きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.1.22 爪木崎・水仙群生




2008.2.17(日)


 日本詩人クラブオンライン作品研究会は、予定通り午前10時で終了しました。総発言数は50件近くに上り、最近では多い部類です。私も全15作品にコメントを付けさせていただきました。私の立場はオンライン研究会の運営者ですから、あまり発言するのはマズイと思っていたのですが、きちんと批評するようにという理事会からの指示もありましたので、前回からコメントを付けるようにしています。きちんとした批評になったかどうかは別にして、コメントを付けるということになると、今まで以上によく読まなければなりません。その面では勉強にもなりましたし、良かったと思っています。
 次回はちょっと飛びますが6月7日〜8日です。メンバーの皆さんのご参加をお待ちしています。



峰岸了子氏詩集『かあさん』
2008.2.15 東京都東村山市 水仁舎刊 2000円+税

<目次>
1     2     3     4     5
6     7     8     9     10
11     12     13     14     15
16     17     18     19     20
21     22     23     24     25
あとがき



 11

てれびとはなしをしていた
かあさんが
よんでいる

あなうんさーが
なにやらたのしそうに
しゃべっている あなたのまえで

   どうか
    このひとに
     おちゃをいれてください

ゆげだつゆのみを
てれびとかあさんの
ひざもとにさしだすと

きゃくじんをまえに
ゆるゆる いねむりをはじめた
かわいいかおで

にぎやかなはなしごえに つつまれ
りょくちゃのにおいに つつまれ
やわらかなひざしに つつまれ

みのむしのようにまぁるくなって
ちいさく やさしく しずかに
ゆれている

 第9詩集だそうですが、B5変型・活版原版刷り・中綴じ・三角ポケット付保護ジャケット装という特徴あるスタイルの詩集です。写植ではなく、久しぶりに活字印刷の感触を味わいました。
 作品は目次でもお判りのように1から25の数字がタイトルとなっています。ノンブルもありません。「かあさん」という総タイトルのもとに25の章がある、と考えてよさそうです。21年前に認知症で亡くなった義母と嫁との日々、と言ってよいと思います。ここでは「11」を紹介してみましたが、壮絶な作品の中では和める場面です。義母上の認知症になる前の、身を正した生活が彷彿としてきます。その義母を「やさしく しずかに」見ている嫁の視線もおだやかな佳品です。



個人詩誌if』18号
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2008.2.15 広島県呉市   非売品
ちょびっと倶楽部出版・大澤都氏発行

<目次>
夢を書くひと 木川陽子(二) 1
在る記憶と無い記憶 6
困った子 8
ちょびつれづれ 10
ifつれづれ



 困った子

透子には授業中席についていることが苦痛だっ
た 足には虫が這っているようだし 心にはチ
クチク針を刺されているようなのだ
ある日 先生を見 前の席の子の背中を見た
それから机に両手をついて椅子を後ろにずらし
て立った 左 左 と足を動かして机から離れ
てみた 先生とクラスメートの視線は熱いが
机の間を歩いてみた  透子は教室の子でなく
なった
臭くて汚い油粘土は窓から放り投げ 教室の戸
を開け踏み出した
誰の声も聞こえない透子
透子の耳は 音を全部拾ってしまう癖があった
 先生たちの声や外の車の音とか 周りから聞
こえてくるのは雑音でしかなかった 透子は音
を聞くのをやめた
先生が口を動かしながら近づいてくる 先生が
透子の肩をつかんだ 透子は叫んで先生の手に
噛みつく 先生の手は透子の世界に突然入って
きた異物だったのだ
透子は困った子になった
透子自身は宙に浮かべるほど楽しい毎日になっ


 「透子」という名前が、この「困った子」をよく象徴しているように思います。透明で透き通った子。そんな子だから「足には虫が這っているようだし 心にはチ/クチク針を刺されているよう」なことまで感じるのでしょう。「音を全部拾ってしまう癖」もその透明さ故かもしれません。そんな透子を「困った子」と言いながらも、「宙に浮かべるほど楽しい毎日になっ/た」ことを肯定する作中人物の優しさも窺える作品です。



会誌『りんどう』32号
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2007.7.7 東京都渋谷区
実践国文科会発行  非売品

 目次 
<挨拶>学長就任にあたって…(学長)湯浅茂雄…2
    新たな女子教育を目指して…(校長)松田由紀子…3
    初めまして…(会長)加瀬和子…4
<総合報告>…飯尾美甫…5
<総会講演>…養老孟司…8
<特集−奥の細道を楽しむ(目次)>…14
 尾形 仂・安西悠子・渡辺しおり・田口恵子・原 康代・甲斐由起子
 立松和平・川合万里子・江口雅江・童門冬二・加藤裕一・中田あかり
<特集−語り部(2)(目次)>…54
 ドベルク美那子・内山文哉・重野幸子・鈴木幸子・保屋野千枝・花山美智子・橋爪伊佐代
・実践万葉集 語り部U…鈴木蓁子他41名…72
<編集こぼれ話>…中ノ目佼子…83
<特別寄稿> 中国と日本の狭間で−秋瑾と下田歌子…影山輝國…84
<この人紹介>・ありがとう!名事業部長藤田京子さん…中ノ目佼子…90
<紹  介> ・甲子園に流れた北畠八穂さんの校歌(青森山田学園高校)…92
<文学散歩> ・一青年を鳴咽させた藤村の言葉…大河原忠蔵…94
<エッセイ> ・小泉 凡さんと会うの記…小林比呂古…98
<連  句> ・半歌仙「水温むの巻」「ギヤマンの巻」…中田あかり他…102
<俳  句> ・東辻きよ(106)平井照子(108)定松静子(110)
<自著紹介> ・泉鏡花論 心境小説的特質をめぐって…赤尾勝子…112
<紹  介> ・浮世草子『囁千里新語』を読む…倉島須美子…116
< 詩  > たてのたかこ(120)標野ゆき(122)小林比呂古(124)中谷順子(126)あしざわひろこ(128)
<紹  介> ・国境越えた宝びと 西陣織綾なして九十年 山口安次郎翁…清見登久子…130
<エッセイ> ・『フォルモサ』台湾と私…大坪節子…134
<短  歌> 築地正子(6)七瀬琴江(140)関谷安喜子(142)門司久江(144)井原信子(146)吉岡美水(148)
       堀 甲子(150)天野敏子(152)島田千鶴子(154)坂口すみ子(156)内野潤子(158)小澤芳枝(160)
       新井静穂(162)深井美奈子(164)井上正子(166)小崎靖子(168)小野光恵(170)大谷香代子(172)
<研  究> ・発卯園遊会−活人画と「日本女性」…大井三代子…174
<評  伝> ・原民喜評伝・花の幻Y…小野恵美子…182
<新刊紹介> ・「築地正子全歌集」…柳澤和子…194
平成18年度決算報告・平成19年度予算案…鈴木美知子…196
・事業部のお知らせ…加瀬和子…198
・総務部のお知らせ…中井芳子…202
・財務部のお知らせ…鈴木美知子…204
・編集後記…中ノ目佼子…206
<表紙>望月春江 <題字>於保みを



 「原子爆弾」の原稿を佐々木基一は受け取り、『近代文学』に持ち込んだ。四五年一月の創刊号に載せる予定であった。創刊時の同人には、本多秋五、平野謙、山室静、埴谷雄高、荒正人、小田切秀雄と佐々木の七名が揃った。民喜の原稿を同人たちは回し読みし、皆口を揃えて、「すばらしい小説だ、ぜひ載せたい」と言った。まだ原子爆弾についての事柄は全てが生々しく、読後のショックは甚だしかった。民喜の静謐をたたえた個性的な作品に接した埴谷雄高は、創作欄の不安が解消されたことを喜ぶのだった。

 ところが、当時アメリカ政府は、九月六日のファーレル准将に命じた広島・長崎の地上からの写真撮影に基づく海外特派員向けの「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、九月上旬現在において、原爆放射能のために苦しんでいるものは、皆無だ。(*3)」という声明を皮切りに、同年十二月まで、海外特派員の広島・長崎への立ち入りを禁止し、一切の報道を禁止していた。また、アメリカ政府は日本の報道機関に対しても、九月十九日にプレスコードをしいて、原爆の報道を禁止していた。以後、一九四九年十月末までの四年あまり、米軍の一組織であるCCD(民間検閲所)は、日本全国の全メディアにわたって緻密な検閲作戦を展開していくのである。特に科学記事は入念に検閲された。検閲者の関心は、アメリカ政府に対する批判を阻止し、技術情報の普及を防ぐことにあった。

 真実がシャットアウトされた状況下であればなおのこと、民喜の『原子爆弾』を世に公表したいと近代文学の仲間は考えた。で、前もって、検閲を通るか通らないかGHQの検閲係をしている二世につてを求めて打診してみた。やはり、結果は不可であった。日本人の検閲係は、占領軍の原爆に対するナーバスな感情を忖度して身構えてしまうのであった。二重の不利な状況があった。内閣に出した『原子爆弾』は部分の削除云々という問題ではなく、全体として検閲に通り難いという口上とともに返されてきた。唇を噛みしめた。埴谷は内閣になど出さずにいきなり刷ってしまえばよかったと悔やんだ。同人たちは諦めきれずに頭をひねり、ついに平野謙の名案が提出された。それは、『夏の花』を翻訳してアメリカの雑誌に発表し、それを日本に翻訳しなおすという形で「近代文学」に発表できないか、というものであった。しかし、時間が掛かるし、アメリカの雑誌に発表するといってもどこにどういう手づるを求めたらいいのか、見当もつかなかった。結局、「近代文学」のような時事を扱う雑誌に指定されていない、要するに事前検閲を受けないで済む雑誌に、この『原子爆弾』を回すべきだという結論となった。皆、残念でならなかった。仕方なく佐々木基一は、民喜に「検閲があって『原子爆弾』の発表はすぐにはできない、別の小説を送ってほしい」と書き送った。

 基一の手紙は、生活自体がおぼつかず集中力を持続させることすら困難な状況にあった民喜に、打撃を与えた。原爆投下という未曾有の痛手を被っただけでなかった。これから、占領軍の支配の下に何もかも組みこまれていくのだ。敗戦という現実が、八幡村にある民喜に書くことの制限という、彼にあってはもっとも手痛い形でぶつかって来たのだった。民喜は身震いした。これでは収まりきれないと思うものの、検閲を撥ね除けるすべなぞ沸いてくるはずもなく、悶々としながら時をやり過ごすのだった。ようやく十日ほどした十二月二十八日、基一宛の返事を出した。その手紙さえ開封検閲されるとは思いもよらなかったが、運よくパスを示すCP印が押された。

 「拝復 十七日附の端書拝見 なるほど検閲といふこともあつたのですね 別便で別の原稿送っておきますから読んでみて下さい その「雜音帳」は原稿が間にあはなかつた時の用意にと思つて清書しておいたものです 以下略(*4)」

 検閲を意識したものかどうか分からないが、文面から見るとあまりにも呑気で目を疑いたくなる。あれが駄目ならこれでと、そんな簡単に譲歩していいものか。むしろ、近代文学の仲間は引き続き翌一九四六年二月頃まで、『原子爆弾』を発表する手だてを考えて思案を巡らしていたようである。二月十五日の基一宛の手紙には、同人たちの働きかけがまだ続いていたことを語っている。

 「速達拝見しました。原稿の件については先便で申上げた通りあなたの方の都合に一任します。『新日本文学』へ持って行かれても結構です。『原子爆弾』という題名がいけないなら『ある記録』ぐらいの題にしてはどうでしょうか、それともまだ適切な題があればそちらでつけて下さい。(*5)」

 民喜は再三の働きかけに対して、原稿のすり替えは納め、発表されることを第一に考えるようになっている。そして、題名を無難なものに差し替えても構わないことを述べている。しかし、一九四六年には『原子爆弾』の発表は望めなかったのである。

  注記 (*3)『被爆者援護法』椎名麻紗枝・91年・岩波ブックレット
     (*4)『原爆 表現と検閲』堀場清子・95年・朝日選書
     (*5)『夏の花』解説・03年・岩波文庫

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 原民喜研究者の小野恵美子さんによる「原民喜評伝・花の幻Y」の一部を紹介してみました。民喜の「あまりにも呑気」な部分もおもしろいのですが、私はファーレル准将に命じた「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、九月上旬現在において、原爆放射能のために苦しんでいるものは、皆無だ。」という声明に驚いてしまいます。当時を研究している人には知られたことなのかもしれませんけど、そんな嘘をよく言えたものだと思います。それだからこそ「一九四九年十月末までの四年あまり」「緻密な検閲作戦を展開してい」ったのかもしれません。

 それはそれとして、『近代文学』の創刊当時のメンバーは凄い人たちが揃っていたのですね。その後の日本の思想界を引っ張っていく人たちばかりで唖然としてしまいます。そこに民喜の「原子爆弾」が載せられれば、民喜ももっと早く世に知られた存在となったように思います。前後を読んでいない評伝ですが、民喜の置かれた立場や苦悩がひしひしと伝わってきました。

 なお、本文は26字改行ですが、ブラウザでの読みやすさを考慮してベタとし、適宜空白行も入れてあります。また、註釈の(*3)などは本文ではマル3などとなっていますが、機種依存文字で、特にMacでは黒四角になってしまいます。そのため表記のようにしました。さらに目次にある『囁千里新語』の囁は、原文では口ヘンに耳です。これも表現できないので囁としました。合わせてご了承ください。



   
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