きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.12.7 神奈川県湯河原町・幕山 |
2010.1.17(日)
15回目の阪神淡路大震災記念日。犠牲になった皆さまのご冥福を改めてお祈りいたします。
今日は拙HPの11回目の開設記念日でもあります。この11年間の累計アクセス数は16万6千余り。当初は思ってもみなかった数字に、改めて驚いています。おいでくださった皆さまに深く感謝いたします。
さて、この11年間にいただいた詩書などは下記の通り。今年中には8000冊を越えるのではないかと思っています。高い制作費、高い送料をお支払いいただき、その上ご丁寧なお手紙まで添えてお送りくださったことに感謝しています。
詩集等 | 詩誌等 | 合計 | |||||
1999年 | 122 | 205 | 327 | ||||
2000年 | 152 | 271 | 423 | ||||
2001年 | 179 | 313 | 492 | ||||
2002年 | 196 | 378 | 574 | ||||
2003年 | 168 | 438 | 606 | ||||
2004年 | 155 | 462 | 617 | ||||
2005年 | 245 | 530 | 775 | ||||
2006年 | 260 | 594 | 854 | ||||
2007年 | 262 | 709 | 971 | ||||
2008年 | 295 | 735 | 1030 | ||||
2009年 | 259 | 727 | 986 | ||||
2010年 | 18 | 21 | 39 | ||||
合計 | 2311 | 5383 | 7694 |
紹介している内容は、批評などではなく、読書感想文の域を出ていませんけど、私にとっては大変勉強になるものでした。当たり前のことですが、私と違う感性に教えられることは大きな財産だと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
○後山光行氏著 『安部公房詩ノート「無名詩集」その他』 |
2010.1.1 大阪府岸和田市 粋青舎刊 非売品 |
<目次>
一、はじめに 5 二、「名前」と「笑い」 5
三、リルケ 11 四、「祈り」又は「神」 23
五、「孤独」 35 六、「心」 42
七、「マスク」 48 八、「嘆き」 52
九、おわりに 58
九、おわりに
全集が発刊されて、初めて安部公房の「詩」に接する事が出来たのだけれども、『無名詩集』があり、そしてより以前に、手書き詩集『没我の地平』なるものと、沢山の詩篇があった。これらを読んでみると、社会情勢としては戦前、戦中の時代であった事を考えてみても、「まだ詩が健全に生きていた時代だった」と言うことが出来るだろう。そして、安部公房の詩作品が、驚くほど抒情的である事にも驚く。私は今「安部公房は抒情詩人だった。」と思っている。
著名な多くの日本の詩人の作品を読みながら詩を書いてきた詩書きとしては、作者亡き後になって開かれたこの世界的な小説家の 「詩」は本当に注目出来るものだった。個人的には私の詩を書いてきた時間のなかで、もっと初期の時代に出会いたかった作品である事はいがめないが、今でもそこに触れる事が出来、その詩が抒情詩であったことを喜ばずにはおれない。何故ならこのような正統的な時代があった、詩が健全だったと認識する事が出来たからである。今私は「詩人」とは「詩書き」とは何であろうかと考え続けているのだが、再びここに「詩人」と言う作品の一部を引いてみたい。
小さな庭よ
ほのかなる日々の微笑よ
お前を見つめ
生に窪みを抉るのは
此の私達
詩人の使命なのだ
巡り移(うつろ)ふ孤独から
尚ほもはるかな存在へと
外面(も)を内に置き換へるのも
亦私達
詩人の使命なのだ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
安部公房は私も好きな作家の一人で高校生の頃から読んできましたが、彼は本質的に詩人ではなかろうかと思っていました。本著は1999年から2001年まで個人誌『粋青』に9回に渡って連載したもので、その私の思いを見事に裏打ちしてくれています。ここでは最後のまとめにあたる「九、おわりに」を紹介してみました。〈全集が発刊されて、初めて安部公房の「詩」に接する事が出来た〉喜びとその内容が端的に示されていると思います。引用された「詩人」から安部公房の詩人としての基本も見ることができましょう。安部公房ファンや研究者には必読の書だと感じました。
○淺山泰美氏著『京都
銀月アパートの桜』 詩人のエッセイ2 |
2010.2.14 東京都板橋区 コールサック社刊 1428円+税 |
<目次> 写真 淺山泰美
T
桜めぐり 10 ポエトリーガーデン 14
ウエサク祭の夜 18 観音さま日和 22
月光丸(げつこうがん) 28 いぬの仔もねこの仔もひとの子も 34
四月のダライラマ 38 伯母するひと 44
ライアーに出逢った頃 50 読む詩歌う詞 56
ライアーと歩む日々 62
U
昭和ドリームランド 66 あの人は、今 72
石好き 78 「塩」を運ぶ 82
明美さんの灯り 86 一期一会ということ 90
茶道入門 94 天女座を訪ねて 98
妖精の声 102. 猿のはなし 106
水絵の町で
高野橋西詰 110. 奇跡 115
東福ノ川会 116 『オーク』があった頃 120
V
久世光彦さん ゆめまぼろし
幻の唄 126. 神様の演出 129
幸福の電話 133. 久世さんと神戸で 135
卒哭(そつこく) 138 アスパラ豆腐の味 141
久世さんの墓所で 144
W
銀月アパートの桜 152
あとがきにかえて 銀月アパートという謎 160
撮影データ.164 初出一覧 165 略歴 166
銀月アパートの桜
桜ばな散るちる浅き夢の淵影棲むごとき古きアパート
北白川界隈に春がやって来ると、まず咲きはじめるのは上終(かみはて)公園のソメイヨシノである。ブランコや滑り台などのある東側の敷地にも、西側の野球やサッカーのできるグラウンドにも、背の高い桜の木々が花を咲かせる。その花の色はあくまでも淡い。物静かに咲くその風情は、ああ、また今年も春は忘れずにわが町にも巡ってきたのだという、深い感慨と安堵(あんど)の思いをもたらす。
上終公園から北西に歩いて二、三分の距離にそのアパートは建つ。その名を、銀月(ぎんげつ)アパートと言う。この築九十年とも言われる、瓦葺木造二階建ての古色蒼然としたアパートの前庭に一本、巨きな紅枝垂の桜の古木があり、これが毎年、世にも美しい花を咲かせるのである。紅枝垂にしては咲きはじめる時季は早く、上終公園のソメイヨシノが満開を迎える頃に開花が始まる。このみごとな桜を心待ちにするようになって、かれこれ四半世紀が過ぎようとしているので、さすがにその微妙なタイミングがわかるようになった。花びらの色は濃く、あでやかな立ち姿で見る者を魅了してやまない。
今年はいつもの年よりもかなり早く見頃を迎えた。やはり溜め息が出るほどの美しさだった。この桜がゆっくりと咲きはじめて、やがて五分咲きほどとなり、それが七分咲きを過ぎ、満開になるまで、それを毎日のように眺めに通う人もいる。この春は、五分咲きの頃に冷えこんだこともあり、花持ちがことのほか良かった。いつしかこの桜を愛でる人々が遠くからも足を運ぶようになり、老いも若きも、男も女も、カメラのレンズならぬ携帯電話のレンズを、桜に向ける風景をよく見かけた。花がその盛りを過ぎ、落花さかんな風の日もまた捨てがたいものである。
風雨に晒され刻を経た白い木のアパートの庭に咲く、麗わしい美女のような桜の取り合わせは、数知れぬ京都の桜の名所にもひけをとらない存在感を持つ。四月、天と地を繋ぐ紅の瀧の飛沫のように桜の花が風に揺れている。銀月アパートの内も外もひっそりと静まり返り、無人の建物のようである。白昼であるにもかかわらず、誰も通りかかる者さえない。その時、銀月アパートの正面玄関の押し戸がかすかな風に軋んで音をたて、内へと開いた。まるで、あなたはどこから来たの、何しにここへ来たの、と問うているようである。戸の向うに薄暗い廊下が見えた。そのまま入って行きたい誘惑にかられた。そうなのだ。私はずっと、誰が何のために建てたのか、調べれば調べるほど、よくわからないと言われる銀月アパートの中へ、謎めいた通路のその奥へと入ってみたかったのである。
*
長い間抱いていたその願いが遂に叶えられる日が来た。二〇〇九年五月二十四日、新月の日のことだった。友人の知己のつてで、アパートの住人の一人である青年Yさんに、中を案内して戴けることになったのである。その日の午後三時、念願叶いアパートの中へと招き入れられた私は、つい嬉しさに声高に話しかけて、Yさんに静止された。ここでは皆さん静かに住んでおられるので、と。自分のがさつさに恥じ入っている私に彼は、よく誰も住んでいないみたい、と言う人がいます、と微笑んだ。
Yさんの部屋は前庭に面した陽あたりのよい一室で、そこには畳の寝台が取り付けられており、丸い飾り窓が可愛らしかった。住みはじめて二年程にもなるという。家賃は一ヶ月二万八千円とのことだった。アパートは中庭を挟み北棟と南棟に分かれており、二十室ほどもあるそうで、住人に学生は少ないのだと彼は言った。聞いたところによると、Yさんは子供の頃、銀月アパートの傍を通るのが怖かったそうである。アパートのほうをできるだけ見ないようにして、足早に通り過ぎたものでした、と。それが二十年の後、そのアパートの住人の一人となっているのは、どのような必然が働いているのだろう、と興味をそそられた。
事実、Yさんはここに住むようになってから時折、不思議な感覚に襲われることがあるそうだ。時間軸が少しばかりずれているような、空間の奇妙な歪(ゆが)みを感じるというのである。なるほど、と私は思った。そういった感応力を持つ者を、このアパートは引き寄せるのかもしれない。又、ここが特殊な磁場の上に建っていると言う人もいるらしい。面白い。このアパートに限らず、時間の流れをはるかに超えて、この世に存在しているかのような、とある路地の奥にひっそりと建つ、秘密めいた古い洋館に、心魅かれる者は多い。私ももちろんその一人である。そこに人智を超えた不思議な力が働いていると見ることもできよう。それはまさに彼方からの贈り物かもしれない。あるいはそれらの建物は、時空のはざまを漂流する宿命を担(にな)っている、と言うべきなのか。何のために?
その日、私はYさんにアパートの幾つかの部屋を案内して戴いたが、最後に、南十八号と呼ばれている、二階の南西の角部屋に招き入れられた。この部屋は銀月アパートで最上の眺めを持つものであり、現在はゲストルームのように使われていると言う。そこはほんとうに素敵な小部屋だった。夢想家の時を超えた隠れ家のようであった。広さは八畳程のものだろうか。壁際に寝台(ベッド)、反対側の窓辺に坐り心地のよい革貼りの長椅子(ソファー)、そしてライティングビューローが置かれていた。その上に並んだ書物の左端に、久坂葉子の著書が挿し込まれていた。久坂は神戸に生まれ、二十代の若さで自死した天才作家である。そういえば、久世光彦さんのエッセイに彼女を論じた断章があった。今ここに久世さんがおられたら、と私は想わずにはいられなかった。この部屋について、さぞかし洒脱な一文をものしたことであろう、と。『昭和幻燈館』で同潤館アパートヘの思いを瑞々(みずみず)しく語ったひとだから、きっとこっそりとここに住みついてしまったかもしれない。
部屋の西側の壁に、はめころしの深緑色の枠の丸窓があった。ここに夕陽が磨硝子ごしに差しこめば、この部屋はまたどのようにその表情を変えるのだろう。あるいは又、月の明るい夜ならば……。
通りをひとつ隔てた場所に、W・M・ヴォーリズの建てた駒井家住宅が、まるで銀月アパートと呼応するかのように瀟洒(しょうしゃ)な横顔を見せている。広い窓の外には、紅枝垂の桜の木が窓枠に触れんばかりに茂った枝葉を揺らせていた。この部屋からの花見は最高に素敵ですよ、とYさんは端正な笑顔を見せた。もし叶うものなら来年、ここから満開の銀月アパートの桜を眺めてみたい。半ば朽ちかけた急な非常階段を下りながら、そう願わずにはいられなかったのである。
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各作品の冒頭に短歌があり、所々に著者自身撮影のモノクロ写真があるという写真文集です。写真の多くは〈秘密めいた古い洋館〉であり、街角の古い店でした。京都の神社仏閣とは違う市井の古さと言えばよいでしょうか、しなやかなエッセイとともに楽しめる著作です。ここでは本のタイトルともなっている「銀月アパートの桜」を紹介してみました。表紙の写真と合わせてお読みくださると良いでしょう。この文章自体が〈不思議な感覚に襲われる〉ものだとも感じています。京都を在住詩人の眼で見て写し、書いた好エッセイ集だと思いました。
○詩誌『解纜』143号 |
2009.12.18
鹿児島県日置市 西田義篤氏方・解纜社発行 非売品 |
<目次>
詩 (もういいかい?)…池田順子…1
評論 粋なはからいのことば 『村永美和子詩集』に寄り添って…池田順子…4
詩
私的…村永美和子…12 自転車を置きながら…村永美和子…13
空…村永美和子…16 蝉鳴男…石峰意佐雄…18
脱臼男…石峰意佐雄…20 赤土男…石峰意佐雄…23
無闇男…石峰意佐雄…25 狂女…西田義篤…26
編集後記
表紙絵…石峰意佐雄
無闇男/石峰意佐雄
かれは存在するのか、したのか、しえたのか、そもそもしうるのか。じつにしんどいこ
とだが、ほとんど実証不能のこのことを語ることが、そもそもできるのだろうか。
かれは、よこたわったまま遙かなすそのほうをけり出すとその余波が、こちらに及んで
くる、ようにしてかれじしんの体感としてわずかに、存在した証しがあるだけだ。
かれには親がいない、死んだのではない、いないのだ。
だから、かれには臍がない。あるとすればそれは、腹中ふかく、かれみずからに繋がる
臍の緒であるだろう。
かれには深い傷跡があって、それは癒えきっているが、かれを支えきれない。
かれは声をもたない、声がかれをもつ。かれは記憶をもたない、記憶がかれをもつ。か
れは名をもたない、名がかれをもつ――「無闇男」、かれは、存在するのか。
(「男たち」シリーズ26)
〈「男たち」シリーズ〉として不思議な男たちが登場してきます。今号の「蝉鳴男」「脱臼男」「赤土男」もそれぞれにおもしろかったのですが、ここでは「無闇男」を紹介してみました。闇が無い男ではなく、闇に溶け込んで見え無い男と読めるかもしれません。〈かれは存在するのか、したのか、しえたのか、そもそもしうるのか〉と問いかけられ、〈かれは声をもたない、声がかれをもつ。かれは記憶をもたない、記憶がかれをもつ〉と言われた男は、実は私たち自身ではないのかと思いました。