きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.21(月)
その1
午後から櫻井千恵さんによる今年最後の「朗読の会」が湯河原町〔グリーン・ステージ〕で開かれました。内容は黒井千次作「日暮れの鍵」。当日のリーフレットから拾うと、<この作品は、還暦を過ぎた男の、郊外で暮す何気ない日常と、穏やかな日々の底にひそむ正体の掴めぬ不安を描く、連作小説「日の砦」の中の一遍です>となります。
写真は朗読直前の櫻井さん。物語は隣家のおばあさんが鍵を失くして家に入れないでいるところを目撃した主人公(女性)が、おばあさんと同居の娘が帰宅するまで待つよう、自宅に招いたというもの。〈還暦を過ぎた男〉の登場はずっと後になりますけど、それまでの〈穏やかな日々の底にひそむ正体の掴めぬ不安〉がおもしろい作品です。どこにでもありそうな話と、老いの不安が綯い交ぜになっているように思いました。
今年の「朗読の会」はこれでオシマイ。知らない小説ばかりでした。朗読を聴くことで乏しい私の頭の中も、少しは知識が増えたかなと思っています。櫻井さんの、45分ほどの作品を見つけ出す力、まとめる力には改めて敬服した1年でもありました。1年間ありがとうございました!
○名古きよえ氏詩集『水源の日』 21世紀詩人叢書・第U期38 |
2009.12.10
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
<目次>
T
風音
ひたひたと 8 谷 11 闇に包まれて 14
尾根の道 17 丹波高原 20 河内谷 1 23
河内谷 2 27 水路 30 竃の火 32
キツネ 35 お講 38 風音 41
集落の会議 44 祖母 46 五月八日の天道花(てんどうばな) 48
庭 51 馬 54
U
陽の底
道端から 58 てんごり 61 歩く 64
暖かい木の器 67 祖父の後ろ姿 70 村が市になった 73
芦生(あしゆう)の山 77. 目に見えないもの 81 タイムスリップ 85
水の味 88 西の鯖街道 91 すすきの穂 94
解説 中村不二夫 98
あとがき 108
すすきの穂
キツネが尻尾をふるように
すすきの穂が出そろった
今年も ぐらぐら 雪が降る前に
乳白色の野の明るさ
満ち足りた秋の月に供える
桔梗に撫子 団子にお茶
万葉集は尾花とうたい
宮沢賢治は萱花とかたり
わたしはすすきの穂としたしむ
呼び方は変わっても
野に咲くすすきの
したたかさは変わらない
昔から変わらないものが 足もとにある
枯れたすすきを刈って干し
屋根を葺く さわざわ さわざわ
二メートルに伸びた枯れすすきを
茅(かや)と呼び変えて
細い竹で押え 固定しては重ねて
厚さ四、五十センチに葺くと
雨や雪 季節の風を防ぐ
知井は茅葺屋根の入母屋作り
火に弱いからといって 火を使わない日は無く
火事を出さない厳しさ
野にある草を使い
自然に帰った人々
今も野に生えてくる草
すすき咲く野に芽葺のほの明り
生まれ育った京都の旧知井村を素材にした作品が多い詩集です。詩集タイトルの「水源の日」は“みなもとのひ”と読みますが、文字通りの水源に育った日と採ってよいと思います。ここでは詩集の最後に置かれた詩を紹介してみました。〈すすき〉〈尾花〉〈萱花〉と呼ばれ、そして〈茅と呼び変え〉られても、〈雨や雪 季節の風を防ぐ〉〈したたかさは変わらない〉のでしょう。そこに暮らす人々の〈火に弱いからといって 火を使わない日は無く/火事を出さない厳しさ〉に改めて瞠目させられました。〈すすきの穂〉を淡々とうたいながらも〈わたし〉の思いを乗せ、最後に置かれた句も詩情豊かな作品だと思います。
なお、ちょっと見難いのですが、表紙の左下には「国際ペン東京大会2010」の文字とロゴマークがあります。来年9月に開催される大会を記念して、会員の希望者が自著に入れています。一般の書店でもそういう本を見かけましたら、来年は日本ペンクラブが何かやるのだなと思ってください。
○会報『木ごころ』14号 |
2009.12.16 神奈川県南足柄市 非売品 鈴木章好氏発行責任・木ごころの会発行 |
<目次>
とびら…鈴木章好 1 『足洗い石』の話し−世間の一参考例として−…湯山 厚 4
ヤブガラシに親しむ…長田雅彦 8 上野で阿修羅像に再会…平野博子 10
「働くことしか才能のない世代」…日高康弘 12 ピコの受難 その二…尾崎絹代・14
金次郎の「柴刈り」の掛軸を取り出して…竹内清 19 俳句を学んで十年…相原宗由 24
【短歌】吾が世代等は…湯山 厚 26 【短歌】二〇〇九年春から夏へ…越坂部貞子 27
【短歌】流星あおぐ…川口克子 28 【俳句】藍…小澤敬子 29
手づくり旅は雪の中…神戸 翠 30 ロマンを追って…平林恵子 34
ガマの穂綿に導かれ…木口まり子 37 ナベ無精…丸山鮎子 40
六十年の絆…山崎文子 42 お昼は手打ちそば…滝本小夜子 44
畑のことなど…鈴木章好 48 路の辺の壱師と刈田の稲孫…小山寛子 50
【詩】秋 四編…内藤房江 52 埋蔵金と宝くじ…山田行雄 54
木ごころ寄り合い・ぶらり訪ね歩き〈秋〉 木ごころ編集委員 55
4月!イングランドは緑の宝庫…米山淳子 60 ムササビ考…一寸木 肇 63
編集後記 木ごころ編集委員 64
*本文中の挿絵・書・図は、長田雅彦さん・小山寛子さん・内藤房江さん・竹内徳さん・一寸木肇さんによるものです。
*裏表紙カットは、石田晴雄さんの作品です。
金次郎の「柴刈り」の掛軸を取り出して 竹内 清
[図1-1]は、大分傷んでいますが、私の小学生の頃から、わが家の床の間の隅に仕舞い込まれていた二宮金次郎の「柴刈り」の掛軸です。
私の父親は昭和10(1935)年頃、東海道本線が開通したばかりの小田原駅に勤めていました。その非番の時に、駅前の路上に店を出していた「絵かき屋」に描いてもらったものだそうです。
この絵かき屋は、客の目の前で、客の細かい注文を聞きながら、「山水」や「人物」を描くという、大道芸人的な絵師だったそうです。それだけに、この金次郎の柴刈りの絵には、多分に、その時の父親の金次郎に対する願望や自分の体験に基づく自己満足が入っていたように思います。
勤めから帰宅した父親が、迎えた母親に「金次郎の銅像や挿し絵を見ると、どれも短い薪の束が一つか二つしか描いてない。金次郎はそんな欲のない人ではないと思う。おれは、特別、三把背負っているところを描いてもらった」と、多少、自慢気に言っていたのを子ども心に覚えています。父親はその時40歳位だったでしょうか。
その時なぜ金次郎だったのかは聞けなかったが、今考えると、冬場の非番の日には、決って、この金次郎と同じ格好で、松田山の頂上(現チェックメイトのゴルフ場)裏までの5〜6kmの山道を薪の束を背負って下りてきていたので、金次郎の箱根・明神岳の麓から東栢山までの6〜7kmのそれに、自分の姿を重ねていたのかも知れません。あるいは、学校教育による「偉人・金次郎の柴刈り」という自分と同じ作業を通しての親近感だったのかも知れません。自分で言うのも変ですが、真面目な父親だったと思います。実は私も終戦前後の数年間の日曜日には、父親と一緒に「もし木(燃し木)とり」に行ったので、このスタイルは私の格好でもあります。その時の肩に食い込む痛さは、ハイキングスタイルの経験しかない人には、話しても分からないと思います。
やがて終戦(1945年)。「教育勅語」に代るものということで、金次郎ブームが起りました。金次郎の誕生地である桜井村にも佐々井信太郎などその道の研究家と称する人たちが次々と訪れました。
当時、地元での研究家の一人とされていた古屋安定校長(足柄上郡桜井村立桜井小学校)が、校長室でその人たちの応対をしているところを、新採用教員だった私は何度も見ました。そして、全国に金次郎(二宮尊徳)の崇拝者が意外に多いことを改めて知りました。戦後の「新教育」と金次郎との関係もその頃から始まったようです。
そんなことから私は、前述の床の間の掛軸が気になり、それを取り出して学校へ持って行きました。その頃、従来の学校後援会とは違う「PTA」なるものが、桜井小学校にもできましたが、その絵をその役員の人たちや、誕生地の東栢山(現・尊徳記念館のある所)の有識者の方々にも見てもらいました。その人たちは異口同音に「これが本当の金次郎です。栢山の〈もしきとり〉の姿です。薪の長さや束の数、背負い梯(しょいばしご、またはやせ馬)への薪束の括りつけの位置など昔のとおりです」と。
これらの人の言葉だけで、そのときから150年前の様子と同じであるとは断定できませんが、隣村の松田の私たち親子のそれと一致する話で意を強くしました。
話はそれだけのことですが、現在の余りにもシンボル化した銅像やイラストだけからは、経験のない者にとっては、二宮金次郎の生き方の話は通じないのではないかと思います。
一般にコトバ(言語・記号・図など)には意味があり、その意味は話し手と聞き手の体験を分かち合うときにだけ伝わるというコトバの宿命がありますが、自然の事物・現象を語るときに限らず、歴史的事象についてもこのコトバの大原則からは逃れられないと思います。
そんな基本的なことについて、二宮金次郎を引き合いに出すことはないと思いますが、たかがイラストという中に、便利なIT社会という現代文明の危険な側面もあることが気になります。ましてや、郷土の偉人であり、いままた世界にも知られている二宮尊徳のこと、イラストや安易なモデルが一人歩きをしないようにしたいと思います。
余談1.金次郎の「価値転換」の例として、落ちている薪を拾い集め、それを売った金で
勉強したのは事実だが、薪を背負いながら本を読んでいたという事実は確かめら
れていないとか。
余談2.歩きながらの読書は交通事故の元だと子どもが言いますが、空いている目と手の
利用という象徴の図だという大人もいます。しかし、それは「こじつけ」では。
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〈郷土の偉人〉〈二宮金次郎〉像についてのエッセイですが、[図1-1]その他の図については割愛しています。[図1-1]は金次郎の頭よりかなり上まで薪が積み上げられた掛け軸、[図1-2]にはその拡大図が載せられていました。さらに[図2]と[図3]には1束の薪を背負うイラストと銅像の写真が載せられています。拙宅の近くの小学校にも二宮金次郎の銅像があり、それも薪は1束です。
このエッセイを読むまでは、私も何の違和感もなかったのですが、たしかに〈金次郎はそんな欲のない人ではないと思〉い始めました。結果的には欲得の話になりますけど、〈箱根・明神岳の麓から東栢山までの6〜7km〉を往復するのに、軽い1束で済むとは思えません。同じ往復をするのなら、できるだけたくさん運びたいと思うのは人情。その基本的なことを私も忘れていたことに驚きます。
もう1点認識を新たにしたのは〈「教育勅語」に代るものということで、金次郎ブームが起りました〉というところです。根拠はまったくありませんけど、金次郎像は戦前・戦中のものだと思っていました。考えてみれば金次郎は江戸時代の人ですから、江戸幕府を滅ぼした明治政府、それにつながる大正・昭和の施政者が金次郎をもてはやすということはないでしょうが…。
いずれにしろ、二宮金次郎の地元ならではの、生活に密着した好エッセイだと思いました。
○季刊詩誌『竜骨』75号 |
2009.12.25
さいたま市桜区 高橋次夫氏方・竜骨の会発行 600円 |
<目次>
<作品>
落日 横田恵津 4 富士夕景 島崎文緒 6
あ、揺藍のときよ 河越潤子 8 刈り干し 木暮克彦 10
紫の色 上田由美子 12 紛未 森 清 14
神 松崎 粲 16 手紙 今川 洋 18
池袋駅地下道 篠崎道子 20 五叉路に吹く風 高野保治 22
お悔やみ 庭野富吉 24 その裏側は 内藤喜美子 26
虫の身の丈(たけ) 松本建彦 28 積荷目録(マニフェスト)の秋 友枝 力 30
寅子石 対馬正子 32 遠い空 長津功三良 34
大蟷螂 高橋次夫 36
羅針儀
創造の大地 今川 洋 38 竹林 上田由美子 40
本所・深川、隅田川(八) 高野保治 42
書窓
村野美優詩集『草地の時間』 高橋次夫 46 宮沢肇詩集『舟の行方』 松本建彦 47
海嘯 11歳 高橋次夫 1
編集後記 48 題字 野島祥亭
富士夕景/島崎文緒
秋の陽が沈むと 茜色のスクリーンに
くっきりと映し出される
ブルーグレーの端正なシルエット
この夏 初めて登頂した富士山
気力 体力共に大分衰えてきて
今年が限界と決意した
以前にもトライしたが 八合目までで
台風のために下山させられて以来
富士は もう仰ぎ見るだけの山と
半ばあきらめていたが
母が女学生の頃 袴に編上靴のいでたちで
「六根清浄」を唱えながら登った という話を
聴かされていたから
一度は登って見たかったのだ
五合目を昼に発ち 七合目の小屋で仮眠を取り
夜半 ヘッドランプを頼りに頂上を目指す
夜明けに最高地点で拝した 御来光と雲海
七十才を超す者には 山頂の本宮から
祝盃と立派な扇子のごほうびがあった
登りは それほど難儀ではなかったが
下山の須走は 滑り易い砂利道の連続で
何度 前のめりに転んだかしれない
でも「何とか登ってきました」と
あの世の母に やっと報告できる
いまこの陸橋より望む 富士の麗姿
世界遺産になぞならずとも良い
その気高さに変りはないのだから
〈七十才を超す者には 山頂の本宮から/祝盃と立派な扇子のごほうびがあった〉と書かれているからと言って、作中人物が該当しているかどうか分かりませんけど、〈今年が限界と決意した〉結果の登山だったようです。私は3度登っていますので、おおよその様子は分かります。しかし、最終連には敬服しました。〈世界遺産になぞならずとも良い/その気高さに変りはない〉と、私のような浮ついた登山までも戒めているようです。第1連の〈茜色のスクリーンに/くっきりと映し出される/ブルーグレーの端正なシルエット〉というフレーズにも、作者の観察眼の確かさを感じた作品です。