きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.3.18 早稲田大学・演劇博物館 |
2010.4.15(木)
その1
話題の映画「シャッターアイランド」を観てきました。精神疾患のある犯罪者を隔離収容する孤島の刑務所、シャッターアイランド。この島から一人の女性が、跡形もなく消えます。事件を捜査するために連邦保安官が島を訪れるのですが…。
おもしろいと言えばおもしろいし、訳が分らんと言えば訳が分らん映画です。なにやら現代詩みたい(^^;
私の感想は、どちらかと言えば後者かな。人間の闇に迫った作品と言えましょうけど、そんなのたくさん観てきたから飽きた! は、過言かもしれません。まあ、こういう作品がお好きな方はどうぞ、というところですかね。
○個人通信『萌』29号 |
2010.春 山形県山形市 伊藤啓子氏発行 非売品 |
<目次>
卵屋
女優
あとがき
女優
幕開きから後ろ向きである
背後のテーブルにひとを座らせたまま
流しで食器を洗っている
働き者の役柄である
皿を洗い終えると
鍋も洗う 布巾もざぶざぶ洗う
見とれるほどきびきび動かねばならぬ
やたら台詞が多い
息が切れては見苦しい
一場も二場も終えたのに
まだ後ろ向きである
難しい役柄である
そろそろ帰ると
腰を浮かせているひとを帰らせたくなくて
しゃべり続けている
いじらしい気持ちを
背中で表現しなければならぬ
振り向いて抱きつけばいいものをと
観客がじりじりするまで
後ろ向きのままでいねばならぬ
ついくるりと振り向いたところで
目が醒めた
あれはわたしだったか
いや芝居を観たのだと
あたらしい眠りに入っている
おもしろい〈芝居〉だなと思ったら、夢の話でした。しかし、こういう芝居が実際にあるかもしれませんね。〈腰を浮かせているひとを帰らせ〉ないという技術が要求されそうです。
この作品は〈あれはわたしだったか〉というフレーズがポイントのように思います。私たちは〈観客がじりじりするまで/後ろ向きのままで〉生きているのかもしれません。
○詩誌『りんごの木』24号 |
2010.4.1
東京都目黒区 荒木氏方・「りんごの木」発行 500円 |
<目次>
不眠の春 五感にゆきふる 荒木寧子 2 男友だち 山本英子 4
四月 東 延江 6 朝日 小野支津子 8
橋 宮島智子 10 駆けぬけていく過去 横山富久子 12
谷 青野 忍 14 「よかたい」 高尾容子 16
明日 栗島佳繊 18 クリスマス・シーズン さごうえみ 20
二千十年 川又佑子 22 春立つ日 藤原有紀 24
はな 田代芙美子 26 小石 蜂岸了子 28
表紙写真 大和田久
橋/宮島智子
思いっきり重たげな雲
地表を押しつける
体は重く眼が探す
一輪の花 絵具のチューブ
陽だまりのような空間を
雨傘がひらき
奏でられるひびき
きざみが古い映画のリズムになる
道筋の店先
ひときわ目立つ人參の色
虹のひと色で立ちあがる
色の精が なにから集めたのか
赤から紫の七彩をつくり
雲を背に輪にして橋にして
消える先は
山の端 さざ波が立つ湖か
だれの なにの住いか
実在することのない虹に
かげろうのようにたつ心象
崩れぬように
ゆっくりお茶を飲む
夕方から
晴れを告げる天気予報
ジェット機が雲を切り裂く
一筋の陽を洩らし
〈橋〉とは〈虹〉の橋のことでした。そこに行くまでの第1連、〈思いっきり重たげな雲/地表を押しつける〉というフレーズが良いと思います。これがあるから第2連が生きてくるのでしょう。最終連もきれいに決まった作品だと思いました。
○詩集『丹の山』11集 |
2010.4.吉日
神奈川県伊勢原市 岡本昌司氏代表・丹沢大山詩の会発行 1000円 |
<目次>
巻頭言 地球の中心から 岡本 昌司 2 発刊に寄せて 古郡 陽一 4
小田 賢一 白い日々草 他 8 小野 秀行 陽が昇る 他 12
福原 夏海 野菜の気持ち 13 照山 秀雄 孵化 14
今井 公絵 今は亡き画家の言葉 他 16 松田 勇樹 文化祭 他 21
神谷 禧子 泰山木 22 芝山 勇夫 日本の色たち 他 24
川口 征廣 湘南海岸 他 30 高林智恵子 桜紅葉の保育園 32
小倉 克允 自分探しの族 他 34 麻生 任子 昼下がり 37
早川 綾香 ばかげた話 他 38 小林 敦子 美術館にて 42
吉田 涼子 晩夏 他 43 山口 良子 怪談・魂 他 46
土百 「遥かなる天山」によせて他 48 大橋 ヒメ 呟き 他 51
上村 邦子 不思議通りの帰り道 他 54 岡本 湧水 初秋 他 56
古郡 陽一 金木犀 他 60 あかしけい子 梅雨明けの朝 他 64
中平 土天 うたた世の夢 他 65 あとがき 上村邦子 71
編集後記 今井公絵 72
晩秋/吉田涼子
父が
大車輪をしてみせた
下町のはずれの空き地に
高い鉄棒が
ひとつあり
父の
大きな身体は
いっそう大きくなって
ぐるんぐるんと
宙を回り
ひょいと着地
それから
スーパーマンは
堤へと続く散歩道を
大またで
歩き始める
私は
必死に
あとを追った
ワレモコウの枯れ花を
小ビンに挿すと
いまは
ちょうど夕暮れ
父が
ときどき
こんなふうに
帰ってくる
子どもの頃の思い出でしょう。〈スーパーマン〉のような〈父〉の大きさに信頼をおいていたのでしょうね。第6連と最終連が効果的です。子どもの頃と現在という時間差の処理を見事に成し遂げました。タイトルもよく、詩として完成度の高い作品だと思いました。