きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.5.23 静岡 中勘助文学記念館 |
2010.6.19(土)
3人いる姪のうち、いちばん下が結婚して、今日はその披露宴でした。妹の家族は音楽一家で、件の姪も高校生の頃からジャズバンドを組んで、アメリカのメジャナーなバンドと共演するほどの熱の入れようでした。結局、アメリカに音楽留学して、そこで知り合った黒人ミュージシャンと結婚しました。結婚式はすでにアメリカで済ませて、甘い新婚生活を送っているのですが、日本国内の友人たちや親戚にも披露しようと帰国したものです。
で、披露宴は当然ジャズ・セッション。高校生以来の仲間たちと競演してくれました。披露宴で生のジャズを聴くというのは初めての体験でしたが、いいもんですね。姪夫婦の末永い幸せを祈ってます。
○山佐木進氏詩集『そして千年樹になれ』 |
2010.6.30 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税 |
<目次>
T
吉日 12 迎 14 掌 15 飛 16
符 17 帯 18 昼 19 雲 20
編 22 讃 24 磯 25 想 26
習 28 唱 30 景 32 坂道 33
泡 34 終電 35 あいさつ 36 鴉 38
忍 40 遊 41 幻 42 陽 44
U
式 48 願 50 初 51 心 52
芯 53 祝 54 席 56 縁 58
歩 59 糧 60 巡 61 望 1 62
望 2 64 許 65 賭 66 韻 68
実 69 遅刻 70 訳 72 祭 74
歌 76 出口 78 像 79
V
葬 84 名づける 86 飢 88 声 90
委託 93 共和国 96 石碑 100. めざめ 103
あとがき 108. 略歴 110
訳
キリスト教が伝来したとき
信者たちはその神の愛を
愛とは言わないで
“ごたいせつ”と
言いあっていたと聞いたことがある
他者をだいじにおもい
自分もだいじに感じ
さらにだいじな心もちをとじこめて
はちきれそうになっていた
“ごたいせつ”という言葉とその心もち
やがてそれは
愛という単語のなかに溶かされていくけれど
地から滲みだして
空へ立ちのぼっていく息づかいのような
“ごたいせつ”という神さまへのことば
2年ぶりの第6詩集です。私は個人的に〈愛〉という言葉があまり好きではありません。実体がよく分らない上に手垢が着き過ぎていると感じるからです。その代わりに“大事にする”、“大事に思う”などと表現してきましたが、同じことが書かれていてびっくりしました。結局、〈それは/愛という単語のなかに溶かされて〉きたのでしょうね。〈“ごたいせつ”という神さまへのことば〉、先人の名「訳」と、それを採り上げた著者に敬服しました。
○詩誌『SPACE』92号 |
2010.7.1
高知県高知市 大家氏方・SPACEの会発行 非売品 |
<目次>
詩
マイマイ/高岡 力 2 面接/木野ふみ 4
田んぼの草木/豊原清明 6 決して/かわじまさよ 8
旅(三人の老婆)/嵯峨恵子 10 壷の中の海/近澤有孝 13
月の光りの中で/山下千恵子 16 回り燈篭の絵のように(17)/澤田智恵 17
再び/中原 繁博 26 距離/筒井佐和子 28
西日/坂多瑩子 30 泳ぐ人−防空壕と畑のある家(3)/中上哲夫 32
§
男の仕事/南原充士 46 蛍/萱野笛子 48
甲虫/尾崎幹夫 52 雨女/秋田律子 54
水椅子/山川久三 56 隠れみの ほか1編/松田太郎 58
迷う/弘井 正 60 寒い昼に/中口秀樹 61
あッ/大家正志 64 竹の子を捜す女/指田 一 70
寒い春/日原正彦 72
俳句 内田紀久子 44
シナリオ 『イナカに帰った扇風機』/豊原清明 34
エッセイ カスミ草/山沖素子 36
小説 転移恋愛/大石聡美 38
編集雑記 大家 76
決して/かわじまさよ
決してお鍋の蓋をあけたり
かきまぜたりしてはいけませんよ
お鍋は からっぽで
ほこりをかぶったまま
そこには
あたたかなスープも
煮こまれた肉のかたまりも
何もあるはずもなく
黙々とした時間が
黙々と冷めている
私はナイフとフォークとスプーンを
胸のポケットに隠し持っている
それらをいつどのように使って
これからを生きていけばいいのか
それより お箸
かびの生えているこの割り箸
これこそが 私のあるべき姿か
お鍋に閉ぢこもる
もう 長い間
ほこりをかぶったまま
からっぽだった
お鍋に閉ぢこもって
食欲をうしなっていく
〈お鍋〉は調理用の道具で、決して食糧ではありません。〈ナイフとフォークとスプーン〉、そして〈お箸〉は食事の補助器具です。この詩は食糧の替わりに〈私〉が〈お鍋に閉ぢこもって/食欲をうしなっていく〉のですから、自分自身を食べられないということを謂っているのかもしれません。そして〈決してお鍋の蓋をあけたり/かきまぜたりしてはいけませんよ〉という冒頭を考えると、自分を解析するな、とも採れましょう。そんなことを考えながら愉しんだ作品です。
○隔月刊会報『新・原詩人』30号 |
2010.6 東京都多摩市 江原氏方事務所 200円 |
<目次>
《この詩 28》中川一政の詩・2編 解説‥三好達治 紹介‥江原茂雄 1
読者の声 2
詩
忘れてしまうがいいさ/raipati 2 ネットから脱出する/江素瑛 3
流れるいのち/長谷川修児 3 ブリューメール/樺美智子(遺作) 3
ことば/神 信子 3 春の別れ/大井康暢 4
障がい/伊藤眞司 4
俳句 普天間移設 太田敦子 3 廃歌 流し雛 あらいともこ 3
エセー2題 大橋晴夫 4 くまたろ農園便り 5
春風/木原 実 6 『礫』40より 6
事務局より 6
ネットから脱出する/江
素瑛
年寄りを働かせるようなものではないか
動かそうと
衰えたハートデスクの頭脳が
懸命に乱れる電波ばかりを放出する
とうとう疲れ切っただろう
動くのを拒否したのではないか
パソコンを点検する店の技師が
手振り身振りで愛想よく説明してくれた
パソコンが壊れると
ネットの世界から放り出されてしまう
もろもろ接点が消え
情報が得ない
いままでのパソコン依存生活は
夢のように
夢から覚めたように
狭い液晶画面
窮屈な空間
息が詰まりそうな圧迫感
ネットの包囲から抜け出し
囚われる時間から解放され
情報が得ないのに
余裕ができて豊か時空ができた
われ一人は世に居なくなる思い
われ一人が世にいなくなっても
世は変わることはないが
われの身が軽くなっている
これは分りますね。たまにパソコンを1〜2日入院させることがありますけど、〈余裕ができて豊か時空ができた〉ことを実感します。しかしその後の反動が怖いので、なかなか愉しむまでには至りません。20年に及ぶ〈パソコン依存生活〉に〈われの身が軽くなっている〉ことを実感できる日が来るのか…。悩みは深いです。