きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.3.18 早稲田大学・演劇博物館 |
2010.4.13(火)
今日も外出予定のない日。終日、いただいた本を拝読していました。
○福田信夫氏編『貞松瑩子の人と作品』 |
2010.4.18 東京都八王子市 武蔵野書房刊 2000円+税 |
<目次>
一、初期随筆集『夢のはざま』より
花とフルート 8 言葉・出会い 13
北の絵本 18 夢の話 22
あるお葬い 25 文学志願 28
白い狂気 29
〈短歌〉崩れゆく日日 40. “おたあジエリア”への旅 42
筆を擱いて 46 夢の切れはし 48
歌曲『愛の思い出』について 49
書評二編 『我が家のバートルビー』に寄せて 52 永遠のさすらい人 夢二 54
二、歌曲をめぐる貞松瑩子の人と作品 ――田川紀久雄氏発行『漉林』一二二号(二〇〇四年一二月一日、特集)
詩人への手紙
〈風の旅人〉−貞松瑩子 渥見利奈(舞踊家)58 風の詩人 有賀完次(書家)60
貞松瑩子さんの詩によせて 上村京子(声楽家)65 お馬の親子 貞松瑩子さんと歌曲をつくって 小山順子(作曲家)66
永遠の少女、貞松瑩子さん 加藤由美子(作曲家)68 詩人 貞松瑩子さんと私 河野正幸(声楽家)71
死との対話から 木下宣子(詩人)75 貞松瑩子さんとわたし 栗原愛子(声楽家)77
生まれながらの〈うたびと〉こたきこなみ(詩人)82 貞松瑩子さんに寄せて 小林秀雄(作曲家)88
小田原城のお姫様 佐久間郁子(詩人)90 篝火 鈴木房江(声楽家)93
あくがれいづる魂 千秋次郎(作曲家)99 貞松瑩子さんの声 田川紀久雄(詩人)101
世代を越えて 土屋貴代美(作曲家)106. 対話ではなくて独白 遠丸 立(文芸評論家)108
十字の構図−貞松瑩子− 豊崎旺子(画家)112. 憧れの貞松瑩子さん−時を重ねて− 中村綾子(声楽家)115
千葉・茨城支部のコンサート 南畝(のうね)幸子(声楽家)118
『風の情景』から初演 藤崎啓之(声楽家)120. 松虫草に憶う 馬場三重子(合唱団員)121
貞松さんと私 平田由喜子(級友)125. 生と死の歌声 貞松瑩子詩集『風の情景−歌曲のために』 村山精二(詩人)127
雛(ひな)・雛(ひいな)・瑩子さん 吉田章子(詩人)133 ただひとすじに−祖母貞松瑩子− 吉岡三貴(みき)(孫)137
三、貞松瑩子論
〈現代詩〉負を背負って
・貞松瑩子論 『最後詩集』を中心に 遠丸 立(文芸評論家)140
・異数の世界を見た目 桑原啓善(作家)170
・『深夜亭交遊録』より−貞松瑩子のこと 上田周二(作家)183
・負の海からの飛翔 詩人貞松瑩子のこと 尾形ゆき江(詩人)201
〈歌曲)その光の先へ
・書評 富士に魅せられた詩人の魂 村山精二(詩人)229
驚くべき言語感覚 村山精二(詩人)232
・朗読に魅了されて 紫 圭子(詩人)234
・初演に到る日を重ね 大橋美智子(作曲家)240
・“富士のご縁” 朝岡真木子(作曲家)245
・滅びの美意識 土肥みゆき(ピアニスト)246
往復書簡 月村敏行←→貞松瑩子 248
編者より 福田信夫(編集者)255
貞松さんと私/平田由喜子(級友)
貞松瑩子さんと出逢ったのは十五歳、県立小田原高等女学校の三年生の昭和二十年、第二次世界大戦が終結して学徒動員が解かれ、学窓に戻った日です。
授業が再開し、彼女は国語の時間に忽ち頭角を表わしました。文章も詩も短歌も貞松さんの得意の分野で独自の色合いがあり、城跡に建てられた校舎の日だまりや、槇の古木の陰で貞松さんに作品の朗読をおねだりしたものです。瑩子さんは文学好きな仲間の中心的存在でした。この時期、学校で優秀な教師にめぐり合い、指導を受けた事も彼女の筆力を更に伸ばしたと思います。
お身体が弱かった為に十五歳の少女には、いささか不似合いな死生観をもち、精神世界を巧みにうたって同年輩の私たちを魅了しました。貞松さんは『詩と言う魔法の鍵を持って生まれて来た人』と言う印象さえありました。
青春が訪れ、貞松さんは烈しい恋をし、その後厳しい結婚生活で二人の子どもを立派に育てます。収入を得る為の仕事の苦闘と老いた母上の介護で多忙な日が続きました。ねむる時間を削る日々、貞松さんは詩を書く事で支えられ、頑張ってこられたと聞きました。苦労の中で感性は研ぎすまされ、憑かれたように独自の不思議な世界が展開され、詩が開花して行ったようです。
瑩子さんの世界はすがすがしいものです。人間が運命に翻弄される弱い存在であると言う基本認識にたって心底謙虚です。貞松さんの著書、詩劇「おたあ、ジュリア」には、彼女が信徒では無いにもかかわらず、信徒のもつひかりが感じられます。
小田原に長く暮らされた貞松さんは小田原の海を愛され、度々登場する海の詩は、小田原を想起したものが多くあります。又馴れ親しんだ丹沢の山脈のみどりが複雑に交錯して作品の陰影を深めていると思われます。貞松さんの詩は調子が整っていて言葉が平明なので「新・波の会」などで多数の方に歌われてきました。
「だんだん見えて来たの。」と貞松さんは言います。詩のテーマがきまり、次第に醗酵し膨らんで動き出す過程を説明しながら、出来たての詩を電話で披露してくれたりします。私達はずっと近くに暮らして参りました。私達の長男同志が大学の同窓であり、互いにオーケストラでバイオリンを弾いた仲間です。近年、病気勝ちでいらっしゃる事は本当に気がかりですけれど、瑩子さんの詩に賛辞を送る夫と素敵なお孫さんとの暮らしは更に新しい詩を生んでゆくと確信しています。私は女学生の日に澄んだ声で自作の詩を発表した貞松さんが、詩壇で評価を受け、生涯を詩とともに生きた事をこの上なく喜んでいます。
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武蔵野書房社主・福田信夫さんによる編著作です。初期の随筆集をはじめ、貞松瑩子という詩人に関係する人たちの文章で構成されています。私が図書新聞などに書かせていただいた駄文も収録させてくださいました。
詩人や音楽家などの貞松瑩子論の中で、ひときわ異彩を放つのは、紹介した級友のエッセイです。〈十五歳〉当時の貞松瑩子像を初めて眼にしました。友情に満ちた良い文章で、貞松瑩子研究にも重要な位置を占めるでしょう。
なお、2連目(連は村山が便宜上付与)最後の〈ひかり〉には傍点がふられていますが、html形式ではきれいに表現できないので割愛してあります。ご了承ください。
本著は今後の貞松瑩子研究に欠かせない本だと思います。ぜひご覧になってください。お求めは武蔵野書房(Tel:042-680-5207、Fax:042-680-5230)までお願いいたします。
○三木英治氏著 『21世紀のオルフェ ジャン・コクトオ物語』 |
2009.9.7 大阪市北区 編集工房ノア刊 2800円+税 |
<目次>
プロローグ 14
T
<歴史よりは神話>
永遠の詩人の肖像「オルフェ」−オルフェ神話 ギリシア悲劇『オイディプース王』 20
U 夢の練習(少年期)
1 エッフェル塔と同い年−不老不死の錬金術(『オルフェの遺言』)両性具有者(アンドロギュヌス) 25
2 鏡の妖しさ−ラ・ブリュイエール街 母の化粧(『わが青春記』) 鏡の裏は死(『オルフェ』) 29
3 鸚鵡になった父−プレカトランの夢 父親殺しあるいは母子相愛 32
4 少年の好きな匂い−メゾン=ラフィット マリアンヌの囁き 人さらい サーカス(童子(どうじ)変貌) 35
5 雷鳴は天の愛撫−夢の練習 シネマ館の光線の謎解き 速度(スピード)の神秘 嵐と王妃(『双頭の鷲』) 43
6 恋わずらいの咳−美しい人の思い出 旅先の罠(『大股びらき』) 母への仕打ち 54
V 雪球の一撃(青年期へ)
1 美の特権−モンティエ広場の雪合戦 悪童ダルジュロスの魅力(『恐るべき子供たち』) 60
2 一九〇〇年代の歌姫たち−劇場通い 前座歌手ジャンヌ・レイネット贔屓(びいき) エルドラド座の女王ミスタンゲット 67
3 遁走!マルセイユヘ−少年水夫 港町の阿片窟・売春宿 同性愛の目覚め(『白書』) 真の学校 死の国の使者 71
W 型破りの人たち(社交界デビュー)
1 フェミナ座の午後−天衣無縫の名優ド・マックス 朗読会から文壇へ 浮かれ王子 81
2 裸足の天女−ギリシア風寛衣(チュニック)で踊るイサドラ・ダンカン 長いスカーフの悲劇 86
3 饒舌の伯爵夫人−女流詩人アンナ・ド・ノアイユ 右手にグラス左手で合図 更紗(さらさ)の部屋 あの笑い! 91
4 ドーデ夫人のサロン−くわえ煙草で歌うアーン プルーストの髪 コルクの部屋の死者 95
X 女天使たち(恋の季節)
1 ビロン館−クリスチアーヌ・マンシニとの愛の巣 密事露見 ロダンの秘書リルケの部屋のランプ 105
2 年上の恋人−女優マドレーヌ・カルリエ(『大股びらき』) ダイヤモンドの種族 マドレーヌ寺院の呪縛 110
Y 野性の薫り(ロシア・バレエ)
1 韃靼(だったん)人の踊り−新しい野性の到来 シャン=ゼリゼ大通りの青春 芸術誌「シェラザード」創刊 120
2 人生の享楽家−ロシア・バレエの女王ミシア・セルト 優雅とは コクトオの魅力 122
3 おれを驚かして見給え−シャトレ座の「花籠(コルベイユ)」 観衆の偶像(アイドル)ニジンスキー コンコルド広場の夜のディアギレフ 126
4 シャトレ座の大騒ぎ(スキャンダル)−『青い神』の失敗 『春の祭典』の教訓 斬新奇抜な『パラード』 131
Z 戦争という劇場(第一次世界大戦)
1 青空に署名(サイン)−曲芸飛行士ガロス ドイツ機撃墜の惨劇 「神話」の語法(ポエティックス) 140
2 私設衛生移動班−オペレッタの戦争 薔薇色の戦場 負傷兵のいる修羅場 砲弾は女にも(『山師トマ』) 143
3 嘘か真実(まこと)か−無邪気な山師 夢想の特権 戦争という虚実 トマの死 150
4 昼顔の花 髑髏(どくろ)の笑い−兵役免除の志願兵 戦場のトリック ジイドの日記 海兵隊員への別れの詩 153
5 ブーローニュの白鳥−ヴァランチヌとの出会い 車窓から合図 十日間の休暇 別離 生涯の友情 161
6 カフェ「ラ・ロトンド」のある日の午後の謎−二十九枚の写真のミステリー 緻密な科学的調査 愉快な写真日記 167
[ 恐るべき天使(レイモン・ラディゲとの日々)
1 出会い−ステッキを持った少年 皺くちゃの紙に貝殻のような新鮮な詩 マチネ・ポエティック 179
2 愛の島−ブランコの悲劇 大戦中の危険な恋(『肉体の悪魔』) 簡潔な文体による「精神のドラマ」 184
3 僕の養子よ!−コクトオの手紙 ラディゲと年上の女性たち さまざまな旅 コルシカ島へ 195
4 一九二二年 紺碧海岸(コート・ダジュール)の港町ラヴァンドゥー−海賊あそび 「グランド・ホテル」の絵葉書 生涯最良の年 199
5 時代の寵児−古典回帰(『平調曲』) 心理の謎(『ドルジェル伯の舞踏会』) 十九歳の神童 202
6 ピケの夏−ジャン・ユゴーの日記 血まみれ事件 別れがたい夜 214
7 一九二三年 早すぎる死−二人だけが腸チフス 雨の中の葬儀 コクトオの哀しみ 218
8 港町ヴィルフランシュの一番星と二番星−『ジャック・マリタンヘの手紙』 天の手袋 「天使ウルトビーズ」 228
\ コクトオ神話(小説の詩 演劇の詩 映画の詩)
1 天使の再来−水兵服のデボルド 天使失墜(しっつい) 第二次大戦中に拷問死 234
2 小説の詩『恐るべき子供たち』−少年たちの秘密の儀式 錯綜する愛憎 雪の日の最期 ブールゴワン姉弟のその後 238
3 演劇の詩・映画の詩『オルフェ』−永遠の詩人オルフェ 妻ユーリディスの不慮の死 鏡抜けのトリック プリンセスの恋 251
4 演劇の詩『オイディプース王』『地獄の機械』と『アンティゴネー』−ギリシア悲劇の自由な翻案 神々の悪戯(いたずら)あるいは神々の断罪 コクトオ劇という「神殿」 263
]
恋の華やぎ(ロシア王女ほか)
1 美貌の恋人ナタリー・パレ−ニコライ二世の姪 恋の歓び 妊娠の有無 不本意な離別 274
2 女友達マリー=ロール・ド・ノアイユ−詩人に片思い 芸術愛好家夫妻 前衛映画『詩人の血』 献詩「アポローンを探し給え」 284
3 恋多きルイーズ・ド・ヴィルモラン−知的男性のミューズ 優しい聖女 四つ葉のダイヤモンド 生涯にわたる友愛 296
XT 守護天使(ジャン・マレーとの日々)
1 幸運な出会い−無名の舞台俳優 シャネルの奇抜な衣裳 コクトオのオルフェ像に生き写し 311
2 世界一周の旅の秘書とバンタム級世界チャンピオン−アラブの美青年マルセル・キル ボクシング界の詩人アル・ブラウン 315
3 中世の聖杯物語『円卓の騎士』−僕の愛人(アミー) 赤い鉄の手袋の看板 騎士ガラード役 うつつよりは夢の真実 320
4 一九三七年 運河の町モンタルジ−僕の守護天使 執筆中のコクトオ 通俗劇仕立てが大成功 328
5 メロドラマ風現代悲喜劇『怖るべき親たち』−やんちゃで純な青年 純粋で不純な親たち スターヘの道 331
6 一兵卒になったマレー(第二次世界大戦)−マドレーヌ広場九番地 舞台で鼻血 召集令状 コクトオの孤独 空軍部隊のマレー 337
7 占領下のパリ−モンパンシェ街三十六番地 舞台への執念 ロブロー殴打事件 346
8 トリスタンとイズー物語の現代版映画『永劫回帰』(邦題『悲恋』)−二人のナタリー 嵐の夜の媚薬 若い二人の死 マレーは一躍人気スターに 352
9 母ウジェニー・コクトオの死−修道院に入院した母 コクトオの日記に綴られた母 永遠の母 360
10 ボーモン夫人の童話『美女と野獣』の映画化−美女(ベル)は野獣(ベート)の館に 王者の風格と貧者の卑しさ 野獣は『鏡獅子』がヒント 368
11 パリ解放−ド・ゴール将軍凱旋 対独協力の嫌疑 マックス・ジャコブ救助の嘆願書 383
12 一九四七年 ミイ=ラ=フォレの館−最後の守護天使(養子)エドゥアール・デルミット 名門「グラン・ヴェフール」 『アメリカ人への手紙』 ある出会い 392
XU 太陽と海の楽園(ヴェズヴェレール夫人との日々)
1 紺碧海岸(コート・ダジュール)のサント・ソスピール荘−フェラ岬への道 別荘の壁画はギリシア神話の数々 403
2 来訪者たち−アラン・ドロンやイヴ・サン=ローラン オルフェ二世号 カンヌ映画祭審査委員長 410
3 ラ・カリフォルニー荘のピカソ夫妻−ダンカンの写真集 ジャクリーヌの優しさとピカソのジョーク コクトオとピカソの仲 416
4 闘牛場へ(評論の詩『五月一日の闘牛』)−闘牛士ドミンギン 厳粛な「着衣式」 白衣の夫人(死)と闘牛士(花婿) 422
5 ヴェネツィアヘ−フィレンツェでのエピソード 美術鑑賞とヴォルピ宮殿の夜会 旅先での病 427
6 パリのヴェズヴェレール家(合衆国広場四番地)−フランシーヌのサロン 献身的なマレー キャロル十八歳の記念舞踏会 436
7 アカデミー・フランセーズ入会−さまざまな栄誉 コクトオの儀式用の剣 入会演説と歓迎演説 水入らずの夜食 444
8 映画の詩『オルフェの遺言』(映像による自伝)−ミネルヴァに刺殺される詩人 死からの蘇り 裁かれる詩人 フランシーヌも伯爵夫人役で 451
9 壁画の詩(コクトオ神話)−サン=ピエール礼拝堂の聖ペテロ マントン市庁舎結婚式場の寓意画 ダイユ岬の野外劇場 サンプル礼拝堂に描かれた薬草と猫 460
10 亀裂−ある男の出現 コクトオの心臓発作 フランシーヌとの再会を喜ぶ手紙 470
XV <私はあなた達と一緒にとどまります>
一九六三年十月十一日 ミイ=ラ=フォレ−エディット・ピアフとランデ・ヴー 死の床の枕もとに「鏡」 コクトオの胸像 475
エピローグ 486
〔参考・引用文献〕 508
装幀 森本良成
プロローグ
ジャン・コクトオの作品にめぐり合って、もうずいぶんの年月になる。
私は、三島由紀夫の書物からレイモン・ラディゲを教えられ、ラディゲの小説からコクトオの名を教えられた。
夏の風が木陰の机に置かれた本をぱらぱらとめくって、思わぬ魅惑の頁が現れたら人は驚き、そしてその幸運をさぞ喜ぶことだろう。
私たちの指が何気なく頁をめくっていて、ふと心を奪われる頁を発見したとき、風の恵みと同じ驚きや喜びに「天の恵み(プロヴィダンス)」を覚えて、そんな夏の午後の幸せを終世忘れることができないであろう。
そのような偶然に恵まれて、私はジャン・コクトオに出会ったのだった。
コクトオの詩は難解であったが、しかしその簡潔な詩句は魅惑に満ちていた。
太陽よ 僕は君を崇(あが)める
野蛮人たちのように 海岸に腹ばって。
太陽よ 君は自作の三色版(クロモ)に
自作の果物籠(くだものかご)に 自作の動物たちに ニスを塗る。
僕の肉体を鞣(なめ)してくれ 塩漬けにしてくれ
僕のこの大きな苦悩を追い出してくれ。
(「言葉の放列」二十二節のうちの冒頭、詩集『ポエジー』堀口大學訳)
戦後間もない時期の夏の暑さはまだまだ素朴だったので、私は夏の太陽が好きだった。
引用した太陽讃嘆のこの二行詩は、ドラムを乱打するジャズを聞くようで、たちまち私の心はどこかへ連れ去られる。
その詩の最終をコクトオはつぎのように締めくくって、顔の汗でも拭う風情(ふぜい)である。
君は 赤道を 春秋の彼岸を相手に
拳闘する青い黒人(くろんぼ)だ。
太陽よ 僕は君のパンチをこらえる
首筋への君の強打を。
そのくせ僕は君が好きなんだ
気持ちのいい地獄 太陽よ。
私が初めて手に入れた堀口大學訳『コクトオ詩集』(創元社・昭和二十六年版)の「解説」の中で、ロジェ・ランヌがコクトオの詩のエキスを、
《魂は他処(よそ)に焦(こが)れる》
と指摘している。
なるほどコクトオは、この二行詩のジャズを奏でながら、はるか天上の太陽に向かって何事かを訴えかけているのだ。
私ははなはだ勝手な読み方で、自分の好きな箇所ばかりをくり返し読んできたので、コクトオの全貌を描くことなどは思いもよらぬことである。
コクトオという人はあちこちの旅先で、観光スポットなどは初めから無視した。
そしてひたすら旺盛な好奇心を道案内に、場末の阿片吸引の巣窟を歩き、秘密の匂いの濃厚な路地裏や売春宿などをのぞき見して、そこに渦巻く人々の哀歓に人生の詩情をさぐるのを常とした。
劇団を連れた旅巡業の途中、アレキサンドリアヘの道を車で走りながら、美しい眺めがつぎつぎと姿を消すのを残念に思ったそのとき、コクトオを驚かせる風景が目にはいる。
聖書の時代からなにひとつ変ることのない風景を見せるこの道には、まことに心安らぐ
思いがする。自転車まで太古の乗物と見まがうほどなのだ。(『マーレシュ』三好郁朗訳)
現代人の漕ぐ自転車をさえ、旅先では古代の風物ととらえるコクトオの知的冒険(エスプリ)を手がかりに、これまで私の人生を豊かにしてくれた詩人の「魅力さがし」の旅に、これから出発しようとして私は今わくわくしている。
詩人に関する評伝や資料には、コクトオの同性愛の傾向や、幼い恋の話があるかと思えば、詩人が天使のように愛した少年天才作家レイモン・ラディゲが時には恐るべき天使として登場する。
また詩人を終始やさしく見守りつづけた、俳優のジャン・マレーと、養子のエドゥアール・デルミットの二人は、頼もしい守護天使としてコクトオの晩年を彩る。
その他、画家のパブロ・ピカソ夫妻や作曲家のエリック・サティ、女友達のココ・シャネルとの交遊があり、『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリや俳優のオーソン・ウエルズから慕われた才女ルイーズ・ド・ヴィルモランとの日々がある。
中でも際立つのはロマノフ王朝の血筋をひく美貌のナクリー・パレとの恋の成り行きであり、詩人への献身的な愛をそそいだ太陽と海の楽園のミューズ、フランシーヌ・ヴェズヴェレールとの楽しい日々が、つぎつぎと登場するはずである。
章の順序にこだわらず、どの部分からでも頁を開いて、私のつたない試みのどこか一つでも楽しんでいただけたら、これ以上の歓びはない。
*
詩人の名前に長音記号を使わずに、「コクトオ」と表記したのはほかでもない。
私が初めて出会った堀口大學訳の表記こそが詩人コクトオにふさわしいと思ったからで、さらにそのときふと頭をよぎったのが、わが国の人名、地名の表記のことである。
たとえば大島さんなら「オオシマサン」、十日町なら「トオカマチ」と書いて「オーシマサン」とか「トーカマチ」と長音記号を使わないのが通例なので、私はその習慣に従った。
本書の中のすべてのカタカナ表記を長音記号なしで統一したかったのだが、しかし引用文とのあまりにもわずらわしい不一致のことを考えて、あえて「コクトオ」の表記だけにとどめた。
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月刊詩誌『柵』に20年間、239回書いて、それ以前にもお書きになっていたようですから、30年、40年と書き続けた、まさに著者のライフワークとも呼べる力作の集大成です。ここでは冒頭の「プロローグ」のみを紹介してみました。ジャン・コクトオに対する愛情あふれた文章だと思います。参考・引用文献は100冊ほど、著者の勉強ぶりにも敬服しますけど、なによりジャン・コクトオ好きなんでしょうね。それがよく滲み出ています。ジャン・コクトオ研究の究極と言っても過言ではないでしょう。お薦めの1冊です。
○詩誌『青い階段』92号 |
2010.4.5 横浜市西区 浅野章子氏発行 500円 |
<目次>
ヘリコプター 荒船健次 2 「君恋し」と歌っているのは 廣野弘子 4
食卓と言う名の詩 浅野章子 6 青春が手をふっているから 鈴木どるかす 8
めじろ 森口祥子 10 遺影 坂多瑩子 12
二〇一〇年元旦 福井すみ代 14 なんとかなるよ! 小沢千恵 16
詩集『片付けられない』を読んで 田代昌史 18
ピロティ 森口祥子・坂多瑩子・浅野章子
編集後記
表紙 水橋 晋
食卓と言う名の詩/浅野章子
食卓と云うテーマの課題詩の掲載が
K新聞紙上に続いていた
白い皿 青い湯呑 遠い家族 みんなと囲んだ食卓
道具だては卓袱台 おたま おなべ しゃもじ
初鰹 すだちに松茸 さしさんま たまご トースト
濃いコーヒー トマトにきゆうり ミントにバジル
究極のところは道端の草の群れを糧とした日々
たくさんの食卓に
詩人たちが上手に 調理し並べた
覆す卓袱台の映像 古いイメージ
無言に箸を運んだ二人の 食卓
涙をこらえて味噌汁を流しこんだ一人の朝
割った皿 叩いためんぼう 煮詰めた苦悩
楽しげな食卓の裏側
陽炎のように 揺らめいていた
非日常
ひとり
テレビを斜めに見ながら食べる
食べるって 生きて行く ことなんですね
神奈川新聞で連載されている「食卓の詩」を扱った作品です。月に一度の掲載だったと思いますが、多くの横浜詩人会会員が出稿していて、私もしばらく前に載せさせていただきました。詩人の数だけ食卓があり、まさに〈たくさんの食卓に/詩人たちが上手に 調理し並べた〉シリーズです。作品は〈楽しげな食卓の裏側〉に想いを馳せ、〈食べるって 生きて行く ことなんですね〉と見事に締めていると思います。