きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.1.22 爪木崎・水仙群生 |
2008.2.18(月)
久しぶりに、たぶん2年ぶりぐらいだろうと思います、金丸麻子さんのコンサートに行ってきました。場所は銀座の「鳩ぽっぽ」。シャンソンファンには有名な店なのですが、私は初めて訪れました。
フラッシュ禁止でしたので、まともに撮れていなくてスミマセン、お店の雰囲気だけ味わってください。お馴染みの「ミラボー橋」や「詩人の魂」など8曲ほど唄ってくれました。やっぱりシャンソンはいいなと改めて思います。
金丸さんのあとにお店の専属歌手や、お店の人たちも唄いましたけど、いずれも奥行きのある唄い方で、こちらも良かったです。なかなか時間がとれませんけど、こういう大人の時間も必要だなとつくづく思いましたね。
○大山真善美氏著『シンデレラの離婚』 |
2006.11.5 東京都新宿区 日本文学館刊 1238円+税 |
<目次>
前書き 1 シンデレラの離婚 7 あさげ 9
干涸びた夢 10 夢の残滓 12 妻の使用上の注意 14
海月(くらげ) 15 自分ではどうにもならないこと 17
ジャパニーズ主婦 19
男が書いたのなら「そうなんだ」ですむが、
女が書いたのなら「許せない」と思える詩 21
もっと自由を 23 最後のひな祭り 25 しあわせの化合物 26
巣立ち 27 条件付きの愛 29 あとまわし 31
授業中の…… 32 幽閉 34 成果 36
いのちの花園 38 がっこう 41 ねこ 42
耳になったネコ 44 子猫 45 パック 46
9・11 48 原爆記念切手 50 憲法9条 53
あなたの宇宙 55 宇宙の鍵 57 命のストーリー 59
白蛇 61 宇宙の白蛇 63 痕跡 65
死刑囚のざれごと 66 舅の舟 69 骨壺 72
墓で待つ身 74 臨死体験 76 私の花園 78
蛇のリース 80 オリオン 82 もしも神様が 83
あと何日 85 家庭の味 86 おやすみ 88
生きて生きてよ 89 蜻蛉 90 ちいさなお墓 91
待っててくれよ 92 死者の訪問 93 妻の呼びかけ 95
白雪姫 97 ファスナー 98 秘書課の恵子の話 100
幽体離脱 103 桜の記憶 105
白い炎 107
つらら 108 夢の行くところ 109 アリ地獄に落ちた 110
穴に入った男 111 テイクアウトガール112
人体の不思議展 113
展示された私 114 森 115
理想郷と現実 117
楽園 118 もしもゆるされるなら 119
デリート 120 整体師 122
あいだ 124
かげ 126 影 128
詩 130
月 131 秋の企て 133
殺傷事件 134
キョーボー罪 137 カメ 140
恋の未レン活用形 141
私を置いて 142
彫刻−平櫛田中の「幼児狗張子」によせて 148
振動 152 Sleeping Beauty(眠れる森の美女)156
A Headless Man(首なし男の物語)162
後書き 168
がっこう
がっこうがだいじなんではなく
あなたがだいじなひとなんです
ヘビはだっぴしてそとにでるし
あおむしはちょうではばたくし
やどかりはちいさいからをぬぐ
いつかあなたがそとにでるとき
ヘビのふるくなったいふくとか
サナギのかたいかれたカラとか
やどかりのいらないおうちとか
いまかよっているがっこうとか
いらなくなるときがくるんです
あなたはいのちでそだつけれど
がっこうはいれものでそのまま
いれものにはちからはないです
だからじぶんをせめなくていい
じぶんをやさしくそだてるうち
いつかあなたはきづくでしょう
じぶんがいれものをこえたこと
いれものにはちからはないです
いまもじぶんをせめなくていい
中学校で英語教師をしていたという著者の、4冊目の著書のようで、いずれも市販されています。本著はとくに詩集とは銘打っていませんが、内容から詩集と呼んで差し支えないでしょう。離婚問題や教壇でのこと、憲法9条や幽体離脱と多岐に渡る作品が載せられていますけれど、ポイントはひとつ、自分らしく生きるとは? という点に絞られると思います。政治問題もそういう観点から書かれていて、非常に説得力のあるものでした。
ここでは教員時代のものと思われる「がっこう」を紹介してみましたが、「がっこうがだいじなんではなく/あなたがだいじなひとなんです」というフレーズに著者の思想が収斂されています。「あなたはいのちでそだつけれど/がっこうはいれものでそのまま/いれものにはちからはないです」というフレーズとともに、子どもと学校の関係を見事に看破していますね。すべての学校に貼り出しておきたいような詩です。
本著は、詩を専門にやっている人ばかりではなく、詩なんて読んだこともないという若い人たちにもお薦めです。中学校や高校の教材に使うことも可能でしょう。書店でお求めになって読んでみてください。
○詩と批評『逆光』66号 |
2008.1.25 徳島県阿南市 宮田小夜子氏発行 500円 |
<目次>
ももちゃんの時計/細川芳子 2 風も吹いていないのに/細川芳子 5
枯葉/鈴木千秋 6 今日は/宮田小夜子 8
時間貧乏/大山久子 10 スケッチ・双葉町−木枯らし1号−/ただとういち 12
スケッチ・小台−銀幕デビュー/ただとういち 14
心/沙 海 16 水の音信/藤原 葵 18
感触/藤原 葵 20 お茶碗/近藤美佐子 22
死児のこと/嵯峨潤三 24 ドイツ語でしゃべらないと/木村英昭 26
シリーズ 詩(詩人)との出会い(32)
「倚りかからず」−茨木のり子−/大山久子 28
意志への論考/香島恵介 30 詩のボクシング顛末記/木村英昭 34
コラム〔交差点〕家族旅行 41
あとがき 44 表紙 嵯峨潤三
枯葉/鈴木千秋
葉の落ちたケヤキの黒い幹が 遠くまで続いている
晴れ渡った晩秋の高い空 真紅に燃え上がるカエデを
挟んで シラカシやクヌギまでが色づき 公園の中は
一度に明るくなった
孫の手を引いて 文化祭からの遠回りの帰り道
雑木林の向こうに校舎の白い壁 部活の練習だろうか
ホルンのアルペジオが 繰返し聞こえてくる
愛犬を連れた老夫婦 走り回る子供たち
想えば この子たちの年頃に泥沼の戦争があった
黄色い砂塵と枯葉が吹きつける 果てしない異郷の
山河 引揚げの長い 命がけの逃避行
戦後の苦難の人生は厳しかったけど 再び戦火に
破壊され 逃げ惑うことはなかった
夕風にトチの実がこぼれ 枯葉が風に舞う
落ち葉の陰に身を潜めた木々の実は 春には根付いて
やがて若木に育っていくのだろう
ポケットいっぱいにどんぐりを詰め込んで戻ってきた
遊び続けたい孫をせかせて 家路を急ごう
多くの犠牲のもとに 取り戻した平和だのに 何故か
いつも時代を元に戻そうとする勢力が現れる
油断はできない 子供達に教えよう 平和は常に
脅かされていることを
護り訴え続けなければ 平和は維持できないことを
戦時中を知っている世代には「多くの犠牲のもとに 取り戻した平和だのに 何故か/いつも時代を元に戻そうとする勢力が現れる」というのは実感なのでしょう。私たち戦後生まれは「平和は常に/脅かされていることを」知ろうともしないで来てしまったように思います。体験者による「護り訴え続けなければ 平和は維持できないこと」という言葉は、やはり重いですね。「孫の手を引いて 文化祭からの遠回りの帰り道」を歩きながらも、平和について考えている先輩に敬服した作品です。
○詩と評論『PF』34号 |
2008.1.1 静岡県菊川市 ピーエフ編集部・溝口章氏発行 500円 |
<目次>
溝口 章 ◆聖考 拾六 跡なき跡へ---2
溝口 章 ◆無のコスモロジー序説(十)---13
武士俣勝司 ◆ある風景---20
いのうえまほ◆Pさんへの手紙15 U・グロスバード監督「恋におちて」を観て---22
◆編集後記----24
聖考 拾六 跡なき跡へ(序章)/溝口 章
又ある人問云、「上人御臨終の後、御跡をばいかやうに御定め侯や」。上人答云、「法師のあと
は、跡なきを跡とす。跡をとどむるとはいかなる事ぞ。われしらず。(略)
今、法師が跡とは、一切衆生の念仏する処これなり。南無阿弥陀仏(上人語録巻下 九八)
又上人云、「わが門弟子におきては、葬礼の儀式をととのふべからず。野に捨て獣にほどこすべ
し。(以下略)」(上人語録巻下 一一〇)
――林中の宿に仮泊する
林中の宿に仮泊した
夜更けて 驟雨は山林をつつみ 建物を被った
どれほどかして 外にけはいを覚えた
人ではない しかし 生あるものにはちがいなかった
けはいに伴なうある種の精気
私はそれをあきらかに感受していた
しかも かなりの数であった 従って
それらは 私の寝所だけでなく 建物の全体をかこむと思えた
次第に激しく降り注ぐ夜雨
音は 林をつつみ 宿を被い 空へとつながる
漠然の世界の下 地を這いしのび寄るのは
この世の(獣)たちなのか 定かではない
私はそれらのものに名を与えようとする
――鹿 野馬 猪 狼 狐 野犬 あるいは
野兎 野鼠 野栗鼠 それら齧歯類
それとも 蛇 くちなわ やとのかみ いや
白鼻心
(あの台湾 又は中国南部渡りの鼻すじの白く通った 狸 食肉目の)と
並べ立てたが そのどれもが 当っていない
それでいて そのどれでもありえそうな
混沌の精気が かたちをなして 雨の中を
徘徊し 蹲まる
蹲って 突如 けはいを消す
――多分 私は眠ったのだ
かれらは その間隙を衝いて 私の夢の扉を 押しあけたにちがいない
なんとすでに部屋の中にいた そればかりか
いとも易々と 私の体の中へと侵入し
私を狂わせた
かれらこそ(私)だったと云わんばかりの
名づけようのない
ある狂惑が湧き起こり 私の
夢の部屋は 私もろとも燃えさかった
それが身口意の業火なのか 私には判らない
今や総てを燃やし尽くそうとする
その果に もえがらになった(私)は
とめどないねむりへと落ちたのだ
夢の失せた底知れぬ安らぎは 殆ど(死)と変わるまい
人々は 夜ごとそれを繰り返すのだろうか
おそらくは 私もまた
――目がさめると 相変らず雨音がした
起き上り 障子を細目に開けてみた
あかるみのない空の下 樹々は列をなして濡れている
樹間を辿るわずかな草地には けものたちの足跡はなく
枕辺にまで侵入したはずの 生きもののけはいなどことごとく消えていた
わずかに羊歯類が雨露に打たれ揺れている
それも又 生あるもののしるしかと 受けとめたとき 私は
林の奥の暗がりへと誘われた
まだなにかしら そこにうごめくのは
ほのあかるむ 列柱が
霊たちの棲む奥津城への入口だからなのか
獣めく妖しさをその辺りにとどめたままに
降りしきる 雨 雨 雨 雨は いま
あかときの と
気がつけば 私がペンを持つ手の辺り
ほのあかく あたたかく染められている
なんというその小ささか
しかし 日はまちがいなく昇ったのだ
灰いろに深く閉ざされた この空のいずくにか
あるいは それは雲の中(神)がささげる
(手燭)とも――
昨年7月に『流転/独一』という詩集を出した作者の、その続編とも言うべき作品ではないかと思います。『流転/独一』についてはNHK教育TV「こころの時代」で今年1月27日、再放送2月3日がありましたから、ご存知の方も多いかもしれません。
本作品「聖考 拾六 跡なき跡へ(序章)」は、紹介した「――林中の宿に仮泊する」に続いて「――連日の摂氏四十度が…」、「日は傾いて 車窓の」、「――死者たちの霊に見合う」、「――消えかかる送り火」、「――再び林中に仮泊して」が掲載されています。ここではその冒頭を紹介したわけですが、「あるいは それは雲の中(神)がささげる/(手燭)とも――」という最終連の言葉が印象的です。太陽を神の手燭とするところに作者の繊細さを感じます。「かれらこそ(私)だったと云わんばかりの/名づけようのない」ものたちもまた、作者の鋭敏な感覚を示すものと云えましょう。いわゆる現代詩≠ニは離れた作品のように思われ勝ちですが、一遍上人を現代の眼で見るという観点からも、これもまた現代詩だと思いました。
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