きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.1.22 爪木崎・水仙群生




2008.2.10(日)


 「詩と平和」の集い2日目。
広島市内見学ということで、平和公園を中心に散策しましたが、良く晴れたさわやかな一日でした。コースは、原爆ドーム前に9時に集合して → 原民喜詩碑 → 動員学徒慰霊碑 → 平和の鐘 → 原爆供養塔 → 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 → 原爆の子の像 → レストハウス(被爆建物)→ 原爆死没者慰霊碑 → 峠三吉詩碑 → 広島平和記念資料館見学というものでした。

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 写真は相生橋にて。東西の美女競演、というところでしょうか。
 私は平和公園に38年ほど前に一度だけ来ています。原水爆禁止世界大会への参加という、いたって真面目な動機だったせいか、公園も原爆資料館もほとんど記憶にありません。新幹線は開業していましたが、社会人になりたてでお金がなく、小田原から東海道線・山陽本線で飽き飽きしながら行ったことを覚えています。疲れ果てて辿り着いた広島で、原爆ドームを見た感激は覚えていますけどね。原爆ドームも今のような立派な柵で囲まれたものではなかったように記憶しています。
 平和記念資料館も見学したはずですが、これも記憶からすっかり抜け落ちていて、今回はしっかりと見させてもらいました。原爆投下直後の人々を再現した資料や、実際に破壊された鉄筋の実物は、やはり圧巻でした。

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 昼食のあとは解散になったのですが、予約した新幹線まで時間があったので、日野市の詩人と2人で袋町小学校平和資料館に行ってみました。被災者の救護所として使用された校舎の壁面に、消息を知らせる伝言が多く残っているところです。上の写真では「撮影禁止」となっていますが、係の人が許可してくれたので撮ってみました。大きく×が書かれているのは、その後伝言が不要になったことを意味しています。再会できたのか、再会する必要がなくなったのか、その理由が書かれていないところに歴史の非情さを感じてしまいました。

 予定より早めの新幹線に変更して、帰宅は22時。疲れもあまり無く、良い小旅行でした。2日に渡ってお世話くださった広島の皆さまに感謝しています。ありがとうございました。



詩とエッセイ『解纜』137号
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2008.1.28 鹿児島県日置市
西田義篤氏方・解纜社発行 非売品

<目次>

ぬれ目玉−水族館の魚たちヘ…村永美和子…1 夏の頁…村永美和子…3
線上男…石峰意佐雄…5           シイの記憶…池田順子…12
エッセイ
「小さな窓から」学校周辺のお話…中村繁實…15
「魯迅文学論」 マルキシズムとのかかわりについて…中村繁實…17
第十七回代表大会報告書を読んで 「社会主義市場経済」という構造矛盾…中村繁實…19

なんでも鑑定団…中村繁實…22        晩秋…西田義篤…27
編集後記
表紙絵…石峰意佐雄



 シイの記憶/池田順子

別れ際
あなたは
右足を取り外すと
わたしにすっと差し出した
名刺でも
右手でもなく
あなたの右足は
長くて大きい
ふらっとよろけながら
代わりにわたしの右足を差し出した
あげたいものは
他にあったのに

貰った右足を股関節に取り付ける
すっとハマったのに
しっくりこない
立ちあがると
シイ と音がして
 少し疼いた

一瞬
あげた右足が
わたしを呼んだ気がした
思わず叫んでいた
あなたの名まえ
振り向けば
一本の
夕日

シイ と音がして
貰った右足が浮腫みはじめている
両手で
そっと抱いて
さすってあげると
皮膚の内側から潮が満ちてくる
耳朶ほどの柔らかさで
わたしを押してくる

落日を背にして
貰った右足があなたのことを考えている
今どこですか
息災ですか

 「右足」同士を取り替えるというおもしろい作品ですが、この喩は何か、と考えることにあまり意味はないように思います。もちろん「貰った右足があなたのことを考えてい」て、「今どこですか/息災ですか」と尋ねているのですから、貰った子猫でも貰った思想でも喩えられないことはありません。しかし、それらを超越している詩のように感じられます。まさに詩でしか描けない「疼」きであり「浮腫み」であるのだろうと思います。「シイの記憶」というタイトルそのものからポエジーを感じさせる作品です。




季刊詩誌『佃』5号
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2008.1.25 埼玉県所沢市 北野丘氏発行 非売品

<目次>
北野丘 Kitano Kyu 滸呂裳/遠吠えへと至る比…2
村田マチネ Murata Machine アーミッシュの馬車…10
山岡遊 Yamaoka Yu 永山則夫…12
・佃1周年記念 新春座談会2008…16
  /現代的補陀落渡海
  /佃的身辺
  /言葉が釘打たれて



 アーミッシュの馬車/村田マチネ

そして僕は
歩き始めなければならなかった
死者という言葉を
透明な旅人たち と訳した
遠い昔のやさしい詩人みたいに

諦めていたことを
死者と生者の境界で掘り起こし
地図の上に手をついて肯う
僕にできることは
祈りでも奉仕でもなく
 あなたが ここに いて 欲しい
“Wish you were here”だけ

泣かずにいることが辛かった
新しいインフルエンザが終焉し
人々がその免疫を獲得すれば
泣かない人類が誕生するのだろうか

アーミッシュの馬車に石を投げつける乱暴者の
陵辱に耐えて生きる
そのとき起き上がり 僕は
再び歩き始めなければならなかった

遠くの海で溺れている人を
誰も救いに行くものはいない
それどころか
(波の乱反射なのか涙が揺れていたのか)
なんだか懐かしい景色でも見るかのように
ぼんやり眺めているばかりなのだった

 最初に号数についてお断りしておきます。本誌には号数が記載されていませんでした。今までの流れから5号だろうと思って、勝手に付けてあります。ご了承ください。
 また、タイトルの「アーミッシュ」については説明が必要でしょう。私自身も判らないことが多いので、ネットに頼ってみました。出典はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』です。

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 アーミッシュ(Amish)はアメリカ合衆国・ペンシルバニア州やオハイオ州に居住するドイツ系住民の一派で、ペンシルバニアダッチの、キリスト教の一派の再洗礼派に属しているメノナイト派(メノー派、メノナイト)の人々である。カナダ・オンタリオ州・セント・ジェイコブス周辺にも居住者がいる。原郷はスイス。
 アーミッシュは電気を使用せず、現代の一般的な通信機器(電話等)も家庭内にはない。原則として、現代の技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を営む。
 服装はきわめて質素。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。洗濯物を見れば、その家の住人がアーミッシュかどうか分かる。
 ペンシルバニア州のアーミッシュは、日常生活ではきわめて古い時代の技術しか使わない。このため自動車は運転できない(ただし旅行の際は自動車も飛行機も使用するようである)。商用電源は使用できないが、風車・水車によって蓄電池に充電した電気は利用できる。ペンシルバニア州では馬車にウィンカーをつけることが義務付けられているため、この方式で充電した鉛蓄電池を利用しているとされる。本段落が伝聞調になっているのは、アーミッシュがあまりその生活について語らないためである。写真撮影は宗教上の理由から拒否されることが多い。ただしこれらの宗教上の制限は、成人になるまでは猶予される。したがって、未成年ならば自動車運転免許を持つアーミッシュも存在する。成人になる際、アーミッシュであり続けることを拒否することもできるが、ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれる。政治的には、「神が正しい人物を大統領に選ぶ」との信条から、積極的に有権者として関わることはなかった。しかし、2004年アメリカ合衆国大統領選挙では、激戦州となったペンシルバニア州やオハイオ州のアーミッシュに共和党が宗教的紐帯を根拠とし支持を広げたという。
 専用の教会建物はなく、民家の家具を片付けて利用する。
 喋る言葉「ペンシルベニア・ダッチ」は、ペンシルバニア風のドイツ語というわけではなく、ドイツ語のかなり古いかたちのものと言われる。ドイツ人がそれを聞いて今日理解できるものではない。スウェヴィッシュ、スイスのドイツ語圏で話されていた古語が元になっているといわれる。
 その独特の生活様式は1985年のアメリカ映画『刑事ジョン・ブック/目撃者』で取り上げられた。ハリソン・フォード演じる刑事の主人公が、偶然殺人事件を目撃したアーミッシュの子供を守るため、アーミッシュの家庭に身を寄せるうちに、その母親と恋に落ちるという物語である。日本ではこの映画で初めてアーミッシュの文化を知る人が多い。しかし、必ずしもアーミッシュの人々の中ではこの映画は好意的に受け止められていないようであり、実際は共同体外部の異性と恋愛をすることは現在でもほとんどない。


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 長々と引用しましたが、興味のある人は「アーミッシュ」で検索してみてください。写真入りの詳しい説明が載っています。
 さて、作品ですが、その「アーミッシュの馬車に石を投げつける乱暴者」は現代文明そのものではないかと思います。「僕」はそこから離れたところにいると読み取れますが、「
Wish you were here」と言い、「ぼんやり眺めているばかりなのだった」のです。ここに「僕」の微妙な位置関係を見ることが出来、それがそのまま作者の視点なのかなと思います。すなわち、現代文明を冷ややかに見ながらもアーミッシュのように徹底できない作者。実はそれが大方の私たちの姿なのでしょう。大きな問題を投げかけている作品だと思いました。



詩誌『梢』46号
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2008.2.20 東京都西東京市
山岡和範氏方事務局・井上賢治氏発行 300円

<目次>
「むこうみず」他1編/山田典子…2      「友の歌声」他1編/井上賢治…4
「ある男の死」/上原孝三…8         「つんつるてん」他1編/北村愛子…10
「タンポポ」他5編/日高のぼる…16      「描くことも歌うことも失ったあの日」他1編/藤田紀…26
「やもり」他1編/牧葉りひろ…32       「春に重ねて」/宮崎由紀…36
「年賀短詩」他1編/山岡和範…42
寄稿 「春へ」/長内敏子…44
「梢」44号感想紹介…45            同人名簿…49
事務局だより…50              表紙 版画−上高地風景 井上賢治



 「三等国」/日高のぼる

マカオヘの入国審査は混みあっていた
小さな島に観光客が大量に訪れるためなのだが
もう少し窓口を開けばスムースに流れるだろう
と思いながら待っていた

そのときうしろの方で
「まったく三等国が」と言い放ち
舌打ちしている日本人がいた

いったい日本は何等国だというのか
沖縄から北海道まで米軍基地を丸ごとかかえ
国民のいのちを削り
米軍再編へ膨大な税金を使う
その軍事予算にむらがる「死の商人」と
召使いたち

日の丸のうしろに隠されている
51番目の星

 「三等国」という言葉がいまだに生きていることに驚きます。敗戦直後、日本は一等国から四等(島)国になった≠ニは父親の世代から私が子どもの頃に聞かされた言葉ですが、国や国民を等級別に言うことに嫌悪感を覚えたものでした。それがまだ亡霊のように生きていて、外国を貶める言葉として使われていることに恥じらいを覚えます。おそらく米国で同じような目に合っても、その「舌打ちしている日本人」は何も言わないのではないかと穿った見方までしてしまいました。
 「日の丸のうしろに隠されている/51番目の星」はもちろんアメリカ合衆国日本州≠指しています。これでは「何等国」どころか属国です。度重なる外国の支配に耐えた「マカオ」の人たちに合わせる顔がないなと感じた作品です。



   
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