きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.22(火)
所要で3時間ばかり小田原に行きましたが、それ以外は書斎に籠もっていただいた本を拝読していました。
○詩と散文『同時代』第3次27号 |
2009.12.20 東京都豊島区「黒の会」発行 1500円 |
<目次>
特集 音・声・言葉
音と声と言葉の歎語 原 子朗 6
呼びかける声と響き−『罪と罰』− 川崎 浹 12
「歩む人」との出会い−言葉ならぬ言葉を受け取ることの喜び 富田 裕 19
彼方からの声に耳傾ける画中の人物−アルベルト・ジャコメッティ《終わりなきパリ》《物、木、山》 岡村嘉子 23
ボヌフォワの「詩と音楽」について 清水 茂 27
ある音の密かな楽しみ 大重徳洋 37
音・声・言葉−わたしの場合− 谷口正子 40
詩
五体投地 古志秋彦 46 日昏れ 布川 鴇 50
遠い記憶 大重徳洋 52 断章 丸地 守 54
町 豊岡史朗 58 宇宙はただ膨張を続けるのか 星を見るために 長尾重武 60
掌をテーマに 夢のなかでの彼の持ちもの 日高てる 64
早わらび 吉田章子 66 夕暮れ、秋の深まり…… 清水 茂 69
漂流譚W 安田雅文 72
散文
アラン谷の男 有田忠郎 78
愛・いのち・自然への讃歌−『道程』後期− 豊岡史朗 81
『眼の光 画家・島村洋二郎』をめぐって−美神に導かれて〈不在〉への挑戦 影山恒男 96
『ササキツトム』展 大川公一 102
エアハード・セミナーズ・トレーニングの日本における展開 神谷光信 106
短編小説 モザイク模様 大月裕司 112
人 大倉 宏 128
書評 有田忠郎著『光は灰のように』 川崎 浹 136
SOURIRE NOIR 富田 裕 岡村嘉子 138
編集後記 140
日昏れ/布川
鴇
玄関のベルを鳴らすのは誰?
すでに営みのない庭に
朝日差し
斜めに横切って小さな鳥が飛んでくる
風船のはじける音がして
はしばみの樹の陰で
ひとりずつ名前を呼ばれている
なぜかわたしも呼ばれている
聞き取れないほどの微かな声で
(まだ耳は傾けられない)
空には糸遊がゆらゆらと
ひらがな文字を書く
軌跡をなぞって飛び交う赤とんぼ
思惟のない小さなものに言葉が生まれ
種子は優しくふりおちる
掌をひらいてわたしはそれらを受ける
(まだ何も生まれない)
やがて素足のような冬が来て
どんな訪れにも応えることなく
なおじっとして
いくつもの
遠ざかる足音だけを聞いている
浅学にして「糸遊」の意味が判りませんでした。ネットの小学館「デジタル大辞泉」によると“いとゆう”と読み、(1)陽炎のことであり、(2)晩秋の晴天の日にクモが糸を吐きながら空中を飛び、その糸が光に屈折してゆらゆらと光って見える現象のこととありました。ここでは後者と採ってよいでしょう。
作品は第2連が朝、第3連が昼、最終連が「日昏れ」と思われますが、それに捉われる必要もなさそうです。〈玄関のベルを鳴らすのは〉「日昏れ」でしょうか。イメージ豊かな作品だと思います。( )内の2行はそれぞれその前の連を受けながら、作中人物の意思を表しているのかもしれません。〈素足のような冬〉という詩語にも敬服しました。読めば読むほどジワリと味の沁み出てくる作品です。
○会報『黒の会通信』34号 |
2009.12 東京都豊島区「黒の会」発行 非売品 |
<目次>
癒しの音楽 神品芳夫 1 目まいと渦巻 佐岐えりぬ 2
熟した光 堀内正規 3 透明な光 伊藤厚美 4
目まいの夜について 中田紀子 4 詩 地図 村山精二 5
イタリア紀行 川崎 浹 6 一輪の薊 富田 裕 6
ひとり遊び 大重徳洋 7 新同人紹介 あとがき 8
ひとり遊び/大重徳洋
枯れた夏野菜を根こそぎにし、竹の支柱を撤去して、林の空地へはこぶ。十月に入って通り過ぎたふたつの台風が吹き落した檜の折れ枝をかき集めて火をおこす。竹に燃え移った炎が勢いよく揺れて伸びあがる。白煙を噴き上げていた檜の葉が燃え尽くすと、爆ぜる竹から立ちのぼるのは青い煙。煙は、檜林の梢を抜けてそこにのぞく秋空に吸い込まれるように溶けて消える。これで今年の夏はすっかり終わった。
夏の畑を彩った野菜たち。その多くが来年のために種を残してくれた。豆類だけでなく、ナスもオクラもピーマンも。ミニトマトも熟れた一粒の実があれば充分な種が採れる。畑仕事でおぼえたおもしろさのひとつが採種だった。種から育てる野菜には特別な愛着が生まれるものだ。
丘の畑で五回目の夏を送り、秋を迎えた。
幅百メートルの丘を巻くようにのぼりきった峠の上に、私の畑はある。高台の西端の右半分が畑で、左は檜林、畑のうしろは鬱蒼とした雑木の林。峠道はときたま散歩者が通るくらいで、畑の高台までのぼってくる人はほとんどいない。丘の上に一日いても人と会うことはめったにない。良寛ではないが、ひとり遊びに悦びをおぼえる私にとって、この丘は絶好の空間であった。
六百坪の畑をやっているといえば、たいていの人はその広さにおどろくが、遊ぶためには、必要な広さだった。ずいぶん前のこと、家庭菜園で三坪の区画を借りたことがある。しかし、物足りなくてやめた。遊びができないのだった。畝や作物のレイアウトをデザインするキャンバスとしては小さすぎた。丘の上では、縦五十メートル、横四十メートルのキャンバスに、畝の配列や野菜の配置をあれこれと工夫し、自由に四季の野菜で絵を描くことができる。自然と協同で描く絵だ。
ところで、もともと遊びを求めて丘にいる私は勤勉な農夫ではない。売るための野菜をつくるわけではないから、農薬はつかわないし、やってくる昆虫を拒まない。知らない虫をみつけるたびに、納屋に置いた昆虫図鑑と幼虫図鑑を取り出し、農作業は中断することになる。だから、わが家の食卓では、虫による検査済みの穴あき野菜がならぶ。
しかし、穴あきでは済まなくなる白菜やキャベツは別だ。放っておくと壊滅的な害を与える虫(夜盗蛾や紋白蝶、葉蜂の幼虫)がいて、これだけは割り箸で摘出する。今はこれが朝一番の日課で、みつけた虫たちには林へ疎開してもらう。この時間をかけた虫取りも私にとっては遊びだ。葉のすきまに潜む虫を、糞を手がかりに居場所をつきとめる。虫探しゲーム。露に濡れたキシキシきしむキャベツの葉をめくり、ごろっと大きな夜盗虫をみつけたときの悦び。
六百坪と聞いて、まず返ってくるのは「大変ですね」の一言。ところが六百坪だから楽しく、ちっとも大変だとは思わない。農作業でもっともやっかいな草取り、これも私にとっては遊びで、草を抜くそのリズムが記憶の脳を刺戟するのか、思考回路が閉じ、記憶再生モードに切り換わる。吹き寄せる風のように古い記憶が次々によみがえってくる。思い出すことがふしぎなほど、なんでもないようなできごとや光景がフラッシュバックすることもある。それを中断したくないために草を抜きつづけていると、いつしか私は、丘の畑にいることを忘れる。宙に浮かんだ見覚えのある原っぱで、しゃがんでいる足もともふわふわと、無心に遊ぶ子どもになっている。
世の中にまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ我はまされる 良寛 (千葉県・印西市)
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〈六百坪の畑をやってい〉ながら〈ちっとも大変だとは思わない〉というのは驚きです。拙宅の裏にも80坪ほどの畑がありますけど、“大変”です。その違いはどこにあるのかが書かれていました。〈ひとり遊びに悦びをおぼえる〉かどうか、〈畝や作物のレイアウトをデザインするキャンバスとして〉見られるがどうか、〈農作業でもっともやっかいな草取り〉でさえ〈遊び〉と思えるかどうかなんですね。義務で畑仕事をする私などとは大違いであることが分かりました。草取りは好きではないのですが、〈草を抜くそのリズムが記憶の脳を刺戟するのか、思考回路が閉じ、記憶再生モードに切り換わる〉というのは分かるように思います。単純作業の良さと言ってもよいでしょう。おもしろいエッセイに出会って、何度も読み返してしまいました。
なお、今号では拙詩を載せていただいております。由緒ある『同時代』誌の会報に採用していただいたことに感謝しています。
○隔月刊会報『新・原詩人』27号 |
2009.12 東京都多摩市 江原氏方事務所 200円 |
<目次>
《この詩 25》唱歌のことば今ここに 金沢和子 1
読者の声 2
詩
Sちゃんのおばあちゃんへ 丸山裕子 2 今日はいちばんいやな日だった 小山田美智子 3
死の履歴 千早耿一郎 3 勘当された猫 江 素瑛 3
駅 あゆかわのぼる 4 ふるさと 神 信子 4
落第人生 二代目 上田令人 4
冗句 乱鬼龍 4 短歌 伊藤真司 4
廃歌 あらいともこ 4
エッセイ 一九五〇年代文化運動・断想 山岸 嵩 5
事務局より 6
Sちゃんのおばあちゃんへ/丸山裕子
はるかなる悠久の風にのり
大きな大きな海を渡り
幾山河をこえ
あなたはここにたどり着いた
二人の子供と五人の孫と
この大地の中に生き
いくつもの時代の中で
どれ程の戦いと修羅とがあったことか――
私が初めてお会いしたのは貴女が九十歳の時
武士のような風情を持ちカクシャクと立たれていました
その瞳は柔らかく それはそれは静かでした
――なんにも怖いことも困ることもないんだよ――
そう語っているようでした
でも ここまで来るのには真面目に正直にいっしよけんめいに
ただ生きるんだよ
「生きる」ということにに努力するんだよ
かつて
アームストロングが月に着けた一歩で
世界は湧き立ちました
でも 人知れず
一歩一歩と貴女がこの地球上に着けた足跡は
その何億倍の価値があることか――
貴女にお会い出来たことは最大の宝です
九十七歳没 合掌
〈九十歳〉を過ぎて〈武士のような風情を持ちカクシャクと立たれてい〉た〈Sちゃんのおばあちゃん〉の〈一歩一歩と貴女がこの地球上に着けた足跡〉と、〈かつて/アームストロングが月に着けた一歩〉を対比させたところが見事だと思います。たしかに人類が初めて月に降り立ったとき〈世界は湧き立ちました〉が、おばあちゃんの足跡には〈その何億倍の価値がある〉のかもしれません。人類を月に送り込むには〈二人の子供と五人の孫〉が必要です。〈真面目に正直にいっしよけんめい〉に、そして〈九十七歳没〉。私も〈合掌〉させてもらいました。
なお、今号では前号に対する私の拙い感想を転載していただきました。御礼申し上げます。