きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
091118.JPG
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近




2009.12.30(水)


 午後から今年最後の畑仕事をしました。畑仕事とは言っても除草だけです。拙宅の裏の畑は、半分はまだ野菜が植わっていますから、残りの30坪ほどの除草です。耕耘機で耕すだけで除草になるのですが、倉庫の耕耘機を出すためには、先日、山積みにした本をどかさなければいけないし、除草のあとの掃除も結構時間が掛かります。ならば、手でやるか! と、鍬で掘り起こしました。
 いやあ、シンドかったですね。ものの30分で終わりましたけど、その間に5回は休憩しました。いかに日頃肉体労働をしていないかを思い知りました。でも、まあ、これで春まで雑草の生育は抑えられるでしょう。年末の百姓モドキ。なかなか良いものでしたよ。




柴田稔氏詩集『わが埋葬のために』
娑婆羅叢書1
waga maiso no tameni.JPG
2009.11.1 埼玉県上尾市 文藝工房娑婆羅刊 非売品

<目次>
………11
T………3
深夜の絵………………4   冬の夜…………………………5   私は私…………………6
孤座……………………7   夢の中で………………………8   林檎の樹………………9
潮騒……………………22
.  残照……………………………24.  茫漠として……………26
愛の所在………………28
.  幻花……………………………30.  雨………………………31
夢のあとに……………32
.  夏の終り………………………33.  柔らかな夜の夢………34
ムカシ話………………35
.  失語症…………………………36.  自閉症…………………38
道………………………40
.  ぼくら、傍観する叛逆者たち.43.  紙風船…………………46
月光仮面………………48
.  平和……………………………50.  見た……………………52
コケティッシュな暁…54
.  後悔……………………………59.  神になる………………60
青春……………………62
.  いたずらな青春………………64.  放蕩……………………66
途上にて………………68
.  手紙……………………………70.  自己愛…………………72
風景……………………73
.  部屋……………………………74.  原風景…………………77
白い時間………………81
.  彌次郎兵衛……………………82.  海辺にて………………84
たかが人間……………86
.  一人三脚………………………90.  夢………………………92
ひまわり………………94
.  襤褸の唄………………………96.  アルルカンの歌………99
眠る母…………………105  記憶……………………………108  孤座……………………110
猿ヶ京紀行……………112  雨の夏…………………………114  鮪………………………116
熟睡の午後……………117  消息……………………………120  暦元……………………122
恋愛論…………………124  涸れ沢より出でよ……………126
短歌抄…………………131
俳句抄…………………132
U………133
結婚記念日……………134  料理……………………………137  子へ……………………140
忘れ物…………………145  ふたたびの……………………148  情念のために…………150
平凡……………………152  名刺をもって…………………154  さいかい………………157
いつか、きっと………160  鳥打帽…………………………162  白髪三千丈……………164
未生……………………166
エッセイ………177
詩人ではなく…………178  伊藤整論ノート………………182  伊藤整論ノート補遺…194
中原中也………………196  意識下の眼……………………197  立原道造………………200
夢について……………201  ある小説のためのエッセイ…202  小説を書く前に………204
感想……………………205  感想……………………………206
あとがき………………208




 
原風景

カラスが飛んでいた
花岡川のうえを舞って
人の魂を鎮めていた

雪明りのなかを
無言で流れる故郷の川よ

幾たび
私は夢みたことだろう
いまは遠い彼岸の日日を

(キム)という朝鮮人の少女が
北へ
鈴木という日本人の名を捨てて
父母の国へ帰ったのは
十三年前のこと

花岡橋を
母の背に負われて渡ったのは
十七年前
火傷をした時のことだ

廃山ま近という故郷の噂を聞いた
三十年前の中国人の涙を流して
いま 私の前に差し出される事実は
どう解決されるだろう
日本人は ふた言三言の中国語を覚えたが

故郷を想う夕べに
カラスが飛んだ
雪景色のなかを飛ぶカラス
何を求めてか
目覚めたあとの私の眼に
鮮やかに残る
ひとつの翔ぶ影がある

少女は何処へ行ってしまったのか
私の幼い日も一緒に消えて
雪明りの町は
人けない淋しい町

過ぎた日日が帰らぬように
花岡の風景は
静かに私から離れてゆこうとしている

春は春のなかにしかない
日いち日と何かを捨てながら
何かへ近づこうとする私がある
幼年は幼年のなかに帰ってゆくのだろうか

たとえ 町が消え
鉱山の削掘音が絶えても
事実 花岡川は流れつづけるだろう

いち沫の淋しさは隠せないが
生きてゆくためには と
割切れぬ思いで
一日 一日
故郷を追いやってしまわねばならない
(よわい)というものかもしれない

朝鮮の少女もいなくなった
花岡の家並も小さく変わりはて
ついには
故郷喪失者となって 私は
都会の喧騒に馴れるのかもしれない

その時 いったい
何を思いだせばいいのだろう

思いだしはしない

   花岡事件:一九四五年六月三〇日、秋田県花岡鉱山において、強制連行された中国人労働者が
   過酷な労働環境や虐待に耐えかね、蜂起、鎮圧され、拷問などにより多くが虐殺された事件。


 1970年代に小田原に「あ」の会というグループがありました。市内の高校教員などが世話人となった、詩人たちのゆるやかな繋がりのグループです。市民会館を借りて数百人規模の朗読会をやったり、詩の勉強会などを継続していました。ちなみに私の第1詩集は「あ」の会の名前で出版させてもらっています。
 著者も私もその当時のメンバーで、著者はまだ大学生でした。著者は1976年に第1詩集を出していますが、その後就職し、「あ」の会も中心的な世話人が亡くなったりして自然解散、著者ともいつの間にか疎遠になっていました。

 それから30年余り。突然送られてきた第2詩集を見て、懐かしい思いでいっぱいです。あとがきによれば、<若き日々を記念し、新たな出発を期すために>この詩集を出したとあります。続いて<この一冊をもって、私の、かつての「若き詩人としての生活」をここに埋葬しようと思う>とありますから、これが詩集のタイトルをなっていることが分かります。これまで書かれた作品の中の2分の1、3分の1の量に過ぎないようですが、新しい出発のために過去の作品を詩集化したものと受け止めました。

 紹介した詩は、私の記憶が正しければ、かつての朗読会で読まれたものだと思います。〈金という朝鮮人の少女が/北へ/鈴木という日本人の名を捨てて/父母の国へ帰ったのは/十三年前のこと〉というフレーズを鮮明に覚えています。〈
花岡事件〉を素材としながら、国家とは何か、人種とは何か、そして人間とは何かを問う佳品と云えましょう。再出発を祝福し、今後のご活躍を祈念しています。




詩誌『みえ現代詩』80記念号
mie gendaishi 80.JPG
2010.1.1 三重県鈴鹿市
津坂治男氏方・みえ現代詩の会発行 非売品

<目次>
墨書土器・寺下昌子さんのこと………秋野 信子 4  瞑想『ぼやき』・THANK
.YOU…伊藤 善一 6
卵・寺院……………………………今唯ケンタロウ 8  門…………………………………………岩谷 隆司 10
涙…………………………………………内田  縁 12  日本酒……………………………………梅山 憲三 14
乗鞍の花・癒しの散歩…………………海野美光栄 16  恋模様……………………………………岡本 妙子 18
心探し・どちら様もありがとう………岡本 妙子 20  可海の天…………………………………鬼頭 和美 22
極上の無…………………………………鬼頭 和美 24  「そら」へ
.………………………………桐山  勧 26
アクセスせよ!…………………………佐藤 貴宜 28  「内部の自然」鳥グループの報告
.……清水 弘子 32
いつのまにか……………………………清水 弘子 34  自転車……………………………………杉崎 允彦 36
祭り………………………………………杉原  翔 38  コほロギ…………………………………田中 明誠 40
楽園………………………………………津坂 治男 42
. 『南無阿弥陀仏』.………………………遠山 幸子 44
南瓜の花…………………………………堀川 孝子 46  風船葛(フウセンカズラ)……………堀川 孝子 48
カタカナ…………………………………村上 基子 50  詩作方法論………………………………村山砂由美 52
川の風……………………………………森田 茂治 54  カフカの想い……………………………安田 治三 56
3冊の本…………………………………矢野 陽子 58  連載一滴小説(18)外人墓地……………奈良 光男 60
<詩書味読(3)>みんなちがって・・・
.津坂 治男 62               表紙絵 村上 基子




 
門/岩谷隆司

私の胸に門がある
私を訪れる
無数の出来事が
まるで小学生の登校のように
一列になり
その門を潜って来る

私の背中に門がある
私を訪れた
無数の出来事が
私のいのちのときを
惜しげもなく使って
ずいぶん年寄り染みた姿で
片手を上げウインクをして
さらばと
その門を出て行く

どれだけの出来事が
胸の門を潜り
背中の門を出て行ったであろうか

私は知っている
遠い遠い日
空の彼方で手を振り
私を見送ってくれた
母よりも優しい手が
胸の門を潜り
迎えに来ることを

ああその手に引かれた
私の魂が
背中の門を出ると
静かに
二つの門が
閉ざされることを

 〈私の胸に門があ〉り、さらに〈私の背中に門がある〉というユニークな発想の作品です。その〈胸の門〉は〈母よりも優しい手が〉〈迎えに来る〉ところであり、〈背中の門〉は〈私の魂〉が〈出る〉ところであると言うのですから、これは人生そのものと謂ってよいかもしれません。人間はだれもが〈静かに/二つの門が/閉ざされる〉ような死を迎えたいものだと思った作品です。




個人誌『軌跡』54号
kiseki 54.JPG
2010.1.5 三重県鈴鹿市
稽古舎・津坂治男氏発行 非売品

<目次>
詩    師走・breakfast 2
評 伝  やまと魂・谷川士清 その八、その裔 4
エッセイ その時、その場所で(朗読詩の場合) 10
     3つのおめでとう!・気がついた時はお仕舞い?――あとがき 12




 
breakfast/津坂治男

もどったら
一斉に飛び立った
玄関前の雀
あたりはヒヨドリらが食べた
千両の亡きがらでいっぱい
そこにわずかに残っている肉を漁って?

風でゴミの溜り場になっている 隣が駐車場だから
と妻がぼやいていた そこに
二級三級の餌が吹き寄せられて来るのか
雀がコンクリートの上つついたり
主が通ったらあわてて屋根に飛び上がったり
アンニヨンハシムニカと下から呼びかけても
素知らぬ顔で…

決まってる――ここは彼らが天からもらった
恵みの自然なのだ ヒトの掟は通用しない
茶色の頭をそろえて笑えばすむこと
おそれるのは縄張り主張する大きな鳥たち
lunchの時間には こちらのケーブルとあちらのケーブルに
一羽ずつヒヨドリと椋鳥がいて
ふくらました胸で領有を主張している
燃えるゴミのポリ袋に穴開けていた
二羽のカラスも遠くに去った

明日の
breakfastにもここに来てくれるだろうか、と
急に戸建てが彼らからの借家のように見えてきた
誰そ枯れの一人のぼく
ともかく安穏に朝までと
supperそこそこに早い眠りに…

 自分の家であるのに、〈急に戸建てが彼らからの借家のように見えてきた〉というフレーズから本当の詩人らしさを感じます。たしかに〈ここは彼らが天からもらった/恵みの自然なの〉でしょうね。〈ふくらました胸で領有を主張している〉〈ヒヨドリと椋鳥〉にとって〈ヒトの掟は通用し〉ません。それを感じとれるかどうかで、詩人か否かも決まるように思います。そんなことを感じた作品です。






   
前の頁  次の頁

   back(12月の部屋へ戻る)

   
home