きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.1.22 爪木崎・水仙群生 |
2008.2.2(土)
西さがみ文芸展覧会の3日目。私は当番ではありませんでしたので、行きませんでした。ひたすら読書、読書。今日の来場者は38名だったそうです。土曜日にしては少ないかもしれませんが、まあ、そんなもんでしょうね。
○個人詩紙『おい、おい』52号 |
2007.12.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品 |
<目次>
こなす
形
元祖フリーターの伝(九)
形
こうして
たそがれていくじんせい
こうして
ムダ飯鳴いするじかん
こういう
嘆きとも虚しさともつかないものを
味わうために
生まれてきたのか
こうなったら
後は何があるのか
こうなっても
何もない
こう
こう
「こう」言う
形がいけないんだよな
「こういう/嘆きとも虚しさともつかないものを/味わうために/生まれてきたのか」というフレーズは多くの人に共感されるのではないでしょうか。そんなはずではなかったけど、気がついてみるといつの間にか「たそがれていくじんせい」を感じている…。その原因は「『こう』言う/形がいけないんだよな」と看破しています。まるで山之口獏のような詩だと思いました。
○個人詩紙『おい、おい』53号 |
2008.1.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品 |
<目次>
なぐさめ
一条の花
元祖フリーターの伝(十)
一条の花
ヒトは
一条の花となる
花
花
花
去り行く花
去り行く花を
見送る
見送る我もまた
一条の花となっておる
この世の
はかなさ地獄
我は無に
帰りとうはない
この作品は薄っぺらな「無」の思想に対する告発とでも言うべきものでしょうか。「この世」は「はかなさ地獄」であっても「ヒトは/一条の花となる」ことを信じたいという、作者の叫びを感じます。「我は無に/帰りとうはない」、「我もまた/一条の花となっておる」ということを矜恃とした作品ではないかと思います。
○個人詩紙『おい、おい』54号 |
2008.2.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品 |
<目次>
哀しみの立身出世主義者
見学
元祖フリーターの伝(十一)
見学
この世へ何しに来た?
この世を見学するために
来た
見学?
ウイ
見て、学んで、何する?
「この世へ何しに来た?」。その答は「この世を見学するために」。じゃあ「見て、学んで、何する?」。この問に答えることがおそらく哲学なんだろうと思いますが、もちろん完璧な回答など出ようもありません。ヒトは一生その問の回答を探しながら生きていくものなのでしょう。短い詩ですが、生きることの本質を問う佳品と言えますね。
← 前の頁 次の頁 →
(2月の部屋へ戻る)