きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.28(月)


 ようやく年賀状を買いに行きました。昨年は300枚ほどを頂戴していますが、とりあえず200枚を買ってきました。足りなくなればまた買い足します。ここ10年近くは元日に届くように準備していません。元日にいただいた賀状を拝読してから書くというテイタラク。まだ時間の余裕がなくて申し訳ない気持ちでいっぱいですが、来年もその繰り返しになることが確実です。年賀状より、今年いただいた本の紹介が先と思っていますので、ご海容ください。




文芸誌『扣之帳』26号
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2009.12.20 神奈川県小田原市 500円
青木良一氏編集・扣之帳刊行会発行

<目次> ◇表紙 佐藤北久山 ◇カット 木下泰徳/秋山真佐子/中野亜紀子
足柄学講座・山北編(3)鉄道が生んだ町・山北――藤井良晃 2
ハコネコメツツジ遺聞 その発見と記載までの経緯をめぐって――田代道彌 16
ボクの映画館(6)『虎の尾を踏む男たち』とエノケン――平倉 正 26
有岡城と荒木村重の一族――今川徳子 32
中国の天道・日本の天 −尊徳の天道・人道論の背景――尾上 武 36
酒匂だより「初冬」――町田紀美子 45
武者小路実篤と城米彦造−岸 達志 46
足柄周辺の碑文を探る(9)最長寿の歴史の語り部 −その他諸々の石造物考――平賀康雄 51
狐でなく人間に騙された話 −那須「殺生石」での出来事――佐宗欣二 64
村芝居よオー(3)農村歌舞伎には華がある −湖西市「農村歌舞伎まつり」――本多 博 66
亀右衛門咄(3)府内谷津村の相撲興行――青木良一 74
自由律俳句入門講座(2)自分がなくなったらええものができる――井上敬雄 82
近代神奈川の書籍文化(2)貸本屋の取扱品目――高野 肇 89
編集後記――98
ギャラリー情報(寄りあい処こうづ)――73
ギャラリー情報(新九郎)――96・97




足柄学講座・山北編(3)
 
鉄道が生んだ町・山北/藤井良晃

  山北を鉄道が通る

――いよいよ、今回は近代に入りました。
藤井 近代の山北ということで、主に取り上げるのは東海道本線が通ったときの山北になりますね。
――それは明治の中頃ですね。
藤井 明治政府は最初、開港場と都市を結ぶ鉄道路線を建設したんです。明治五年(一八七三)品川と桜木町の間で運転がはじまり、間もなく、新橋(汐留)まで延長されました。翌年には大阪と神戸の間、十年にはそれが京都に延長されたんです。東と西から少しずつ出来たのを後につなげていって東西を結ぶ幹線鉄道をつくろうとしたわけだ。
 それで、どこを通すかと。最初は中山道を通す案があった。軍部としても海から大砲が届くのじゃよくないという。そこで明治十九年に鉄道局長官は中山道の測量をさせた。
 しかし、実際に測量してみると、トンネルをいっぱい造んなきゃいけない。山坂も多い。営業収支は中山道ルートで八八万円、東海道ルートで一〇八万円、営業費は中山道で五八万余円、東海道で五九万余円。どっちがどうだかってやったんだね。
――所用時間はどうなんでしょう。
藤井 中山道で十九時間余、東海道で十三時間余です。結局中山道ルートは工事がたいへんである上に時間もかかる。そこで、鉄道局長官は東海道筋を通すべきだと答申したんだよ。
――軍部はどうだったんです。
藤井 長官が山県有朋を訪ねて、地図や経費などを示して具体的に説明して同意を得たといいます。
 東海道筋に決まったんですが、開通には期限を付けた。というのは明治二十三年(一八九〇)帝国議会を開設するから、それまでに東京−京都間を開通させて議員の往復の便宜をはかろうというわけです。
 東海道筋には天下の嶮の箱根がひかえているから、そこをどうするか。
――大きな川もいくつかありますね。
藤井 東海道筋のルートでも、箱根を通る案の他に、国府津から関本、苅野を経て矢倉沢から地蔵堂を抜けて足柄峠へ通じる案もあった。しかし、トンネルを通す技術は当時はなくて、結局箱根山も矢倉沢も避けて国府津から、こちらに来て、鮎沢川、御殿場から富士の裾野を通すことになったんだね。
――当時の足柄上郡の郡長が中村舜次郎で、この人の力もあったんですか。
藤井 中村舜次郎という人は松田の人で、山北でも矢倉沢でもどちらにしても松田を通るんです。矢倉沢は長いトンネルを造んなきゃいけないからね。それでこちらになった。
 安倍川・大井川・天竜川、それに木曽川・長良川・揖斐川、これらには橋を架けた。当時は鉄橋など考えられない時代だから最初は木の橋だった。
――西からはどうですか。
藤井 京都からきて、琵琶湖では長浜までお客を船で運んだんです。東海道線は最初は長浜を通った。今は北陸線の駅ですがね。それから愛知県の大府まで通じていて、静岡、そして沼津。最後に開通したのがここ、沼津−国府津間です。
――一番の難所だったんですね。
藤井 これがその頃の時刻表でね。明治二十二年(一八八九)六月二十八日という日付けです。
 東から、新橋・品川・大崎・川崎・鶴見・神奈川・横浜・程ヶ谷・戸塚・大船・藤沢・平塚・大磯・国府津と来ます。
――この時刻表は何か感じがちがいますね。
藤井 昔の時刻表は縦に見ていくんですよ。運賃は「賃金」のところで、上等・中等・下等と三つに分かれてました。例えば、新橋−品川間を、上等は十二銭、中等は八銭、下等は四銭でした。
――新橋から山北まではいくらでしたか。
藤井 上等が一円七十七銭、中等が一円十八銭、下等が五十九銭でした。
 国府津まで通じたのが明治二十年(一八八七)七月です。それが山北まで通ったのは明治二十二年二月一日でした。二月十一日に憲法発布、翌年七月が第一回の総選挙で、最初の議会が開催されたのが十一月の二十五日。
――議員は上等席で上京したんでしょうね。
 鉄道を引くと風紀が乱れると言われた時代です。
藤井 そういうことはその後に小田原でも言われてね。東海道線は街中でなくて、北の、県立二中のところに駅を造った。小田急は、開成町では足柄平野の真ん中を通る案があったんだよ。しかし、酒匂川の川岸を通るようになった。

 東海道本線 国府津と御殿場間全開通に伴い、明治二十二年二月に山北駅が開業した。新橋−山北を約三時間、新橋−神戸を約二十時間で運行した。国府津−松田−山北−小山−御殿場−佐野−沼津の間は約二時間十分であった。

 中村舜次郎(一八四七〜一九三一)松田惣領に生まれる。一八七二年から三年間「足柄新聞」の経営を引き受けた。一八八〇年国会開設運動で相州の上願運動を援助し、活躍した。後年、上郡郡長となる(『神奈川県史』人物一)。東海道線の敷設に際して松田駅開設に尽力したといわれる。

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 拙宅の隣町・神奈川県山北町についてのインタビュー記事です。このあと御殿場線を中心とした山北町の歴史が語られていきますが、ここでは冒頭の章のみを紹介しました。インタビュアーは『扣之帳』編集人の青木良一氏、山北町の歴史を語る藤井良晃氏は西さがみ文芸愛好会会員でもあります。
 私にとっては知った地名ばかりで、興味深く拝読しました。特に〈国府津から関本、苅野を経て矢倉沢から地蔵堂を抜けて足柄峠へ通じる案もあった〉とは驚きです。拙宅のすぐ脇を通るようなルートがあったのかと思うと、御殿場線がより身近に感じられます。現在、〈酒匂川の川岸を通〉っている小田急線の経緯も分かって、読ませるインタビューだと思います。
 興味のある方はぜひ続きをお読みください。小田原市の伊勢治書店で発売しています。




詩誌『詩区』特集第四号
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2009.12.20 東京都葛飾区
池澤秀和氏方・詩区かつしか発行 非売品

<目次>
古い兵隊/たんぽぽ…青山晴江 2      人間百五十八
 死ぬときは/人間百五十九 アイチャンと幽霊柳…まつだひでお 4
母の通信簿/秋桜の墓…小川哲史 6     蜩/野分…小林徳明 8
境目はないのに/せんたく…しま・ようこ 10 キュービオZY-02
 夢と呼ばれるもの/ことばたちの反乱…田中眞由美 12
無言歌
 十月の雨/予告のない時間…池沢京子 14
羽二重/語りべ…みゆき杏子 16       笑う女房/泣くカラス…工藤憲治 18
もっこく/動く…内藤セツコ 20       鳥のつぶやき 5/鳥のつぶやき 6…石川逸子 22
剪定/まいご…池澤秀和 24         M先生/一丁あがりっ!…掘越睦子 26




 
まいご/池澤秀和

ことばが 軽くなった というので
文字に 置き替えてみる
用紙の重さだけが 手にのこる

おおきな声が まっすぐにとどく
まといつくが 腑に 落ちない

期待は 確かなものにならないと
傷跡が増え 深くなる
ことばも 迷子になっていく

チャンネルを変え
街中の 談笑のなかで
“まい語”をさがす
情熱は軽く 話題は表層を埋め
ゆたかさも 肥満体になっている

平均値に 戻そうと
記録を さかのぼり
忘れかけた 頁をひらき
“まいご”をさがす

かるく 切り捨て
かるく 見捨てた
いのちの雫に たどりつく

すとーんと 落ちて
きらりと ひかる        09・7・26

 本号は、八月までに発表した作品のなかから自薦した1編と新作1編または自薦した2編からなる特集号だそうです。紹介した作品は第1連から惹かれました。〈軽くなった〉〈ことば〉を〈文字に 置き替えてみる〉と、〈用紙の重さだけ〉だったという発想に瞠目しています。理屈の上では、結局、ことばに重さは何もなかったと言っているわけですが、〈文字〉によって〈用紙〉が軽くなったわけではない、とも採ってみました。“まい語”はMy語とも考えてみました。〈ゆたかさも 肥満体になっている〉などのフレーズにも魅了されています。ことばは〈いのちの雫〉かもしれないと読み取れる佳品だと思いました。




詩誌『詩区』126号
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2010.1.20 東京都葛飾区   非売品
池澤秀和氏方連絡先・詩区かつしか発行

<目次>
立ち話/樹
() 小川哲史.          生かされて生きている/ナポレオン 小林徳明
それは いきなり しま・ようこ       しりごみ 池沢京子
オオキンケイギク みゆき杏子        東から南へ、西から北へ/諦観 工藤憲治
雨/太陽の没する頃の目覚め 内藤セツコ   キリン −Nに 石川逸子
歩調 池澤秀和               ゼロ・ワン 青山晴江
人間166
.ヴィア.ドロローサ(1)ゲッセマネ/人間167.私は君のそばにいる まつだひでお




 
ゼロ・ワン/青山晴江

「アナログ放送は
 2011年7月に終了し
 見ることができなくなります」
テレビで何度も流している
これを読むたびに
「あなたも終わりです」
そう言われている気がする

気がつけばまわりじゅう
チカチカ点滅
デジタル増えて――

憶えているのに
わたしの指先はまだ憶えているのに

 かしゃん、とはめてじーころ廻す
 ぜんまい時計のネジ
 盥の水の中でごつごつ
 布とこすれて親指にあたる
 洗濯板の溝
 かまどの焚き付けから伝わる
 炎の熱さ

曖昧ではだめでしょうか?
入り日に染まり
のんびり流れる雲のように
ぼんやりでゆっくりでは
だめでしょうか?

昔の あの
ペラペラと回っていた
ソノシートのレコードのように
すべてが透けて見える正直さで
わたしは歩きたいのです

今夜も闇の中
部屋のあちこちで
赤や緑の小さな点滅が
ゼロ・ワン・ゼロ・ワン…
二進法で
わたしを見張っています          '09・12・20

 〈「あなたも終わりです」/そう言われている気がする〉というフレーズには考えさせられます。以前、言われていたデジタル難民という言葉は、主にパソコンの扱いやインターネット閲覧環境についてのものでしたが、TVのデジタル放送でも同様のことが起きるのかもしれません。問題は古い物を許容しない社会の仕組みや人間の意識にあるように思います。特に日本では…。〈ぜんまい時計〉と電波時計の共存、〈洗濯板〉と乾燥機付き洗濯機の共存こそが私の目指す生活ですが、私自身もなかなかそうはなりきれていませんけれど…。何百年も使い続ける欧州の家屋と、借地権付き土地のため30年で解体することを前提とした家屋が多くなる日本。〈ぼんやりでゆっくりでは/だめ〉なわけはないのですが、家ひとつを取っても問題の根は深いなと感じさせられました。






   
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