きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.12
宮崎「西都原古墳群」にて
 

2005.7.22(金)

 金曜呑み会。昨日は「獺祭」を呑めなくて悔しかったので、今日は必ず置いてある店に行きました。期待は裏切られませんでした。呑みたい、呑みたいと思っていたからでしょうか、いつもの数倍旨かったように思います。
 でも、2合で止めておきました。調子に乗って3合、4合と呑んでしまうと明日に差し障りがあります。明日は日本詩人クラブの広報誌『詩界』の編集会議です。今年度第1回目ですから、シラフで行きたい(^^; ま、抑えましたけど、美味しく呑めた夜です。




海埜今日子氏詩集『隣睦』
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2005.7.20
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

  <目次>
   隣睦
(りんぼく) 10
   草宮 12
   降るほうへ。 16
   火文
(ひもん) 20
   逃げ水 24
   孤を描く。 28
   縫われる月 32
   あなたもまたかの女をいない。 36
   一別 40
   分陰 42
   非再会 46
   かたむく髪 50
   交接 54
   再往 58
   彼岸花 62
   河口 66
   書物行き 70
   記述蒼
(きじゅつそう) 74
   他人行き 78
   いたむ爪 82
   はつ熱 86
   流砂 90
   他夢
(ほかゆめ) 94
   花蓋 98
   横顔 102

   あとがき 106
   初出一覧



    
りんぼく
    隣睦

   それを隣、といえばよいのか。四つ辻が、彼をすうっと押すのだっ
   た。おもいだせない、おもいがけない点、点のなか、かわいた子ど
   もがまぶしかった。ふむごとに、のように通りがけに女がわらう。
   古い傷がなびいていた、たどりたかったのかもしれなかった。平行
   が、ふれんばかりになめらかだ。
   ふとしたすき間がやわらかになる。たちどまっては角度に追われ、
   線にみたててつなごうとする、あなたはころぶ速度でわすれる、か
   ら。かがむごとに男は痛んだ、しずまる呼吸がききたかった。彼女
   の軸足がたたまれた。隣家のようにせわしなく、ぐるりをめぐる少
   女だった。
   たりない一本分のかげりをもとめ、うけとることが三叉路になる。
   わたしはえらんだ、ふりむいた。隣人のような距離だった。他人の
   家でねむりたがる、切れ目のなさに子どもがゆらぐ、あるいはそう
   してやってきたのだ。ひさしの先から違和があふれ、道のすじに首
   をふる。彼は真昼をちぎってやまない。
   みじかい線がぶれてゆく、ので、かぎざきにつかれた地平がある。
   霧散にまみれ、ざわめく隣接。少年はかたわらを、彼は冗談のよう
   にそのへりを、さけぶ間もなくぬぐうだろう。T字路が、こだまの
   ように、うんざりするほどてまねきだ。しみてくるのはいつでもあ
   らい息、だったから。彼女付近にうなだれること。
   かすれていた、線ならば、交差することもあるのだろうか。またい
   では点、点と、彼にまとう、ながれのようなかげだった。幼年のま
   わりをめぐっていた、日時計のような誤差がある。わたしはとうに
   治っていた、から。分岐路に、あなたの息がかさなった。ながい午
   後が隣にいない。

 詩集のタイトルポエムです。「隣睦」とは著者の造語で、著者自身もそのように思っていたそうですが、実は旺文社の漢和辞典に載っていた、と「あとがき」にありました。それでは、と私も自宅にあった三省堂、小学館、大修館の漢和辞典に当ってみましたが、残念ながら載っていませんでした。「あとがき」によると意味は近づきなかよくする≠セそうです。それは著者が<造語>した意図と同じだったようですが、それだけではなく隣という他者に、ふるさとに対するような郷愁に似たものを感じている、ということも含まれる≠ニありました。

 そういう観点でこの作品を読むと、意図するところが判ると思います。「たりない一本分のかげりをもとめ、うけとることが三叉路になる」「かすれていた、線ならば、交差することもあるのだろうか」などのフレーズに私は意図を読み取っています。それはそれとしても「みじかい線がぶれてゆく、ので、かぎざきにつかれた地平がある」なんてフレーズは、痺れるほど佳いですね。

 詩集に収められた作品のうち、
「分陰」「流砂」は拙HPでもすでに紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合せてご覧いただくと良いと思います。




河上 鴨氏詩集『海辺の僧侶』
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2005.8.10
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2300円+税
 

  <目次>
   第一章 海辺の僧侶
   海辺の僧侶 10
   二足草鞋の僧侶 14
   苦悩の僧侶 18
   対生の僧侶 20
   対極の僧侶 24

   第二章 石の感触
   石の感触 30
   グァム島の内的イメージ 34
   巨樹が見ている空の下 38
   墓碑銘 40
   祈り 42
   悪夢 46
   変身譚 50
   迷宮 52

   第三章 錆
   錆 58
   桃のかんづめ 60
   悪露
(おろ) 62
   父恋い 66
   無垢 68
   室内楽 72
   記憶術T 74
   記憶術U 76
   眼の記憶 78
   照明技師 82
   滝口武士 86
   生 88

   後書きに成り代えて 山本十四尾 90
       装画・装幀 丸地 守



    二足草鞋の僧侶

            
わらじ
   僧侶と教師の二足の草鞋をはいている
   S先生と酒を飲みながらタケシの話を聞く

   タケシは
   突然 友達を突き倒したり
   友達の目を突いたりする

   S先生はそんなタケシと将棋をさす
   ひとさしでタケシが負けたと分かると
   タケシの目が三角に尖って
   赤い目から火花が飛び散る

   かあちゃんが学枚に迎えにきた
   タケシはかあちゃんの腹をけとばした
   かあちゃんは タケシを抱きしめる

   以前はタケシからけられると
   かあちゃんは張手をしていた
   S先生とタケシの病気について
   話をするようになって
   かあちゃんは変わった
            

   「あんな みのけな女はいない」
   と まわりの人から後ろ指さされる
    かあちゃん
   どんな いわれがあるのか
   わからないけど
   かあちゃんの持っている さもしさや
    いやらしさが
   S先生の中にも あるという
   人間って何かな
   他人の持っている 激しさや さもしさや
    いやらしさが
   自分の中にあるのがわかって
   やっと その人が理解できるのじゃないかな

   僧侶は 盃を置いた

      
* 中津地方の方言 どうしょうもない女

 著者は2000年に『老僧』という詩集を出しており、今回も「僧侶」が重要な位置を占めています。その理由が山本十四尾氏の「後書きに成り代えて」で判りました。もう亡くなっていますが敬愛する僧侶がいたのですね。実は「河上鴨」というペンネームは二代目で、初代はその僧侶。ペンネームを引継いだものでした。
 紹介した作品の初代「河上鴨」氏が根底にあると思います。「他人の持っている 激しさや さもしさや/いやらしさが/自分の中にあるのがわかって/やっと その人が理解できるのじゃないかな」と云う「僧侶」の言葉に敬服します。二代目を継ぎたくなる気持が判る作品です。
 詩集
『老僧』は拙HPでも紹介しており、ハイパーリンクを張っておきましたから、合せてご覧になると良いでしょう。




詩誌『ぼん』42号
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2005.7.30
東京都葛飾区
池澤秀和氏 発行
非売品
 

  <目次>
   詩  まだ子供だった頃    齋藤   2
   随筆 刻の狭間で 42     池渾秀和  4
      時々目覚める七・五音  池渾秀和  12


    まだ子供だった頃    齋藤 

   まだ子供だった頃 幽霊がいて
   柱時計が真夜中にぼんと鳴ると
   孤独な音に一人目覚めて
   布団にもぐり 息を殺した夜があった

   まだ子供だった頃 夜更けの風で
   寝ぼけ眼に窓の星空を眺めていると
   山裾を尾を引き揺らめく怪しい光
   そこそこに用足し飛び出た夏があった

   まだ子供だった頃 闇があって
   迷い出た霊の囁きが微かに聞こえ
   街灯のはだか電球が明滅すると
   柳の風さえ首筋に冷たかった

   まだ子供だった頃 人さらいがいて
   駄目な子は丁雅に女朗にサーカスに
   毎日を鞭で打たれてひもじく泣いて
   留守の日は一人押し入れに息を潜めた

   まだ子供だった頃 殺しなど滅多に無くて
   犬でさえ遠吠えで仲間と心を結んでいた
   夢にまで見た志を果たした団欒の老後
   ケイタイ片手に夜通し遊ぶ子もいなかった

 作者とはちょっと年齢が離れていますが、私たちが「まだ子供だった頃」もこんな感じでしたね。「幽霊がいて」「怪しい光」があって「人さらいがいて」、そして何より「闇があって」怖かったです。もちろん「殺しなど滅多に無くて」、あったとしても自分たちとは関係のない遠い世界の話でした。でも、私はちょっと不良でしたから、中学生の頃は「夜通し遊」んでいたかな(^^;
 「ケイタイ」が出てきたこの4、5年は特に変化が大きいようです。いつでも連絡が付けられるという変な安心感が「夜通し遊ぶ子」を助長しているように思います。「ケイタイ」は今でも問題が多いのですが、そのうち考えもつかないとんでもないことが起きなければいいけどなぁ、とそんなことを考えさせられた作品です。




詩誌『地平線』38号
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2005.5.28
東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏 発行
600円
 

  <目次>
   隘 路 …………………………………………………………………………… 田口 秀美 1
   遅い夜明け ……………………………………………………………………… 秋元  炯 3
   あと二年か三年 ……………………………………………………………… いわ・たろう 5
   タマとクロ ……………………………………………………………………… 鈴木 狗子 7
   阿佐緒私抄(嬰児の歌) ……………………………………………………… 金子以左生 9
   幻 想 …………………………………………………………………………… 福栄 太郎 11
   三色のクレヨン箱 ……………………………………………………………… 小野 幸子 13
   一番雪 …………………………………………………………………………… 杜戸  泉 15
   飛べない鳥 ……………………………………………………………………… 川田 裕子 17
   指先まで ………………………………………………………………………… 飯島 幸子 19

   マイ・ベスト・ポエム コレクション
    水の器・大壷・裸木 ………………………………………………………… 大川久美子 21
    蓮華・殺し日・電話 ………………………………………………………… 沢  聖子 23
   詩集評 君の舌を演じている 中村吾郎『イラク戦詩・砂の火』について 石原  武 25

   石 ………………………………………………………………………………… 沢  聖子 27
   金惚け …………………………………………………………………………… 樽美 忠夫 29
   ベースボール …………………………………………………………………… 山川 久三 31
   前略女子生徒様 ………………………………………………………………… 大川久美子 33
   少 女 …………………………………………………………………………… 野田 新五 35
   愛(かな)しぶ たとえ ………………………………………………………… 中村 吾郎 37
   ま で …………………………………………………………………………… 山田 隆昭 39
   レクイエム …………………………………………………………………… たに みちお 41
   道 ………………………………………………………………………………… 丸山 勝久 43

  編集の窓・同人名簿・編集後記 ………………………………………………………………… 45



    あと二年か三年    いわ・たろう

   「心臓バイパス手術」をうけたとき
   若い医師は
   「これであと二年か三年はもちますよ」
   といった
   小生は
   「ありがとうございます」
   といって アタマを下げながら
   ひどいことをいうなと
   ぞっとした

   その
   あと
   二年か三年が
   せまっている

   ものごと計算通りにゆくものか
   と
   勝手に思い
   医学の進歩も思う

   小生よりトシウエのMが
   水割りをのみ
   煙草をすい
   「カラオケ」で歌っている
   彼は
   「気にするな」
   とはげましてくれるが言葉だけだと思う

 仮に実体験だとすると言い方が難しくなるので、ここは詩作品として考えたいと思います。「若い医師」の無頓着は今に始まったことではないでしょうが、それにしても「ひどいことをいう」ものだなと思います。医師全般とは考えたくありませんが、なかにはそういう医師もいるのは事実でしょうね。
 「『気にするな』/とはげましてくれるが言葉だけだと思う」というフレーズは、そういう体験をすると見えるものがある、ということでしょうか。素っ気ない書き方ですが「トシウエのM」氏を見る眼の鋭さを感じる作品です。




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