きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.1.13 静岡県函南町・丹那断層 |
2010.2.22(月)
午後から湯河原町の「グリーン・ステージ」で開かれた櫻井千恵さんの《ろうどくの集い》に行ってきました。今日の朗読は北原亜以子作『帰り花』。江戸下町の人の好い男と、それを追う女性を描いた作品でした。なかで何度か〈シュセキ指南所〉という言葉が出てきて、ん?と思いました。ぜんぜん漢字のイメージが湧きませんでした。シュセキと言えば酒席しか思い出さない(^^; 指南所は寺子屋のようなものだと理解していますから、まさかなあ、子どもに酒席はないでしょう。で、朗読のあとに聞いてみましたら、“手跡”だそうです。要するに習字の指南所なんでしょうね。それにしても酒席しか思い浮かばない自分自身が恥ずかしい…。
今日の写真は全体の様子を紹介してみましょう。多いときは30人以上になるのですが、今日はちょっと少なめで25人ほど。それでもこれだけの人を毎回集めて、1時間近い朗読を一人でこなすのですから大変なものだと思います。しかも毎回違った作家の作品ですから、それを見つけ出すだけでも一苦労でしょう。お陰でこちらは本を読まないでも読んだ気になっています、、、というのはよくないですね。これをきっかけに原本に当たりたいものです。ちなみに今日の作品は昨年6月刊行の日本文藝家協会編「時代小説傑作集」にあるようです。探してみようっと!
○二人詩誌『風(ふう)』2号 |
2010.2.20
埼玉県上尾市 春と風出版・日高のぼる氏発行 非売品 |
<目次>
「アンガマーのお面」他1編 山田典子……2 「風の声」他6編 日高のぼる………………6
「短歌二首」 田辺好子………………………20 「『腰折れ』四首」 渡部雅子………………22
「優希へ」他1編 山岡和範…………………24 「セイケンコウタイ」他1編 牧葉りひろ…28
「おかしな娘」他1編 北村愛子……………32 「風」創刊号感想紹介…………………………37
あとがき…………………………………………39
表紙−チベットでかってきた帽子 山田典子
栗の木/日高のぼる
勤務先の近くに保育園がある
ときおり子どもたちの歓声が聞こえてくる
その保育園の角 道路に面して
大きな栗の木がある
秋にはその栗をひろい
みんなで食べるのだろうと思っていた
毎年そう思いながら見上げていたが
今年の夏のおわり
園のまわりの道路に青いイガの栗の実が
いっぱい落ちていた
そういえば昨年もその前の年もそうだった
晩秋 栗の木にはなにもなっていない
子どもたちの「安全」のために
青い実を結んだとき
すべて落とされていたのだ
青い実のまま熟れることのなかった栗
飢餓や戦争で
未来への希望 もぎとられた
子どもたちのいのち
〈子どもたちの「安全」のために/青い実を結んだとき/すべて落とされていたのだ〉というのは驚きです。そんな「安全」の考え方もあるんですね。作品は最終連が見事だと思います。〈飢餓や戦争で/未来への希望 もぎとられた/子どもたちのいのち〉というのは〈青い実のまま熟れることのなかった栗〉のこととも、〈保育園〉の〈子どもたち〉とも採れます。〈すべて落とされてい〉くものたちへの作者の視線を感じることができます。
本号の「創刊号感想紹介」では拙HPにも触れていただきました。御礼申し上げます。
○詩とエッセイ『イリヤ』6号 |
2010.2.15
大阪府羽曳野市 尾崎まこと氏発行 300円 |
<目次>
みなさんへ 3
*
ゲスト 菊田 守 5 詩・竜の落とし子/まんぼう エッセイ・生命の詩を書く 詩・クビキリギスの首/モズ
*
左子真由美 13 詩・炎/落ちた木の葉/風/幸せが器であるなら/海
*
佐古祐二 23 詩・懐かしい未来/夢の結晶/林檎/ある情景/ささやかな贈り物/飛ぶ
*
尾崎まこと 33 シナリオ・空(かけ)翔る友よ 詩・パラボラアンテナ
*
編集後記 46
幸せが器であるなら/左子真由美
幸せが器であるなら
どんなにか恐いことだろう
落とさないように
壊さないように
曇らせないように
・・・・・・・・・・・・・
幸せが木であったなら
どんなにか心配なことだろう
風に枝が折れないように
日照りで枯れてしまわないように
大水で流れてしまわないように
・・・・・・・・・・・・・
幸せが灯であったなら
どんなにか不安なことだろう
ある日ふと
消えてしまわないだろうか
炎になって
周りを焦がしてしまわないだろうか
・・・・・・・・・・・・・
小心なわたしは
幸せが
器でも
木でも
灯でも
ないことを願うばかり
たしかに〈幸せ〉とは〈器である〉のかもしれず、〈木であった〉り〈灯であった〉りするのかもしれません。巧い喩だなと思いました。〈小心なわたし〉というのも効いていますね。女性らしい優しい作品だなと感心しました。
○詩誌『布』27号 |
2010.2.15
山口県宇部市 先田督裕氏他発行 100円 |
<目次>
小網恵子 ぬばたまの 1
寺田美由記 雑踏 2 休日 3
杜 みち子 沖の鳥島 5
先田督裕 人間 8 お金は死ねない 8
宮地智子 薔薇の絵 10
太原千佳子 カテドラル ルーヴェンにて 12
阿蘇 豊 ちから 13 船上の人 14
太原千佳子 へルマン・ド・コーニングの詩 15
宮地智子 太原千佳子詩集「いい日を摘む」を読んで 17
ひとこと 21
「布」リレー詩 24
お金は死ねない/先田督裕
心に思っていることは実現するそうだ
お金がほしい、お金がほしい
いつも心に思っていると、思いどおりに
お金がほしいという状態が実現してしまうらしい
お金で買えるものを
お金で買った
お金がなくなって
お金で買えるものが手に入った
お金はさびしがり屋だから
なかまがたくさんいるところに集まるという
そのさびしさは
巨大資本になってもつきまとうのだろうか
お金のなる木は
植えて育てなくてはならない
お金のなくなる木は
黴のように自然に生えてくる
儲けたお金と
稼いだお金は
見分けがつかない
使い分けはできるだろうか
お金はただの紙切れである
それなのにみんな価値があると信じている
みんないい人である
せかいはいい人で満ちている
利息とはよく出来た言葉だと思う
お金も息をしている
利息が止まらないかぎり
お金は死ねない
喜び、楽しさのいいところは蓄積しないこと
怒り、憎しみの悪いところは蓄積すること
お金と同じである いや、お金はちがう
ぱっとなくすこともできるし、蓄積することもできる
〈お金〉に対する箴言と謂ってよいでしょう。特に第1連の〈お金がほしいという状態が実現してしまう〉というフレーズには、思わず膝を打ってしまいました。第3連の〈お金はさびしがり屋だから/なかまがたくさんいるところに集まる〉というフレーズを見て、それで私のところには集まらないのかと納得しました。第4連の〈お金のなくなる木は/黴のように自然に生えてくる〉も実感です。おもしろいけど、怖い作品だなと思いました。