きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
100225.JPG
2010.2.25 神奈川県南足柄市・枝垂れ梅




2010.3.3(水)


 西さがみ文芸愛好会の「第14回西さがみ文芸展覧会」初日。今日は午後から受付の当番でした。小田原市の伊勢治書店の3Fにある「ギャラリー新九郎」が会場ですが、今回はじめて使わせてもらいました。広々と明るく、良いギャラリーです。喫茶コーナーもあって、そこが関係者の控室にもなっています。ソファー、椅子、テーブルがあり、15人ほどが座れます。キッチンもあり、お客さまにお茶も振る舞うことができ、大きなガラス窓の向こうには展示場が見えるという趣向。ギャラリーとしては優れた設計だろうと思います。

100303.JPG

 写真はギャラリーの一部です。全体ではこの3倍ぐらいの面積になります。特別展「播摩晃一の足跡」も余裕で展示することができました。壁の右側の青色テープ内が播摩さんの2篇の詩、左の青色テープ内が出生から逝去までの略歴です。テーブルには大著『西さがみ庶民史録』全50巻のほか、童話や詩を載せた『講談社の絵本』5冊、小学校教材『たのしいこくご』『ローマ字 日本語』などを展示しました。お客さまの中には略歴を見て「このイベントは私も参加した!」という声もあり、地元と密着した播摩さんを肌身で感じましたね。

 今日は私からの誘いに応じて、相模原の詩人と平塚の実弟が来てくれましたけど、二人の話にはいろいろ考えさせられました。特に相模原の詩人に言われた言葉が衝撃的でした。「毎年の特別展は、何か本のような形で残っているの?」
 言われて、あっ!と思いました。私がこの文芸展覧会に参加したのは2005年の入会以来ですが、この5年間だけでも特別展は岩越昌三(小田原出身の作家)、蕗谷虹児(画家、「花嫁」が有名)、藤田湘子(俳人)、そして播摩晃一とユニークな人材を採り上げているのです。それらは1週間ほど展示されて、それでオシマイ。どういう内容だったか、たとえば展覧会の図録のような形では残っていません。この視点はまったく欠けていました。

 私が運営に関わって3年ほどと未熟なこと、古い人たちも展覧会を開催するだけで精一杯なことなど言い訳は成り立つでしょう。しかしそれを言っても意味がなく、気づかせてもらったからにはやるしかありません。過去はともかくとして、今回からでも記録集のようなものを作りたいなと思いました。特別展だけではなく、せっかく詩や俳句・短歌・川柳、それにエッセイも出品されているのですから、それらをまとめて1冊にすれば立派な本になるでしょう。それが毎年増えていくと、西さがみ文芸愛好会の具体的な歴史資料となります。100人ほどの会員ですけど、その本をきっかけに、現在は半数ほどの展覧会出品者が全員参加になるかもしれません。様々な面で会のさらなる活性化にむすびつく可能性があります。

 これはもちろん一運営委員の私の一存で決められることではなく、会の最高議決機関である運営委員会で承認されなければなりませんが、まずは提案してみようと思います。
 それにしてもつくづく外部の眼は怖いですね。内部にいると分からない世間の“常識”に気づかされます。実現できたら真っ先に相模原の詩人に報告したいです。ありがとうございました!
 なお、本日の来場者は70名を超えました。1日に70名を超えるというのは初めてではないかと思います。御礼申し上げます。




詩とエッセイ『裳』108号
mosuso 108.JPG
2010.2.28 群馬県前橋市
曽根ヨシ氏編集・裳の会発行 500円

 目次
<詩>
寄り添って 2     神保 武子     返信 4        須田 芳枝
願い 6        鶴田 初江     桜 8         真下 宏子
なんも なんも 10   篠木登志枝
<エッセイ>
敗戦の前夜−台新田空襲のこと− 12     ありがとうTさん 14  鶴田 初江
            佐藤 惠子     丸木美術館のこと 31  中林 三恵
<詩>
大きな栗の木の下で 16 宮前利保子     帰り道 18       宇佐美俊子
欅 20         佐藤 惠子     冬の森 22       金  善慶
メモ 24        曽根 ヨシ     ふし 26        志村喜代子
冬の家路 28      房内はるみ

後記          曽根 ヨシ     表紙「蝶の刻」(A)   中林 三恵
詩  胃カメラ     中林 三恵




 
寄り添って/神保武子

若いころは
だれとも合わない自分の歩幅を
負い目のように感じていた

ひとと歩幅が合わないなんて
当り前のことだと
わかってみれば
それだけで
生きることが楽になった

ばらばらでも
同じ方向にむかっていれば
心ゆるした友人のように
笑いあえるのは
長く生きて
ようやく身につけた知恵

だからいまは
あなたの苛立ちも 寂しさも
すっぽりと抱いて
こうして
寄り添っていられる

あなたが方向をきめて
自分の歩幅で
歩いていけばいい
それまでは一緒にいるよ

 〈ひとと歩幅が合わない〉ということは、実際の歩幅であり生き方の歩幅の違いでもあるのかもしれません。それは〈当り前のことだ〉と気づいたとき、作中人物は大きく成長したのでしょう。〈あなた〉は連れ合いとも子どもとも採れますが、その両方と考えてよいと思います。〈ばらばらでも/同じ方向にむかっていれば〉というフレーズにも魅了された作品です。




個人誌『犯』36号
han 36.JPG
2010.3 さいたま市浦和区 山岡遊氏発行
非売品

<目次>
1下衆欄漫
2得体のわからぬものが息絶える
3木に逢う 果実を齧る/高木護 岸田将幸 清水昶
4サエノ神を見に行く
5黙秘する空を眺めながら
6ホレイショU




 
黙秘する青空を眺めながら

金子光晴の単行本「人間の悲劇」を一冊
バッグにいれたまま博多行きの新幹線に乗った
もうすぐ失業保険も切れるというのに

しれたことか
わが部屋のハンガーには
十日前パチンコで儲けた銭で買った
面接用の背広とワイシャツ二枚
靴箱には
ドリームジャーニーとサクラメガワンダーで決まった
第五十回宝塚記念の戦利品が帰りを待っている

黙秘する青空を眺めながら
昨日252チャンネルで
ロス市警の女刑事が語った言葉をおもいだしている
「人間の視線は、何かを思い出す時は右方向を見、
 何かを創り出す時は左方向見る」

いまぼくは
新幹線の右窓側の座席
思い出ばかりか、
未来の心臓の亡霊までが
時速二百キロ以上の速さで過ぎ去ってゆく
心から血が噴き出している
血も時速二百キロで飛び散っている
恥が狂い紅い富士が揺れる
座席を変えろ
物語は63億3千万通りあるはず
腰を浮かせ
傷付いているうちはまだいい

 〈黙秘する青空〉という詩語に驚かされます。作品は〈もうすぐ失業保険も切れるというのに〉〈博多行きの新幹線に乗った〉ということを書いているだけですが、〈ぼく〉の普段の姿が表出していて興味が尽きません。もちろん詩作品ですから事実であると考える必要はなく、〈ぼく〉の思考の変遷を読めばよいと思います。が、〈黙秘する青空〉は〈ぼく〉を疎外する象徴として捉えてよいのではないでしょうか。〈座席を変えろ〉というフレーズは、それに対する反論のように思いました。




個人誌『凪』23号
nagi 23.JPG
2010.2.28 千葉県八千代市 星清彦氏発行
非売品

<目次>
生活とは体温である・・・2         好きな景色    ・・・5
揺れて揺れて   ・・・7         音について    ・・・9
千葉県ゆかりの詩人
 戦後詩の出発点詩誌「純粋詩」を創刊した「福田律郎」について ・・・12
受贈深謝・後書き ・・・28




 
好きな景色

君は走って行きたまえ
その大好きな場所へ
冬の朝は遅くまだ夜は明けきらない
漆黒の闇に
一矢の風が吹いていく
その場所は
新しい街と緑の田畑とが
見事に同居して見える場所

こういう景色が私は好きだ
何かが生まれようとしているようで
静かで豊かな期待感がある
希望と言ってもいいのだろうか
胸のすく思いだ
冬の朝が傾いて昇っていく
すっからかんになっても負けないような明るさがある

長い石段を上りながら私はいつも思うのだ
石段の頂上で眼下の景色を眺めながら
まだ何かできそうな気がする
まだ諦めてはいけないと

 〈冬の朝が傾いて昇っていく〉というフレーズに魅かれます。夏の朝は傾いておらず、太陽がいきなり直線的に昇ってくるように感じますが、冬の朝はいかにも弱々しく〈傾いて昇っていく〉のですね。さらに〈すっからかんになっても負けないような明るさがある〉と続き、この対象の捉え方と言語感覚は秀逸です。最終連の〈まだ何かできそうな気がする/まだ諦めてはいけないと〉というフレーズからは、作者の向日性をも感じた作品です。






   
前の頁  次の頁

   back(3月の部屋へ戻る)

   
home