きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館 |
2010.5.17(月)
先月紹介されて知り合った、広島の詩人宅に2泊で遊びに行ってきました。瀬戸内海の小島ですが、なかなか良い処でしたよ、何もなくて(^^; 私は静岡以西に住んだことはなく、海が見える住宅というのも初めてでしたけど、日本の原風景という感じでした。
でも、遠かったなあ。久しぶりに徹夜で740kmを運転しました。休憩を入れながらですが10時間。朝陽を見ながら6時に到着。運転した!という気になりました。
写真は近くの廃校になった小学校。就学前の幼児と校庭で遊んでいる家族が一組。若い母親がメールを打ちながら子どもたちを見ているのが印象的でした。拙宅の地域の中学校もこの3月で廃校。少子化は全国に及んでいるようです。
天気はご覧のような快晴。暑いほどでした。
○詩誌『詩区』130号 |
2010.5.20
東京都葛飾区 非売品 池澤秀和氏連絡先・詩区かつしか発行 |
<目次>
飛んでいった/田中眞由美 呼ばれて/田中眞由美
百日草/工藤憲治 時には母のない子のように/工藤憲治
病床で/内藤セツコ 橋をわたっていると/石川逸子
とまどいU/池澤秀和 影/堀越睦子
間に合う?/青山晴江 人間193
さくら/まつだひでお
第6 ヴィア ドロローサ(4)ヘロデ王官邸/まつだひでお
曼珠沙華の里/小川哲史 ショパン/小林徳明
気まぐれ存在回想/小林徳明 時を打つ/池沢京子
何ひとつ‥‥‥/しま・ようこ 同姓同名/みゆき杏子
間に合う?/青山晴江
主にあう
間に合わない?
きっとまにあう
たぶん間に合わない
やっぱりまにあわなかった
水遣りしていたから 草だけの植木鉢に
引き返したから かぎを確かめに
何度も繰り返し話したから 耳の遠い母に
つい引き込まれたから テレビ画面に
見込み違いは
少し進ませている時計の針?
いいえ
速く走っているつもりの
自分の足
それにしても
あの電車は
どうも
私を好きでないらしい
いつも目の前で
ぴしゃりと
扉が閉まるもの
10・4・25
この感じはよく分かりますね。〈目の前で/ぴしゃりと/扉が閉まる〉ときの悔しさ。田舎の電車は少々待ってくれるのですが、都会の電車は無情です。それは確かに遅れたこっちが悪いんですけど…。でも、遅れるには遅れるだけの理由があって…。そんな雰囲気がよく出ている作品だと思いました。
○詩誌『石の詩』76号 |
2010.5.20
三重県伊勢市 渡辺正也氏方・石の詩会発行 700円 |
<目次>
がんじがらみ 濱條智里 1
縮尺のない街 北川朱実 2 木陰へ 高澤静香 3
遺席/エクウス(2) 真岡太朗 4 記号譚 \ 米倉雅久 5
年末 青野直枝 6 冬の日 橋本和彦 7
人ではなくて 落合花子 8
三度のめしより(三十) ナイーヴで元気で醜かった人々が 北川朱実 10
春の小川から 澤山すみへ 14
沈丁花 坂本幸子 15 陽だまりのアキアカネ 浜口 拓 16
同窓会 濱條智里 17 食堂の昼/童謡 谷本州子 18
マナー・モード 西出新三郎 19 女人を乗せた舟 渡辺正也 20
■石の詩会CORNER 21
題字・渡辺正也
縮尺のない街/北川朱実
――釣り竿を持って
二階の窓に立っています
と言ったあなたに
いつまでもたどり着けない
駅から歩いて十分
という家を探して
行ったり来たりするうち
気がついた
地図に
縮尺も目盛りもないことに
どこまでも青い
東シナ海のようなこの空は
誰かの売り物だろうか
重なりあうビルとビルの間に
波が打ち寄せ
波間を
油がうすく漂っている
あれは
どこにも捨てようがなくて
昨日 こっそりと側溝に流した
私の一日ではないか
水から跳ね上がった
イワシほどの魚は
いつか あなたが
竿ごと引きずり込まれて
おもわずオシッコを洩らした
という相手ではないか
(さびしさは
(いつも透明な嘘を抱いていて
あなたが
眼を輝かせて腕を広げるたびに
逃げたものは巨きくなり
歩き直すたびに
街に
クジラの背中のような坂が
増えていく
〈地図に/縮尺も目盛りもない〉という発想がおもしろいのですが、それ以上に〈こっそりと側溝に流した/私の一日〉という詩語に惹かれます。〈腕を広げるたびに/逃げたものは巨きくな〉るのは釣師の日常のようですけど、ここは〈私〉が〈あなたに/いつまでもたどり着けない〉ことを謂っているのかもしれませんね。今号の巻頭。北川朱実詩らしい作品だと思いました。
○個人誌『御貴洛』4号 |
2010.5.9 大分県大分市 なんとかなる編集室・河野俊一氏発行 250円 |
<目次>
詩 狩り 1 短い指 3 伝説 5
連載 ブカツな日々(第4回)9
連載 おき楽おん楽(第3回)「つぐない」 11
ふじが丘辞典 4 11
御気楽・おきらく 12
OKIRAKU後記 12
(表紙 「食通ゆたか」の穴子天丼・東京都大田区)
狩り/河野俊一
また朝がやってきてしまったので
槍を抱えて山に行く
獣の通る姿は美しい
午前の逆光の中で光る毛並み
規則正しく動く脚の筋肉
時々私は槍を投げてみる
獣には当たらずに空気を泳いでゆく槍
獣の方もそれを知っていて
わき目もふらずに去ってゆく
陽は低くなり一日が終わる
さて
と自分に声をかけて私は立ち上がる
今日も獲物はなかったが
帰ればパート帰りの妻が
共同購入の肉ぐらいは仕入れているはず
日々の営みは
このようにして繰り返される
獣は獣の夢をみて
私は私の夢をみて
作者が高校の先生だからかもしれませんが、〈獣〉は私には生徒に思えてしまいます。もちろん詩でも文学でも、仕事でもいいんですけど、〈美しい〉〈姿〉、〈光る毛並み〉、〈脚の筋肉〉などは抽象的な概念ではない具体性を感じます。〈槍を投げてみる〉というのは教育者としての投げかけだろうと思います。作者の意図とはズレているでしょうが、そんな読み方をしてみました。