きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.11(火)


 日本文藝家協会の第64回総会が開かれました。いつもは東京會舘ですけど、今回は「アルカディア市ヶ谷」。たぶん初めてではないかと思います。議題は全て執行部原案通り可決。質問に三浦朱門さんが立つなど、まあまあ活発な議論でした。

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 写真は懇親会冒頭での落合恵子さんのスピーチ。文藝家協会ではカメラマンの役割がないので、1眼レフを持って行かなくて、携帯で遠くから撮っていますから、画質が悪くてすみません。しんみりしながらも明るい、いい話でした。
 懇親会も盛況。仲間たちと楽しく呑んで過ごしました。




一人誌『粋青』61号
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2010.5 大阪府岸和田市 後山光行氏発行
非売品

<目次>

○―――雨の日に(9)           ○―シュレッター(10)
○―――あなたに(12)           ○――――静かに(14)
○――はなきりん(18)           ○―――いちはつ(19)
スケッチ (8)(17)
エッセイ
●中正敏詩論 孤高に自由を編み込む詩人(9)(4)
●絵筆の洗い水【37】          (16)
●舞台になった石見【51】 詩人 井上俊夫(20)
表紙絵:08年4月 フリージア




 
雨の日に

まだ子供だったころ
雨降りが楽しかった記憶がある
いつも農作業に忙しい
親たちが家にいることもあったが
べつに一緒に遊ぶこともなく
私は縁側の奥の方に
囲いでちいさな空間をつくって
遊んでいた時期があった
そこに寝転んで
雨を見ていると
音も無く
カーテンのように雨の線ができて
自分のまわりが
ふくらんでくる気がした
見つめていると
雨を受けていちまいだけ
柿の葉がおおきく上下に振れた
風景が揺れる
驚きを見つけたのだった

 〈雨の日に〉〈囲いでちいさな空間をつくって/遊んでいた〉ことは、多くの人が経験していることでしょう。しかし、〈雨を受けていちまいだけ/柿の葉がおおきく上下に振れた〉ことを見て、〈風景が揺れる/驚きを見つけた〉人は少ないかもしれません。柿の葉が揺れるのではなく、風景が揺れるという感性は、〈まだ子供だったころ〉から詩人になるべくして持ち合わせていたものなのでしょうか。作者の原点の一つを見た思いです。




評論詩論集『詩論の欠片』3号
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2010.5 大阪府岸和田市 後山光行氏発行 非売品

<目次>
○ 喜志邦三素描 3
○『の』の美性について 17
○ 私見・抒情の硬度 −伊東静雄論への礎として− 27
○ 伊東静雄の色彩表現 34




 昭和六年二月号の「詩文学」誌上に喜志邦三氏の詩篇が発表されている。おもしろいので引用しておきたい。

   都市の流血

 斯くてわたしは――この骨格逞しい新興大都
  市の巨體をはしる無数の銅線を知ったのだ。
  そこには旺(さかん)な血液が、電流が、環
 (めぐ)ってめぐって。

 高層建築第七階に久遠(くおん)にみひらく瞳
  孔は、たとへば大吹雪(だいふぶき)の銀彩
  の冬夜(とうや)のなかにも燦いて、若々し
  い産業組織の内部の躍動を暗示する
  ――故に電流は近代都市の血液だや

 心臓のやうに鼓動する歡樂地帯。雜音の洪水と
  愛人のささやきと錯綜して眩暈(げんうん)
  をさそふその風景に、緋いろの燈(あかり)
  は點在する――故に電流は情熱の都市の血
  液だ。

 哀れなゆふぐれの細民街(さいみんがい)の一
  劃を見たか。求職によごれた父と、捨てられ
  た花のやうな一人(いちじん)の娘にも、送
  電された六燭光に、煤けた室(へや)は俄に
  ほほゑむ――故に電流は時代の都の血液だ。

 機械、機械、泥土(でいど)と草とがとり除か
  れて、建設された工場の作業の律動、岩壁よ
  りも巨大な発動機とかがやいた車軸の律動、
  ここにも銅線はあまねく布かれて――故に
  電流は建設都市の血液だ。

 ああ斯くてわたしは――この新興大都市の血
  管を知ったのだ 躍動と情熱と微笑と建設
  に、銅(あかがね)づくりの動脈は膨れて、
  限りなく流動する燃焼する都市の血液を知
  ったのだ――そしてその奥に秘められた新
  しい「思想」と新しい生活の「様式」を。

 この詩篇を理解するためには、昭和初期の日本の状況をもっと詳しく書くべきであろうがここでは省略する。しかし、電流を都会の血液だと主張する考え方は素晴しく、その後五十余年を経過した現在においても通用するおもしろさである。ますます都市機能と電気との関係は強いものになっており、この先見の視点の面白さと詩的おもしろさは注目できる素晴しくおもしろい作品であると言える。昭和六年に発表されている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 日本詩人クラブの創設会員でもあった喜志邦三の『灌木』に1年ほど在籍していたという作者の「喜志邦三素描」の一部を紹介してみました。作品「都市の流血」は、たしかに〈その後五十余年を経過した現在においても通用するおもしろさ〉ですね。この文章が発表されたのは1983年ですから、今の時点で考えると80年ほど前のことになりますけど、喜志邦三という先達詩人の〈先見の視点〉を改めて知らされました。




詩とエッセイ『海嶺』34号
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2010.5.10 さいたま市南区
海嶺の会・杜みち子氏発行 非売品

<目次>
扉詩
植村秋江  波紋 1

植村秋江  春宵 バスタオル 4       河村靖子  リレー すずめのきもち 8
桜井さざえ 無人島売ります ひょうたん島 12 杜みち子  蝉の夜 トタン屋根の上で 16
散歩道〈友だち〉
河村靖子  友だちの味 23          植村秋江  音楽を友達として 24
桜井さざえ 種を蒔く 26           杜みち子  わが友マックス 27
雑記帳 29
編集後記 31
表紙絵・カット 杜みち子




 
無人島売ります/桜井さざえ

倉橋島沖の
小島が三つ並んで三つ子島
霧が流れる方に
丸くふくらんだひょうたん島
島が丸ごと売りに出されて
荒ぶる波に 揺すられゆすられ
しらじらと風のゆくえ

戦時は海軍の艦艇の消毒施設
島の根っこまで消毒液に汚染され
周囲は 投下された無数の機雷
いつ吹っ飛ぶやらも 知れん
島人たちの噂話は
荒れ狂う風に運ばれ
流れ ながれついた夜明けの岸辺

一夜明ければ
「無人島売ります」の大宣伝
群がる法人に個人たち
一億一万円の高値で落札され
水だ 明かりだ 道に 船着場
落札された金額どころじゃあない
ざわざわ ざわめく風

貝になり 島をでて
都市の荒波をくぐり くぐり
生きてきたわたし
ひょうたん島の天ぺんの
倉橋島と真向う場所にお墓を移し
ただ無心に風景を眺めながら
始まりの はじまりの詩を書きたい
島々をめぐる 風になって

 何年か前に〈「無人島売ります」の大宣伝〉が話題になったことがありました。そのときのことを書いていると思われます。故郷の〈倉橋島沖の/小島〉が〈丸ごと売りに出されて〉、作者の胸のうちは騒いだのかもしれません。しかし、〈島々をめぐる 風になって〉〈ただ無心に風景を眺めながら/始まりの はじまりの詩を書きたい〉と、あくまでも冷静です。それは〈貝になり 島をでて/都市の荒波をくぐり くぐり/生きてきたわたし〉だったからなのでしょう。詩人の矜恃を感じた作品です。






   
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