きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.12.7 神奈川県湯河原町・幕山 |
2010.1.15(金)
日本ペンクラブ「国際ペン東京大会2010」の第12回実行委員会が開かれました。今回の議題でおもしろかったのは、パーティー会場の一つとしてすでに決定している東京都庁展望台に加えて、鳩山会館も使えることになったという点です。私は知らなかったのですが、鳩山首相の家は観光名所にもなっているんですねえ。パンフレットまであって、回覧されたそれを見ると凄い御殿で驚きました。あれじゃあ庶民感覚が無いのも分かるわなあ、と思いました。いずれにしろ、これで都庁・首相宅と、外国の皆さんに東京の政治の要を見てもらうことになりました。もっとも、鳩山さんが9月までもてば、の話ですけどね。現首相宅ではなくて、前首相宅でもそれはそれで良いか…。
役割分担表も配布されました。私は予定通り、京王プラザホテル・日本ペンクラブ会館・早稲田大学で行われる詩朗読会の担当になっていました。加えて、急遽決定した早稲田商店街での街頭詩朗読も担当。これは金丸弘美さんが企画で、二人で分担となっていました。まだイメージだけですので、詳細はこれから金丸さんとも相談して決めていこうと思っています。
詩部会としては、この年末年始には動きがなかったことを報告しましたが、今日の委員会でそろそろ詩朗読会場の担当者を決めないといけないと感じましたので、2月早々に第4回の詩部会を開催するつもりと報告しておきました。詩アンソロジーはだいたい見通しがつきましたから、これからは朗読会にも力を入れていこうと思っています。これまで以上に詩人会員の皆さまのご協力を仰ぐことになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
○金丸弘美氏著『田舎力
ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』 NHK出版 生活人新書297 |
2010.1.15 東京都渋谷区 日本放送出版協会刊 700円+税 |
<目次>
まえがき…3
第1章 発見力
〜「なにもない」土地に眠る宝を探せ…17
海外の学生を魅了した「過疎の島」/「そのままの日本」/「外の目」が埋もれた観光資源を発見する/「かっこいい田舎」をヨーロッパで知った若者たち/日本版グリーンツーリズムの広がりと課題/温泉を取り入れたツーリズム/城下町・竹田から広がる広域連携/商店街版・あるもの探し/若者の夢をかなえる「貧乏人チャート」/イノベーションする古い町並み/「ノスタルジー」から新しい価値創造へ
第2章 ものづくり力
〜ビジョンを抱いて、きちんと作れ…51
食による地域おこしは「きちんとした」ものづくりから/間違いだらけの「特産品」/食のグローバル化/影をひそめた「地場もの」と郷土料理/市場原理に駆逐された伝統野菜/食の地域色がわからなくなった担当者たち/作り手と買い手のボタンの掛け違い/食感度の高い女性を巻き込め!/農家レストランの先駆例/「第六次産業」としての農業/景観と調和したデザイン/新しい「豊かさ」の追求/「梅栗植えてハワイに行こう!」/「離婚してでも行って来い」
第3章 ブランドデザイン力
〜ヒットの秘訣は地域に訊け…83
ものづくりを拠点に地域をブランド化/あらゆるアイデアでゆずを売る馬路村/徹底的に田舎を「売り」にする/トラック1台から始めたゆず製品販売/村の「公認飲料」誕生/夢で龍馬に激励され発奮/地元材料を演出に活用/近隣地域との連携/支持される「ファーム」直営レストラン/ものづくりとソフトを総合的にプロデュース/地元の人に愛される豚を作りたい/付加価値の追求〜ハムづくり/運命を変えたウインナー教室/消費者ニーズを具体化した体験型ファーム/団塊世代の「週末農業」ニーズにこたえる/ソフト吸収は貪欲に/出荷できない果物をジェラートに/農家が自立できる直売所を/地域のPR拠点としての機能
第4章 食文化力
〜食材の背景を知り、発信せよ…123
食文化の学びと発信の有効な結びつき/「おいしさ」の表現が豊かになるワークショップ/「現場を見たい!」消費者の声/「スローフード」との出会い/スローフードが教えてくれたテキストとワークショップ/サフランから出発した食のテキストづくり/一流シェフの手料理を味わう/味覚は10歳までに育つ/味覚は文化である/地に足が着いた情報の重要性/身近な関心と食の現場を結びつける/テキスト作成と食を体験するワークショップ/ワークショップが生んだ国際的展開/「イタそば」誕生!/広報ツールとしてのテキスト
第5章 環境力
〜持続可能なコミュニティを目指せ…159
環境は、取り戻せる/農薬を減らせる「耕さない」田んぼ/ゆっくり育てた苗の強さ/耕さない田んぼに生き物が戻って来た/自然保護か農業振興か/水を張った田んぼを鳥たちの居場所に/科学的調査と連携による環境保全/コウノトリとの約束を果たす/官民一体・コウノトリ保護の50年/広がる農と環境の学び/放鳥の日のために/コウノトリを育む農法が安心のブランドを生む/目標は「安心を食べること」/行動する子どもたち/地域ぐるみの環境教育/日常にドラマを生んだコウノトリとの共生/「スローシティー」という発想/持続可能な地域づくりを
あとがき…198
校正/山内寛子 DTP制作/(株)ノムラ 地図作成/(株)平凡社地図出版
●本書で紹介した数字は、2009年7月1日に確認したものです。
まえがき
いま、地方の、それもかつて山間地とか過疎とか離島といわれたところで、地域活力の素晴らしいところがいくつも出てきている。
私は取材で日本各地を歩いているが、こうした動きは1980年代から生まれ始めて、1990年代後半から2000年ごろにかけて顕著になってきたように思う。かつての価値観が180度転換しつつあるのだ。
人口3800名の山村に農産物や加工品の直売所、レストランを運営して、年間16万人を集め、農業事業だけでも56億円となった大分県日田市大山町の大山町農業協同組合。
人口1200名、森林96%の山間地でありながら、ゆずの加工品で売り上げ33億円、年間6万人の観光客を集めるまでになった高知県の馬路(うまじ)村農協。
官民一体で環境保全型農業の推進に取り組み、コウノトリの放鳥に成功し、エコツーリズムに48万人が訪れ、農産物をブランド化した兵庫県豊岡市。
農産加工品、レストラン、体験教室、直売所の複合型のファーム運営を行い、人口8000名の山間地に50万人を集めて、43億円の売り上げとなった三重県伊賀市の農業法人「伊賀の里モクモク手づくりファーム」。
などなど、いくつもの新しい地域が誕生している。
そして、この活力ある地域がお互いのノウハウを学習し、持ち寄り、これまでとは違った流れのなかで、新しい動きを作り出しているのだ。
これらの地域に共通しているのは、地域特性を明確に出していること、生産だけでなく加工や販売や営業や宣伝までのトータルなものづくりができていること、地域主体の経済の循環と仕組みを構築していること、その土地にある景観や産物などを総合的な視点で組み合わせて演出していること、ものまねでなくオリジナル性に富んでいること、情報発信力が高くイメージ戦略に長けていること、地域全体に目配りしたデザインが考えられていることなどだろう。
なかでも素晴らしいのは、地域の人たちが活躍する場を自ら作りあげ、外部の若者にとっても魅力的な暮らしと雇用の場となったことである。
こういった新しい地域はなぜ生まれたのだろう。
いずれも立地の条件はよくない。大きな産業があったわけでもない。大分県の大山農協や高知県の馬路村農協のようにかつては木材で栄えたような村もあるが、戦後の木材輸入で地場産業は衰退に追い込まれた。ほかも同じようなもので、つい最近までは、経済的にもどん底にあったところである。
産業がない、若い人が出て行く、働く場がない、高齢化しているなど、「ないないづくし」の田舎であった。さらに近年の構造改革で地方交付税や公共事業が縮小し、さらに疲弊した。
しかし、それゆえに、「なんとかしなければ」と、その地域の人が行動し始めたのだ。彼らはふるさとを救うために、外に出かけた。多くの人と出会った。自分たちで営業し、マーケットを調査し、共感してくれる仲間を発見し、そこに向けて商品を開発し、地域を売っていく手法を獲得していったのである。こつこつと独自のマーケティング手法を身につけてしまったのだ。自分たちの田舎には「なにもない」と思っていたからこそ、外を見に出かけた。そして、あらためて足元を見つめ直したとき、新鮮な発見やひらめきがあったということだろう。
なかには、外部に向けて研修セミナーを行い始めたところもある。かつてならば、地域活性化のセミナーといえば、都会のコンサルタント会社が企画運営をし、地方の企業人や行政関係者などから高額の参加費をとって、商品づくりや宣伝の仕方、人材育成法などを伝授するものが主流であった。地方の人たちは、田舎のあり方をわざわざ都会に学びに行ったのだ。
ところが最近、逆転現象が出てきた。地方が都会の人を招いて、地域の売り方や商品開発のコツを教え、お金を取り始めたのだ。地方が疲弊している時代にあって、都会で都会の目線からものをいうコンサルタント会社よりも、実際に田舎を元気にさせた実績をもつ現場の経験者のノウハウのほうが圧倒的に説得力がある。
どんなふうに地域の農産物を加工して商品を売り出すのか、地域活性化のプロセスはどのようなものだったのか。高齢化した村でも元気なお年寄りがいるのはどういう仕組みがあるのか、若者が集まるところにはどんな特徴があるのか、田舎の人ならず誰だって知りたい。
いまや、新しいソフト力は、起死回生を達成した田舎にこそ学ぶ時代が来たのだといえるだろう。「ないないづくし」だったからこその逆転の発想、こつこつと試行錯誤を繰り返しながら築いたノウハウの強さだろう。
かつては、どの地方も公共事業が盛んで、建築業にお金が落ちた。補助金がどんどん地方につぎ込まれた。大手企業も地方に工場を建てて、雇用をもたらした。しかし、全国にまんべんなく道路や橋や公共建築が行き渡ると、公共投資は大幅に削減された。大手企業もグローバル化時代の訪れとともに、さっさと地方を引き上げて、より人件費と材料費の安い海外に拠点を移した。各地の道路沿いに林立した大型店舗やチェーン店も、人口が増大し、地方にお金のまわっていたころはよかった。しかし、人口が減り始め、お金が動かなくなると、たちまち赤字、閉店、合併の憂き目に遭った。
お金がまわっている間は、建築で大きな資金が地方にも流れるついでに、派手な観光物産イベントや宣伝もできた。ところが地方への資本投下がストップすると、広告代理店は見向きもしなくなった。
ここで、よく考えてみてほしい。そのお金はいったいどこに行ったのだろうか。多くは地域外の企業に流れたのではないか。お金があったから、建築業者も大手メーカーも広告代理店も都会からはるばるやって来たが、お金がなくなると、彼らの姿とともに、お金も働く場も消えてしまった。そして、地元には、ソフトと呼べるものが残らなかった。まちづくりから宣伝、イベントまで、都会の企業に丸投げ状態で委託して、自ら築いたノウハウがなかったからだ。なにもなければ、若者はやる気がなくなる、お年よりは生きがいがなくなる。みんなふるさとに誇りがもてなくなる。
しかし、資金が潤沢にまわらなかった地域、大手企業に相手にされなかった地域が、逆にいま、全体が低調になるなかで芽を出してきた。自ら地域を発信する力を獲得してきたからである。大きな企業からみれば、ひとつひとつの事例でそう大きなお金がまわっているわけではない。どこもせいぜい数十億円程度だ。しかしなにより大切なのは、持続的に発展する仕組みができたということだ。地域の丈に合った仕事が生まれ、継続している。自信と誇りをもって、次世代に手渡せるソフトと環境と暮らしとものづくりが生み出されているのだ。
私は農漁村をはじめ、全国800余りの「現場」をまわって見てきた。そこから学んだことをあちこちで書いたり話しているうちに、生産者や行政の人たちと一緒に地域づくりにかかわるようになった。私が生産者と消費者、田舎と都会、ジャーナリストと地域おこしアドバイザーという複眼的な視点で実際に見てきたことから、逆転の発想で、地域のもっている潜在的な力、すなわち「田舎力」を最大限に発揮する法則を本書にまとめてみたい。
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前出の実行委員会で、食環境ジャーナリストの金丸弘美さん(ちなみに男性です)より頂戴しました。金丸さんの地域活動や食育事業の話は実行委員会の中でも何度か聞いていますし、しばらく前に講談社文庫の『産地直送おいしいものガイド』という本を求めて読んでいますから、それなりに理解しているつもりでいましたが、この本はまったく違いました。もっと深かったのです。ここでは「まえがき」全文の紹介にとどめますけれど〈都会で都会の目線からものをいうコンサルタント会社よりも、実際に田舎を元気にさせた実績をもつ現場の経験者のノウハウのほうが圧倒的に説得力がある〉のです。まさに〈逆転の発想で、地域のもっている潜在的な力、すなわち「田舎力」を最大限に発揮する法則〉が書かれた好著と云えましょう。
前出の早稲田商店街での街頭詩朗読は、実は実行委員会の中で金丸さんと議論していたときに出てきたものです。金丸さんが早稲田商店街と関わりを持つ中で、国際ペン大会という大きなイベントと早稲田商店街のイベントが重なるから、商店街側はイベントの日程をズラすと言っているという報告がありました。私たちは即座に、それは違う! 国際ペンも早稲田商店街も一緒になってイベントをやろうじゃないか! となったものです。その中で、一緒にイベントができるんだったら、商店街の中で詩の朗読会もやろうじゃないか、という話になりました。そのあと金丸さんが奔走してくれて実現の運びになりましたけど、ここにも金丸さんの言う〈その土地にある景観や産物などを総合的な視点で組み合わせて演出〉する発想が生きていると思います。
ちょっと我田引水で恐縮ですが、そういう観点からも拝読して教えられることが多かった本です。お薦めです。
なお、表紙写真の左下に見えているのが「国際ペン東京大会2010」参加・協賛のロゴマークです。他にも何冊か出ていますので、本屋さんで探してみてください。
○平野敏氏詩集『顔』 |
2010.1.15 埼玉県入間市 梗興社刊 3000円 |
<目次>
「詩」の場面 1 遊ぶ 3 空 5
大欅 7 豊かさ 9 明かり 11
神さま 13. 地震 15. マンモス 19
歯医者 21. 一齣 23. アルバム考 25
交差点で 27. 迷い人 31. 驚き 33
匿名 37. 手話の行方 39. 未完の悲劇 41
今日という新たな空白.47 風の秘密 51. 雨 57
人生の総量 63. 眼を洗う 65. 秋場所 69
街 73. 日捲り 75. ミステリーバス旅 79
弁明 83. 見取図 85. 日没 91
デッサン 95. 明暗 97. 反歌 100
単純な掟 105 深い谷 109 靴 111
過ぎる 115 段差 117 途上 119
書く 123 母の日 125 家の行方 127
位置 131 体重 135 霧 139
後ろ姿 141 一生の傷 143 執念 145
港 147 沼 151 秋日 154
没日 157 峠にて 159 挨拶 161
鳥 163 顔 165
あとがき 169
表紙 油絵F6(未完) 能・井筒(平野敏・画)
顔
許されてまちまちな顔の中のひとりとして
生かされている
生きる貧しさ苦しさも
みな歌にして
自分にやさしく
生き続けている
目鼻立ちが整っていても
どこか違うきみとぼく
名も違えば性格も正反対
商品のようにはいかない人間の尊厳が
どこかに隠されていている顔というやつ
名は確かに彫られていて
デスマスクに引き継がれるまで
矜恃や笑顔を振りまく生きものの姿
そんな顔してなにを仕出かしたか
と問われるまでもなく
一生にいちどは男を上げ女を上げることを夢見る
許されてここまで来たのだから
しまいには
人間という実相を消して
能面をかぶり
夢野の霧を渡って行きたいものだ
顔に幽玄の美(み)をひそめて
ある朝いつものように顔を洗う
きのうのドーランを落すように洗う
きょうは今日の顔して
はねる情念に添って生きるために
あらたな化粧をする
許されてまたこの日を迎えたのだから
つとめて新しい顔立ちにする
髭などつけずに真っ当な顔にする
神に笑われないように澄まして
上を向いて歩こう
つまずかないために足は高く上げて歩こう
地の果てが近づいているから
ゆっくりと歩いていこう
老いた顔は表情が薄くなって
のっぺらぼうになっていくのだろう
「ちょっとそこに映った人
気味悪いからどいて!」
鏡にも嫌われてこの世を去るまで
せっかくのまちまちの顔
きみもぼくも
個性という大切な人間としての顔
名を呼ばれたら口を開こう
生死を問われたら目を開こう
思い出に残していく顔をつくり
振り返れない顔になるまで正面向いて
一生懸命に自分の顔をつくろう
化粧したら新世界が見えてくるだろう
若返ったらまた惚れられるだろう
顔という名刺でここまで来た
昨年の詩集『茶畑叙景』に続く詩集ですが、もう何冊目なのか正確には分かりません。おそらく20冊近いのではないかと思います。ここではタイトルポエムを紹介してみました。詩集表紙も著者自身による油絵ですから〈顔〉に対する思い入れが強いことを感じます。私たちは〈許されてまちまちな顔の中のひとりとして/生かされている〉のであり、〈顔という名刺でここまで来た〉のだということを改めて思い知らされた作品です。
なお、本詩集中の多くの作品、「遊ぶ」、「神さま」、「マンモス」、「一齣」、「アルバム考」、「迷い人」、「匿名」、「人生の総量」、「街」、「没日」、「峠にて」はすでに拙HPで紹介しています。初出から一部改訂された作品もありますがハイパーリンクを張っておきました。合わせて平野敏詩の世界をご鑑賞ください。
○『関西詩人協会会報』56号 |
2010.1.10 堺市南区 横田英子氏方事務局・杉山平一氏発行 非売品 |
<本号の主な記事>
1面 関西詩人協会総会報告
2面 総会講演
3面 決算報告書・総会出席者
4面 名鑑ご案内・春の詩話会
5面 ポエム・セミナー自作を語る13
6面 新入会員紹介・会員の新刊書他
7面 詩のイベント報告・運営委員会の模様
8面 会員の活動・イベント
知っていても知らなくても/青木はるみ
このところ世界の恋愛詩ばかり
読み耽(ふけ)っていた
きれいなフランス語を話せる友人が
愛とか 愛している とかっていう言葉には
嫌悪感があります
というので
ええ そうね私も
と答えた反動なのだが
フランシス・ジャムにしても
愛しています
の 連発で
やっぱり疲れる
ジャムであれば
――こんなに、こんなに」とお前がいった
――こんなに、こんなに」と僕が答えた
この二行だけでいいのにねえと私は考える
ガンの手術の後遺症が
いつまでも好転しないので
私は機嫌が悪い
北斗七星とカシオペアが北極星を
中心にして
向かいあっている
なんてことを知らなくても
どうってことはないが
北斗七星とカシオペアが同じく北極星を
愛しているとすればライバルよね
というスケールの話なら好感が持てる
でも地球の中の隣り合う国が
いつまでも悲惨な敵対を繰り返す事実だけは
いったい
どのように理解すればいいのだろう
ユニセフ親善大使として
子どもたちの命を守るため 世界を
駆けめぐったオードリー・ヘップバーン
老いと病(やまい)のため 瞳の哀しく落ち窪む彼女の
辛(つら)い写真を 私は抱きしめる
紹介した詩は<ポエム・セミナー自作を語る13>の「詩の種子」と題されたエッセイの中の作品です。エッセイの中では〈なるほどダブルイメージをこんなぐあいに使っているのだな、と思ってくださればいい〉とある通り、ダブルイメージになっていますが、それだけではなくトリプルにもフォースにもなっていると思います。ダブルイメージの入れ子構造と言っていいのでしょうか、これだけのイメージを破綻なく表現する技量に敬服した作品です。