きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.5.23 静岡 中勘助文学記念館




2010.6.12(土)


 日本詩人クラブの第61回総会午後2時から東京大学駒場Tキャンパスのファカルティハウス・セミナールームで開催されました。100名近い出席者のもと、理事会提案議題はすべて原案通り可決されましたが、ある理事の退任を巡って大荒れに荒れた総会でした。まあ、議論が活発なのは申し分のないことですが、表面的な騒ぎになっただけだなという印象です。なかには面白いからもっとやれというようなヤジも飛び出して、聞いている私の方が恥ずかしくなりました。これが日本の詩人たちの標準とは思いませんけど、議論の仕方を本当に知らないんだなと感じてしまいました。そういう訓練ができていないんでしょうね。

 その中で監事のお一人の発言は立派でした。混乱の本質をきちんと捉えて、どういうふうに考えるべきかを示してくれました。それで収拾したようなものだと思っています。ちなみにその方は東大名誉教授。学問の徒の鑑だと感じ入りましたね。

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 総会のあとは恒例の永年会員顕彰。写真はそのお一人のご挨拶です。永年会員は20年以上の在籍で、満80歳になると顕彰されるのですが、とても80歳とは思えません。20年後の私はこのように若さを保っていられるか、そんなことも考えてしまった総会でした。
 続く懇親会、二次会はなごやかでした。議論は議論として、お酒の席ではなごやかになる、日本詩人クラブの良いところかもしれません。




後山光行氏著『詩と絵』ルネ・マグリット考
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2010.6.20 大阪府岸和田市 私家版 非売品

<目次>
窓ガラスの記憶――ルネ・マグリット考 6
我が小詩論「詩と絵」 ルネ・マグリット考 8
やぶれた風景――ルネ・マグリット 34
あとがき




 
窓ガラスの記憶 ――ルネ・マグリット考

破れはじめた風景に気付いたのはいつのことだったか
ちいさな存在の不安におののかされたとき
私の佇む風景がひび割れはじめた
あなたの視界のなかに
風景のひとつとして私が立ち止まることができるならば
そこに確かに私が存在しているだろう
風が吹き 太陽が輝いているいつもの風景の
ずっと遠くの稜線の端の部分に
わずかずつ別の世界から風が流れこんでいる
そこには 破片の窓ガラスに
風景を美しく記憶させているほどの現実はない
破れはじめた風景のなかで
ちいさな不安が更に明確な現実となる
もしかしたら風景のなかにあるあたかも自然そのままのみどり色は
風景の破れたあとかも知れない
存在の裏側から吹く風に気付いたとき
風景に入りきれない不安が増幅してしまって
私の風景を壊れた窓ガラスのように砕いてしまった
破片にもその向こうにも風景はない

            初出一九八五(昭和六十)年八月 「詩と版画」Vol.50

 タイトル通り〈ルネ・マグリット〉についての論考を集めたものです。私もこのシュールリアリストの作品が好きで、機会をみてはよく観ています。紹介した詩は「野原のカギ」という絵に対して書かれたもののようです。〈破片の窓ガラス〉に〈風景の破れたあと〉が描かれている、マグリットらしい発想の絵のようです。
 論考は2003年から2004年にかけて個人誌『粋青』に5回に分けて書かれたものでした。こうやってまとまることで一つの形になったなと思います。




詩誌『詩区』131号
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2010.6.20 東京都葛飾区
詩区かつしか・池澤秀和氏連絡先 非売品

<目次>
ひとりしづか/工藤憲治           りんごの花/工藤憲治
車椅子のひと/内藤セツコ          空回り/池澤秀和
チャコ/堀越睦子              かみさまの涙/青山晴江
人間175 八月六日/まつだひでお       第7 ヴィア ドロローサ(5)ピラト(プラエトリウム)官邸/まつだひでお
白鳥
(しらとり)/小川哲史.            やすらぎ/小林徳明
おのずからなる こころのままに/小林徳明  終曲/池沢京子
ぜったいに!/しま・ようこ         四季風呂暦/みゆき杏子




 
四季風呂暦/みゆき杏子

日の終わりに
ひとりになる部屋で腰かけて
壁の小さな日めくり暦
爪先つまんで引き抜くと
明日の言葉が現れて
慰めてくれたり
戒めてくれたり

月のはじめに
旬の花を湯で遊ぶ
むかし懐かしい四季風呂暦
力任せに引き抜くと
何日も先の言葉が現れて
不思議がったり
母に叱られたり

まばたきのような時間
少しずつ変わる季節も見えず
すり減っていくだけの心のなか
しまい忘れていた
温かさ 思い出させてくれる

【六月 無花果の湯】

白い汁の甘酸っぱい香りと
無彩色な記憶の軌道が
乾きながら ひろがっていく

 〈四季風呂暦〉という言葉に初めて出会いました。広辞苑には載っていませんでしたのでネットで調べてみると、四季風呂はその季節の風呂のこととあり、たとえば〈六月〉は〈無花果の湯〉となっているようです。それらが〈小さな日めくり暦〉になっているのを〈四季風呂暦〉と言うのかもしれません。
 作品は〈何日も先の言葉が現れて/不思議がったり〉というところに子どもの感性がよく出ていると思いました。






   
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