きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館 |
2010.5.20(木)
特に予定のない日。昨日の疲れを癒しながら、いただいた本を拝読していました。
○会報『「詩人の輪」通信』29号 |
2010.5.20
東京都豊島区 九条の会・詩人の輪事務局発行 非売品 |
<目次>
「九条の会」関東ブロック交流集会開く
井上ひさしさん逝く!
詩
赤い花/榎本愛子 朱塗りの杯/外園静代
マッチ箱と富士山/名古屋哲夫 鎖国/坂 杜宇
透明な影/澤田康男 二〇一〇年 節目の年/磐城葦彦
名札/青木はるみ 少女の声/水谷なりこ
九条の会講演会案内
赤い花/榎本愛子
ことしもそろそろ つゆが終りそう
でもね ことしは あじさいの当り年
どこへ行っても きれいなあじさい
雨の中 みごとな ふさふさ花のかたまり
わたしの当り年は 真っ赤なあじさい
春 4月26日
教え子達が クラス会をやってくれた
教え子っておいくつだと思いますか
なんと65歳なんです
わたしは ただ嬉しくて目をうるませていた
その時 記念にもらった鉢植えの赤い花。
赤いあじさいなんてはじめて。
昔、六年生を受け持ち卒業させた
彼等彼女たち、その時、13歳
半世紀も とうに過ぎ
今年65歳 私は81歳です。
おかげ様で元気。
戦争がなかったから 平和だったから
いつまでも 元気でね 平和でね
輝け 9条 9条輝け。
赤い花 とわに。
長寿社会になって〈教え子〉は〈今年65歳 私は81歳〉というのは珍しくないことですが、考えてみれば〈戦争がなかったから 平和だったから〉なんですね。その平和を作り出したのは米軍の核抑止力でもなんでもなくて、〈9条〉だったと思います。これからも〈教え子達が クラス会をやってくれ〉るような日本にしたいですね。
○詩と散文『多島海』17号 |
2010.5.20
神戸市北区 江口節氏編集 非売品 |
<目次>
Poem
ショパンのこころで*松本 衆司…2 春なんです*森原 直子…6
駒ケ林*江口 節…9 ことばによるキノコ図鮭B*彼未れい子…12
Prose
キツネのいる村*彼来れい子…16 オッチャンとオバチャンが足らんY*松本 衆司…21
転居考*森原 直子…29 「駒ケ林」のことなど*江口 節…32
同人名簿…39
入り江で…40
カット 彼末れい子
ショパンのこころで/松本衆司
一本の楠の下で
約束したいつもの時間に
あわい光と闇がふれあい
こころと心があふれていた
空き地には
黄や赤の春の草が
敷き詰められて
何げなく触れた
手と手が
弾かれた鍵盤の
和音のように
夢のかたちをととのえてゆく
遠慮がちに重なる手に
とりとめもなく
白い蝶が舞い
春の旋律が
恥ずかしげに流れてゆく
――そんなひととき
人は誰もが
この 初恋のような ピアノ詩人のようなひとときを
過ごしたことがあるのではないでしょうか
そこに言葉はいらない ただ時の移ろいの中
確かではないけれど「いのちの囁き」が
聞こえていたのです
「いまの自分は過去の自分の引用によって支えられている」
とは 文芸時評で拾った兄事する荒川洋治さんの言葉
今 あなたがたと共に
懐かしい心のしぐさで
我が身に触れた事々を想いたい
人は 限りなく生まれてくる感情の 母胎である
あるがままの現実の時間の中
そこでひたすらに そして危うく生きている
人は 存在の悲しみを 問わなければならない
誰にも そのせつない問いの仕事がある
たったひとりの人としての 問いの姿が
惑いであり 郷愁であり 鬱情であり 痛切であり
祈りに ほかならない
わたしたちは遠くまで来てしまったのです
もう一度 現実という時間を純化して
「始まり」の過去に触れよう 「いのちの囁き」を聴こう
そのとき おろそかにしてはいけない
確かな愛が生まれる
作者による散文「オッチャンとオバチャンが足らんY」を読むと高校の先生のようですから、紹介した詩は高校生向けに意識して創られたものなのかもしれません。もちろん年齢に関係なく〈この 初恋のような ピアノ詩人のようなひとときを/過ごしたことがある〉わけですけど、むしろ私などの年齢には〈わたしたちは遠くまで来てしまったのです〉というフレーズの方が実感があります。〈もう一度 現実という時間を純化して/「始まり」の過去に触れよう 「いのちの囁き」を聴こう〉と思いますが…。そんなことを感じた作品です。
○個人誌『る』3号 |
2010.5.20
横浜市磯子区 弓田弓子氏発行 非売品 |
<目次>
白い紐 1
結婚線がぶけている 3
アッ、ホゥ、ホゥゥ 5
白い紐
蛇口を分解して
つまようじで
ひごろの水垢をはじくりだす
こんな事で
時は流れていく
べつにいま水垢をほじくり
ほじくり する事もないの
だが
予定外の秒読みで
目眩をともない
おしまいになりそう
などと ひとりごと
ひとりごとが紙風船ふくらまし
低い天井にいくつも
つきあたり
白い紐をさげている
どの紐を引けば
蛇口はすっきりするのだろうか
水は水道管に
ひっかかることもないのだから
ここは水害でもないのだから
蛇口を分解してみがく
ゆきとどいた水仕事など
じんせいなどと
きちょうめんな呼び方で
いいのだろうか
窓がいっきに暗くなり
天井の風船が
やぶれ
白い紐が
降りてくる
〈白い紐〉の喩は難しいのですが、〈予定外〉のことをやってしまうことや〈じんせいなどと/きちょうめんな呼び方〉を考えていることから、例えば思想などを思い浮かべてもよいのかもしれません。〈ひとりごとが紙風船ふくらまし/低い天井にいくつも/つきあたり/白い紐をさげている〉ことや、どれかの〈紐を引けば/蛇口はすっきりする〉かもしれないと言っていることから、〈じんせい〉の〈水垢〉かもしれません。いろいろな読み方ができる詩だと思いました。