きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
100409.JPG
2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.8(土)


 日本詩人クラブ関西大会出席のため大阪に行ってきました。関西大会は隔年で開催されていて、今回が第17回。回を追うごとに参加者が増え、今までの会場は定員を超えて消防署からクレームがついたそうで、新しく天王寺のホテル「アウィーナ大阪」という処になりました。広くて立派な会場でした。
 詩人クラブの理事は参加が義務付けられています。私は今年、理事ではありませんからサボろうと思っていたのですが、朗読をやれとの指示で渋々参加。でも、行ってよかったですよ。110人ほどが集まって盛会でした。2年ぶりに会う懐かしい人、初めて親しくお話しをさせてもらった人など、収穫は大きかったです。講演の木津川計氏「大阪の都市格はなぜ低下したのか −再び含羞都市へ−」もユニークな視点で、大変おもしろく拝聴しました。

100508.JPG

 写真は私の朗読の様子です。撮影は永井ますみさん。ありがとうございました。朗読は短い詩なら2編と言われていましたので、国際ペン東京大会のアンソロジーに入れる「地図」と、地元の新聞に出した「今次さんの雨」を読ませてもらいました。考えてみたら、関西大会を始め、詩人クラブで朗読するのは20年ぶりぐらいでしょうか。入会したての頃の「スピーチと朗読」以来だと思います。

 懇親会のあとの2次会は「和民」。関東ではポピュラーな居酒屋ですが、大阪にもあるんですね。ちょっと狭かったけど、活気があって元気をもらえる店です。
 久しぶり大阪の夜、堪能させていただきました。お世話くださった幹事の皆さん、ありがとうございました!




薬師川虹一氏他訳 シェイマス・ヒーニー
『郊外線と環状線』
district and circle.JPG
2010.4.13 東京都豊島区 国文社刊 1800円+税

<目次>
蕪切り機 13                衝撃 15
ポーランド鉄道の枕木 16          一九四四年 アナホリッシュ 17
天国のミック・ジョイス伯父さんへ 18    飛行場 23
何が起こるかわからない 26         ヘルメット 28
画面の外へ 30               リルケ『火事の後』 31
郊外線と環状線 33             地下のジョージ・セフェリスに捧ぐ 38
ワーズワスのスケート靴 41         耕運機の歯 42
詩人から鍛冶屋へ 44            真夜中の鉄床 46
ロープ 49
最上級の児童たち 51             1 サルヤナギの鞭 51
 2 噛みタバコ 52             3 あるクリスマスの朝 54
会釈 56                  髪を切りそろえるだけ 57
ラガンズ道のエドワード・トマス 58
未発表の散文 60               1 ラガンズ道 60
 2 すらっとした婦人たち 62        3 寮生たち 64
お棺担ぎ 66                その場しのぎの言葉 69
船尾 72
娑婆を離れて 73               1 「みんなと同じように・・・」 73
 2 担架を担ぐ人 75            3 ノコギリの調ベ 78
アイオワで 81               ヘブン 83
出しぬけにその場で 84           春のトールンの男 85
モユッラ川 91               ハンノキを植える 95
テイト大通り 97              薪を割る連れ合い 99
ゼンマイ 100
.               タムラダッフのパブロ・ネルーダに捧げる 101
ホームヘルパー 104
 1 ヘルパーのサラ 104
.          2 椅子に乗るメアリー 105
リルケ『リンゴ園』
.106           仕事を終えて 108
家の暖炉 109
 1 ドロシー・ワーズワスの石炭バケツ 109  2 W・H・オーデンに捧げるストーブの蓋 110
白樺の木立 112
.              キャヴァフィ 「残りの話は黄泉の国の住人たちに語ろう」 114
小道で 115
.                グランモアのクロウタドリ 116
訳註 119
あとがき 129




 
郊外線と環状線 *   District and Circle

地下鉄の方からブリキの縦笛の調べが
僕が降りていこうとする通路から舞うように昇ってきた
そこには僕に目をやる大道芸人がいるのはわかっている
通路のタイルの上に置かれた芸人の脇の帽子
しなやかに動く芸人の指 咎めるふうでもなく
僕を見る芸人の二つの目 僕も視線を逸らさない
いや まだ 今は逸らしてもいない だって僕等は互いにどうなるか
見極めようとしているのだから
笛の音が飛び跳ね はしゃぎまわっているとき
僕はいつでも手渡せるように 握って温かくなったコインを
渡そうとしたり ひっこめたりしていた でも今回は目を伏せた
だって 僕らのやり取りは分かり合っているじゃないか
大道芸人は通してくれた ポケットにコインを仕舞って
僕が頷くと 大道芸人も僕を目で追いながら頷いた

   §

配置されたように 正面を向き
機械の単調でかすかな揺れに体を揺らし
昇り降りする城壁のようなエスカレーターで
僕らは突っ立ったまま夢見心地で運ばれていた
どこか 下のほうでエンジンが全開になり
大きな音を立て スピードを上げ
スムーズになり 音は静かになった
白いタイルが光っていた さらにひんやりとしたトンネルから
吹き抜けてくる風が流れる通路で 僕が恋しく思ったのは
はるか昔から遍く照らす神秘の 日中の太陽の光
体温で温もった刈られた芝生の上で日光浴する人たちが
辺りに頓着もせず寝転がっている昼食時の公園
復活数分前の復活の場面 さまざまな楽しみの場の公園で
思い思いの時間に夏を過ごす常連たち

   §

もう一階下に降りるとホームはごった返していた
僕は安全な群集の中に再び紛れ込んだ
人間の鎖のように半ばほぐれ 半ばつながる群集
地下のアーチ型の天井の下で 押し合い圧し合い ドアが開いたら
一番乗りを決め込もうと身構え 割りこもうとする図々しい連中
まさに街頭の騒がしさ それから家畜の群れのように静かになっていく・・・
僕は己を あの芸人を 裏切ったのか 裏切らなかったのか
いつも味わう初めての気持ち いつも味わう馴染みの気持ち
僕が立って待っているとき あれで良かったのだ
という思いと後悔の繰り返し
やっと みな動いてホッとし
全車両にこの時とばかり
乗りこむ人ごみに押し込まれていく

   §

車両とホームの隙間をまたぎ
電車に乗り込んで僕は天井から
ぶら下がった株のような黒い瘤の吊り革に
手を伸ばし 心地よい重力でずしんと下へ体をあずけ
じっと動かず 踵に根を生やし 手の平のつけ根で
しっかりとわが身を支えた これでいよいよ出発
万全の備えをしていても 不安でその場に立ちすくみ
気分が浮き立っても一人ぽっちで
まだ閉じていないドアと 人気のないホームを背にし
次第に収まっていく騒めきに耳を傾ける
電車がガタンと動き 窓ガラスにぼんやり姿が映る前の長い間合い
僕はこの時がこのまま続けばと願っていたのだが その時
到底無理なのに詰め込んで来て 互いに体が誰と
触れているのか分からないまま 誰もが体の置き場を立て直す

   §

こうして どんどん電車の奥へ押し込まれ もまれて
吊り革にぶら下って 挙げた腕は殻竿のようにぐるっと回る
窓ガラスに映り やつれて首を伸ばしている僕の顔は
親父の顔・・・
      また 一斉に締まるドアの唸る音
車体が急に揺れ 線路と車輪が
摩擦するキィーという音 加速して
どの連結器にもかかる長く続く遠心力

そうして夜も昼も地下道の坑道を乗客と運ばれていく
乗客は僕の同胞の生き残り 勢いよく前進し
爆破された嘆きの壁が
背後に見える鏡のような窓に
映る僕
   パッパッと光を浴びて

 *ロンドンの地下鉄。二〇〇五年七月七日(木)、同時多発テロがロンドンの三カ所で勃発。環状線と郊外線の交差する地下鉄でも起こっている。

 2006年に出版された『
District and Circle』の翻訳で、村田辰夫、坂本完春、杉野徹、薬師川虹一各氏の訳となっていました。ここではタイトルポエムを紹介してみました。註で2005年のロンドン同時多発テロを扱った作品と分りますが、あとがきではもう少し詳しく述べられていますので、その一部も紹介します。

 〈二〇〇五年七月七日(木曜日)午前九時前、ロンドンで同時多発爆発事件が起こったことを記憶されている読者も多いだろう。爆破されたのは地下鉄三か所、ダブル・デッカーバス(あの二階建てのバス)一台であった。報道によればイスラムのテロリストが絡んだもので、それぞれの爆破現場で犯人四名は爆死した。ヒーニー氏が言及しているのは郊外線と環状線の乗り換え駅、エッジウェア・ロード駅(Edgware Road Station)と思われるが、ここでは七名の死者が出ている。この同時テロで七〇〇名以上の怪我人が出たとの報道を私たちは恐怖の思いで見聞きしたのはほんの数年前である。このタイトル詩の最後に「爆破された嘆きの壁」とあるのは、この事件と読みとってよいだろう。さらにこの詩を冥界の世界に入りこむ神話と重ねても読めよう。〉

 そう示唆されて再読すると、たしかにテロと神話の詩に思えてきます。日常の中に潜む危機と、地下鉄という冥界への入口。まさに現代そのものと謂ってよいでしょう。お薦めの1冊です。




詩と評論『操車場』36号
soshajyo 36.JPG
2010.6.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行
500円

<目次>
■詩作品
タダイの末裔 ――16 坂井信夫 1      星の鱗 冨上芳秀 2
膝 池山吉彬 3               分身 野間明子 4
汲む 長谷川 忍 6
俳句
桜追う  秋葉長榮 7            花街堂 丼原 修 8
柿若葉 新保哲夫 10
■エッセイ
天気輪の柱――つれづれベルクソン草―― 高橋 馨 12
ランボー追跡(三) 尾崎寿一郎 14      坂井信夫詩集『影のサーカス』 堀部茂樹 17
浜川崎樽物誌棚  坂掛乃ぶこ 22       山本萠詩集『天河まで』を読む 田川紀久雄 24
末期癌日記・四月 田川紀久雄 25
■後記・住所録 36




 
タダイの末裔 ――16/坂井信夫

 ある日Qは、ひさしぶりに〈商人〉となって出かけていった。
売るものといえば、いつものように紙きれに書きつけた〈こと
ば〉の一片だ。隅田川ぞいには近年、おびただしい集合住宅が
立ちならびはじめていた。かれはそのなかでもひときわ高級に
みえる建物のなかに入っていった。そのころはまだ部屋の扉ま
で、まっすぐ歩いていけた。チャイムを押すと、インターフォ
ンにむかって、いつもの口上を述べた。扉をあけてくれたら恩
の字である。かれは棒のさきにつけた「まず神の国と神の義を
求めよ」という紙片をひき抜いてもらい、左手にもった袋のな
かに、なにがしかの硬貨を投げいれてもらった。そ日の、いつ
ものように〈商い〉をはじめようとしていると、ふいに管理者
らしい男があらわれて、かれの腕をつかんだ。しばらくすると
制服のK官がやってきた。その建物の入り口には「許可なく立
ちいるべからず」と表示してある、という。かってにチラシを
投入するな、まして押し売りまがいの行為はもってのほかだ、
という。Qは近くの交番まで連行され、調書をとられた。さら
に〈上申書〉なるものをK官の口述にしたがって書かされ、署
名し、朱肉による捺印までさせられた。かれは、なぜ紙片いち
まいをさしだすことが押売りになるのかと質したが、K官はそ
れに答えようとはしなかった。逆に「神の国」とはなにかと訊
かれた。日本は“神の国”であるのに、それを求めようとはな
にごとか――そう恫喝されたがQは黙っていた。K官は「それ
は求めなくとも二千数百年、ずっとあるではないか」と低い声
でいった。「そして神の義とはなんだ。それは陛下のおことば
か?」と問うてくる。Qは無言のなかに沈んでいった。おれは
犯罪者とされてしまうのか。ならば法廷で〈神の国〉を証して
みせようではないか、と思った。だが、かれはあっけなく釈放
された。交番から署にかけられた電話では、かれを拘置できな
いらしい。Qは、なぜ〈ことば〉を硬貨にかえてもらうという
行為がいけないのか――そうK官につめよった。だがK官は、
うす笑いをうかべたまま外へと押しだした。この世界では、お
れたちの〈ことば〉も、ピザ配達のチラシとおなじように扱わ
れるのだと、Qはあらためて思いしらされたのだ。

 連載の16です。前後の関係が分らなくても単独の作品として充分機能していると思います。この作品は想像上のことでしょうが、現実には似たような“事件”が起きています。〈なぜ〈ことば〉を硬貨にかえてもらうという行為がいけないのか〉という疑問に答えられない〈K官〉は、そのまま現在の国家の姿でもありましょう。連載が完成して、1冊のまとまった本になるのが楽しみな作品です。
 なお、明らかな誤植は訂正させていただきました。ご了承ください。




ポエムマガジンModerato33号
moderato 33.JPG
2010.5.25 和歌山県和歌山市 出発社・岡崎葉氏発行
年間購読料1000円

<目次>
●特集「おしゃれな詩人に贈る、第3回モデラート賞。」《受賞詩人》江口節
 受賞のことば・詩作品  (詩的+私的)自筆年譜  ロングインタビュー ほか
●詩作品 吉川朔子 大原勝人 神田さよ 羽室よし子 いちかわかずみ 石下典子
●詩合わせ 松尾静明 岡崎葉
●連載エッセイ32 山田博
●54冊の本自慢




 
しずく/江口 節

日付変更線を越えたとき
大きく波が立った
深い霧の向うから ぬっと 船が近づいてくる
くらい海に
白い波頭がつぎつぎに崩れ落ちる
速い、速い、
減速、減速、ああ
ぶつかるように船が わたしの岸辺に乗り上げて

ええ たしかに受け取りました
たった一人でやってきた あかんぼう
広大な宇宙の
元素を経めぐり 大海原を越えて
みずがめ座から零れた 澄んだひとしずくです
ありがとう
だれにともなく おもわず言ったのですが

にぎりしめていたちいさなこぶしの
指を一本ずつ
わたしがひらいていったせいですか?
遠い岸辺でしっかり持たされていたものが
きっと あったはずなのに
ピンク色のてのひらばかりがやわらかく

うっすら窓があかるみ 日が昇ってくる
こうして
人が素手で立ち向かう未知の日々は
始まったのです
カン、と音がしそうに凍てつく朝でした

 おそらく出産の詩ではないかと思います。もちろん私には体験がないので分りませんが、出産の瞬間というのは〈ぶつかるように船が わたしの岸辺に乗り上げて〉くるようなものなのかなと思いました。お子さんは〈みずがめ座から零れた 澄んだひとしずく〉、1月か2月の〈カン、と音がしそうに凍てつく朝〉に産まれたのでしょう。作者のお子さんだけでなく、子どもたちの〈素手で立ち向かう未知の日々〉を礼賛する佳品だと云えましょう。






   
前の頁  次の頁

   back(5月の部屋へ)

   
home