きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.2(日)


 拙宅の裏山は箱根外輪山ですが、そこに1169mの明神ヶ岳があります。この地に住んで40年ほど、初めて登ってみました。曹洞宗の名刹・道了尊最乗寺から標準時間で、登りは2時間、降りは1時間半ばかりです。しかし、この標準時間は健脚用ですね。休み休みながらですが、登りに3時間も掛かってしまいました。

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 写真は明神ヶ岳の山頂です。薄曇りでしたので、あまりよく写っていませんが富士山と手前の金時山が見えると思います。山頂は子どもたちも大勢登ってきていて、賑やかでした。5月連休を若い家族たちが山頂で過ごしているのを見るのはほほえましく、登ってきて良かったなあと感慨に耽っていました。ところが…。

 問題が起きたのは下山途中の3分の1ほどのところでしょうか。突然、左足に痛みが走ったのです。杖に縋ってソロリソロリと降りてきましたけど、なんと3時間半も掛かってしまいました。肉離れだったのかもしれません。日頃の運動不足に加えて準備運動もしないで登ったのがいけなかったようです。ここのところトレッキングを意識してやっていましたから、それも自信過剰の原因になっていたのでしょう。
 下山して、地元唯一の温泉に入って、少しは痛みも和らぎましたけど、2〜3日は苦しむだろうと思っています。やっぱり日頃から運動していないとダメですね。山よりも高く、海よりも深く、反省しています(^^;




隔月刊会誌Scramble105号
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2010.4.25 群馬県高崎市
高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行 非売品

<目次>
○現代詩いろいろ 詩人もいろいろ…遠藤武男 1
○私の好きな詩 高橋元吉の詩…横山愼一 2、8
○会員の詩…3
 上林忠夫/福田 誠/芝 基紘/渡辺慧介/武井幸子/横山愼一/遠藤武男
○インフオメーション…8
○編集後記…8




 
美を記憶する瞬間/上林忠夫

ボサノバ風に落ちていく葉が
突然スローモーションの映像として
網膜に映し出された
私は網膜に映った一枚の葉を
完全にとらえていた

その葉は地上に到達し、動きを止めた
同じように落ちたであろう無数の葉が
私の一枚の葉の背景となった
まもなく、私の一枚も背景に解けて
私ものでなくなった

わずか
ただ落ちていく一枚の姿を
ボサノバ風に見た
ただそれだけなのに
私はその一枚の葉と
わずかな時間 ともに過ごしたような気がして
なんとなくすがすがしかった

その葉と別れた寂しさより
私とその葉とのあいだで
美しさとやさしさを確かめ合ったうれしさが
くすぐったく残った

 「会員の詩」の中の1編です。人はいろいろなものに美を感じるのだなと思います。作品はそれに〈ボサノバ風〉という音楽の旋律まで加わって、まるで映画の1シーンを見ているようです。〈私の一枚の葉〉、〈私ものでなくなった〉葉という感覚もおもしろいと思いました。




詩誌『左庭』16号
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2010.4.30 京都市右京区
山口賀代子氏発行 500円

<目次> 表紙画…森田道子「風の声」
【詩】
ろうそく町 伊藤悠子…2          箱の卵 岬多可子…4
箱の虫 岬多可子…6            箱の魚 岬多可子…8
ありすがわの桜 山口賀代子…10       うだつやま 山口賀代子…12
愛、そして愛 阿部由子…16         透視者 掘江沙オリ…20
【俳句】 魂は鳥に似て 江里昭彦…24
エッセイ 最高裁判事にして俳人 江里昭彦…27
【さていのうと】
・はなれる 阿部由子…32          ・風邪と食欲 江里昭彦…33
・浅川マキの世界 山口賀代子…34      ・同級生たち 岬多可子…35
つれづれ…36




 
ありすがわの桜/山口賀代子

早咲きの桜が
ひっそりと
咲く

ひっそり
と とは人のおもいであって
春がきたから咲き
そこに
根をはやしたから咲く

山里の荒神さまの境内
海のみえる小学校の校庭
田圃の畦道
ほんのり
桜がうすみどりに映える

けれども
灰色のビル
重機がおかれた作業現場にはさまれた
ありすがわの
土手

それはそれで
よいのかもしれないと
色香ただよう円山(公園)のしだれ桜を

これはこれ



眺めている

 京都は数えるほどしか行ったことがなく自信がないのですが、〈ありすがわ〉は京福電鉄嵐山線の有栖川駅近辺のことかなと思います。〈円山(公園)〉も札幌ではなく京都でしょう。第3連の〈海のみえる小学校の校庭〉は、おそらく作者の生まれ育った故郷かなと思います。この詩には、それらの時空を越えたものを感じます。しかし、それらを〈これはこれ//と//眺めている〉姿に諦念は感じられません。やることはやってきたという満足感のようなものがありそうです。間違っているかもしれませんけど、そんな姿が思い浮かぶ作品です。




個人誌『榎の木の下で』4号
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2010.5 埼玉県所沢市 北野丘氏発行 非売品

<目次>
 Poem:舞桜 三都城 丈 …2
 Poem:三角まゆ毛の行商人 北野丘 …6
.Essay:石炭のごうという音が 北野丘 …11
Thanks:寄贈詩誌紹介 …16
Column:十能……ことば掬い …22




 
三角まゆ毛の行商人/北野丘 Kitano Kyu

夏山をこえ
空騨そらに鳴く西国盆地
濃くて長いまゆ毛の先からぽたぽた汗が落ちている
やっとおろした大立方体の紺風呂敷

  夏でも消えない結晶の織り かげ青き雪の純白
  澄みきった朝を縫うらいちょうのステッチ
  アルプスの麓に折り目ただしく「高原シャツ」は箱入りです
  まいど どうも まいど どうも

ゆうゆうてぶら 三角まゆ毛の行商人
五条の橋のたもとを曲がり
「わたは弁慶」の暖簾をくぐってでてきた
やや白髪のみえる頭の
次はまん丸に膨らんだ紺風呂敷

冬支度する
男たちはこぞって出稼ぎの東国
赤錆たトタン屋根の寒村にきて一軒
またはなれた一軒とまわる

  おひさま浴びて雲の綿
  ひとりの夜も優しくくるむ
  あなたの夢をどこまでも「静御前」のふとん綿です
  おばんです 今年も来ました おばんです

ひっそり谷間にひらく「スズラン毛糸」の店先で
いっぷくする三角まゆ毛の行商人
どうもね背中ばかりが温いのですよ
垂れさがったまゆ毛をますます三角にしている
女主人もりんりん笑った
ことしは山ぶどうで染めた新色です
これはなんと

  味わいある色 やまぶどう
  昼と夜とがはげしくやさしく染めあげた
  深くしっとりたたずむ紫の最上

おばんです
最後にたずねた女の家は
板うちつけただけの漁小屋だった
おや

  よちよち歩いてでてきた12色
  見本にとあげたサンプル編みのグラデーション
  世にも可愛い全色揃ったスズラン毛糸見本のチョッキです
  ああ なんと
  つづいてやまぶどう色のカーディガンの女です
  干しスケソを湯でもどし醤油かけ
  噛めばじわっと海のあじ あれをまた
  ともに肴にものがたりをひとつ

すきま風は静御前を積んでぽかぽか
三角まゆげのスズランチョッキの子は眠る
やまぶどうの女は行商人の果てない旅を聞いている
たかい空の上のほうでは
きらきら雪が落ちはじめていた
そうして三角まゆ毛の行商人は女のひざで安心して死にました

 大人の童話と謂ってよいでしょうか。私が小学校にあがった頃の、昭和30年代を彷彿とさせる作品です。たまに〈行商人〉も来ていました。豪快な〈三角まゆ毛の行商人〉の姿が眼に浮かぶようです。最終連がいいですね。豪快な男は〈女のひざで安心して死〉ねたのです。行商人は訪問販売と名を変えて、今は病院のベッドで点滴の管に繋がれて死にます。時代の違いを感じた作品です。






   
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