きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.2.25 神奈川県南足柄市・枝垂れ梅 |
2010.3.28(日)
日本詩人クラブの第3回「創立60周年記念事業実行委員会」がアルカディア市ヶ谷私学会館で開かれました。今年の11月に開催される「東京詩祭2010」のプログラムや各委員の役割分担などが決められました。私は例によって写真班。まあ、このために1眼レフのレンズもカメラも新調しましたので、撮りまくります。
写真は会場風景。実行委員は100人ほどの規模ですが、そのうちの7〜8割の人が集まったと思います。遠く宮崎や秋田、岐阜からの参加者もあり、会員の意気込みが感じられます。60周年と云えば私の年齢と同じ。息の長い団体の記念イベントを成功させたいと思います。
○結城文氏詩集『紙霊』 現代詩のプロムナードU |
2010.3.10 東京都新宿区 北溟社刊 1905円+税 |
<目次>
第一部
紙霊――008
紙霊 青鷺の人 灰皿の混沌 文語詩 うた 花神 花いちもんめ
うすむらさきの酪酎者――028
うすむらさきの酪酎者 危うい断崖 夏が崩れてゆく日 自らの傷を 線の衝立
火は魔術師――042
火は魔術師 新しい神話 一列横隊の疑問 石巻の声 道後国民学校四年松組 昨日に今日が 連絡船 日を送る
ふるさとと呼ぶ――074
ふるさとと呼ぶ 祖父さんの梅の木 天窓の祈り 冬野菜の歌 電池の詩 士魂の桜
第二部
エベレストの空を仰いで――094
雲南シリーズ 雲の詩(一)(二)(三)
デラシネの石 道 「マネー」「マネー」 石鼓鎮の吊橋 静かな水 長江第一湾 夜の漢江
あとがき
うた
電池の詩
若者の
ヘッドホーンにも
ウォークマンにも
電車のなか
手に手にもっている
ケータイ電話にも
会議場でつかうレコーダーにも
電子辞書にも
腕時計のなかにだって
デジカメにだって
懐中電灯や
ガスコンロにも内臓されている
電池という名の
小さな電気
自分とともに
携帯してゆける
この小さな電気のおかげで
わたしたちが手に入れている
たくさんの機能
それなのに
捨てる時は
厄介者のように
別扱いの電池
電池をまとめて
ゴミにだしながら
ふと 気がついて
「ありがとう」という
英訳書や歌集はたくさん出している著者ですが、日本語のみの単独詩集としては初めての出版かもしれません。紹介した詩はこの詩集の中では異質な部類ですが、著者の姿勢をよく物語っていると思います。あって当然と考えている〈電池という名の/小さな電気〉に、なかなか〈ありがとう〉とまでは気が回らないでしょう。そこをさり気なく気づかせてくれた作品です。
○詩誌『どぅえ』XXU号 |
2010.4.1
京都市左京区 京都文学研究所・有馬敲氏発行 700円 |
<目次>
井上 哲士 2 嵯峨野だより(1)嵐電 嵯峨野だより(2)直指庵 たんぽぽ どないやねん
根来眞知子 10 青い薔薇 ふきのとう 目覚めた獅子
穂田 清 16 お婆ちゃんの茶飲み話45 お婆ちゃんの茶飲み話46 お婆ちゃんの茶飲み話47 お婆ちゃんの茶飲み話48
本多 清子 24 黒谷墓地
村上 知久 28 速さの秘密 だめ 雨の時(虹を支える)
安森ソノ子 34 京野菜 桜構想
有馬 敲 12 前触れ まだ生きとる
44 編集メモ
まだ生きとる/有馬 敲
ゆうべ 湯あがりにホッとして
缶ビールの小をゆっくり飲み
大相撲の初場所を観てくつろいどったのに
ばあさんは台所のまな板で
土ショウガを包丁でせわしく刻みながら
「テレビつけて気楽なもんや」と悪態ついて
山科の外孫に夜食を作って出かけていきよった
きょうはこめかみがひりひりして
持病の筋肉痛が半身にやってきよった
ゆうべは寝しなに用心して
腰や肩にお灸膏を貼っといたのに
この調子では四、五日治まりそうにない
面倒くさいが
出町柳の針灸医院に行こうとおもて
救急箱の保険証を探しとったら
内科や歯科の古い診察券がいっしょに
どっさり出てきよった
よくもまあ いままで
お医者はんにこれだけお世話になったもんや
耳鼻咽喉科もあるし 眼科もある
大学病院や総合病院もある
いけずのばあさんにいびられながら
何とか気を取り直して
えらいすいまへんが
もうちょっと生きてまっせ
京言葉で作詩するというコンセプトの詩誌ですが、紹介した作品にもその特徴がよく出ていると思います。〈土ショウガを包丁でせわしく刻〉むという行為に〈ばあさん〉の性格が手に取るように分かりますし、〈内科や歯科の古い診察券がいっしょに/どっさり出てきよった〉ところには作中人物の生活が垣間見えるようです。最終連の〈えらいすいまへんが/もうちょっと生きてまっせ〉というフレーズが良いですね。京都弁の柔らかいがなかなか引かない言葉に魅了されます。