きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館 |
2010.5.19(水)
瀬戸内海の小島、滞在最終日。午後から帰宅しました。午後10時ごろには帰宅できるだろうと思って出たのですが、高速道路はあちこちで集中工事。おまけに強い雨も降って散々でした。帰宅は0時近くで、結局12時間かかったことになります。
でも、愛車スバル・インプレッサは快調でしたね。フルタイム4輪駆動というのは悪天候ほど強いということを実感しました。水浸しの高速道路でもガッチリ路面を捉えて、安定感・安心感抜群。長距離ドライブの楽しさも味わった小旅行でした。
○詩誌『現代詩神戸』231号 |
2010.4.30 神戸市須磨区 和田氏方発行所 400円 |
<目次>
【詩篇】
夕日/大石玉子 3 小さい貝/水こし町子 4
捨てた友だち/豊原清明 5 記憶の水/中川道子 6
水仙と日々/春名純子 7 平成歳時記/大賀二郎 8
加齢と共に/土屋宣子 9 初めての遺書/藤井 清 10
花束/丸本明子 11 スピード考/たかはらおさむ 12
消えたすみか/たかはらおさむ 13 紗希ちゃんの歩み/今井ふじ子 14
進化/小西 誠 15 影/小西 誠 15
神様が聞いてくださるから/川田あひる 16 にちにち草の部屋から/川田あひる 17
独白体の/永井ますみ 18 はじめての選挙/北原文雄 19
退職/岩ア英世 20 地面ばかり/宮川 守 22
遠野/児玉勅顕 23 豆狸の徳利/松尾茂夫 24
バス停にて 花冷え/中野百合子 26 夕ぐれ・花/和田英子 28
【散文】
「現代詩神戸」とサークル詩活動/松尾茂夫 29
編集後記 31
表紙カット:水こし町子
豆狸の徳利/松尾茂夫
雨がショボショボ降る晩に
豆狸(まめだ)が徳利もって酒買いに
酒屋の前で徳利割って
家いんでおかんに叱られて
おまん三つで泣きやんだ
(兵庫のわらべうた)
敗戦二年後の春
空襲で焼失したわが家ちかくにバラックを建て
疎開先から神戸へ戻った
戦争未亡人になった母は洋裁店を始めて忙しく
小学四年生のボクも豆狸(まめだ)のように
よく買い物に行かされた
周りはまだ半分ほどが焼け跡のままだった
瓶を抱えて酒屋へ醤油を
買い物籠をぶらさげて八百屋へ
とりわけ緊張したのは闇米を買いに行くときだ
隣の町内にある長屋の三軒目が目的地だ
家の前には幼い兄弟二人が屈んでいて
ボクを見ると 兄が長屋の曲がり角へ来る
弟は家の前に立って兄の方を見る
二人は見張り役なのだ
ボクが玄関の戸を開けて入ると
オバサンが出てきて
「今日はいくら要るの」と訊いて
「二升」と応えると また奥へ行き
左手で米袋を引きずってくる
オバサンには右手が無い
農家へ買い出しに行った帰りに
汽車の中で警察の手入れに遭い
逃げようとして線路に右腕を引きちぎられた
オバサンは五合枡で丁寧に米を計り
持ち込んだ二重の風呂敷に反物のかたちに包む
ボクはそれを腰に結びつけ
警察官に出遭わないよう路地を遠回りして帰った
思い出してみると あの頃
どこへ買い物に行くときも
瓶や籠や風呂敷を持って出かけた
今風にいうマイバッグ マイボトルだ
昨今ボクもマイバッグは持っている
だが買い物を終えてレジに並ぶと
いつもマイバッグは手許に無い
クルマに置き忘れたのだ
毎回ペナルティの五円を払って
ビニール袋を貰い
わが健忘症を嘆いている
〈敗戦二年後〉の庶民の暮らしがよく分かる作品だと思います。〈幼い兄弟二人〉が〈見張り役〉をするなど、いまでは到底考えられないでしょう。私はこの2年後の生まれですから体験はありませんが、物心ついた頃にはまだ敗戦の気配が残っていました。
作品は最終連がよいですね。〈わが健忘症を嘆いている〉と自分を低く押さえたところに共感しました。
○隔月刊詩誌『RIVIERE』110号 |
2010.5.15 堺市南区 横田英子氏発行 500円 |
<目次>
馬の疾走を見た日から 横田 英子(4) 妹よ 清水 一郎(6)
辻の角 泉本 真里(8) 夏の模様 大田 武志(10)
湿原にて 平野 裕子(12) 拒絶する風 正岡 洋夫(14)
朝昼夜 安心院祐一(16) アルデイ 山下 俊子(18)
流れる 蘆野つづみ(20) 阪神淡路大震災から十五年 後 恵子(22)
横にとんだ 永井ますみ(24)
RlVlERE/せせらぎ 永井ますみ・横田英子・河井洋・石村勇二 (26)〜(29)
妻帰る 石村 勇二(30) 春の夕暮れ方 戸田 和樹(32)
今年の春は ますおかやよい(34) 施無畏 釣部 与志(36)
雪が降る 立野 康子(38) 雨男 内藤 文雄(40)
お祖母ちゃん・梅 藤本 肇(42) 春の日に 小野田重子(44)
ガンガーの日の出 嵯峨 京子(46) 人間の間で 松本 映(48)
約束 河井 洋(50)
受贈誌一覧(52) 同人住所録(53) 編集ノート 河井 洋
表紙の写真・横田英子/詩・釣部与志
馬の疾走を見た日から/横田英子
馬は真っ直ぐに
街の中を走った
その向こうに
大草原を見たのか
何もかも脱ぎ捨て
二度と競馬場に戻らない
必死のたてがみは風になびく
疾走するのは
馬だけでなく
誘われた私の一部分も
奇妙な形で
走ろうとする
全身で走れなかった
悔いの端切れが
私のどこかで
ふいと爪を立てる
馬の幻影は まだ
うごめいている
彼の目に宿っていた
光の渦が
体じゅうに流れる
解き放された歓びの足音の
響きまでも
今も走り続けるか
前方に広がる
海も宙も大陸も
すべて君の世界
私の脳裏を駆け巡る
馬に乾杯
そういえば以前、移送中の競争馬が逃げ出したという事件があったように思います。それに関連付けた作品かもしれませんが、第2連の〈疾走するのは/馬だけでなく/誘われた私の一部分も/奇妙な形で/走ろうとする〉というフレーズが重要だと思います。私たちの多くは〈全身で走れなかった/悔いの端切れ〉を持っているわけで、馬の遁走でそれを自覚したと捉えました。だから、最終連の〈馬に乾杯〉に共感できるのだと思います。
○エッセイ誌『交差点』10号 |
2010.4.15
神戸市灘区 直原弘道氏発行 非売品 |
<目次>
母恋トンボ・針しごと/蔦 茂子/2
難しいエコ生活/下野けい子/7
いろいろ診る・誠意/本宮八重子/12
修禅寺界隈散策記/木崎千代子/17
何匹か胸に残して鬼は外・大ばあちゃんの手・夜の訪問者・ハエ叩きはなぜ当たらないか/辻下和美/22
裏打ち・母のパッチワーク・溝掃除/永井ますみ/27
小阪多喜子という女のこと/じきはらひろみち/32
あとがき/じきはらひろみち
表紙絵とさし絵/蔦 茂子・石井寛治
裏打ち/永井ますみ
私は習字をしないのだが、墨書の作品を貰うことがあって「裏打ちをして貰ったら額に入れても映えるんだけど」と度々言われていた。毎日の勤めがある内は考えもしなかったが、一月に退職してから時間ができた。沢山の墨書を眼前にして、その裏打ちをしてみようと思い立った。
最近は、分からないことがあったらネット検索でなんとかなる。凄い時代になったものだ。「○○について」という本を買って眼鏡を掛けたり外したりしながら、読み込む事はないのだ。
もし一箇所のホームページが分かりにくければ違う処、と言う風に三箇所くらい廻ったら、準備も手順も、おおよその見当がつくようになっている。
裏打ちとは、字が書かれた半紙の裏にもう一枚紙を貼り付けて、丈夫にすることのようだ。その紙は画用紙でもいいが、表紙が和紙なので、裏も和紙の方が歪まず、都合がいいらしい。表をパリッとさせるためには、裏がしっかりする必要があるのだろう。同じ和紙といっても、柔らか過ぎては全体に張りがでないし、固すぎると反りが変わってくるようだ。
道具としては、普通の障子用の刷毛と、もう少し硬い刷毛と、それを貼り付けて乾燥させる板が必要のようだ。
「表面を滑らかに加工したベニヤ板がいるんだって。ホームセンターで売ってるって書いてあるわ。なんぼくらいするんかなあ」と私。
「大きくなくて良いなら裏に置いてある」夫はそう言うと、直ちに持ってくる。最近、絵を描いているので、刷毛も大小揃えているらしく、「これはどうや」といろんな刷毛を持ってくる。糊が必要らしいというと、年代物の、切り口が干からびた障子貼り用の糊を持ってくる。二倍に薄めるとか、十倍に薄めるという記載があるので、ありがたく戴いておく。
朝食の済んだ食卓に、文字の書かれた半紙を裏返しにして置き、霧を吹いて真っすぐに刷毛で伸ばす。隣に裏打ち用の少し大きめの和紙を並べて置いて、これには十倍に薄めた糊を刷毛できれいに塗りつける。
和紙は不思議だ水を充分含ませても破れず、墨も滲まない。かえって、生まれた時に戻って喜んでいるようだ。裏打ち用の和紙をそうっと力を均等に持ち上げて、表の和紙に重ねる。そして、その上を糊のついていない刷毛で、皺をつけないようになぞって伸ばす。
二センチメートル位はみ出している裏打ちの部分だけに、二倍に薄めた糊を塗って、そっと机から剥がす。この時に裏表の和紙を二枚、空気を入れないようにぴったりとくっつけたまま剥がす事が大切だ。私はケーキ作りに使っていたゴムべラを使って剥がした。壁際に立てかけておいたベニヤ板の上に、何時間か貼り付けて乾かす。乾燥したら、裁断して終わり。
用意してくれたベニヤ板が、一度に三枚分位しか貼れなかった。三度の食事が済む度に、そのテーブルに半紙を広げた。
私より先にフリーの身になっている夫は「又してるんか」と言いながら、まんざらでもないような顔をしている。
裏になるのが私か彼かはさておいて、これから先の政治も経済も不明の時代、海外旅行へ行ったり新しい買い物をするような、贅沢な生活は望むべくもないけれど、このように新しい発見のなかで過ごす事ができたら、それはそれで良いのじゃないかとも思う。
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エッセイ教室卒業生の年鑑アンソロジーです。紹介した〈裏打ち〉に私も興味があったのですが、たしかに〈分からないことがあったらネット検索でなんとかなる。凄い時代になったものだ〉と思いますね。このエッセイも要を得ていて、自分でも試してみたくなりました。最終部の〈裏になるのが私か彼かはさておいて〉という部分はエッセイとしての要(かなめ)ですね。これがあるかないかでエッセイの質が変わるように思います。