きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.3.18 早稲田大学・演劇博物館 |
2010.4.11(日)
井上ひさしさんの訃報に驚いています。しばらく前に入院したとは聞いていたのですが、まさか亡くなるとは…。私は井上さんが日本ペンクラブ会長時代にちょっとお話しした程度ですが、朴訥な雰囲気には好感を持っていました。お互いにタバコ好きですから、何度も喫煙場所でご一緒させてもらって、とりとめのない話をした程度です。前妻の西舘好子さんがやっている日本子守唄協会に、ひょんなことから参加したこともあって、より身近に井上さんを感じていただけに残念です。まだ75歳の若さが惜しまれます。ご冥福をお祈りいたします。
○詩誌『詩区』129号 |
2010.4.20
東京都葛飾区 非売品 池澤秀和氏連絡先・詩区かつしか発行 |
<目次>
幸運のトランク/みゆき杏子 朝の食卓/工藤憲治
酒と煙草と女房/工藤憲治 風が唸る/石川逸子
笑い声/石川逸子 ノッポさん/池澤秀和
見ている/青山晴江 僕のお父さん/まつだひでお
第5 ヴィア ドロローサ(2)大司教カヤパ宮廷/まつだひでお
順々に/小川哲史 賢いヒバリ/小林徳明
春が好きだよ/小林徳明 水の花/しま・ようこ
酒と煙草と女房/工藤憲治
そこそこ
貧乏なのはいいが
とことこ
貧乏なのは困るのである
女房に言わせると
酒はお金を
お腹に貯めているような
ものである
煙草はお金を
煙にしているような
ものである
わたしに言わせると
酒と煙草は
古い友達のような
ものである
女房ごときに
酒と煙草の味が
分かってたまるか!である
ところがである
酒と煙草の味に
貧乏の味がするのである
そこそこ
貧乏なのはいいが
とことこ
貧乏なのは困るのである
私も〈酒と煙草は/古い友達のような〉感覚でいますから、この詩には身をつまされます。たしかに〈酒はお金を/お腹に貯めているような/ものである〉し、〈煙草はお金を/煙にしているような/ものである〉んですね。〈女房ごときに/酒と煙草の味が/分かってたまるか!〉と嘯きながら止められない庶民のボヤキがよく出ている作品だと思いました。
○個人詩誌『ぼん』51号 |
2010.3.30
東京都葛飾区 池澤秀和氏発行 非売品 |
<目次>
詩 投函 2
随筆 刻の狭間で・51 4
詩 種火 8
投 函
宿題を 予定より早く
投函してくる
つぎの案件も
呼吸のなかに 半分ぐらい
溶け込んでいる
そこからさき
どろどろっと したところが
斜めにはずれ
根っこに とどかない
こいつを 消化しないと
表面だけを 通り過ぎ
重さは 変わらないまま
むだになる
目の前での 変化は
瞬く間だから
賞味期限切れの レッテルが
貼られるまえに
まともな かたちから
少々 はずれても
仕分けを終わらせ
締め切りには はやいが
ポストに入れてくる
次に進む前に もういちど
どろどろっと したところに
一石を投じ 色彩の変化を
みつめなおす
〈宿題〉はさまざまな〈案件〉や原稿の〈締め切り〉などでしょうか。この作品では宿題の〈消化〉のし方にも言及していて、〈表面だけを 通り過ぎ〉させてしまう私には耳が痛いです。〈重さは 変わらないまま〉というフレーズが斬新です。人生における大きな宿題を〈みつめなおす〉機会を与えてくれた作品です。
○個人詩誌『魚信旗』70号 |
2010.4.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品 |
<目次>
花眼(かがん) 1 往生際 2 祝祭 3
躓いて 4 夜明け前 6 旗幟 7
青梅の梅見 8 後書きエッセー 10
祝 祭
世の毒気が抜けて老けてしまった
単純な言動に感動して涙もろくもなった
人生の祝祭はいつやったらよいものやら
機会を逃したらしく
いまは毎日が祝祭日のように取り繕い
破顔感涙の日日
ボケてはいないぞと気を張って
鯉が跳ねるように生きている
広い世の中にはそんな人もいるということだ
そんなうらやましい知人がときたま自転車で来る
きょうの祝いに餅つきやるから参加しないかとくる
こちらも毒気が抜けて老けてしまったが足腰が痛い
人生の祝祭どころではない
冥(くら)い顔して言語のことをほじくっている
「世界には言語はいくつあるか」とからかってみる
「そんなもの食えねえよ」と無関心な返事
「六千語もあるが しゃべる人種が減って 退化している言語もあるんだ」といったら
「そんなもの食えねえよ」とまた同じ返事
いまや食えないものは祝祭の対象外
うまいものを食うのが文明国家の祝祭のならわし
現代は毒気が増えていくばかり
老けない国家が増えて
医療もせわしくなるばかり
祝祭の花火があがって
肥満人類が走っている
〈いまは毎日が祝祭日のよう〉というフレーズには、私も覚えがあります。1955年頃はみんな貧しく、祭日におしゃれをして〈うまいものを食う〉のが楽しみでした。それがいつの間にか〈毎日が祝祭日のよう〉になって、祝祭の意味が薄れてしまったように感じます。
「そんなもの食えねえよ」という〈返事〉が現代を反映しているように思います。〈いまや食えないものは祝祭の対象外〉。まさに〈現代は毒気が増えていくばかり〉を鋭く突いた作品だと思いました。