きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.1.13 静岡県函南町・丹那断層




2010.2.3(水)


 銀行の信託担当者が訪ねてきました。半年に1度、運用状況の説明やら景気の動向を話してくれるのですが、思った通り、運用は横這い、景気はやや上向きという程度の話でした。信託で食っているわけではありませんから、それはそれで拝聴してオシマイにしたんですけど、あることに気がつきました。
 拙宅には洒落た応接セットなどありません。いつもの食事用のテーブルで話しをするのですが、彼が椅子に座る前に妙な動きをしたのです。カバンから何やら布のようものを取り出して、ゴソゴソ。別に目くじらをたてるようなことではありませんので、そのままにして、忘れて話し込んでいました。で、帰る段になって、また何やらゴソゴソ。思わず「その布は何?」と聞いてしまいました。
 カバンの底に敷く布だそうです。なんだ、そりゃあ? 彼の説明によると、ある本を読んで、訪問先ではカバンの下に布を敷くようにしたとのこと。その本には、電車の床でもオフィスでもどこでも置かれるカバンをそのままお客さんの家でドカッと置くのは失礼だ、と書いてあったそうです。カバンの底の汚れを訪問先にこすり付けてくるわけで、それではいけないと思って布を敷くようにした、と言ってました。なるほど!

 実は私、そう聞くまではちょっと憤慨していたのです。お前の家の汚い床に俺のカバンをそのまま置けるか! 布敷いて、汚れから守るゾ、けっ! じゃないかなあ、と(^^; 。事態はまったく逆でした。怒らなくてよかった、という安心感と、へぇ、そんなことにも気をつかっているんだという驚きでちょっと複雑な心境になりました。
 複雑というのは、このことを彼から言い出さなくて私が聞いたという点です。ちょっと臭い話になりますから、彼から言い出されたら噴飯ものです。私が聞いたから彼は答えた。それは許されるでしょう。気をつかうことのさり気なさという面でも考えさせられましたね。




下村和子氏エッセイ集『遊びへんろ』
詩人のエッセイ3
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2010.3.2 東京都板橋区 コールサック社刊 1428円+税

<目次>
下村和子君に 加島祥造 1
T 遊びへんろ
序 遊びをせんとや 12
.             初めての旅はネパール 14
四国霊場八十八箇所MAP 18
.          春遍路 20
遊びへんろ日記
(一)四十九番浄土寺から 24           (二)五十四番延命寺から 44
(三)六十八番神恵院から 63           (四)二十八番大日寺から 86
(五)三十七番岩本寺から 108
第一回目の四国八十八ケ所結願 122        無常を生きる 130
花へんろ 134
U 禅寺の食事
禅寺の食事 140
フード・シェアリング 142            伊那谷の風 146
お地蔵さん 150                 鳥辺野 石川淳『紫苑物語』 154
信楽 水上勉『しがらき物語』 158        六甲山麓に“人間”をたずねる小さな旅 大岡昇平『野火』162
二上山は大和の影そして 五木寛之『風の王国』166
V 七千年の知恵
屋久島の縄文杉 174               七千年の知恵 178
常行一直心−盛永宗興老師のお導き 180      深夜の比叡山 無動寺谷−人が仏になる一瞬 186
鈴に聴く 194                  私の宗教観 208
私の詩の方向−三師に導かれて 212        中間ランナー、そして渦 218
失った家 222                  熊野の道 226
青を求めて−戦後六十年、挫折の連続の中から 228
詩 まんまるに まんまるに 232
参考文献 238      あとがき 240
.     略歴 242




  序

 
遊びをせんとや

 私は人間を考える時、一度いわゆる動物の一種としてのヒト科ヒト属の行動としてイメージする。親が子供を育てるのは本能で、愛情いっぱいに献身的に世話をするが、成長した子は親の世話をすることは殆どない。
 動物にとって一番真剣な行動は餌を得ることと、子孫を作るための行動であろう。それ以外は全て遊びの時間であり行動である。遊び(2字傍点)という言葉の雰囲気に怠惰という意味を重ねる傾向が今も結構あって、誤解される向きも多い。広義の遊びとは、本能に基づく行動以外の全ての行動とも言えよう。
 文明の発達により、私達はより多くの遊びの時間を手にすることが出来るようになった。何をしてもいい時間をその人なりの人生観に添ったことをして過ごす。自分に与えられた時間を豊かに遊んでやがて消えていく。私などは正にその立場である。この世を去っていく準備のときとも言えよう。インドではそのことを踏まえてか、家業期を終えた者は、林住期、そして遊行期を楽しんで生を完結する、と古くから言われてきた。
 私は林住期から遊行期を生きる人間である。好きな森の道を歩き、夫の魂が浮遊している四国のへんろみちを、のんびり歩きたいと思っている。家族のためには、用なき人間ともいえよう。我が身一つ、どこに居てもいい立場である。せめて自分の心の乱れを治め、やがてやってくる遠い遠いどこかへの旅発ちを爽やかに迎えるための時間を楽しみたいと思う。
 遊びは楽しい時間でありたい。幸い、空の色は刻々変化して美しく、山も日によって姿を変え、水は私を誘うように小さく動いている。結願まで行けるかどうか、それも問題ではない。途中であっていいのだ。今日の風と戯れながら今を楽しみ、今を精いっぱい生きる。そんな時間を過ごしたい、と思う。何も願わない。今に感謝するだけだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 10冊を越える詩集を上梓している詩人ですが、エッセイ集としては3冊目になるようです。ここでは「序」を紹介してみました。この本の意図や性格がよく出ていると思います。〈広義の遊びとは、本能に基づく行動以外の全ての行動〉という観点から、〈夫の魂が浮遊している四国のへんろみち〉をはじめとした様々な場所への一大紀行集です。〈今を精いっぱい生きる〉姿勢にあふれた好エッセイ集と云えましょう。




詩誌『ONL』106号
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2010.1.30 高知県四万十市 山本衞氏発行 350円

<目次>
詩作品
徳廣早苗  冬ごもり・街にでる 2     西森 茂  号令を発する男どもに 4
浜田 啓  世の中/母 6         福本明美  誘い 8
藤田恵美  私の一生 9          文月奈津  小景 10
土居廣之  成長 12            丸山全友  ほんものに… 13
水口里子  螺鈿 14            大森ちさと つながる 15
森崎昭生  観業−影 16          森田貞男  花 17
柳原省三  和尚が死んだ 18        山本 衞  詩を/他 20
山本清水  赤い椿の花/他 24       山本歳巳  バドミントン 30
岩合 秋  年賀状から 31         中平光子  何にもなれないけれど 32
政岡満子  三つ星 33           ウカイヒロシ1942 34
大山喬二  橡の木の森へ(20)/他 38    岡村久泰  突堤にて 40
河内良澄  動物三題 42          小松二三子 野球少年 44
北代佳子  消えない影 46         土志田英介 座 47
えい    埋め草詩片 ゆくへ 49
英訳作品  山本歳巳 点景(沖縄島より) 50 評論作品  谷口平八郎「はてしなき議論の後」一考察 54
エッセイ
山本 衞  人が人らしく(5)56       芝野晴男  宙(そら) 57
秋山田鶴子 円空さんのご縁 58
後書き   60
執筆者名簿                 表紙絵 田辺陶豊《壷ふたつ》




 
成長/土居廣之

この前
生まれたばかりの気がするが
息子は今年
はや三歳
走れるようになり
喋れるようになり

私にも
同じように
時間が流れ
同じように
歳をとる
この前できていたことが
できなくなる

 〈この前/生まれたばかり〉の子の〈成長〉には目を瞠るばかりですが、それに対して〈私にも/同じように/時間が流れ/同じように/歳をと〉っているのに、逆に〈この前できていたことが/できなくなる〉というように“成長”します。この視点はおもしろいのですが、同時に哀しみもあって複雑です。子にバトンを渡すということは、そういうことなのでしょう。喜びと哀しみを同時に味わいながら私たちは生きているのかもしれませんね。




詩誌『砕氷船』19号
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2010.2.1 滋賀県栗東市 苗村吉昭氏発行
非売品

<目次>
詩  黒検閲官・赤異書 壱の巻 葡萄月 霧月 霜月 雪月 雨月 森 哲…2
   ハレ 苗村吉昭…14
小説 薬司の森(3) 森 哲弥…24
評論 民衆詩派ルネッサンス(2) 苗村吉昭…30
エッセイ
   新聞紙ロケット 森 哲弥…38
   近江詩人会60年 苗村吉昭…39
表紙・フロッタージュ 森 哲弥




 
黒検閲官・赤異書 壱の巻/森 哲弥

     
葡萄月
     霧月
     霜月
     雪月
     雨月

彗星はプルシャン・ブルーの天球の肌に金色
の引っ掻き傷を残しながら飛び去った。時は
流れていたが地球の暦への記載はなかった。

革命暦は繰り返される。ヴァンデミィエール
葡萄月。周回軌道に尾を引く天体。人の暦。
幾度も血塗られて。

久遠の過去なのか、永劫の未来なのか。想念
の城府は聳える。ただ燧石の火のごとく現在
は須臾に消え入る。

王国は微睦む。常世の睡魔。時じくの蘭の宴
漏刻の微かな音。時守は動かず、兵士も剣を
抜かない。

城楼にかかる弦月。王国は夜を食む。蜘蛛は
魔法陣を編み、蝙蝠は黒魔の巣窟より登城す
る。密偵は点綴本一巻携えて跳ね橋を渡る。

牢獄のような文書室の片隅には小さな水甕が
置かれており、そのずっと上の小さな楕円の
窓から微かに陽の光が射している。

備え付けの柄杓で水甕から溜め水を掬い、黒
検閲官はおもむろに啜る。一仕事終えたとき
の給水の儀式だ。

一仕事終えること。それは漠地の砂粒の形状
を天眼鏡で調べて記すごとき無際限な営みに
ひと先ずは句点を打つことである。

膨大な書物、巻秩、掻き削られた文字が磨耗
している亀甲、楔形文字が刻まれた粘板岩の
砕片、パピルスの束、未裁断の羊皮紙。

無秩序が秩序の糸に辛くも結ばれ、その糸の
先を黒検閲官が握っている。黒検閲官の脳髄
には文書館の分見絵図が刻まれている。

柄杓一杯の水は臓腑に染み渡り、黒検閲官は
口に手巾を当てて深く息をする。束の間の休
息はおわり、机に向かう。

机には未検閲の書物、書簡、図録が堆く積ま
れており、黒検閲官の右手は血のような朱肉
を吸った印鑑を握っている。

黒検閲官の眼がさっと走り、右手がバネ仕掛
けのように動くと、記された事柄は死ぬ。検
閲済みに意味はないのだ。

先の王は、自らが放った密偵が持ち帰った密
書を散りぢりに破り、文書館の文物の中へ紛
れこませた後、狂い死んだ。先王の謎の死。

謀反か革命か戦争か、物見の兵は遠くに狼煙
を見る。が、兵は動かない。兵もまた、睡魔
に魂を浸していた。

夷狄の来襲もなく。謀反や革命の騒擾もなか
った。先王の狂死の謎は解けぬまま、王国は
またも微睡の凪のなかにあった。

ただ時は歯牙を剥出しにして襲ってきた。星
雲は渦巻き、樹木は繁茂し、やがて枯れ、辺
境の地で子持ちのコヨーテが咆哮した。

先王に密書の意味を教え危機に備えるべく進
言したのは一人の執政官補だった。彼は謀ら
れ国王の自殺教唆の廉で城楼に幽閉された。

先王を狂死させたほどの密書の意味について
現王にも知らしめんと執政官補は命懸けで直
訴した。

現王は先王の死をのりこえ得ず、ただひとと
きの平穏を貪り、忠言を聞かぬばかりか王に
対する抗言として罰しさえした。

戒めのために執政官補は現王によって黒頭巾
と黒衣をまとわされた。だが薄暗い文書館で
も執政官補の瞳は曇らなかった

現王は執政官補に確定した任務を与えず、し
かし放縦は堅く禁じた。黒衣は執政官補の心
をきつく縛った。

黒が襲来した。意識の柱廊に掲げられた灯火
は細く揺らめき、天の劇場では幕が下ろされ
星星が退場した。

黒は群れなす大蝙蝠の翼手のように広がり世
界を覆い尽くした。大蝙蝠の群れが舞う。黒
が渦巻く。

執政官補は黒そのものと化す。黒の世界での
黒の思考。黒の歴史のなかの黒い息遣い。黒
のなかでなお磨かれる黒。

隣国の騒擾。密書に綴られていた総毛立つ惨
状を知るのは先王と執政官補のみ。先王はそ
のために狂い死んだ。執政官補は意を決する

散りぢりになった密書の断片を執政官補は集
める。先王はどうして恐怖の密書を焼き捨て
ず、古文書のなかにまぎれこませたのか。

文書館にも黒が蔓延る。先王は願っていたの
かもしれない。密書がよみがえることを。恐
怖を乗り越えて救国の士が現われることを。

黒い空気、黒い思考、黒い文書館。ここで行
なう仕事には検閲官の猛禽のごとき眼が必要
だ。黒い文書館、黒い思想そして黒検閲官。

暦は時に歩みを緩める。革命暦、ブリュメー
ル露月。彗星の尾は天球を領したか。月は星
を蝕んだか。天狼星は瞬いたか。

黒検閲官は水甕の柄杓を手に取り、水を含む
そしてまた古文書、古地図、羊皮紙の束にむ
かう。時はなお緩やかに歩む。

黒検閲官は気を整え、都城のちまたに流布す
る蜚語、禁城に渦巻く権謀を秘匿した文書に
眼を光らせた。

黒検閲官のまわりは検閲済みの書物で溢れか
えった。文書館のあらゆる文物の肌は黒検閲
官の眼の舌で舐め尽くされた。

閲さねばならぬ。糾さねばならぬ。王国の内
蔵が饐えた臭気を発し、鉛色に腐爛する前に
歩兵の槍が錆つかぬ前に。

城の外にこそ由々しき文書が蔓延っている。
黒検閲官は外に眼を向ける。十二宮を彗星が
翔け抜ける。革命暦、フリメール霜月。

黒検閲官は文書館の見張り兵に隠し持ってい
た金貨一枚をあたえ、重い扉を開けさせて城
外へ出る。決死の覚悟で。

民の心は騒めいていた。都城の辻々で民は立
ち騒いでいる。祝祭を明日に控えたときのよ
うに。民に明日の祝祭を約束したのは何か。

黒検閲官は見る。都城の空気の色を。刻々に
変わりゆく色調。黒検閲官はしばし己が眼を
疑う。しかし厳然たる変容。

都城は少しずつ赤く染まっていった。民の暮
らしのはしばしに、絵文字を書き連ねた紙片
となって赤は侵食していった。

赤い紙片は世を覆った。民の陋屋を覆い、人
心を覆った。蔓延る赤、突き刺さる赤、ぬめ
りこむ赤。絵文字の意味が目覚める赤異書。

凶星は天球の中心で妖しく燃えた。ケンタウ
ルスは矢を放つ、赤色巨星は矢を飲み込む。
天球は歪む。ニボーズ雪月

黒検問官は赤異書を読む。顔が曇る。絵文字
は立ち上がる。隣国の民の蜂起、王国の壊滅
うねり迫る騒擾の津波。

夷狄は、隣国の兵は、もはや攻めてはこない
その者たちは都城に忍び入り、民と交じって
赤異書を書き、そして播く。

密書に記されていたことは事実であった。剣
も槍も弩弓も向かっては来ぬ。ただ猛り狂う
民の怒りが火箭となって飛来するであろう。

鎮めねばならぬ。防がねばならぬ。赤異書を
禁書にすべく、閲さねばならぬ。王国のすべ
ての言葉を閲さねばならぬ。

連星が光を増し、月が星を蝕む。冥王星の彼
方、黒い星が蕭々と響く。姿みえぬ力。天球
が撓む。プリュビオーズ雨月

 一大叙事詩と謂ってよいでしょう。〈黒検問官〉の目の前に広がる〈厳然たる変容〉は〈赤異書〉によってもたらされたわけですが、米国のオバマ大統領の誕生や日本の政変の喩と採ってもよいかもしれません。前半に出てくる〈黒検閲官の眼がさっと走り、右手がバネ仕掛/けのように動くと、記された事柄は死ぬ。検/閲済みに意味はないのだ〉というフレーズには魅了されました。“物語”を楽しんだ作品です。






   
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