きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.9(日)


 日本詩人クラブ関西大会の2日目。関西大会以外の各地での大会は、2日目に地元の文学関係史跡などを見学するのが通例ですが、関西大会ではそれはありませんでした。2年に一度という頻度の高さから来るのでしょうが、2日目は皆さんお好きにどうぞ、ということになっていました。朝早く帰ってしまうのも良し、仲間と道頓堀あたりを散策するのも良し、というわけだったのです。
 ところが今回は2日目にバスツアーが設定されていました。もちろん参加させてもらいました。

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 幹事さんたちの主な生活舞台である堺市内の史跡めぐりで、与謝野晶子生家跡、与謝野晶子文芸館、千利休の墓、堺市博物館、入口だけですが仁徳陵などを見学しました。写真はザビエル公園にある安西冬衛の「春」の詩碑です。有名な“てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。”が彫られています。

 バス1台で50人ほど。座席の余裕もあって、昼食は「リーガロイヤルホテル堺」の最上階。至れり尽くせりのもてなしでした。堺市は商人の町というイメージが強かったのですが、けっこうたくさんの文化施設があって驚いています。昨年だったかな、政令市になったので活気があるのでしょう。堺市を初めて歩きましたけど、なかなか良い印象を持ちました。また行ってみたいですね。

 それにしても2日続きの幹事の皆さまの働きには頭が下がります。お陰さまで一味ちがった大阪を楽しませていただきました。お疲れさまでした。ありがとうございました!




詩誌『白亜紀』133号
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2010.5.1 茨城県ひたちなか市
武子氏方・白亜紀の会発行 800円

<目次>
エッセイ
大掛史子 知と情の吹き通る管の妙音 22     大島邦行 〈声〉を発する詩人へ 24
伊達恵理 佇む眼差し 26            鈴木有美子 『猫が散歩する夜』を読みながら 28
及川馥 私にとって詩とは何か、そして彼にとって 30
真崎節 詩について 50             武子和幸 追悼・星野徹の地平/詩と造形展 52
作品
硲杏子 冬の森 2               溝呂木邦江 桔梗 4
太田雅孝 〈黒い凾〉に関する語り 6      岡野絵里子 日 8
真崎節 母を追いもとめない 10         近藤由紀子 学名
 Helianthus annuus L. 12
我妻信夫 鞘舟の夢 14             渡邉由記 合図 16
黒羽由紀子 水蛭子 18             橋浦洋志 水源 20
北岡淳子 御池 32               広沢恵美子 行列 34
石島久男 地獄変 36              大島邦行 余白に7 38
鈴木有美子 ここ 40              網谷厚子 素数のように美しく 42
齋藤貢 けもの 44               及川馥 タンタロス? 46
武子和幸 祭壇 48
●装画 小林恒岳 炎の声




 
地獄変*石島久男

図録の地獄絵を虫眼鏡で追っていると
自分を見つけてしまった
賽の河原で秤に載せられ
吊り上がった拍子に
懐に入れておいた小石が
ポロリとこぼれ落ちる
鬼の頭をした秤の番人が
牙をむいて怒っている
こぼれ落ちた小石は
床に落ちると白い蒸気をあげて
瞬く間に小さく縮みあがり
跡形もなく消えていった

鬼が針の山を指さした

針の山を目の前に
昇るのを躊躇っていると
醜い顔をした男が私に声をかける
 お久しぶりです
 一緒にお供しましょうか
見覚えある顔だが
どうにも思い出せない
さきには同じような面持ちの面々が
行列になって
叫び声をあげながら
私が登っていくのを待っている
耳をそばだてるが
何を言っているのか
さっぱり聞き取れない

後ろから鬼が槍で背中を突いて
速く登れと急き立てる

重い雲の隙間から
長い間欠け落ちていた記憶の断片が
バラバラと降り注ぐ
断片を薪のように拾い集め
それを担いで
血塗られた針の山に
足を一歩踏み入れる

足の痛みは
己の罪深さに等しいのだろうか
男のことを思い出せないまま同道し
男に向って
何故か自分の素性を唱えながら
一歩一歩
針の山を踏み抜いていく

 まさに〈地獄変〉。〈己の罪深さ〉を全面に出しているところに共感します。それにしても〈醜い顔をした男〉は誰なのでしょうか。〈自分〉の分身かとも思いました。いずれにしろ地獄を〈一緒にお供し〉てくれるのですから、天国に行けるような人ではないことになります。〈懐に入れておいた小石が/ポロリとこぼれ落ちる〉程度の小悪党。人間味にあふれる作品だと思いました。




季刊文芸誌『南方手帖』92号
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2010.4.10 高知県吾川郡いの町
南方手帖社・坂本稔氏発行 763円+税

<目次>
南方の窓(43) 読者悠便(2) 宮地和夫

善人 玉井哲夫 2             羊雲の下で 平井広惠 6
初夢便り 渚 詩郎 8
短歌 山菊の白 梅原皆子 6
ウィーン通信(18)ウィーンの音楽教育・その2 高橋幸子 10
随筆
自慢にもなりませんが。(8) モリヒロエリ 9 ウィーン遠からじU(10) 高橋悦子 12
お郭界隈(2) 甲藤卓雄 16         南方荘漫筆(64) 坂本 稔 19
読者投稿作品
綻び さかいたもつ 31           有と無V 浜田一彦 31
花のホテル(2) 岡上 功 31        季節の肖像(10) むかし話 中村達志
■題字・竹内蒼空/表紙装画・土佐義和




 
善人/玉井哲夫

詩人は
善人ではない
内観してみれば
それは
すぐにわかる
偉人も
善人ではない
エジソンは
電気椅子に関わり
ジェファーソンは
独立宣言に
人間の平等を書き
そして
最期まで
奴隷を使役していた
聖人も
善人ではない
ペテロは
イエスを知らないと言い
パウロは
迫害する側にいた

男も
女も
善人ではない
老人も
若者も
善人ではない
無垢な
赤子ですら
善人ではない
まして
無垢でもなく
赤子でもない私は
さらに
善人ではない

木も
草も
善人ではない
鳥も
魚も
善人ではない
いのちは
生きることと
死ぬことを
強いる
強いられたものは
すべて
善人ではない

 〈生きることと/死ぬことを/強いる〉生物は、たしかに〈善人ではない〉と思いますね。私の詩らしきものの一つのテーマでもあります。なぜ強いものは弱いものを食べてよいのだろう…。例えば石や水などは〈善人〉となれるのか…。そういえば〈ジェファーソンは〉〈最期まで/奴隷を使役していた〉んでしたね。なかなか重いテーマです。




会報『南方手帖通信』63号
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2010.3.10 高知県吾川郡いの町
南方手帖社・坂本稔氏発行 非売品

<目次>
読者の近刊書
白木谷国際現代美術館案内
吉井英二作品展
同人の活動 日本画家・中村達志さん
本誌読者中で最高齢の作家・渡邊巌氏の作品集
南方の窓(19) −猪本隆追悼−
高知新聞「所感雑感」 市井には…… 坂本 稔




 
市井には…… 季刊文芸誌「南方手帖」編集・発行人 坂本 稔

 かつて、作家の宮地佐一郎氏が“土佐のへルマン・ヘッセ”と呼んだ詩人、吉本青司さんの詩集『日々の歌』に「隠れた人」という小さな詩がある。“市井には偉い人がずいぶん隠れているんだな”……たったそれだけである。半世紀前、この詩集に初めて出会ったころの私は、井の中のかわずよろしく、未熟なくせにやたらと気負った文学青年であったせいか、特に心をとめる詩ではなかった。

 そんなころのある年の暮れ、夜明け前の帯屋町のがらんとした街角で、寒風に吹かれながら紙くずをリヤカーに積み込んでいる1人の初老の男性に出会った。やさしい人であった。気品にあふれた顔つきのその人は、まだ忘年会の酔いのさめやらぬ私の無遠慮な質問に、微笑をたたえながら、いとも静かに「紙にもいろいろ種類がありま心てね……」と、次々と自身の仕事について語ってくれるのであった。たったそれだけの出会いであったが、今もその人のことが忘れられない。私は、ひそかに“帯屋町のキリスト”と呼んで尊敬している。その後、こんな経験をいくつか重ねるうちに、吉本さんの「隠れた人」という短詩に込められた深い心が私の内面で次第に重みを増していくのであった。

 人間商売を80年もやっていると、自然にずい分たくさんな人に出会うことになるわけだが、今までに最も礼儀正しいと感じた人は、ある画廊で出会った“ふすま職人”さんである。たった1度きりの出会いであったが、その人の言葉遣いや、動作のすがすがしさが忘れられない。概して一流と目される職人さんには、共通して人間的な気品がある。京都の「哲学の道」の始点近くにあるそばやさんの主人の柔らかな物腰に、その道に徹した人だけが放つ独特のオーラを感じて感動を覚えたこともある。

 身近なところでは、ここ10年来、あきることなく通っているK市内の中華料理店「T」の主人が居る。“絶品”と感嘆しながら、この店の五目ラーメンとシーフードラーメンの絶妙の深い味わいに魅せられて通い続けているのであるが、最近、主人の禁煙実行の話を聞いて、この人にしてこの料理ありと感じ入ったことである。……調理場のカウンターにたばこの箱とライターを置き、毎日それとにらめっこしながら、一発で禁煙に成功したという。

 10年来、料理のうまさと形が全く変わらない。麺や、豚肉、貝類などの主な具材はもちろん、一切れのそぎ切りの野菜にいたるまで、その美しい形や大きさ、数量にはいささかの狂いもない。ラーメン1杯が常に完成された芸術品なのである。修業時代の師匠の味を超えて、独自の旨味
(うまみ)をつくり出したいという一念がこもっている。一筋の道を誠実に歩み続けて来た人ならではの心がこもっている。……言葉少ない主人とは対照的に快活な奥さんが「この人、これでいてなかなか頑固でプライドが高いんですよ」と笑う。然(しか)り、この職人としてのプライドこそが、人々を長く魅了し続ける深い味作りにつながっていると思う。日々、黙々として自己の深く信ずる道を歩み続ける市井の人がここにも存在する。

 龍馬のような“大きな人”から学ぶべきであることはもちろんのことであるが、ごく身近な市井の偉人に教わることも忘れてはならないであろう。今年もまた、“われ何をか知る”とつぶやきながら、“隠れた偉人”との出会いをひそかに期待する日々が始まった。

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 1月29日付けの高知新聞「所感雑感」欄のエッセイです。前出の『南方手帖』92号「南方荘漫筆(64)」では、〈中華料理店「T」〉についての問合せが数件あったようです。たしかに〈ごく身近な市井の偉人に教わることも忘れてはならない〉でしょうね。〈寒風に吹かれながら紙くずをリヤカーに積み込んでいる1人の初老の男性〉といい、〈京都の「哲学の道」の始点近くにあるそばやさんの主人〉といい、そういう人への視線を忘れない作者もまた、私に教えてくれる〈市井の偉人〉だと思いました。






   
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