きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.9.25(土)
詩誌『東国』収穫祭というイベントに、群馬・新前橋の「群馬厚生年金会館
<ウェルシティ前橋>
」という処へ行ってきました。『東国』同人がこの1年で出版した詩書6冊の合同出版祝賀会ということですね。記録としてその6冊を記しておきます。
(1)愛敬浩一氏著『現代詩における大橋政人』
(2)青山みゆき氏著『大地のなかで―アメリカ先住民文学』
(3)大橋政人氏詩集『秋の授業』
(4)金井裕美子氏詩集『わたがしとけいとう』
(5)小山和郎氏詩集『冬の肖像たち』
(6)山形照美氏詩集『ムーン・アクアリウム』
私がいただいた詩書は(1)(5)(6)です。ハイパーリンクを張っておきましたから、よろしかったら内容の一部が判りますのでご覧ください。それぞれに力のある詩書であることがご理解いただけると思います。
写真は、山形照美さんに花束を渡す神山暁美さん。 従来、『東国』の出版祝賀会は畳の部屋で行われていたそうで、 今回のような立食形式は初めてだそうです。 和室もいいけど50名近い人が集まりましたからね、 立食で良かったと思います。 会場内の移動もスムーズでした。 踊りまで披露した詩人もいましたから、広くて良かった! 二次会は和室でしたし、30人ほどが居残りましたので、 ちょっと窮屈な思いをしました。 でも、関口将夫さんや青木幹枝さん、伊藤信一さんなどと親しく お話できたのは収穫。うん、まさに収穫祭だ(^^; そうそう、開宴前、久しぶりに現代詩資料館「榛名まほろば」の 富沢智館長ともお話できました。これも収穫。 館では10月16日に白石かずこさんのライヴがあって、出席を迷って いたのですが、これで決まりだな。 |
○詩誌『布』19号 | ||||
2004.4.30 | ||||
埼玉県戸田市 | ||||
阿蘇 豊氏他 発行 | ||||
100円 | ||||
自立 阿蘇 豊
おれは食べている
おれはうどんを食べている
おれは釣りに行くまえうどんを食べている
おれは神奈川県に釣りに行く前にうどんを食べている
埼玉県に住むおれは神奈川県に釣りに行く前にうどんを食べて
いる
埼玉県に住むおれは神奈川県に釣りに行く前にひとりでうどん
を食べている
埼玉県に住むおれは神奈川県に釣りに行く前に新宿駅でひとり
でうどんを食べている
埼玉県に住むおれは神奈川県に釣りに行く前に新宿駅でひとり
で天玉うどんを食べている
埼玉県に住むおれは神奈川県にふなを釣りに行く前に新宿駅で
ひとりで天玉うどんを食べている
二〇〇三年六月二十一日午前七時四十三分
おれは神奈川県と関係ない
おれは天玉うどんとときどき関係を持つ
おれは新宿駅とかなり関係する
おれはふな釣りを愛している
ほかのことは知ったこっちゃない
アーアー
本日は人と関係しません
だからこれで
こんにちは
さようなら
「関係」性ということについて考えてしまう作品ですね。「ほかのことは知ったこっちゃない」とわざわざ断るほど「神奈川県」を気にしているのかな?と神奈川県民の私は思います(^^; 「本日は人と関係しません」と言うのも、「ふな釣り」に行くから他人と会わないという意味なんでしょうが、そこにも関係性へのこだわりを感じますね。
第1連は畳み掛けていく描き方がおもしろい。この手でいけば応用範囲は限りないけど、私がやったら二番煎じになってしうからやらない。タイトルはもちろん関係性の象徴ですね。「二〇〇三年六月二十一日午前七時四十三分」という即物性が「自立」している、そんな云い方もできるかもしれません。
○詩誌『ひょうたん』24号 | ||||
2004.8.31 | ||||
東京都板橋区 | ||||
相沢育男氏方・ひょうたん倶楽部 発行 | ||||
400円 | ||||
日曜日 大園由美子
陽だまりを
吸い込んだふとんは
ゆっくりと眠りに入っていく
月曜日
羊が一頭 ふとんにもぐり込む
火曜日
二頭目の羊が 後を追う
水曜日には三頭目
日を重ねる度に
羊は増え
土曜日
ついに
安眠を邪魔され続けたふとんは
羊たちを追い出しにかかる
羊たちは一歩も引かず
ふとんは悩む
腕組みをして ため息をひとつ
迂闊にも
陽だまりを吐き出してしまったふとんは
あわてて口に手をやるが
時すでに遅く
陽だまりは空へ帰っていく
陽だまりのしっぽをつかんで
羊たちも空への階段を走り始める
ふとんは
またひとり
眠れぬ夜を数え始める
「日曜日」までに「陽だまりを吐き出してしまったふとん」が、その日は「またひとり/眠れぬ夜を数え始める」という作品ですが、おもしろい比喩ですね。「羊たち」は湿気であり、湿気た思想や思いと解釈できるでしょう。その「羊たち」が「陽だまりのしっぽをつかんで」「空への階段を走り始める」というのは、思想の解体と考えて良さそうです。確かに「日曜日」とはそんな思いに囚われる日かもしれませんね。「ふとん」でこれだけ深遠なことを書いた作品に初めて出会いました。
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