きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.12(水)


 日本詩人クラブの総会が来月12日に開かれます。今日はその案内状用の宛名シールを作っていました。ソフトは10年以上前のマイクロソフト・アクセス。今時こんなソフトを使っている人は少ないかもしれません。データーベースソフトとしては完成度の高い製品だと思いますが、最新のウィンドウズ7には対応していないかもしれません。汎用性の高いエクセルでも宛名シールは作れますけど、移植するのが面倒なので、まだやっていません。いずれ格闘する日が来るなと覚悟しています。




個人詩誌『魚信旗』71号
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2010.5.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品

<目次>
永遠まで 1     雨 2        不況 メーデーの日に 3
人骨のニュース 4  老樹の花 6     春の方舟 8
後書きエッセー 10




○詩観雑感
 作品の出来栄えはともかくとして、その人の人格や生活などが全くわからない作品というものがある。だからといって、形而上的でもなく、無限大でもなく、なんとなく雲を掴むような作品で、よく読むとそれでも何かを言おうとしている。誰でも書けそうで、もっとも書きにくい、他人様にはわかりにくい作品の典型というものを自慢しているようにも見える。感覚的というものかもしれないが、感覚だけで主張してもその人の意思が伝わるわけでもなし、映像的に訴えて逃げているようにも思える。それでも詩だとその人が主張すれば、成る程と付いていくしかないし、そうでしたかと、何やらぽかんとさせられてしまうことがある。そんな作品をたまに見る。同人誌などで見ると、なにやら浮いている存在だ。詩はイメージだという説がある。正解である。だが、そのイメージが分かりにくいとなれば普遍性を失う。独りよがりになってしまう。それでも、それを称えている人もいるという現実、その人も独りよがりだと思うが、如何か。賢者諸君!

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 今号は詩ではなく「後書きエッセー」の一文を紹介してみました。たしかに〈何やらぽかんとさせられてしまう〉作品がありますね。〈だが、そのイメージが分かりにくいとなれば普遍性を失う。独りよがりになってしまう。〉という先輩の苦言を真摯に受け止めたいと思います。




詩誌『烈風圏』第二期17号
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2010.4.15 栃木県下都賀郡藤岡町
烈風圏の会・本郷武夫氏発行 非売品

<目次>
作品
山口 昌樹 夜明け/春の山 2       金敷 善由 生きるということは 6
坂本 久子 今年の秋 8          都留さちこ 駅/窓辺にて 10
三本木 昇 落ち葉 14           瀧  葉子 短詩八篇/推移/終りに 16
高澤 朝子 縁側 24            深津 朝雄 臼(九) 27
小久保吉雄 夜の断層 30          たのしずえ ヒヨドリの秋 32
白沢 英子 五官の褪
()せり 34.      青木 幹枝 「平行植物」発見告知 36
須永 敏也 塊魚 40            菊池 礼子 飛翔する息子へ 42
柳沢 幸雄 遺影 44            本郷 武夫 真夜中詩集猫/李民の墓は 48
書評
本郷 武夫 青木幹枝詩集『かめという女の記憶』について 21
川島  完 青木幹枝詩集『かめという女の記憶』/身体性のフォークロアとトポス 24
あとがき 52
表紙写真 くらげ氷 新井克行




 
落ち葉/三本木 昇

ミズナラは春風に誘われいっせいに欠伸
(のび)をする
幼い葉は道に迷い友とともに悩み
毛虫と戦いながら仲間の挫折や不条理を知る
若葉の陰でおしべは無数の夢を飛ばし
めしべはたった一個を受け止める
やがて小さな団栗が誕生した
――成長した団栗は自分一人で大きくなったと思っている

充実した夏が去り 無数の風呂敷は冷気を集める
那須の山々から風呂敷が駆け下りると
ミズナラの葉はいっせいに色を変える
雑木林の紅葉を生の輝きとして賞賛する人々
子育てなど精一杯やってきた疲労のいろ
木括らしがやってくるとミズナラの葉は役割を終えた
――掃き集める男と女はミズナラを伐採したいと思っている

小春日の穏やかな日に
大正十五年生れの母は原付バイクでやってきた
今年の五月 雑木林の小さな家でひと月過ごし
ミズナラがどうしているか訊ねてきたのだ
風がなくとも屋根や芝生や道端に降る残滓
母は男と女の狭間で落ち葉になっていることを知った
――春 再びの芽吹きはあの世では幻想であると思っている

 〈ミズナラ〉を人間に模した見事な作品です。〈――成長した団栗は自分一人で大きくなったと思っている〉などいいですね。〈人々〉は〈雑木林の紅葉を生の輝きとして賞賛する〉が、それは〈子育てなど精一杯やってきた疲労のいろ〉なのだという視点も斬新です。山の〈冷気〉は〈無数の風呂敷〉が〈集め〉たものだという見方も、山をよく知る人だからこそ出てくる詩語でしょう。たしかに冷気は〈山々から風呂敷が駆け下り〉てくるように感じられます。




詩誌『豆の木』9号
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2010.5.1 埼玉県久喜市
石島俊江氏方事務局 非売品

<目次>

母の玉手箱 石島俊江 2           目覚め 秋山公哉 4
空へ 里見静江 6              富士の裾野 塩田禎子 8
五分五分 松下美恵子 10           見張っている… 村田寿子 12
秋谷豊詩集より「遍歴の手紙」 秋山公哉 14
ティールーム
見上げては 村田寿子 16           詩集をまとめて そして今 塩田禎子 17
ある本との出会い 里見静江 18        百人一首のおもいで 石島俊江 19
縄文の時間 秋山公哉 20           二月の園芸家 松下美恵子 21
詩集評 塩田禎子詩集「柳架舞う川のほとり」 里見静江 23
同人名簿 24
編集後記 24                 表紙 松下美恵子




 
富士の裾野/塩田禎子

よく手入れの施された杉林を行く
須山口富士登山道
話し声の絶えなかった人の群れは
林の奥深く言葉を飲み込まれて
  まるで樹海のよう
そっと洩れたひとこと

息がせわしくなってきた時
落ち葉の道が すとんと切れて
広い車道に出た

いち日歩き続けた道に
入り込んだら身も心も埋もれてしまいそうな
ススキの原が広がっていた
賑わっていたという「たまご拾い牧場」は
鳥インフルエンザの犠牲になって
かすかに文字の看板が残る
あたりに人の気配はなく
黒いエンジン音が響いて
自衛隊の車両が次々近づいては
私たちを追い抜いていく

地を這うように歩き続けて
初めて明らかになる
山の上では見えなかったもの
それでも この地に生きる人は
富士の裾野に語りかけ
杉のひとつひとつを整えながら
落ち葉の道を消そうとする力に耐えている

 〈須山口富士登山道〉近辺は、私が中・高校生の頃によく遊んだ地域ですので、なつかしく拝読しました。「たまご拾い牧場」は御殿場口だったと思いますから、須走口→山頂→御殿場口というポピュラーな富士登山だったのかもしれません。〈林の奥深く言葉を飲み込まれて〉、〈入り込んだら身も心も埋もれてしまいそうな/ススキの原が広がっていた〉などのフレーズに〈富士の裾野〉の雰囲気がよく出ていると云えるでしょう。〈地を這うように歩き続けて/初めて明らかになる〉ものを表出させた作品だと思いました。






   
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