きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.2.25 神奈川県南足柄市・枝垂れ梅




2010.3.18(木)


 早稲田大学と早稲田商店街に行ってきました。下見です。
 日本ペンクラブでは、この9月に1週間の日程で「国際ペン東京大会2010」を開催します。日本では25年ぶり3回目の開催で、海外からも大勢の作家が集まります。いろいろなフォーラムが計画されていますが、今回は詩部門を充実させることになりました。会員の国内詩人や海外詩人合同の日英、または日仏対訳詩集を作ります。
 そのほかに詩の朗読会が何回も開催されますけど、場所はメイン会場の新宿・京王プラザホテル、早稲田大学などです。早稲田には10年近く前に誰かの講演会で行ったきりで、下見をしておく必要性を感じました。そうそう、私は詩部門の世話役なんです。これから何度も打ち合わせで通うかもしれませんが、とりあえず下見を、とした次第です。

 詩朗読会は構内の何ヵ所かで同時開催の予定です。その一つに「演劇博物館」が候補に挙がっていて、そこはよく見ておけよと吉岡忍さんに言われていました。吉岡さんは浅田次郎さんとともに全体の責任者です。
 早稲田出身の方はとっくにご存知なんでしょうが、たしかに佳い場所です。建物の正面が野外舞台になっていて、あそこで朗読をすれば、海外からのお客さんにも喜ばれることでしょう。

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 写真は所変わって、“早稲田商店街”。まだ確定していませんけど、商店街のお祭りの日にストリート・リーディングをやりたいと思っています。それも1ヵ所ではなく、辻々で何組かのグループが声を出す、なんてのがいいなと考えています。
 それで商店街も下見しました。しかし、“早稲田商店街”というのは無いようなんです。写真は大隈通り商店街です。休息で入ったコーヒー屋(これが昔ながらの店で
Good!)のマスターに聞いたら、そんなものは無い、ここは大隈通り商店街で、あとは何とか商店街と何とか商店街がある、という素っ気ない答えでした。ん? 実行委員会で話題になっている“早稲田商店街”って、どこなんだろう?

 まあ、場所の特定はいずれやるとして、雰囲気はたぶん写真のようなものなんでしょう。お祭りで賑わっている商店街の辻々で、日本の詩人も海外の詩人も一緒になって声を出す…。珍しい試みで、今からどうやってやろうか、楽しい悩みです。




季刊詩誌『詩話』69号
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2010.3.10 神奈川県海老名市
林壌氏方・第3次詩話の会発行 非売品

<目次>
詩 桜を叩く少年   林  壌 1     散文詩 桃花     吉崎輝美 2
童話 くもり時々晴れ 増子敏則 4     詩 午後のまどろみ  小山 弓 9
詩 くらし      両角道子 10     エッセイ つたや旅館 両角道子 11
題字 遠藤香葉




 
午後のまどろみ/小山 

あらゆる関節を外して ごろごろする午後に
思い出 なんてものは全て拒否 と決意して
予想のつかない 次の時間 を 想像しよう
予想のつかないことを想像するという 矛盾
気づかないふりをしている 愚かしさの中で
闇夜に突然 後萌郡を ぶん殴られるように
遭遇した 多くの出来事を 思い出している
あら 思い出 なんて拒否したはずだったよ
仕方ないから関節を外して畳みやすくなった
ふわふわのあたしを紙風船にして そうっと
ついてみる かすかな音ではないかすかな声
あれは 炭坑のカナリアの無邪気なさえずり
想像力のないことの幸せの歌 なんて美しい
いっしょに歌ってみる 声を張って高らかに
だんだん眠くなる いいねえ この感覚だよ
思い出も想像もない 今 だけの声帯の震え
こうして眠ってしまえば いいのだけれどね
真っ白になった手足の冷たさには慣れたはず
この寒さが 冬だから だけではないという
無用の知恵が 踏み切りの 警報機のような
赤い点滅で 終わりなく鳴り響くと あたし
いくら毟りとろうとしてもしがみついてくる
イノコズチに素肌を刺されているみたいでさ
なかなか眠れない 夢のような現実のような
踵の痛みさえ感じて 安らかな眠りを妨げる
幻の靴擦れで歩けないのは足ではなくココロ
第一 あたしは靴など履いていないのだから
靴擦れが できるわけもない のっぺりの足
履けないのは靴がないからではなく アイが
ない からなのだと ぐたぐたの体で寝返り
うつらうつらの眼を窓に向けると 一羽の烏
ベランダの柵に止まって あたしを見ている
くわえている小枝が凶器のように光っている
眠りたいのだから眠らせてよ と言ってみる
じゃなかったら その小枝を ちょうだいよ
くわっと短く鳴かれて 小枝は 柵の向こう
あたしは眠りの向こう もうすぐ日暮れだね
関節をはめなおす時間 でももう少し眠ろう

 まさに〈午後のまどろみ〉の作品です。〈あらゆる関節を外して ごろごろする〉というのがいかにもまどろみらしくて、読んでいる私も眠くなってしまいます。しかし〈ふわふわ〉の、〈うつらうつら〉の中でも、あるいはそれだからこそ、〈予想のつかないことを想像するという 矛盾〉、〈想像力のないことの幸せ〉など、覚醒しているときとは違う感覚に襲われるようです。〈真っ白になった手足の冷たさには慣れたはず〉というフレーズは、死と眠りとの共通性を謂っているのかもしれません。きっちり20字で抑えた形は、まどろみのとろとろとは矛盾するようですが、それが逆に効果を出していると感じた作品です。




詩誌『二行詩』31号
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2010.3.15 埼玉県所沢市
伊藤雄一郎氏方連絡先 非売品

<目次>
武州風景−春の祝福/大瀬孝和        未来都市/伊藤雄一郎
病む 他/布谷 裕             辞書の枝道/高木秋尾
大学病院にて/濱條智里           朝 窓辺で/渡辺 洋
初雪/岡田恵美子              野の花通信/佐藤暁美
木陰集/安部慶悦・永野健二・青柳悠・植木肖太郎
発展途上の二行詩/高木秋尾         お便りコーナー
あとがき




         
布谷 
 病む
貨物船の蜃気楼を陸橋で視た
よろめいて手摺をつかむ通勤途上

 出勤
追い越さないと損とスクランブル交差点
穏やかな眼を落っことしたまゝ入る職場

 全滅
華やいだ観光マップに戦跡が記されている
血肉が混じったかつての砂浜に若者の群

 中途半端
黙ってパンフを胸に掲げているご婦人二人
立ち止まる人は誰もいない駅前布教

 車内
母親が気兼ねすることを計算している
ねだる場所をわきまえている幼児

 特に総タイトルのない2行詩群ですが、日常の風景を詩人らしい眼で捉えていると思います。特に「車内」は、相手が〈気兼ねすることを計算している〉〈母親〉、そして〈ねだる場所をわきまえている幼児〉と、なかなか手厳しい中にもユーモアを感じさせる作品です。母親や幼児には、おそらく「出勤」の〈追い越さないと損とスクランブル交差点〉という心理に通じているものがあるのでしょう。
 なお今号では、前号の私の拙い感想も載せていただきました。御礼申し上げます。




詩誌Violeta18号
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2010.3.31 群馬県渋川市 須田芳枝氏発行
非売品

<目次>
ノープロブレムの人   田中 良三 3   みどりの小右      関根由美子 6
棒           関根由美子 7   鳩尾          堤  美代 9
悪意          斉藤 芳枝 11   信憑性         小野 啓子 13
花           小野 啓子 15   おならプー       新井 隆人 17
フルートを吹く人    須田 芳枝 20   歳月          須田 芳枝 21
エッセイ
『草処』ひよどり    関根由美子 23   光と闇のはぎまにて   堤  美代 24
寄付について      斉藤 芳枝 26   ゆきとうさんぽ     新井 隆人 28
堤美代詩集「百年の百合」須田 芳枝 36   私が詩に出合った頃   関根由美子 38
後記                40   表紙          新津 廣子




 
信憑性/小野啓子

百階建てのビル
さあ、貴女は何階に行く?

娘が問いかける心理テスト

高いところから眺めて見たいから
百階がいいな

お父さんは?

一階だな

ちょっと困惑した顔で
娘は言う
これはプライドの高さ

プライド−自尊心
   自分を偉い者とか、名誉に思うこと
   自分の品位、人格を保とうとする気持ち

辞書を見比べ考える
普通 意識したことはないけれど
誰もが持つべき必需品?

五十階くらいが丁度良くて
百階では高すぎる?
本当にテストの結果を信じられるのか

百階建てのビルのエレベーターを
上がったり下がったり
答えに戸惑っている

 〈娘〉の〈困惑した顔〉が眼に浮かぶような作品です。たしかに母親が百階で父親が一階では、娘さんも戸惑ってしまうでしょうね。私もたぶん一階と答えるでしょう。理由は、上まで行くのが面倒くさいから(^^; この詩には女性の向上性と、男どもの現実性と言いますか、不甲斐なさも表れているように思います。おもしろい〈心理テスト〉ですけど、その裏から読める現代性まで考えさせられました。






   
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