きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.8(木)

 午後から職安へ行って、認定というものを初めて受けました。要は雇用保険を給付できるかどうかを職安側が認定するもので、私の場合は定年退職扱いだからだろうと思うのですがスンナリ、数分で済んでしまいました。若い人たちは長い時間が掛かっていましたから、再就職するまでは本当に大変なんだなと思います。

 その後は紙芝居喫茶「アリキアの街」へ行ってきました。子守唄を普及する会があるから来てくれというもので、よく判らないまま行ってみました。近在の市から10人ほど集まっていて、そのうちNPO法人・日本子守唄協会代表の西舘好子さんという方が現れました。どこかで見たお顔だなと思っていたら、劇団「こまつ座」の主宰者で、作家の井上ひさしさんの元の奥さんでした。そういえば離婚のときにマスコミ報道が激しかったので、その時にTVで見ていたのかもしれませんね。ちなみに井上さんとは離婚後も仲は良いそうです。

 日本子守唄協会の目的は「親と子が互いに絆を確かめ合う歌といわれる子守唄を通して、現代のこころの文化情操教育のあるべき形、教育のありよう、親子のありようを見つめ直して、未来の親子関係、人間関係を模索していく」(パンフレットより)というもの。具体的には2000年から20回ほど全国各地でコンサートやフォーラム・講演会を開いてきたようです。おなじみのところでは小林千登勢、常田富士男、なぎら健壱、坂本スミ子、海老名香葉子、湯川れい子、丹羽進、小林カツヨ、藤村志保、イルカ、さとう宗幸などを呼んでいました。詩人では松永伍一さんが名誉理事になっており、大阪の詩と童謡誌『ぎんなん』のメンバー、もり・けんさんも協力していました。評論家の大宅映子、東大名誉教授の木村尚三郎、講談社の野間佐和子、前出・女優の藤村志保、同じく前出・音楽評論家の湯川れい子、そして宗教学者の山折哲雄など錚々たる人たちが理事に名を連ねていました。

 そんなところでお前は何をやるのか、と問われれば、要はヒト集め(^^; 先日、神奈川県本部というのが発足したらしくて、今日の集まりは神奈川県西部地区の発足という位置づけでした。小田原・南足柄地方はお前が担当しろということになりました。とりあえず10月に平塚か伊勢原あたりでコンサートをやろうということになり、私の該当地域で協力者を募ることが初仕事になりそうです。コンサートだけでなく子守唄の収集・記録も会の仕事として挙がっていましたから、その面での興味もそそられています。



飯島章氏・池田瑞輝氏親子詩集
『もう少し遠くまで』
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2006.7.15 東京都新宿区 文芸社刊 1500円+税

<目次>
飯島 章 詩
 未刊詩篇から
夏、たそがれを 10         蟻 ……母に 18
さよなら五分 20          八木先生 25
八木先生・キビタキ篇 To H.M 30 石巻先生「熱血篇」 36
こころを 40
 詩集『幼年記』から
ひとひらの花びらよりも 42     あたまでっかちの夏め 44
あの唄が火を 49          千年の夜を 53
 詩集『はたちの水』から
きみ、いません 56         町の名前を 60
手紙を書いています 63       そして、それから 67
ふくろうの河 70
 詩集『時を駆けるおじさん』から
ピクニック 74           昼間のパパは光っているぜ…… 76
花 そしてペンギン 79       叔父さんをさがす 83
 詩集『夢はそのさきにはもうゆかない』から
金や銀を 89            すべてのものには 92
競馬場跡で ――三条競馬場跡で 95 少女 98
春・競馬場跡で
.100         われらが夏の 104
昭和、みどりの
.107         冬、星ひとつかかえ ――清水昶氏に 109
夢は そのさきには もうゆかない
.112
 詩集『逢いびきの場処に』から
少女・ソネット 116         逢いびきの場処に 118

池田瑞輝 詩
 未刊詩篇から
拝啓 辻征夫様 126         バスに揺られて 129
さくらの木の下で
.132        お別れの日 135
 詩集『もっともっと高い木』から
 .138              木に登る 142
カマキリの叫び
.146         くちぶえ 150
夕焼け
.154             ぼくはひとりの少年を 158
電車
.163              こころ 167
ふみきり
.171            きみを待つ 175
ボートを漕ぐおじさんの肖像
.177   線路 179
夏の雨
.183             かくれんぼ 186
素敵な無関係
.189          つまり、ぼくは。 192
少年の日 195
 解説 211             あとがき 223



 昼間のパパは光っているぜ……/飯島 章

ふきあれて
春のあらし吹き荒れて
倒れんばかりの枯れ草をすぎ
あわいみどりのひかりに出会う

老いる者はふかく老いよ
夢見る者はさらに遠くをみつめよ
まだ幼くて泣きだす声あれば
星またたくように
夜を走れ

せりあがる刃器のような突風
こころ洗われて
昼間のパパは光っているぜ

パパであったとき
はたせなかった多くのことが
ひんやりと喉元にあって光っているぜ

おとうさんから
おじいさん
じじいとよばれる時代までも
抱えて生きていくんだ
たぶん それを

それを
おかあさんは いつか笑い話にして
きみたちも
きっと 笑う
理解できる日は
それからずっとあとにやってくる

または
やってこない

    
*表題は忌野清志郎の歌から採った。

 おそらく全国、ことによったら世界初かもしれない父親と息子の共著詩集です。母娘の共著は見たことがありますけど、父親と息子は私の記憶にはありません。快挙と言っても良い詩集です。
 詩集のタイトルついて飯島さんは<詩集『時を駆けるおじさん』のあとがきにも書いたことだが、「家族というのは、この地上でのいちどだけの組み合わせの、いちどだけのつかのまのピクニックだ」「一人去り、二人去り、そしていつか星降る夜のむこうにみんな消えていく」と、いまさらのように実感している。そうだとすれば、いまは「もう少し遠くまで」歩きたいと思い、この詩集がその第一歩になればと願っている>と書いています。紹介した飯島さんの作品にもそれは滲み出ていると思います。「それを/おかあさんは いつか笑い話にして/きみたちも/きっと 笑う」、そんな「もう少し遠くまで」を願望した作品と云えましょう。
 最終連が佳いですね。「または/やってこない」ことまで覚悟している詩人の面目躍如たる作品だと思います。

 さて、それでは次に息子の池田さんの作品を紹介してみましょう。


 かくれんぼ/池田瑞輝

幼稚園のころだったか
一緒に遊ぶきっかけを なかなかつくれなくて
団地のベランダから
こどもたちの輪の中におもちゃを落としては
階段を駆け下りて拾いに行き
ついでに遊んであげてもいいんだよって顔で
だれかが背中を押してくれるのを待っている
ぼくはそんなこどもだったと話すと
景気が良くなるまでかくれんぼでもしていてよと
会社に言われたというおじさんは
ふいに立ち上がり
かくれんぼするもの
よっといで
みつけてもらいたいひと
よっといでと
人さし指を立てた

いーち
にーい
さーん
しーい
大きな木の下で
一人ぼっちで ひゃくまで数えていると
世界中にたったひとりだけ
取り残された気がして
だんだん声が小さくなってしまうけれど
すこしだけ元気を出して
もういいかいと尋ねると
もういいよというおじさんの声に交じって
しわがれた声
見れば
高齢化社会の波にざばざばとのまれて
公園に漂い
月日を数えているばかりのおじいさんが
ベンチの下にもぐりこんで
ぎゅっと目をつぶっているのだった

 「景気が良くなるまでかくれんぼでもしていてよと/会社に言われ」て早期定年退職した私としては、これは身につまされる作品です(^^; もっとも、「かくれんぼ」が終ったからと言って戻ることはありませんけど…。
 前出の飯島さんの作品には「おとうさんから/おじいさん/じじいとよばれる時代までも」というフレーズが出てきますけど、この作品でも「おじさん」「おじいさん」が出てきて、同じような視点を持っているなと思います。やはり親子は似るものなのかもしれませんね。

 お二人の作品で、拙HPですでに紹介しているのは飯島さんの
「競馬場跡で ――三条競馬場跡で」、ただし初出はサブタイトルなし、池田さんでは「木に登る」「線路」があります。ハイパーリンクを張っておきましたので、合せて鑑賞していただけると良いと思います。



若原清氏詩集『物体童話』
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2006.6.5 静岡県浜松市 樹海社刊 2200円+税

<目次>
 T
梅雨の家族 08    水の食卓 10
端午の日に 13    浜辺にて 16
首を捻る 19     あっ、鳥が 22
霧小舎まで 25    部屋 28
あだし野 30     錆にまみれて 32
背光性バス紀行 35  ぶんぶん 38
 U
物体童話 42     みずのみみたぶみみのあな 45
りんごのくしゃみ 48 てんまり 50
モノたち 52     ねじ 54
ガラスの器 56
 V
秋日好日 60     竜宮 62
犬走りを猫が 65   触診 68
現役 70       予感 73
ごときもの 76    ぜんりつせん 78
病院から帰ると 80  旅 83
ベルが鳴る 86    下北幻想 88
最後の遮断機がいま93 きくわんしやのはらわた 96

 装幀・装画 堀 昌義



 物体童話

ある日 老人が
石につまづきました

石は大変 痛い
思いをしました

それから石は 極力
老人のつま先を避けようと
努力しました
が それは当然
努力だけであって
相変わらず 石でころぶ人が
絶えません

石は人より
はるかに遠い 太古の昔から
石として同じかたちで
ここに 存在してきたから

風化した鎧のように
肩を尖らせて
石であるべき姿を
誇示しながら
こんどはつまずく人への
<構え>を いっときも
おこたりません

 杖のように近づく時の影をたぐりよせては
 せつなに さりげなく
 足もとをすくう気まぐれな風

やさしい心根のひとほど
見事に
ころびます

 タイトルポエムを紹介してみました。「石」と「やさしい心根のひと」の喩は難しいのですが、例えば男と女、社会と個人などに置換えて読んでみました。作者の意図とは外れているかもしれませんが、そう読んでも大きな間違いではないでしょう。それを離れても最終連は佳いですね。この連だけでも一つの世界が成立していると思います。いま詩書画展を計画しているせいか、画廊に展示したい気にさせる連です。
 他に「梅雨の家族」「端午の日に」「首を捻る」「モノたち」「ねじ」「現役」「きくわんしやのはらわた」なども佳品と思った、質の高い詩集です。




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