きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館




2010.5.18(火)


 瀬戸内海の小島、滞在2日目。曇り空ながら時折り強い陽射しも差す日でした。関東とは違う陽の強さを感じます。
 今日はカンパにつき合わされました。詩人は米国に平和祈念美術館を創ろうという運動をやっていて、ホテルで開催されるあるキリスト教関係の団体の会合に出向いて、そこで建設資金の一部を募るとのこと。お前も一緒に来いとのことですから、行きましたよ、ダンボールの募金箱を下げて…。

 詩人はその団体で1ヵ月ほど前に講演をやったそうで、会場の入口に立っていると、知り合いらしい人が大勢寄ってきました。次々にカンパをしてくれるので驚きましたが、新聞社も取材に来るほどですから、地元では有名人なんでしょうね。
 私はただ立っていただけですけど、高校生の頃のカンパ活動を思い出しました。広島の原水禁世界大会に代表を送ろうということになて、旅費をカンパで集めたのです。校内だけでなく、学校のそばの民家に行ってカンパしてもらったことを憶えています。原水禁運動に世間も理解があった時代ですから、結構な金額が集まって代表を送ることができました。
 今日のカンパで美術館が建つわけはありませんが、たとえ1000円、2000円でも浄財が加わった建設資金というものには意義があると思います。他でも何度かカンパを募るそうですから、ぜひ成功してほしいですね。

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 写真はそれとはまったく関係なく、詩人宅から見える集落と瀬戸内海です。小島が多くて、海はまるで川のように見えます。潮流はかなり速く、ところどころで渦を巻いていました。
 夜は酒を呑んで遅くまで話し込んで、まだ3回ほどしかお会いしていないというのに、10年来の旧知のようでした。詩という共通の話題に尽きることはなく、佳い夜でした。




詩とエッセイ『焔』85号
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2010.4.30 横浜市西区
福田正夫詩の会発行 1000円

<目次>

(きょ)の器 古田豊治 4          アニマルパーク 亀川省吾 5
誕生から/大人へと/終電で 黒田佳子 6  ゆっくり 回復 森やすこ 8
泳いでいる 平出鏡子 10          ふたたびこころよ 瀬戸口宣司 11
雪、埒もないこと 山崎豊彦 12       旅立ち 浅見洋子 14
娘は小学一年生 上林忠夫 15        うばすて山 工藤 茂 16
野良牛一/野良牛二/ベナレスの牛 濱本久子 18
事実 地 隆 20             台湾精神 許 育誠 22
初日ノ出を見に行く 金子秀夫 24      漂う月に 伊東二美江 25
「すみません」 保坂登志子 26        パハリさんの死 福田美鈴 28
蠍 新井翠翹 30              山/贈り物 阿部忠俊 32
Kさん 長谷川忍 34
<ノンフィクション> 阿片 錦 連 36
<連載> 再検証「井上靖と戦争」――十五年の時をドラマを超えて(1) 宮崎潤一 39
<古田康二追悼> 古田康二作品抄 44
もろい恋 亀川省吾 47           生真面目な詩人 濱本久子 48
古田康二さん 金子秀夫 50         古田康二さん 比留間一成 52
優しさに寄せて 福田美鈴 54
<追悼・天彦五男>
涙噛みしめて−天彦五男氏を偲ぶ 丈 創平 56
気息えんえんの東京っ子 原田道子 59
<書評>
錦連詩集『我が画廊』 黒田佳子 65     金子秀夫詩集『満潮の音』 藤田 博 68
森やすこ詩集「おお 大変」 金井雄二 72
<同人の窓>
詩作 許 育誠 75             春便り 雨海 修 75
<書評>
宇田禮著「艾青という詩人」に見る中国の言論事情 丸山あつし 76
詩誌紹介 長谷川忍 79
<福田正夫賞受賞リスト> 82
<詩集紹介> 金子秀夫 84
<編集後記>
表紙/福田達夫
目次カット/湯沢悦子




 
「すみません」/保坂登志子

母は幼い私にいつも
「ごめんなさいが言える子にね」と
言って聞かせた
私はそれがなかなか言えない子だったから−

そう言う母が私には
「ごめんね」と言うより「すまないねえ」が口癖
 だったと 大人になってから気がついた

小学生の頃から、私が学校から帰ると
母は座布団に横たわり洗面器をかかえて胃痙攣で
 苦しんでいることが多かった そんな時
洗濯物の取り込みやお使い、夕食の支度の手伝い
何でもした
母は何度も「すまないねえ」と私に言う
そんな時、力無い母の言葉が淋しくて
母は死ぬんじゃないかと 恐くて仕方なかった

母が死んでから解ったことがあった
「ごめんなさい」は他人が自分を許すことを乞い
「すみません」は、自分の責任が果たせていない
ことへの自責の思いがあるのだと
母としては娘の面倒もままならない無念の思いが
「すまないねえ」と言わせたのだろうと

「ごめんなさい」「すみません」いつも何かしら
釈然としないまま使い分けていた言葉
「すみません」はどこか卑屈めいた感触があって
お辞儀の角度が深くなるような…
けれど近頃
「済みません」と言いたい事が多くなった
自分の気持ちが片付かなくなってきたからだ
やるべきことができない辛い気持がつのり
自分として「済まない」のだ

それでも
「ごめんなさいが言える子にね」
母に教えられた言葉が身に付いていて
まだまだこちらを愛用している
少しでも自分への責めには気づかぬふりをして…

「すまないねえ」は心の奥に隠してある
あの頃のやるせない淋しさとともに

 〈「ごめんなさい」は他人が自分を許すことを乞い/「すみません」は、自分の責任が果たせていない/ことへの自責の思いがある〉というのは、たぶんその通りでしょう。その使い分けを〈少しでも自分への責めには気づかぬふりをして〉〈まだまだこちらを愛用している〉のも分かるように思います。そして〈「済みません」と言いたい事が多くなった〉のも納得できますね。謝罪の言葉と同時に謙譲の言葉、日本語の奥深さを感じさせる作品です。




会報『かわさき詩人会議通信』55号
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2010.6.1発行 非売品

<目次>
井上ひさしさんの言葉「書くことを、錆びつかせないために」/河津みのる
風/さがの真紀               風景の仲間/寺尾知紗
空いっぱいのサクラ色/小杉知也       春愁/山口洋子
春の雨/枕木一平              シャッター商店街/さがの真紀
包丁/寺尾知紗               伊豆稲取の早朝/小杉知也
ロボット/寺尾知紗




 
春の雨/枕木一平

住まいのかたづけは
自分の身を削るようなさみしい行為だ
世の中には
物をうまくかたづけられる人と
そうでない人がいる
その人の性格だと思えば一言ですんでしまうが
そんな単純なことではない
一冊の本にしたところで
一度読んだらもういらない人と
年をとってからも一度読み返したい人と
そこに本が一冊かたづくかかたづかないか
形として残ってくる

思い切って
これは捨てる これは残しておく
第一次の仕分け作業はそこからだ
ひとつひとつの物には
何十年という重さが加わっていて
思わぬ時間がかかっていく
その時間を短縮するには
勇気と決断が必要になってくる
次から次へすばやく過去を消してゆく
(パソコンの削除をクリックするように)

物のない時代に育ったわたしに
そなえついてしまったような
物を簡単に捨てられない性格は
現代社会にはじゃまなのかもしれない
自己嫌悪を陥りながら
ようやく終えた第一次仕分け作業
振り向けばゴミの山である
使えばまだ立派に役立つものが多くある
ゴミの山である

次にまっていたのは第二次仕分け作業
ビン 缶 プラスチック
可燃ゴミ 不燃ゴミ 資源ゴミ
大型ゴミから家電リサイクル対象品
市が配ったゴミの分け方出し方
三十ページを超える手引きを辞典のように引用しながらすすめてみるが
それがどれにあてはまるのか
考えてしまうものも数多い
住みにくい世の中になったものだ
ため息をつきながらパニック状態の作業が続く

仕事が終わったあともゴミかたづけ
食事が終わったあともゴミかたづけ
休日は朝から晩までゴミかたづけ
夜 床に入ると頭の中はゴミだらけ
ゴミに潰されかけたユメまでみる
いっそうのこと 何ももっていなければ
こんな苦労をしないですんだものをと
ふらちな考えまでしてしまう
だがそれは 生きてきたことを
今までの人生をまっこうから否定してしまうことになりかねないから
グッとこらえて眠りにつく
桜の花もとうに散ってしまったのに
外は冷たい雨が降っている。

 これは分かりますね。〈いっそうのこと 何ももっていなければ〉と思うのですが、たしかに〈生きてきたことを/今までの人生をまっこうから否定してしまうことになりかね〉ません。拙HPはそんな思いもあって、自分なりのデーターベースにしているのですが、それでも現実の紙の本は手放せません。電子の情報とは違うのです。最終部分の〈グッとこらえて眠りにつく〉、〈外は冷たい雨が降っている。〉が身に沁みる作品です。




個人誌『パープル』36号
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2010.6.21 川崎市宮前区
パープルの会・高村昌憲氏発行 500円

<目次>
詩   献杯…村昌憲(2)
    父を悼み…村喜美子(4)
    あれはまだ…村喜美子(6)
    ひとつの〈聲〉−逝きし時代への挽歌−…中平 耀(7)
翻訳詩 アラン『ガブリエル詩集(四)』…村昌憲訳(13)
評論  初期プロポ断想(その19)…村昌憲(14)
編集後記(24) 執筆者住所録(24)
誌名/笠谷陽一 表紙デサイン/宿谷志郎 カット絵/村喜美子




 
あれはまだ…/村喜美子

まだ誰とも出会う前のことだったっけ…
やめろと言われ どうしてもやりたいと泣いて頼んだことがあった
おとなしかった娘の豹変に父は驚いたことだろう…
あれは高校三年の頃の事

まだ誰とも出会う前のことだったっけ…
レンズに写る空をなんてきれいなんだろうと思った
父は一眼レフのカメラの手入れに余念が無い
あれはまだ三才の頃の事

 詩は事実と関係なく作品として読めばよいわけなのですが、この前に載せられている詩から、亡くなったお父上への追悼詩として読んでみました。短い詩ですが〈高校三年の頃〉、〈三才の頃〉と時間軸にも詩的な飛躍があって、父娘の関係がよく出ていると思います。繰り返される〈まだ誰とも出会う前のことだったっけ…〉というフレーズも奏功していると思いました。






   
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