きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて



2006.6.22(木) 3頁

 
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石田天祐氏戯曲集
ギルガメシュの大冒険
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1988.5.30 静岡県浜松市
ギルガメシュ出版刊 1800円

<目次>
「ギルガメシュ文学叢書」発刊の挨拶 福田豊 2
戯曲
ギルガメシュの大冒険(八幕)5
宰相の恋(四幕)62
陶朱公の息子たち(六幕)91
あとがき 130
年譜 132



 著者初の戯曲集です。あとがきと年譜によれば「宰相の恋」を1986年9月、「陶朱公の息子たち」を同年12月に完成させたようです。これはいずれも「史記」から想を採ったとのこと。表題ともなった「ギルガメシュの大冒険」は3作目で1987年5月の完成。私は戯曲にはまったくの素人ですが、やはり3作目の方が完成度が高くオリジナリティもあるように思います。不老不死の『生命の樹』を求めて世界中を旅するギルガメッシュは、最後に徐福を伴って日本を訪れます。紀元前2000年と現代日本の舞台での出会い、面白くて一気に読んでしまいました。ぜひ舞台で観たい作品です。



石田天祐氏小説と戯曲
『忽然の人』
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1990.8.15 静岡県浜松市
ギルガメシュ出版刊 1800円

<目次>
小説 忽然の人≪写楽≫ 3
小説 無名の人≪八百長≫ 45
小説 名立て≪成瀬川土左衛門≫ 97
戯曲 国盗
(と)り世継(よつ)ぎ 119
戯曲 悪霊 169
あとがき 238
年譜 242



 こちらは小説3本と戯曲2本。特に「無名の人≪八百長≫」が面白かったです。「八百長」というぐらいですから架空の八百屋長平あたりから来ているのだろうと思っていましたが何と実在の人物で、明治中期に東京で八百屋と相撲茶屋を経営していた根本長造という男とのこと。谷中の延寿寺には「八百長」の奉納額が実在するというのですから驚きです。では、なぜイカサマの「八百長」として名をのこしたのか。それは種明かしになりますから多くは書きませんが、意外にも私的な碁の勝負でした。今でこそ「八百長」と言うと、特にスポーツ界などでは大金が動いてとんでもない事件になりますけど、もとはささやかなことだったのだなという印象を持ちました。



石田天祐氏小説と戯曲
『マルドゥクの怒り』
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1992.10.10 静岡県浜松市
ギルガメシュ出版刊 2000円

<目次>
献詩「マルドゥクの愛の歌」4
小説「マルドゥクの怒り」7
戯曲「それからの桃太郎」197
あとがき 240
年譜 242
著者プロフィール「顔写真」




 マルドゥクの愛の歌

わたしはマルドゥク
シュメールの王国に君臨する神の中の王者だ
この世でわたしの意のままにならぬものは
何もない
わたしは永遠の生命をそなえ
世界の運命を支配する全智全能の神だ
人間どもの最高の賢者も
わたしにかかれば愚者に等しい
しかし 亡び逝く者に冷酷な神なるわたしも
愚者の中でただひとり
英雄ギルガメシュを愛さずにはいられない
彼は愛の神イナンナの誘惑をもしりぞけ
命を限りひたすらに
人生を旅する夢追いの狩人だ
永遠の生命を求め続ける彼の行手に
希望はない、あるのは絶望だけだ
なのに ギルガメシュよ
お前はなぜわたしを称えぬのか
人間どもの夢見る欲望のすべてを与える
マルドゥクの神をなぜ崇
(あが)めぬ
世俗の愛も 日常の快楽も
すべていらぬというのか
ならば ギルガメシュよ 愛する愚者よ
神なるマルドゥクが
お前に類
(たぐ)いない栄光を与えよう
不老不死の空しい夢を追いつつ
世界を旅するギルガメシュの名が
人間どもの歴史に語り継がれる栄光を

 献詩、小説、戯曲が1本ずつの著作です。ここでは献詩を紹介してみました。一連の著作で出てくる「ギルガメシュ」に対し「シュメールの王国に君臨する神の中の王者」「マルドゥク」による献詩です。
 本著では戯曲「それからの桃太郎」が面白かったです。鬼退治で大儲けをした桃太郎はその後悠々自適の生活。そこに訪れてくる映画の大島監督、脚本家、女優。そしてランボー、モーツァルト、数学者のガロワ。果ては平賀源内、浦島太郎、ギルガメシュまで登場して奇想天外な話が展開します。詳細は書きませんが、桃太郎が意外と質素な生活で派手さがないことに安堵感を覚えました。著者のモノゴトへの姿勢なのだろうと思っています。



石田天祐氏詩集
『イシュタル讃歌』
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1995.5.20 京都府相楽郡木津町
ギルガメシュ出版局刊 3000円

<目次>
献詩 イシュタル讃歌
親娘の対話 12    内証話 14
省察と祈願 16    望郷 18
黒揚羽 20      帰郷 22
エチケット 24    ガロア 26
壷を讃える 28    江南紀行 30
妻に捧げる愛の歌 34 アプサラス讃歌 36
敦煌紀行 38     西安紀行 40
わが死 44      タイ語 46
モーツァルト讃歌 50 旅の夢 52
エジプト紀行 54   コプト教徒 60
母の声 62      ポンペイ紀行 64
イスタンブール紀行66 ギリシャ紀行 70
カトマンズ紀行 74  グラダナ紀行 78
親子の対話 82    スリランカ紀行 86
人生エレジー 88   シロタマゴテングダケ 90
ベニテングダケ 92  南総スケッチ 94
あとがきの人生 96  石器人 98
東大讃歌 100
.    ヒンディ語 102
カルカッタ紀行 104
. ダージリン紀行 110
サルナート紀行 112
. ベナレス紀行 114
ベナレスでの夢 116
. アグラ紀行 120
少女讃歌 122
.    紫禁城 124
プロポーズ 126
.   墓参 128
チベット幻想 130
.  老眼鏡 134
ラサでの夢 136
.   ラサ印象記 138
シガツェ紀行 140
.  ギャンツェ紀行 142
チベット高原 144
.  成都紀行 146
鳥葬の時 148
.    鳥人紀行 150
モロッコ紀行 152
.  ジブラルタル海峡 154
あとがき 156
.    年譜 158
表紙イラスト 石田寿珠子(すずこ)



 あとがきの人生

ぼくは長生きをした
二十
(はたち)で死ぬ夢を実現できず
百年の半分を生きた
ぼくの愛した天才たちは
みな若くして旅立った
ガロワはくだらない決闘で
関根正二は栄養失調で
ともに二十で死んだ
女蕩
(た)らしのバイロンは
ギリシャ独立戦争に加わり
三十六歳で客死した
ランボーは十九歳で詩を捨て
三十七歳で両足を切って死んだ
人並みの結婚をして
妻と子に恵まれたぼくは
詩と小説を書き散らし
学者崩れの手法で
やまとことばの源流を遡った
夭折の夢に挫折したぼくは
不老不死の英雄ギルガメシュに憧れ
沢山の外国語を齧り
沢山の国を愛人とともに旅をした
ぼくは長生きをしたが
ぼくの愛した天才たちは
輝かしい名を残し
早くに姿を消した
置いてけぼりを喰らい
思い懸けず長生きをして
平成五年の七月五日
ぼくは百年の半分を生きた

 非常に詩的なタイトルだと思います。「あとがき」は小説や詩集の終わった後に書かれるものですから、著者の意識はすでに書くべきものは書いた、あとは余生、というものなのかもしれません。また「あとがき」には堅苦しい芸術性はちょっと措いて本音が書かれているものと私は思っています。その意味でもこの作品は本音なんでしょうね。「置いてけぼりを喰ら」っても結構、「百年」まで「長生き」するのも詩人の生き方のひとつ、と凡人の私などは思ってしまいます。


   
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