きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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この花、なに?
踊子草? 千鳥草?
はくさんちどり? てがたちどり?
2005.1.11
自宅裏畑にて
 

2005.2.19(土)

 シャンソン歌手・金丸麻子さんのソロ・コンサート「巴里に憧れて〜2005〜」に行ってきました。場所は新宿5丁目の「ミノトール2」です。最近の金丸さんはSKDなどに出ていて、ソロは久しぶりだなと思っていたら案の定、2003年11月築地「兎小舎」以来だとパンフレットに書いてありました。1年3ヵ月ぶりのソロ、堪能させてもらいました。

  050219.JPG    写真撮影禁止になっていたんですが、本人の許可があればOKとご本人が言っていましたから(^^; 撮らせてもらいました。でも遠慮してストロボは使わなかったので、ちょっとボケています。眼も閉じているし…。そのほうがいいか(^^;;;

 背景はGoodでした。「ミノトール2」って普段は何をやっているのか知らないんですが、なかなか良い店です。そうそう、焼酎の「中々」もあったしね(^^; 5〜6杯も呑んじゃいました。

 お客さんも大入り。彼女のソロは多くても50人ほどだと思うのですが、今日は70人は入っていたでしょう。満員でした。中学校の同級生からSKDのスターたちまで来ていて、各層から好かれているのが判ります。

 今日は職場のおば様二人を連れて行ったので、コンサートの終了後に彼女が私たちのテーブルに来たときに「今度はもっと若い娘を連れて来る!」と言ったんですが、「若い独身の男性を連れて来て!」と切り替えされてしまいました。フン、誰が連れて来るもんか(^^;

 備忘録で、唄った歌を記録しておきます。
 「巴里の空の下」「枯葉」「バラ色の人生」「ルナロッサ」「残されし恋には」「男と女」「巴里は不思議」「パリパナム」、「幸福を売る男」「シェリーに口づけ」「百万本の薔薇」「いつの日か」「逢いびき」「黒い鷲」「哀しみのソレアード」。なかでも「黒い鷲」は久しぶりに聴いて、良かったです。次のソロはいつかな? 楽しみにしています。



詩誌『梢』37号
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2005.2.20
東京都西東京市
山岡和範氏方(事務局) 井上賢治氏 発行
300円
 

    机    山田典子

   小学校に入学した時
   教室に並んでいたのは
   右上すみに 名前の札を貼った
   机と椅子
   教室の居場所が そこだった

   脱脂粉乳の給食も
   計数器を使った 算数も
   机と椅子の
   その場所を使った
   あれから五十年が過ぎた
   学校に机と椅子
   校庭には遊具の鉄棒やブランコ
   あるのが当然と思ってすごしていた

   パキスタンの難民キャンプの小学校
   薄暗い教室に
   子どもたちが 腰を下ろして
   座っている
   ヒザをそろえたその上が 机
   数枚の紙に先生の書く 板書を写している
   キラキラ光る瞳が
   先生を注視している

   義務教育制度のないという
   パキスタン
   学ぶという意志を
   目もと 口もとに強くこめた
   黒いひとみの子どもたち
   抱きしめてあげたい思いを
   黙って持ち帰ってきた
   パキスタンの旅

 「五十年」前の「小学校に入学した時」のことを私も覚えています。「学校に机と椅子/校庭には遊具の鉄棒やブランコ/あるのが当然と思ってすごして」いました。今でもそう思っています。しかし、この作品を読んで、そんな境遇がいかに恵まれたものであるのかと気付きました。「パキスタンの難民キャンプの小学校」では「ヒザをそろえたその上が 机」なんですね。だからこそ「キラキラ光る瞳が/先生を注視して」、「学ぶという意志を/目もと 口もとに強くこめ」ているのかもしれません。恵まれた環境があれば巧くいくわけではないことを、いわゆる先進国≠ヘ反面教師として示しているのでしょう。
 「抱きしめてあげたい思い」というフレーズに作者のヒューマンさを見た思いです。現実は決して「抱きしめ」たわけではありません。底の浅いものではなく、精神性の高さを感じました。



堀田郁子氏詩集『熟れた石榴』
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2005.2.10
東京都豊島区
詩人会議出版刊
1500円
 

    熟れた石榴

   肌は乾き
   色褪せ
   ゆっくりと硬さを増し

   朱い花を咲かせた
   遠い日からの
   数々の想いの
   白い核を透かせて
   紅色の果肉は
   すっぱい悔恨の味をふくんで
   露にぬれた夜の数だけ重くなる

   乾いた果皮にはしる亀裂の
   少しずつひろがってゆく痛みは
   核が充実してゆくよろこびとつりあう

   たわわな実りは
   孤を描く時の先端で
   もぎとられた後の
   空
(くう)を知ろうとする

   たそがれの
   溶暗にまぎれてゆく石榴の
   裂け目の奥に
   ひととき つやと輝くくれない

 著者の第一詩集です。ご出版おめでとうございます。
 紹介した作品はタイトルポエムですが、詩集の中でも完成度の高い作品と云えましょう。特に3連の「少しずつひろがってゆく痛みは/核が充実してゆくよろこびとつりあう」というフレーズは石榴に託した人間の喩として捉えられると思います。

 著者は詩誌『燦α』にも所属していて、詩集中の作品
「ひとりぼっち」「桜ふぶき」「やじろべえ」は拙HPで紹介しています。佳い作品です。合わせてご覧いただくと良いでしょう。今後のご活躍を祈念しています。



詩誌『幻竜』創刊号
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2005.3.1
埼玉県川口市
幻竜舎・清水正吾氏 発行
非売品
 

    画像    清水正吾

   幼い日 こどもながらに
   胸の奥に 虫ピンで貼り止めた
   二枚の画像があった

   その一枚の写真は
   大正十二年 関東大震災
   本所被服廠の逃げ場のない火災跡
   モノクロの白い人魂がうごめいている
   焼けあとのシャリコウベの山
   ひとが大量に死ぬという

   もうひとつは
   上野科学博物館の
   しずまりかえった地下室
   ガラス器に保存された
   ぶよぶよの葡萄状児のホルマリンづけ
   ひとが生まれるという溶液に浮く

   眼に焼きついた
   秘密めいたひとの胎児
   石灰の人骨の塊り
   わたしは蜘蛛膜のおくふかく
   ふたつの画像を育ててきた

   それから半世紀
   世界のメディアは
   白骨の山 おびただしい遺品を
   薬物による異状児の肢体を
   カメラ・アイがくまなく捕らえ写しだす

   驚きの様相は
   うごく画像に変貌したが
   幼い日に 虫ピンで貼り止めた
   わたしの酵母菌は増殖し いまもうずく

 新しい詩誌の創刊です。創刊の主旨を「幻竜の栞」で次のように述べています。

    幻も竜もまぼろしであるという。「幻竜」なるものは無い。げんりゅ
   うはワープロではまず「源流」であろう。
    二十一世紀の科学は、ミクロもマクロも原理の源へと、とことん追求
   の手をゆるめない。私たちはナノや宇宙の解明を驚きをもって知らさ
   れる。
    今日の詩人は情緒的に哲理や科学を感受して、幻の源流を追求してい
   るはずである。それぞれの詩人がアイデンティティー、自己の源流を
   構築していく過程を、ここに表現する場としたい。

 「今日の詩人は情緒的に哲理や科学を感受して、幻の源流を追求している」という見方は的を射ているでしょう。瞠目させられました。
 さて、紹介した作品は発行人による4編の詩の中の1編です。「関東大震災」と「葡萄状児」の「ふたつの画像」は、「カメラ・アイがくまなく捕らえ写しだ」し「うごく画像に変貌した」今では素朴なものなのかもしれません。しかし「いまもうずく」と言う作者の感性は詩人としての「自己の源流」なのだと気付かされます。読者としても大事に捉えたい視点だと思います。
 新しい詩誌の今後のご活躍を祈念しています。




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