きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.12.7 神奈川県湯河原町・幕山




2010.1.2(土)


 今日も年賀状書きでした。追加は30枚ほどでしたので、それほどの負担ではありませんでした。しかし、新しい年賀状が到着したのは午後3時。昨日は朝8時に来ましたので、今日もそのくらいの時間かなと思っていましたが、今日からは平日時間のようです。3時からあわてて書き出して、本局が閉まる前に投函できました。




月刊詩誌『歴程』564号
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2009.12.31 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 762円+税

<目次>
藤村記念歴程賞選考経過報告:粟津則雄 4
歴程〈未来を祭れ〉についての覚書:新藤涼子 6
受賞記念作品 鈴村和成 目黒裕佳子 杉本 徹 18
詩 高貝弘也 野村喜和夫 伊武トーマ 24
エッセイ 酒井蜜男 相沢正一郎 33
版画・絵 岩佐なを
写真 北爪満喜




 第四十七回「藤村記念歴程賞」及び第二十回「歴程新鋭賞」について

第四十七回「藤村記念歴程賞」
☆鈴村和成[すずむら かずなり]『ランボーとアフリカの8枚の写真』(河出書房新社)に至る現場を歩いて書く一連の紀行文学は、他に類をみない。
〔贈賞理由〕『ランボーのスティーマー・ポイント』から『ランボーとアフリカの8枚の写真』までの、あるいは『ヴェネツィアでプルーストを読む』から『アジア、幻境の旅――日野啓三と楼蘭美女』までの、近年とみにめざましい鈴村和成の一連の著作は、諸ジャンル(紀行、評論、小説など)を融合したあらたなエクリチュールの創出として他に類をみない。しかもそれは、徹底して「現場」を歩く冒険精神と、本質的には詩人であるこの著者の、ポエジー訴求の精神とにつらぬかれている。歴程賞を贈るにはまことにふさわしい仕事である。

第二十回「歴程新鋭賞」
☆目黒裕佳子[めぐろ ゆかこ]詩集『二つの扉』(思潮社刊)
〔贈賞理由〕これが第一詩集というから驚きである。ビックリしたというのが、正直な感想であった。「少年は/いつもとっぴょうしもなくびしょぬれで/はらっぱみたいにひろびろ笑っている」(「少年」より)。この詩で見るように、中原中也の初期のダダ詩を思わせる表現。それが平成育ちの若い女性の手によって書かれたとは! 「旧かな」の間違いや、ステレオタイプ表現への批判も蹴っとばす、元気な<新しい才能>の出現を喜びたい。

☆杉本 徹[すぎもと とおる]詩集『ステーション・エデン』(思潮社刊)
〔贈賞理由〕光が全篇をつらぬく詩集。その懐かしい光は、どこから射すのだろうか。古い過去から……、遠い未来から……、宇宙の彼方から……。おそらくは、決定的な何かが起こり、事後に言葉が紡がれていく。著者は、渾身で一行一行を刻みこんでゆく――どうしても語りえないものについて。だから、読者にその何かが伝わることはないのかもしれない……。行間から、光は滴ってくる。「方舟のようにくりぬかれた光が、……暗い廊下の窓に射していた」――そう、懐かしい光が象っている。遅れてきた新鋭といってもいい、高い完成度の詩集である。

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 今号では第47回「藤村記念歴程賞」と第20回「歴程新鋭賞」についての〔贈賞理由〕を紹介してみました。特に「藤村記念歴程賞」は詩集に限らないようで、ユニークな賞と云えましょう。3つの〔贈賞理由〕も、まるで詩を読んでいるような錯覚に陥りました。お三人の受賞をお祝い申し上げます。




詩誌『hotel』第2章23号
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2009.12.3 千葉市稲毛区
根本氏方・hotelの会発行 500円

<目次>
■作品
眩暈原論(1) 野村喜和夫 2        東扇島行バス 柴田千晶 6
獣道から 浜江順子 8           あいどんとのお かわじまさよ 10
現世紀[安息] 広瀬大志 12        焔の葬器 片野晃司 14
お引っ越し(一) 川江一二三 16      白金をあびて港を 根本 明 18
うつろぎ 澤口信治 20           私に聴くことをおしえてください 井本節山 22
■エッセイ
十二世紀の人々の息吹(5)『梁塵秘抄』の魅力(三)愛の歌など 根本 明 26
□terrasse 27
表紙/カット かわじまさよ




 
焔の葬器/片野晃司

ありがとう
日暮れ前に唐松の尾根筋を渡る
獣の遠吠えがいつも聞こえてくるように
何ひとつ不思議もなく昔から決まっている
しきたりどおりの装備を纏い
クッションを敷き詰めたカプセルに収まり
居間から旋回して敷居を跨ぐ
わたしのすることはなにもない
ずっと昔から決まっているしきたりどおりの所作で
おまえはボタンを押す、システムが起動する、
あるいは
新聞紙に火を点けることから始めてもいい
いずれにせよ
わたしは身を横たえたままなにもしなくていい
排気ファン始動、燃焼ファン始動、断熱扉開閉、、
燃料ポンプ始動、メインバーナー点火、アフターバーナー点火、
シークエンスは完璧にコントロールされ、
計算された軌道に乗って上昇する
おお
なんという安楽
わたしをかたちづくるものたち
わたしがあつめてきたものたち
布、針金、水銀、亜鉛、粘土、紙、水、
それらがあたたかく揺らぎながらわたしから離れ
わたしははじめの微細なものに戻る
ありがとう
何ひとつ不思議もなく昔から決まっている、
旋回し、脱出し、胸の袋をいっぱいに膨らませる、
あの手順をはっきりと思い出せる
わたしはいま
焔に穿たれた極小の産道を抜ける

 〈焔に穿たれた極小の産道〉である〈焔の葬器〉は死体焼却炉のように思えます。〈わたしは身を横たえたままなにもしなくていい〉し、〈わたしをかたちづくるものたち/わたしがあつめてきたものたち〉など、〈それらがあたたかく揺らぎながらわたしから離れ/わたしははじめの微細なものに戻る〉というのは、身体が原子に戻ることを謂っているように思います。繰り返される〈ありがとう〉は現世への感謝でしょうか。ちょっと不気味ですがおもしろい作品だと思いました。




個人誌『翔』41号
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2009.12.25 名古屋市緑区
おしだとしこ氏発行 非売品

<目次>
詩 うつろいゆくものの 1         まっしろな       2
小編『かなしい耳』   3         エッセイ『愚者の愚痴』 23
受贈詩誌・詩集他    24         表紙(アユタヤ遺跡)




 
まっしろな/おしだとしこ

このよにうまれて はじめてみたせかいは
きっと まっしろだったのでしょう

ちいさな くちびるで むちゅうですった
ははの ちぶさから ほとばしる
まっしろな オッパイの したたり

むせるほどに のみほした しずくは
こころに あいのいろで えをかくための
えのぐなのだろう

かみさまが じゆうにかいてもいいよ と
くださった オッパイのにごりのない
まっしろのえのぐ と
たった一枚の まっしろなカンバス

おさないものは じめんに らくがきでも
するように まっしろなオッパイを
えふでに たっぷりとつけた

でも なにを どのように かけばいいのか
かみさまは おしえてくえてくれなかったので
まよってばかり

たどたどしく かきはじめた カンバスには
そら だけが そらぞらしく かかれている

   日本詩人クラブ刊「日本現代詩選」34集に掲載

 〈まっしろな オッパイの したたり〉を〈こころに あいのいろで えをかくための/えのぐなのだろう〉と見た点がユニークだと思います。第6連の〈でも なにを どのように かけばいいのか/かみさまは おしえてくえてくれなかったので/まよってばかり〉は私たちの実感ですね。産み落とされて、迷うばかりの人生。だから余計に〈ははの ちぶさ〉が恋しくなるのかもしれません。平仮名主体の構成も成功している詩だと思いました。






   
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