きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.12.7 神奈川県湯河原町・幕山




2010.1.10(日)


 午前中、庭木の剪定をやりました。庭木と言っても裏の畑の片隅に植えてある木ですから、畑木と言った方が正確かもしれません。10本ほどの小さな木ばかりなのですが、そろそろ築20年になると、当時植えた木もそれなりの高さと茂みを持つようになります。見通しも悪くなったし、畑に入るのにも枝が邪魔をする始末。思い切って枝をバッサリと落としてしまいました。剪定鋏ではとても無理なので、ゴム太郎という愛用の鋸でゴシゴシ。むかしキャンプをやっていた頃に、仲間と焚き火を囲みながら丸太を切るという遊びに使っていたものですが、これが本当によく切れます。直径30cmほどの丸太を2分で切る、1分で切る、なんて競争をやっていました。
 脚立に登って上の方の枝までバッサリバッサリ。気持ちよいほどスッキリと仕上がりました。で、この時期にそんなことをして良いのかどうか…、それは分かりません(^^;




個人詩誌『魚信旗』67号
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2010.1.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品

<目次>
年賀状 1      喫茶店 4      目次 6
明かり 8      曲がる 9      後書きエッセー 10




 
目次

人生には生老病死という目次があって
それを捲
(めく)りながら
読書でもしているような流れにながされて
たゆたうままに大海にたどり着く。
そういうあんばいのむきもあれば
乱丁落丁などの狂った本のような人生もあるのは
ご存知のとおり。
目次はあくまでも本の体裁
予定調和
神によって調整されているという高尚な説もある
たとえ狂ったページの人生でも
最後は神の国に到達できるというモナド論
ああ人生はこんなあんばいだから楽しい。
老いを待たなくても死んでいく者
病を得なくても死んでいく者
あらねばならないことを飛び越えて
先輩つらして死の国に急ぐ者
いつの世にも狂った調和があって
それで均衡がとれている。
目次がなくてもよい存在ならば
人生ははじめから空虚になり無目的になるから
目次はある程度設定されているのだ。
内容が乱丁落丁なのは当たり前
人生の流れは時にはダムを落下したり
日照りで涸れてしまうこともある。
ああわが目次も最終章が近づくとともに
川の流れは穏やかであればいいなあと思うこのごろ
だが突然がんだとか心臓病だとかいわれると
ダメージが大きく血圧が跳ねる
夜もおちおち眠れなくなる
過去の死者たちが立ち代り入れ替わり出てくる夢も見る
目次と関係のない天国の夢も見る
身支度を急げということか
本の後書きのような弁説も用意しろということか。
急げ急げと聞こえてくる老いのいまわか
もうだいぶん整理もしてきたはずなのに
まだ忘れているものがあるというのか。
あっ正月の鯛の塩焼き
おいしそうな大目玉
こいつをわすれちゃ死ねないや
永遠をみつめる大目玉
そいつをいただいて旅支度でもしよう。
目次が終わったらどうすればよいのか。
本はたたんであとはどうしろというのだ。
流れが止まってこの先は断崖か
海だと聞いていたが目次にはない。
あとは全部想像
想像のなかに死後はあって
確かなたましいに成就するのか
ああ神に抱かれるのか
目次にもない・・・
目次にもない・・・。

 〈人生〉を〈目次〉と捉えたおもしろい視点の作品です。〈乱丁落丁などの狂った本のような人生〉という詩語も佳いですね。しかし、ここでは〈目次はあくまでも本の体裁/予定調和〉に過ぎないと言っているようにも思います。〈いつの世にも狂った調和があって/それで均衡がとれている〉とも…。〈目次がなくてもよい存在ならば/人生ははじめから空虚になり無目的になるから/目次はある程度設定されているのだ〉という見方は新鮮に感じました。
 なお、28行目の〈がん〉と35五行目の〈いまわ〉には傍点がありますが、きれいに表現できないので割愛してあります。ご海容ください。




個人詩誌『餐』32号
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2010.1.10 千葉県流山市 上野菊江氏発行 非売品

<目次>
*詩
家族T、U……………2  シマウマ………………4  キリン…………………5
偽装……………………8  英雄広場………………9  アニマル………………10
エージェント・ロボ…14  明日……………………16
*エッセイ
新しい年に……………1  ことばの園……………6  無名性のアート………11
あとがき………………17




 
偽装

ちいさな胸を覗いてみると
ちいさな悩み
ちいさな仕合せだけが
かくれているのがわかるでしょう

こころを超えるほどの
大きなことは止めにして
ちいさな傷み ちいさな喜びだけで
自分の命を飾ります

耐えることのできる苦しみだけを
ちいさな胸のポケットに
軽く意匠も羽織ります

にんげん だれもみな
平和のうちに 生きる権利があるとか と
おおきな声では言いません

 〈ちいさな胸〉の〈ちいさな悩み/ちいさな仕合せ〉、さらには〈ちいさな傷み ちいさな喜び〉。それらはみんな〈偽装〉なんだ、とこの作品は謂っているように思います。本当は〈にんげん だれもみな/平和のうちに 生きる権利がある〉など〈おおきな声で〉言いたいのだけれども、それは言わない。だからといって考えていないわけではない、感じないわけではない。〈偽装〉に過ぎないんだ。それを肝に銘じておきなさいね、権力者よ! と読み取った佳品です。




個人詩紙『おい、おい』73号
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2010.1.8 東京都武蔵野市 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
ない




 
ない

なんにもない
ああ
なんにもない
ほんとに
なんにもない

人と人が
交わること以外

なんにもない

 〈なんにもない〉ことを書いている作品ですが、〈人と人が/交わること〉だけはあるじゃないか、それだけが一番大事なことじゃないか、と言っているように思います。もちろんそれ以外にも世の中には様々なものがあるのですが、〈ほんとに〉必要なものは〈人と人が/交わること以外〉には〈なんにもない〉のでしょうね。核心を端的に突いた作品だと思いました。






   
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