできず、「私、バナナ買うお金もっ
てないから」と言うのが精一杯だった。男は
うれしそうに笑って、「お金なんかいらない、
お嬢ちゃんはいい子だからバナナをあげよう」、
といって、取り出した新聞紙に、いかにも大
きなバナナの房を包むような手つきで包みを
作り、私の両手に、フワリと置いた。
 それからどうしたのか記憶に無いが、私の
生涯で、あの空のバナナの包みほど、充たさ
れたうれしさを知らない。あの男は何を売っ
ていたのか。私は何を買ったのか。
 男は今でもバナナを売っているだろう。し
かし、男の声も叩く音も、もう誰にも聞こえ
ない。偽りの日々に充たされ、飢えも激しく
求めるものも無くなった世界には、祭りさえ
も、もういらないのだ。

 いったい〈何を売ってい〉て〈何を買ったのか〉、不思議な話ですが、〈遠い日〉にはこんなこともあり得ただろうなと思います。私たちがよくやったのは“〜したつもり”、“〜するつもり”という遊びです。おいしいものを食べたつもり、お小遣いをたくさんもらえたつもり…。〈あの空のバナナの包みほど、充たされたうれしさを知らない〉という感覚に通じているのかもしれません。それに対して現在の〈飢えも激しく求めるものも無くなった世界には、祭りさえも、もういらないのだ〉という指摘は考えさせられます。
 なお、原文では禁則処理をやっていませんでしたが、転載させていただくにあたり勝手に処理させいただいたことをお断りいたします。




佐久文学『火映』6号
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2009.12.20 長野県佐久市
酒井氏方・佐久文学火映社発行 300円

<目次>
大根抜く親子(俳句) 春日愚良子 3     きだみのる回想(2)(随筆) 春日愚良子 4
モザイク掛けるやう(俳句) 野中威 7    きらきら/あっぱれ(俳句) 森貘郎 8
雑草のうた(随筆) 森貘郎 9        宮本勝夫水彩作品・《ひまわり》−に 他二篇(詩) 遠山信男 13
マニキュア(詩) 奥重機 16         帰還(詩) 田中眞由美 18
転落2(創作) 酒井力 21          考えてみて/待つ(詩) 地隆 27
たらの木(詩) 藤原文子 33         老残の夢(詩) 佐久文雄 38
10月の夜(詩) 森貘郎 40          雷雨(詩) 小林広志 42
貸本屋(詩) 作田教子 45          山の音(5)(6)(詩) 酒井力 48
文学賞の窓6(コラム) 酒井力 52      深謝寄贈詩誌・詩集等 8月〜11月 53
【火映】の意味・執筆者住所 56       後記
紙題字 春日愚良子  表紙板画 森貘郎   挿絵 土屋敏子




 
10月の夜/森貘郎

10月の夜の闇に包囲される。
ありがたいことに、この世はまっ暗だ。
毎年3万人が自殺する ――
自殺王国ニッポン万歳。
この国には、まだ自殺する自由がある。
まんざら棄てたもんじゃないさ。

生きている人間より ――
死んだ人間のほうが多いのだ。
まず死者の声を聞かなければならない。
この世は死者のものであり ――
すべての人間は死者となるのだから。
たいせつなことは死ぬこと。

鳥のことばは死者だけが理解できる。
人間のことばも同じ―――。
67才。むなしかるべき。
すでに立派な死者だ。
雄鶏は首をかしげ、目をみひらき、
俺の「たましひ」を不思議そうに見た。

猫の目はクルクルまわり、
俺が死んだ人間であることを見ぬいている。
呼んでも知らん顔。
手をのばすと身をかわし、
髭をピンと張って、
10月の夜の闇に消えてゆく。

 考えてみれば当たり前なのですが、〈生きている人間より ――/死んだ人間のほうが多い〉ということを改めて認識させられます。〈たいせつなことは死ぬこと〉というフレーズにも納得させられますね。その上で〈俺が死んだ人間である〉という前提でこの作品を読むと、〈10月の夜の闇に消えてゆく〉〈猫〉が、なにやら冥界からの使者のように思えてきます。〈この世〉が〈まっ暗〉なのは〈ありがたいこと〉なんだと思ってしまった作品です。






   
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