きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.27(日)
今年最後の日曜日。毎日が日曜日の私には、特にどうということはありませんけど、それでもやっぱり、今年が終わるんだなという思いがあります。そんな思いはサラーリーマン時代の名残りでしょうか。いただいた本を拝読して過ごしました。
○詩誌『COAL SACK』65号 |
2009.12.25 東京都板橋区 コールサック社刊 952円+税 |
<目次>
〈扉詩〉まんまるに まんまるに 下村和子 1
共和国 山佐木進 5 詩蚕 御庄博実 6
レクイエム二題 崔 龍源 8 芙蓉(ふよう)考 山本十四尾 10
うつくしい雪 淺山泰美 11 税関 佐相憲一 12
卵という駅 宇宿一成 14 鉄柵の隙間から 山本聖子 15
ガラスの魔術師 −ルネ・ラリック作「三足鉢<シレーヌ>」に寄せて 大掛史子 16
夜明け 山野なつみ 17 誕生 豊福みどり 18
口を閉じよ 武藤ゆかり 19 柱時計 山本泰生 20
もう一つの部屋 李 美子 21 高原列車 酒井 力 22
吉野夕景 田中作子 23 故里の柿の実 杉本知政 24
存在 森田海径子 25 認知症 その6 皆木信昭 26
義父(ちち)の変身 安永圭子 27 宿り木の譜/長谷寺晩春 鳥巣郁美 28
かとりせんこう/薙ぐ/汁 村永美和子 29 放射線の音/The
Sound of Radiant Rays 小村 忍 30
この広い海のなかから 吉田博子 31 独り言 郡山 直 32
《石》の思想 石村柳三 33 めぐる こまつかん 34
闇の現(うつつ) くにさだきみ 36 醒めやらぬ面持で/箍 山本倫子 38
おはなし(三)/アンバランス 平原比呂子 40 重い日/神様どうか 岩崎則子 42
Kに 青柳俊哉 44 コップがあり/母の糸 横田英子 46
日を送る 結城 文 48 トッカとションタ 朝倉宏哉 50
誤解 鈴木比佐雄氏より恵投された『鈴木比佐雄詩選集」への返礼コーラスとして 森 常治 52
磔刑 朝倉宏哉氏より恵投された詩集『朝倉宏哉詩選集一四〇篇」への返礼コーラスとして 森 常治 53
加賀鳶梯子登り/加賀友禅 徳沢愛子 54 共感覚五景/見えていた声 堀内利美 57
赤卵 akatama 小坂顕太郎 60. 尾花/海釣り公園/地下街 浅井 薫 63
望み 橋爪さち子 66 打たせ湯 −那須塩原・幸乃蕩温泉にて 鈴木比佐雄 67
僧 鳴海英吉/水崎野里子訳 68
深夜のトイレ ジャクソン・ポロックに 尾内達也 70
アジアの兄弟に パウル・ツェラン/尾内達也訳 71
東ティモールに捧げる そして詩人 クサナナ・グスマオに/あなたにあげる テレシンカ・ペレイラ/水崎野里子訳 72
ネパール少年の詩『戦争のない世界』より 日光/病気/お母さん−(二)/友情/僕の感情 シユレヤ パンディ/結城 文訳 73
アジア詩行 高 炯烈/李 美子訳 76
〈四詩人・小詩集〉
小詩集『翳る庭』十一篇 木村淳子 83
小詩集『八月の別れ』七篇 未津きみ 92
小詩集『アンビリカルケーブル』十篇 亜久津歩 100
小詩集『歌曲』九篇 秋山泰則 105
〈エッセイ・詩論〉
盲目の日に光溢れる日々 うおずみ千尋 109
桜めぐり/伯母するひと/久世さんの墓所で 淺山泰美 110
晩秋の大谷租廟から銀月アパートまで 淺山泰美エッセイ集『京都銀月アパートの桜』に寄せて 鈴木比佐雄 115
北鎌倉・東慶寺の四季 吉村伊紅美 120
三保の松 吉永素乃 123
“求めない”詩群の底力――菊田守詩集『天の虫』 大掛史子 125
「高村光太郎と宮沢賢治と森荘巳池」二〇〇八年七月十九日宮沢賢治の会講演改塙 森 三紗 128
〈自殺者)を繋ぐ 1 帯を連れ去った人へ 亜久津歩 138
薩摩川内市原発三号機増設予定について 小村 忍 142
新しい「ひろしま」の書き手 上田由美子さんのことなど 長津功三良 144
人の輪・詩の輪 −第二十一回世界詩人会議− 二〇〇〇九年七月十六日〜二〇日 於マナグア、ニカラグア 結城 文 148
蒼馬よ――私の林芙美子 岩崎和子 150
詩の身近さと親しみ 九十四歳で処女詩集を出版した日野原重明『いのちの哲学詩』を手にして 石村柳三 164
〈書評〉
吉村伊紅美詩集『夕陽のしずく』 意味を持つ風景 鈴木良一 170
吉村伊紅美詩集『夕陽のしずく』を読んで 矢口以文 173
掘内利美詩集『笑いの震動』を読んで 木村淳子 176
堀内利美詩集『笑いの震動』評 改めて考えさせられた「口ずさむ詩」の力と役割 浅井 薫 180
人生の滋味が横溢 中村藤一郎詩集『神の留守』を読んで 成田豊人 183
そっと佇む言葉たち 中村藤一郎詩集『神の留守』 都月次郎 186
「何故」と真摯に刻み続けた思索の長い道 鳥巣郁美詩論・エッセイ集『思索の小径』 高橋玖未子 190
鳥巣郁美詩論・エッセイ集『思索の小径』 吉永素乃 193
山本十四尾詩集「女将」から伝えられたもの 山本みち子 196
明晰の詩学 −山本十四尾詩集『女将(おかみ)』を読む 山形一至 198
反復する今日のニューウェーブの旗手 『鈴木比佐雄詩選集一三三篇』を読んで 斎藤彰吾 201
詩の原動力となった詩 『鈴木比佐雄詩選集一三三篇』書評 小林広一 204
『朝倉宏哉詩選集一四〇篇』を読んで 丸山由美子 207
詩の泡立つところへ −真実を発見できる場としての日常 『朝倉宏哉詩選集一四〇篇』を読む 小林 稔 209
戦後詩を切り拓いた市川の詩人たち
福田律郎、鳴海英吉、宗左近の鎮魂詩の歴史 二〇〇九年九月十六日 市川市文学プラザ・講演録 鈴木比佐雄 214
『鎮魂詩(レクイエム)四〇〇人集』の編集構成について 232
執筆者住所一覧 236
後記 238
石仏/秋山泰則
どこにでもあるありふれた道路の端に これもまた何の変哲も
ない石仏が置かれている 差し出された片方の掌には 時に小
銭がまたあるときは千代紙で折られたさまざまなものが乗せら
れている 行き過ぎる人達も 稀に立ち止まりそっと触れてい
く人も
石仏が誰の手でいつの頃に 何を思って其の場所に置かれたの
か知らない けれども不思議と石仏はそこにあって違和感を
もっていなかった
それはある日 自分でもそれと判らぬままに受け入れた終焉を
語るのに 最もふさわしい所だからなのかもしれない
〈四詩人・小詩集〉の中の1編です。〈ありふれた道路の端に〉〈置かれている〉〈石仏〉は写真の対象としてもおもしろいものですが、たしかに〈誰の手でいつの頃に 何を思って其の場所に置かれたのか〉分からないものが多いようです。そして〈違和感〉を感じさせません。しかし、考えてみればなぜ〈其の場所に置かれたの〉か不思議です。その回答がこの詩のテーマだろうと思いますけど、〈自分でもそれと判らぬままに受け入れた終焉を語るのに 最もふさわしい所〉だから、という言葉に瞠目しました。それで石仏は優しいのかもしれませんね。今度はそんな意識でカメラを向けてみたいと思った作品です。
○季刊詩誌『詩話』68号 |
2009.12.5 神奈川県海老名市 林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品 |
<目次> 題字 遠藤香葉
詩 耳の記憶 他一篇 林 壌 1 初冬に 吉崎輝実 2
童 話 水 増子敏則 4 生きものたちのいる 初冬 小山 弓 8
詩 霜夜 両角道子 9
エッセイ それぞれの事情 両角道子 10
キャベツが裂ける/林
壌
十一月の末になっても欅(けやき)の葉が落葉しない
このところ温暖で雨も多いのと
近くでジェット機が爆音を立てるので
キャベツが音を立てて割れるという
人間や気候の乱暴狼籍に耐えて
成長するしかないキャベツは
夜になってぽんぽんと音立てて割れるのだ
農家のおじいさんが
キャベツは己の大きさを決めてから
内側の実っぱを成長させるのだという
市場に出せないが、スープにして食べられるよと
人の頭よりも大きなキャベツをくれた
てっぺんから芯にむかって
裂けたように割れていた
上空をF15戦闘機が爆音を轟かせていくと
欅で騒いでいた椋鳥の群が一斉に飛び立って木の葉を散らした
この作品は地域性も加味する必要があるかもしれません。作者が住んでいる海老名市の近くには米軍厚木飛行場があります。ですから〈近くでジェット機が爆音を立て〉たり、〈上空をF15戦闘機が爆音を轟かせていく〉のは米軍機と考えてよいでしょう。
拙宅の裏の畑でも〈キャベツ〉を育てていますが〈人間や気候の乱暴狼籍に耐えて/成長するしかないキャベツは/夜になってぽんぽんと音立てて割れる〉とは知りませんでしたし、そういう経験もしていません。きっと拙宅のキャベツは、育て主に似て反抗心もない軟弱な野菜なんでしょう(^^;
作品は第1連の〈十一月の未になっても欅の葉が落葉しない〉と、最終連の〈欅で騒いでいた椋鳥の群が一斉に飛び立って木の葉を散らした〉というフレーズとで、きれいに纏められていると思いました。
○詩誌『左庭』15号 |
2009.12.25
京都市右京区 山口賀代子氏発行 500円 |
<目次> 表紙画:森田道子「風の声」
【俳句】郷愁の流刑地 江里昭彦…2
【詩】
MOTHER 堀江沙オリ…4 井戸を閉じる 岬多可子…10
黒い指 岬多可子…14 絵図 山口賀代子…18
湾岸道路 山口賀代子…20 サーカス 山口賀代子…22
意識のアルバム 阿部由子…24 未来の魔法箱 阿部由子…28
【さていのうと】
・詩と言葉 阿部由子…34 ・「ほんとうは好きなくせに」 山口賀代子…35
・家族の役割分担 江里昭彦…36
同人の本…38 つれづれ…40
絵図/山口賀代子
長い砂洲のかなめにある寺の地獄絵
この世で悪さをするとほらあんなふうに
地獄におちるのよと諭す祖母の手をしっかり握り
じりじりと後ずさりしながらのぞき見る
明日も明後日もおとなの死んだのちのながい時間も
おなじ
血の池地獄も 針山地獄も餓鬼地獄もいつかくるかもしれない
はてしなくつづく怖い夢のようなもの
歳をかさね
知識を詰め込み
知りたいことも 知りたくないこともみてしまった眼に
地獄絵は情報の一部になり
美術書でながめるだけの絵図になり
解説書つきの古典になった
死んだら土になりたい
富む土壌になって真っ赤な躑躅を咲かせたい
風になりたい
風になって
月下の砂漠を漂いたい
風葬 土葬の時代 死者は土にかえり萩を咲かせ
彼岸花も咲かせる
いまは骨壷におさめられたままで
土にももどれず 風にもなれないそのながい時間
どこをどう漂うことになるのだろう
死者からの返事はもどってこない
〈地獄絵は情報の一部にな〉ってしまった現代は、〈死者〉が〈土にももどれず 風にもなれない〉時代でもあります。そして〈この世で悪さをするとほらあんなふうに/地獄におちるのよと諭す祖母〉がいない時代でもあるのでしょう。〈死んだら土になりたい〉〈風になりたい〉という思いすら叶えられなくなった時代は、はたして幸福な時代なのか、そんな問を私たちは受けているように思います。〈死者からの返事はもどってこない〉世ではなく、生者も死者も共にある時間、それが何より大切と言われているいるように感じた作品です。