きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.1.22 爪木崎・水仙群生




2008.2.7(木)


 私より30歳も若い姪に誘われて、昼食を共にしました。彼女が運転してくれますから、私はビールも呑めて、なかなかいいものです。でも、連れて行かれたところはバイキング形式のレストラン。若い娘には何でも食べられて魅力的な店なんでしょうが、お昼の外食はお蕎麦と決まっているおぢさんとしては、何を選んでいいのか戸惑いましたね。結局ビールのつまみ程度で、元はとれなかったでしょう。
 バイキングの店だから、お店の女の子に「ビールもバイキング?」と聞いたのですが、「それなら私が飲みます!」とかわされてしまいました。うん、でも、そのかわし方が鮮やかで良かったです。姪は呆れた顔をしていましたけどね(^^;



奥沢拓氏著『大姫と義高』
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2008.2.15 東京都新宿区 文芸社刊 1200円+税

<目次>
大姫と義高…5    耳…75
竜神伝説…87     その後の大姫「夕笛」…169



 

 この町のある寺の住職は齢
(よわい)四十を少し過ぎたほどだが、日々の修行に熱心で天竺の諸々の仏典にも深く通じていた。住職は法事や冠婚葬祭などの折、商人、武士、百姓、誰彼の区別なくこころを込めその務めを果たしているつもりだったので、町の全ての人たちから敬愛されていると思っていた。
 ある時、住職は風邪でもひいたのか非常な高熱を出した。日頃から住職は顔の血色もよく身体はかなり丈夫なほうだったので以前いつ熱を出したか思い出せないほどだった。だが、今度の病はすこぶる重く水以外は喉を通さず、身体が焼けただれてしまうかと思われるほどの高熱が数日間続いた。しかし、ある朝ぐっすり眠ったあと、目覚めてみると熱は嘘のようにひいていた。だが、耳が少しむずがゆく触ってみると大きくなっているのがわかった。急いで鏡を見てみると、顔の両側には団扇
(うちわ)のような巨大な耳がついている。住職は驚愕(きょうがく)し、また熱でも出して寝込んでしまいたかったが、もう熱は出なかった。耳が巨大になったからといって特に支障はなかったのだが、住職にはひどい恥辱に思えた。

 驚くべきことに耳は単に大きくなったのではなく、その聴力は並外れたものとなっていた。遠くの微
(かす)かな話し声が楽に聞き取れるのである。寺の塀の向こうで話すひそひそ声も、奥の庫裏(くり)(寺の台所)で小坊主たちが何の遠慮会釈もなしに住職の噂話をしているのも、手に取るようにはっきりと聞こえた。ある時、日頃おとなしく住職の言うことをよく聞き、自分を敬愛しているとばかり思っていた年長で皆の世話役をしている小坊主までが「うちの師匠はどんな貧乏人からも規定の金(かね)は平気でふんだくる。わしが住職になったら」などと、平気で悪口を言っていた。ちょうど自分の部屋で爪を切っていた住職は爪切りも半端に、怒り心頭に発し立ち上がった。金持ちであろうと貧乏人であろうと同じことをやれば規定の同じ料金を払ってもらう。それは自明の理なのだ。その代わり金持ちの立派な墓は高価なものとなるし、貧乏人のさほどでない墓は安価につく。住職はその小坊主をきつく叱責してやろうと思ったが、ここで怒りを爆発させてしまうと自分の耳の秘密がばれてしまうことにすぐ気づいた。それならここはひとつ知らぬふりを決めこんで皆の自分に対しての噂話や悪口を聞いてみるのも面白い、そのほうが得策だろうと思い直した。

 耳が大きくなりすぎたとはいっても、その性能はすこぶるよくなったのだから喜んでも良さそうなものだが、人の心情としてはなかなかそうはならないものらしい。住職は人と見かけが違うということで、激しい劣等感にさいなまれることになった。
 だがその一方、大きすぎる自分の耳について陰ではともかく誰も直接には触れてこないので、住職はかえって直接にも皆に聞いてみたくなった。住職は寺に来た人々に思いきって尋ねてみることにした。すると皆異口同音にそんなことは大したことではないと言ってくれるのだった。だが、陰ではかなりのことを言う者もあった。法事で来た初老の呉服屋の大旦那は、
「耳の大きいのは福耳と称して縁起のよいものでございますよ。できれば私もお坊さまのような大きな耳になってみたいものです」
 などと言いながら、帰り道では伴
(とも)の丁稚(でっち)に、
「天竺には象という犬の何百倍もの大きさの動物がいるそうで、わしも絵で見ただけだがあの耳はそれにそっくりだ。とても人間の耳には思えん。あんな耳になるくらいならわしだったら死んでしまったほうがましだ。だが、俗でなくてよかった。醜男
(ぶおとこ)の上にあんな耳ではとても嫁の来手などあるまいて」
 などと、ぬけぬけと言っているのだった。

 住職はますます大きな耳を気にするようになった。さすがに面と向かって住職を馬鹿にする者はいなかったが、陰ではほとんど皆がその耳を物笑いの種にしているのだった。最近巨大になった耳についてばかりではない。どうやら住職を敬愛しているように見えたのはうわべだけで、皆、昔から陰では相当の悪口を言っているのがだんだん分かってきた。割合豊かな農家の中年女が言っていた。
「このまえ、畑でとれたとうもろこしを三本ほど持っていったら涎
(よだれ)をたらしそうな顔して喜んでねぇー、ホッホッホッ」
 それなら仏頂面で貰ったほうがよかったとでもいうのか。
 また、夜、小坊主たちが寝床で住職の噂話をしているのが聞こえてきた。
「うちの師匠は都の大きな寺の住職になろうと、夜な夜な遅くまで経典を読んで勉強しておるようじゃが」
「無理無理あの頭じゃ」
「それにうちの師匠はケチだ。檀家から和菓子を貰ってもわしらには分けずに一人で食っちまう。そんな狭い了見じゃ、とてもとても」
「でも、都の偉い坊さまたちに松茸など高価な付け届けを仰山やっているでは」
 同じ宗派の京の都の高僧に毎年付け届けをやるのは昔からの慣例で、自分だけがやっているわけではなかった。また僧侶として多少は仏典を研究し、その研鑽を行ってはいたが、それは何も自分が都の高僧になりたいためではなかった。ひとかどの寺の僧侶として当たり前のことだった。和菓子を一人で食べてしまうというのだって、少ないものを大勢で分けようとすれば、当然一人一人の分け前が少なくなったり、貰い損ねが出たりと無理が生じ醜い諍
(いさか)いが生じてしまうだろう。それくらいなら自分一人で食べてしまったほうがよいと思ったからである。

 怒涛のごとく聞こえてくるさまざまな陰口に住職はすっかり不眠症になってしまった。日頃は赤みを帯びた顔色の住職が青い顔をしていると、日頃陰口をたたいている小坊主たちまで心配そうに「どうなさいました、お師匠さま?」などと殊勝な顔で言うのである。
 だがよく聞いていると、陰口は自分に対してばかりというわけではなかった。小坊主同士はもちろん、夫婦、親兄弟、けっこう親しそうな者たち同士でも、いやそういう者たち同士でこそかえって陰口を皆たたき合っているのである。今までは自分に対する陰口ばかり気になってそのことに気づかなかったのだが。
 もっとも小坊主同士、また町の人々同士の場合、たまには面と向かって悪口を言い合い喧嘩になることもある。だが、なぜ自分には面と向かって悪口を言ったりする者がいないのだろう。住職は自分なりに考えてみた。それはおそらく自分の住職としての立場だろうと思われた。京の都まで歩いて半日もかからないとはいっても、こんな田舎町であってみればただ住職という立場だけでそれなりの権威があることは確かだった。小坊主たちはこれからどんな小さな寺でも住職になろうと思ったら住職である自分の後押しが絶対必要だった。町の人々にとっても法事や冠婚葬祭などには、住職の存在は非常に大切なものだった。特に葬式の時など住職に悪く思われていたら何と言われるか、あの世へ旅立ったあととはいえ気になる者もいるだろう。住職は自分が情けなくなった。自分はふだんから人の陰口をたたくことなどほとんどないのにとも思った。

 だが、自分が陰口を言いたくなるような相手というのはそもそも誰なのだろう。よく考えてみると、それは自分と同じような立場で自分より良くなっている者ではないだろうか。例えばそれは自分と同じくらいの年齢で、京の都で高僧への道を着々と歩んでいる者とか。そういう僧たちに対して全く嫉妬心がないと言えば嘘になる。だが、年齢も上がってきている今となっては高僧への道をめざすのはいくら頑張っても無駄骨に終わる可能性が高かった。だから住職はもうそういう道は自ら諦めていたのである。なのに小坊主たちに中央での昇進をまだめざしているように思われているのははなはだ面白くなかった。
 よく考えてみると、この町の中では割合に良い立場にある自分には陰口をたたきたくなるような相手がいないのだった。住職は自分が人の陰口をあまり言わないのは、それは自分の人間性が他の人ほど卑しくないからなどというようなものではないことに、はたと気づいた。
 それからも住職の耳には相変わらず世間の人々のさまざまな陰口、悪口などの雑音が入ってきたが、住職はもう放っておくことにした。もっとも今までも放っておいたようなものだが、もう気にしないことに決めたのである。

 だが、お互い陰口を言い合っている者同士でも、わからなければ、いや時には多少わかったとしても案外にうまくやっている場合も多いようだった。人間は親子、兄弟などどんなに親しい者同士でもけっこう陰口を言ったりしているものなのである。人間などというのは陰口を言いながらも案外好意を持っている場合だってあるかもしれないのだ。自分の陰口を言っていた小坊主たちの中には兄弟の結婚式に実家へ帰った際、手に入ったと言って耳を小さくするという煎じ薬を持ってきてくれた者もいた。それはあながち住職に良く思われたいという損得勘定からばかりではあるまい。もっともその煎じ薬は苦いだけで全く効かなかったが。人間のやることなど本当は卑しい動機に基づくものがそのほとんどかもしれない。だが、その中にほんの少しでもそうでないものがあれば、もうそれでよいのではないだろうか。
 また陰口というのは聞こえてくれば腹も立とうが、別に聞こえてこなければ何ということもない。もし聞こえてきてしまったらできるだけ気にしないことなのだ。あとは陰口を言う相手の問題なのだからと住職は思った。

 ほどなくして住職は風邪のためか何かはよくわからなかったが、また前と同じような高熱を出した。住職は熱で苦しみながら今以上にまた耳が大きくなるのではないかと危惧した。今まで病らしい病をほとんどしたことのなかった住職がわずか一月も経たないうちにまた高熱を出したというので見舞いに来た檀家のものたちが病室から離れた一室で、
「これは何かの崇
(たた)りではあるまいか、今度はとても助かるまい」
「こんどはもっとましな坊さまが来ればよいものだが」
「いやいやどんな坊さまが来るかはさいころを振るようなものじゃ。今の坊さまは少しぬけているところもあろうが気の良いところもあり、こういう田舎町ではあんな坊さまのほうが……」
 などと陰で話している声を住職は夢うつつの中に聞いた。
 だが、また数日経つと熱は嘘のようにひいた。一晩ぐっすり眠ったあと、ここちよく目を覚ました住職は何げなく耳に触ってみて驚いた。耳はなんと小さくなっていたのである。鏡で見てみると耳は全く元通りになって顔の両側にきちんと納まっていた。
 その後、住職に遠くで話す人々の噂話や陰口が聞こえなくなったのはもちろんである。住職の顔はやや赤みを帯びてつやを取り戻し、もう高熱を出すこともなかった。

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 表題の「大姫と義高」は冒頭にあり、木曽義仲の嫡男義高が源頼朝の長女大姫の婚約者・体のいい人質として鎌倉に送られて打ち首になるまでの話です。時に義高12歳、大姫わずか7歳。以後、大姫は固く心を閉ざしていきますが、「その後の大姫『夕笛』」で19歳で亡くなるまでを描いた時代ロマン小説とも言える傑作です。

 ここでは短編の「耳」を全文紹介してみました。芥川龍之介の「鼻」と民話の「聞き耳頭巾」を彷彿とさせるおもしろい仕上がりになっていると思います。本文は38字改行となっていますが、ブラウザでの読みやすさを考慮して全文ベタ、適宜空白行挿入としてありますのでご了承ください。
 作品は「陰口」や「噂」とは何なのか考えさせられて、時代を超えた今日的なテーマだと思います。特に後半の「自分が陰口を言いたくなるような相手というのはそもそも誰なのだろう」、「住職は自分が人の陰口をあまり言わないのは、それは自分の人間性が他の人ほど卑しくないからなどというようなものではないことに、はたと気づいた」というところが良いですね。己の生き方を振り返らせる言葉です。
 市販されている本ですので、よろしかったら書店でお求めください。「竜神伝説」は深沢七郎の「楢山節考」にも匹敵する傑作で、お薦めの1冊です。



隔月刊詩誌『叢生』154号
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2008.2.1 大阪府豊中市
叢生詩社・島田陽子氏発行 400円

<目次>

お腹に穴や/麦 朝夫 1          ぶんぶんもん太とあやこ姫/毛利真佐樹 2
結婚/八ッ口生子 3            悲喜劇の果て/山本 衞 4
死んだらあかん/由良恵介 5        鏡の中の追憶/吉川朔子 6
猿飛佐助/竜崎富次郎 7          火の消える時/秋野光子 8
石榴/江口 節 10             偽装/姨嶋とし子 11
やすらぎ/木下幸三 12           危険因子/島田陽子 13
ガマンスル/佐山 啓 14          秘色/下村和子 16
ふるさとの山/曽我部昭美 17        寒卵 他/原 和子 18
愛/藤谷恵一郎 20             軌道修正/福岡公子 21

本の時間 22                小径 23
編集後記 24                同人住所録・例会案内 25
表紙・題字 前原孝治            絵 森本良成



 偽装/姨嶋とし子
  −人に失望した者の思い−

食品・産地・建築・高速道路の強度偽装と
日本列島は北から南まで
偽装まみれになっている
中でも高級官僚・政治家・大学教授の
立派なラベルに隠れての
収賄・汚職・有害薬剤の選定など
悪質な偽装は偽装の最たるもの
申訳ないと頭を下げてはいるけれど
心の中では舌を出しているのかも知れない
偽装の歴史は古いのだろう
人が売買行為を始めた時から
それは行われていたのだろう
なにしろ人間そのものが
肚の思いを口先で偽装する偽装品だから
偽装品から偽装品が生まれる
何の不思議もないと言えば
お叱りを受けるだろうけれど

 ほんとうに「食品・産地・建築・高速道路の強度偽装」、「収賄・汚職・有害薬剤の選定」と、よくもまあ続くものだと思います。それらに対する怒りの作品も多く見られて、それはそれで結構なことですが、私にはどうももう一つしっくりと来ませんでした。おそらく書いている人が高みに立っているか、安全圏にいて傍観者として皮肉っているだけだからなのでしょう。しかし、この作品はそれらとは違います。「なにしろ人間そのものが/肚の思いを口先で偽装する偽装品だから/偽装品から偽装品が生まれる」と看破し、己もその一部なのだと「何の不思議もないと言えば/お叱りを受けるだろうけれど」というフレーズで現しているように思うのです。社会問題を扱う場合は、こういう立場で書かなくてはと考えさせられた作品です。



詩誌『地平線』43号
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2007.11.30 東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏発行 600円

<目次>
傷…田口秀美 1              家路…野田新五 3
落日…川田裕子 5             水垢離…杜戸 泉 7
ゴキブリ…山川久三 9           くちびる…秋元 炯 11
書評
「ただよい」の質感 たにみちお・遺稿詩集『ポケットに詰め込んで』…原田道子 13
機智の饗宴−山川久三著「文学対話」を読む(その2)…金子以左生 15

財布の紐は…飯島幸子 19          落ち零れて…樽美忠夫 21
経食道心臓超音波検査(TEE)…いわ・たろう 23 味噌蔵…小野幸子 25
蜜の味…大川久美子 27           阿蘇二題…鈴木詢子 29

詩人伝シリーズ(その2)詩人漂泊−平出隆『日光抄』『月光抄』を読む−…山川久三 31
私見 寺門仁『遊女』の世界…沢 聖子 33

対…沢 聖子 35              はざま…福榮太郎 37
「松姫さま」と呼びかけた花…中村吾郎 39   間氷期…山田隆昭 41
培養 そして 侵蝕 
ウド カメムシに魅せられて…丸山勝久 43
平成十九年度宿泊研修について…金子以左生 45
同人名簿…47
編集の窓…47
編集後記…49



 傷/田口秀美

こんなところに傷があるけど
どうしたのと聞かれて

傷のわけを聞かないでおくれ
傷のわけを聞かれると
皆貧しかった頃のこと
澄んだ景色のなかに生きていた頃のこと
暗闇で傷の痛みを堪えたことを
思い出しては 涙が溢れて語れない

この足の裏の傷は
皆 寝静まった停電の夜のこと
小さな燭台の芯を踏み抜いてできた傷
破傷風の熱でたくさん不思議な夢をみた
この腹の傷は
腹の痛みを我慢して腹膜炎を患って
腸を洗浄したときの傷 腸が
元の位置に戻るため蛇のように動いていた
この頬の傷は
チャンバラ遊びの竹の刀が飛んできて
瞳の近くをかすめた傷
顔が大きく腫れて視界が閉ざされた

そして この傷は…
傷のことを語っていると
きっと眠気におそわれる
本当は 本当はあのとき死んでいた

本当は あのとき死んでいたが
冷たい私の掌を包む 温かい母の掌
遠くから聞こえる静かな父の声で
こうして生き長らえて

父も母も亡くなって
夜更けの暗闇のなかで傷に掌をあて
温かい掌と 遠くから聞こえる声を
思い出すばかり
傷のわけをきかないでおくれ

 今号の巻頭作品です。身体に傷を持つ人は多いようで、まったく傷のない人の方が珍しいのではないかと思います。その傷の記憶が深いことも、万人に共通することで、そこをうまく表現した詩だと思います。特に子どもの頃の傷には「冷たい私の掌を包む 温かい母の掌/遠くから聞こえる静かな父の声」があり、懐かしさとともに甦ってくるようです。
 かく言う私にも小学生の頃に喧嘩して出来た傷、オートバイで事故ったときの傷、ハンググライダーで墜落したときの傷があって、「本当は あのとき死んでいた」と思わせるに充分です。傷の詩そのものが珍しく、読者の思い出も浮遊させてしまう佳品だと思いました。



詩誌Void16号
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2008.1.30 東京都八王子市
松方俊氏ほか発行  500円

<目次>
『詩』
一月一日に…森田タカ子 2
斜めの声がするのです…原田道子 4
『随筆』
詩への入り口…浦田フミ子 6
『詩』
ソノトキボクハ ドコニイタノカ…中田昭太郎 8
遥かなるマルセーユ…森田タカ子 12
『小論』
寄贈詩誌より…中田昭太郎 15
『詩』
パウリーナ賛歌…小島昭男 16
日日是好日考…松方 俊 22
後記…森田タカ子・中田昭太郎・小島昭男・松方 俊 26



 一月一日に/森田タカ子

解明も表現も拒否した
重い塊を抱いたまま
また来てしまった

誰もいない浜の渚を歩く
波乗りの人が一人見え隠れする

湾のカーブに添って一列に並んだ波頭は
ほつれることないレースを編み

左右の岩山の裾を一直線に結んだ水平線は
生と死を近づけ親しくさせる
横雲が流れる

去りつつある日を常に時は
空も海も刻々と変えるが
このおだやかさを空にも海にも永遠にと願っているだろう
七時を告げるチャイムが町に鳴り響き
それをあいずのように初日が登る
波を透明な彫刻に変え
見る間に広がる光は
海面を鏡に変え
平和だけの空を映す

両手を広げた中に入ってしまいそうな湾
それでいて東南西を一視に入れる海

遠い波のひたひたと
ひたひたと愛をはぐくむ予感を思わせ消える

塊を抱いたまま
射られた矢の時に乗ってまた帰えるだろう
                     二〇〇八年 鵜原海岸にて

 「鵜原海岸」は千葉県勝浦市にある名勝のようです。行ったことはありませんが、この作品の「左右の岩山の裾を一直線に結んだ水平線」、「両手を広げた中に入ってしまいそうな湾/それでいて東南西を一視に入れる海」などのフレーズから想像することが出来ます。絵画的な作品と謂ってよいでしょう。しかし作者は、その美しい風景を「解明も表現も拒否した/重い塊を抱いたまま/また来てしまった」ところと表現しています。そこでは「遠い波のひたひたと/ひたひたと愛をはぐくむ予感を思わせ消える」だけで、「塊を抱いたまま/射られた矢の時に乗ってまた帰えるだろう」と結びます。およそ風光明媚な地とは反対の心理を現したところにこの作品の特徴があると思います。しかも時は「一月一日」。詩人の複雑さを改めて見た思いをしました。



   
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