きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.31(木)
今年もあと数時間になりました。現在、12月17日の日記までしか進んでいませんが、とりあえず今年の総括をしておきます。本年いただいた詩書は下記の通りです。1000冊近くをお送りくださり、感謝しています。たくさん勉強させていただきました。この10年間で初めて、途中の数ヵ月は目次までの紹介しかできなくて、本文に進めなかったことを改めてお詫びいたします。
詩集等(冊) | 詩誌等(冊) | 計(冊) | |
1月 | 8 | 37 | 45 |
2月 | 14 | 54 | 68 |
3月 | 22 | 62 | 84 |
4月 | 12 | 72 | 84 |
5月 | 14 | 65 | 79 |
6月 | 19 | 51 | 70 |
7月 | 20 | 56 | 76 |
8月 | 19 | 65 | 84 |
9月 | 16 | 39 | 55 |
10月 | 48 | 69 | 117 |
11月 | 31 | 72 | 103 |
12月 | 36 | 85 | 121 |
計 | 259 | 727 | 986 |
また、途中から手紙やメールでの礼状も欠礼しました。その時間を紹介に回そうという姑息な手段です。それにも関わらず多くのひとが「見たよ」と言ってお手紙やメールをくださったことは、この上なく嬉しいことでした。それに決して甘えるつもりはないのですが、今しばらくは欠礼が続くだろうと予想しています。ご海容いただければ幸いです。
来年も皆さまには佳いお年でありますようにお祈りいたします。
1年間、本当にありがとうございました!
○有馬敲氏詩集『魔よけの仕方』 |
2010.2.1 京都市左京区 未踏社刊 2000円+税 |
<目次> 装丁 河野新弥
いましめ 4 独居法 6 護身術 8
不眠よけ 10 インフルエンザばらい 14
飲み会心得 16 オフ・ビジネス 18 くわばら 20
壬生狂言 22 負けるが勝ち 24 呪文 26
一年の計 28 無常観 30 尻取り唱文 32
節制奥義 34 箴言 36 鬼門方除祭控 38
いましめ
右をみよ 左をみよ
信号をみよ 足もとをみよ
うしろをみよ 前をみよ
きょろきょろするな
東にゆけ 西にゆけ
海辺にゆけ 山野にゆけ
北へゆけ 南へゆけ
うろうろするな
帯には<生きる極意をそっと伝えるとっておきの災厄ばらいの詩集>とあり、まさに「魔よけの仕方」を伝授してもらったような詩集です。ここでは巻頭の作品を紹介してみましたが、〈右をみよ 左をみよ〉と言われた通りにすると〈きょろきょろするな〉、〈東にゆけ 西にゆけ〉と言われたからその通りにすると〈うろうろするな〉と言われてしまい、私たちの生き方そのままのようで笑ってしまいました。オカミからの指示だけをやっていたんでは身の破滅だぞ、という〈いましめ〉かもしれません。
なお、同封されていた案内では、2月にNHK教育の「知る薬(SHIRURAKU)〜こだわり人物伝〜」という番組が水曜日の夜10時25分〜50分にあるようで、フォーク歌手・高田渡が特集されるそうです。有馬敲さんは知る人ぞ知る、高田渡の詞の提供者。2月10日には有馬さんも出演するそうですから、興味のある方はどうぞご覧になってください。拙HPでも一部紹介した詩「値上げ(原題は「変化」)」の原詩朗読、高田渡とのエピソードなどが紹介されるそうです。
○季刊詩誌『ゆすりか』83号 |
2010.1.1
長野県諏訪市 ゆすりか社・藤森里美氏発行 1000円+税 |
<目次>
◆巻頭詩 どれほど苦い・・・ 新川和江 そしてみんな消してしまった 黒羽英二
◆作品(1)
天吉寺山の風雲 相馬 大 6 登る 上野菊江 8
ドン・キホーテ異聞(六)大曲 國峰照子 10 十月――サファリへ行く 財部鳥子 12
にっぽり 八木忠栄 14 捨てられない若い思い 金 光林 16
秋の嘘 根本昌幸 18 そんななんでもないものに 佐藤 敏 20
初冬 大石良江 22 遮断機 木村孝夫 23
●エッセイ(1)
北上のサハラで詩碑建立の日 白石かずこ 26 「北上にサハラあり」白石かずこさんの詩碑建立 佐藤文夫 29
「風の又三郎」を読み・歩く(三)−風の唄の源流− 相澤史郎 33
存在の喫水線から生まれた文体−太宰治を再読する 三田 洋 38
詩と美術 天彦五男 45
◆作品(2)
冬小景(雪/水仙) 冨長覚梁 48 うっかり八兵衛 後藤正三 51
愚か者 陳 千武 54 道 北原溢朗 56
雪虫 原子 修 58 「DAYS
JAPAN」 くにさだきみ 60
ふるさとへ 小島寿美子 62 反重力 瀬川紀雄 64
湖畔 丸本明子 66 ひまわり 谷口 謙 68
◆作品(3)
パルナスの岸辺で・訣別−ある支配者へ 松尾静明 70
火を奪えば 黒羽英二 72 姉 進藤玲子 74
青い瞳の羊 天野行雄 76 悲しみの都市 莊 柏林 78
平等と対等 篠田味喜夫 80 鳥の影 てんこ 82
ともしび 藤森里美 84
●テーマ(帰り道)
届かない(帰り道) 丸本明子 86 黙祷 木村孝夫 87
ナナフシ/玉虫 根本昌幸 88 踏み締めて/帰り道 小島寿美子 89
安息角は三十一度 天野行雄 90 朝顔 谷口 謙 91
帰り道 高林正英 91 黒ずむ茜 瀬川紀雄 92
そう書き終わった時/クルミの実 佐藤 敏 93
●エッセイ(2)
新劇女優須磨子の人生 平島佐一 95 なくてぞひとは恋しかける 小林伸子 99
「風」シリーズ風渡る狭山丘陵(3)五味秀雄 103 張作霖の夢(一) 宮崎宜義 107
醍醐味を満喫できる名著 田中欣一著『新更科紀行』長岡昭四郎 111
金光林詩の研究 −主知的抒情の様相を中心に 権 宅明 115
◆『万葉集』をあるく(二)−万葉びとの三輪への祈り− 相馬 大 123
◆風信・あとがき 127 同人名簿 134
表紙絵:初春の里 横田昌蔵・扉絵:拳鼻の象(北野天満宮) 相馬 大
安息角は三十一度/天野行雄
愚公の砂時計は山を移して
紅茶を蒸らす
腕組みするほどの間もなく
踊る茶菓に見入ればそれだけいいのです
砂時計の向うに
炭鉱の忘れ形見が鎮座してるのに気づき
銃の照準を合わすように
視線をうつすと
それはぴったり重なるのです
砂山の安息角は三十一度
最後の砂粒がどこに納まるのかを
確かめられないまま
紅茶は風景をとりこみ
ボタ山をゆらして暮れてゆくのです
すべての時間がこの一瞬に
ボクの喉元に下りてゆき
あとは庭木も
そびえたったはずのボタ山も消え去り
白い器の底にくすんだ水溜りと
背もたれイス三十一度にくつろぐボク
相似はお化け煙突探検のどっきどき
習い
なりきった道化
懐かしい言葉に出合いました。〈安息角〉は粉体工学の言葉ですが、念のためにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみますと、機械工学での用語でもあるようです。この作品では〈砂山の安息角〉となっていますから、粉体工学での意味を紹介しておきましょう。
<粉体工学 -
粉体(岩石、石炭、砂など)を積み上げたときに自発的に崩れることなく安定を保つ斜面の角度を「安息角」と呼ぶ。粒子の大きさと粒子のかどの丸みにより決まる。例えば、川砂ではかどが立っているので急角度でも安定であるが、海砂ではかどが取れているので緩やかな角度でも流動してしまう。斜面に置かれたものが滑り出さずに留まることができる時の斜面の角度や摩擦係数に起因する>
従って、〈砂山の安息角は三十一度〉というのは摩擦係数によって安定した角度なのでしょう。
第1連の〈愚公の砂時計は山を移して〉というフレーズにも何かあるなと思って調べましたら、[愚公山を移す]という中国の「列子」中の故事であることが分かりました。愚公(ぐこう)という90歳にもなる老人が、家に面している2つの高い山を平らにしようとしたもの。子孫代々山を崩していけば、山はこれ以上高くならなので、いずれ平らになると説き、感心した神が山をどかしたという寓話だそうです。
それらを基にこの作品を拝読すると、なかなかおもしろい詩だと思いました。最終連の〈そびえたったはずのボタ山も消え去り〉というフレーズは[愚公山を移す]から来ているのでしょう。勉強させていただきました。
○詩誌『Griffon』25号 |
2009.12.14
広島県呉市 川野圭子氏ほか発行 300円 |
<目次>
野薊 吉田隶平 1 粉吹きへび 川野圭子 2
どんぐり 川野圭子 3 ヨーロッパの窓から 横山 昭 4
耳を澄ますと 横山 昭 5
◆批評の喜び 横山 昭 5 ◆一片の氷心草庵にあり 川野圭子 6
◆竹林精舎の鹿 吉田隶平 7
◆批評の喜び
批評は、プーレもいうように、まず作品への共感、没入による一体化から始まる。そのとき、話者の語り口に籠る作者の息遣いに、自分の息遣いを添わせ、混じりあわせ、溶け込まねばならぬ。話者の息遣いが、喜びに弾んでいようと悲しみに沈んでいようと、晴朗であろうと陰惨であろうと、それと融合して一つになることは「幸福な経験」というより「幸福の経験」といわねばならない。その幸せ、その喜びを自らの言葉で語ることが、批評の原点ではなかろうか。
この春『視線のロマネスク−スタンダール・メリメ・フロベール』という本を書きながら、私はそのことを強く感じた。
ちなみにフランス語の動詞《知る》connaitre
には、クローデルの指摘をまつまでもなく、知覚の主体の「私」とその対象の「他者・世界」が《共に》co-《生まれる》naitre
という意味が含まれている。(横山)
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今号は詩ではなく短いエッセイを紹介してみました。拙文は決して〈批評〉などと呼べる代物ではなく、トンチンカンな読書感想文に過ぎませんが、それでも〈話者の息遣いが、喜びに弾んでいようと悲しみに沈んでいようと、晴朗であろうと陰惨であろうと、それと融合して一つにな〉りたいと願っています。その結果として〈「幸福な経験」というより「幸福の経験」〉を味わっています。この「幸福の経験」が日々あるから続けられているのかなとも思っています。勘違いかもしれませんけど…。いずれにしろ意を強くするエッセイに出合いました。ありがとうございました。