きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.1.22 爪木崎・水仙群生 |
2008.2.19(火)
午前中から日本詩人クラブの事務所に行って、3月の研究会・例会の案内状と、3月に発売される『詩学入門』宣伝紙の発送を行いました。今までは会報『詩界通信』で案内を載せていたほかに、例会の案内状は関東近円の会員だけに葉書で、研究会は例会のときにチラシを会場で配って、ということでやっていましたが、今年度から全会員・会友にメール便で送るようにしています。そのため発送の負荷が大幅に増えて、今日は担当理事3人のほかに一般会員の応援も得て発送しました。
発送する数が1000通近くになるというのは、大変なことだと改めて思います。案内状は印刷所の機械で3ッ折にしてもらうようにしましたから随分楽になりましたけど、宛名シールを貼って、案内状と宣伝紙を封筒に入れて、封をするという作業を4人掛かりでも4時間ほど費やしてしまいました。今回は宛名シールにメール便専用紙を使うという、初めての作業も加わりましたし、封筒の表に「例会・研究会案内状在中」というゴム印を押すという作業もありましたので、いつもより余計に疲労したように思います。
当たり前といえば当たり前ですけど、そんな苦労をして発送していますので、会員・会友の皆さまにはよくお読みくださるようお願いしたい気持でいっぱいです。ぜひお読みください。
その足で、夕方からは南麻布の「ギャラリー華」という処に行きました。ポエトリー・ボイス・サーキットの第178回目、田中健太郎さんの第2詩集『灰色の父』を朗読する会です。「ギャラリー華」は初めて行きましたけど、広尾の駅から歩いて5分ほど、通りからはちょっと奥まって、静かな佳いギャラリーです。
朗読前の健太郎さんをパチリ。ギャラリーは10人も座ればいっぱいという狭さです。しかし、その狭さが奏功したようで、健太郎さんの肉声がよく伝わってきました。第2詩集『灰色の父』は1991年刊。著者27歳のときのものです。ここでの父は実父ではなく、父と呼びたい男たちのことで、1983年のフランス旅行を主な題材として、中には20歳ごろの作品も含まれていました。第1詩集は未見ですが、健太郎抒情の原点を見る思いのした朗読でした。
終わって、いつも通り近くの居酒屋へ。大いに呑んで気勢を上げました。気持の良い酔い方で満足。終電にも間に合って、佳い夜でした。健太郎さん、アリガトね!
○田中健太郎氏詩集『灰色の父』 |
1991.4.10 大阪府堺市 銀河書房刊 2000円 |
<目次>
辻音楽師 10 掃除人夫達 14
ラパンアジル(はねうさぎ) 16 イゴール・ストラビンスキー広場 20
黒い鳥 24 アンヴァリッド(廃兵院) 28
レオの行軍 50 フォンテーヌブロー 34
盗難届 38 言語 42
TGV(テージェーベー) 46 コルシカ島への旅立ち 50
マルセイユ−太陽と闇の港 56 海を夢みる歩道 60
時の彼岸−マントン 64 国際便待合室 65
旅の終わり 70 毛布 78
小指 82 蜂の巣 84
ル・ペール・グリ(灰色の父) 86 最も下流に生まれた僕たち 94
熱帯夜 98 浮き袋 104
あたしはピアフ 108
エストニア(父なる厳の男) 112
エストニア国旗の色による三つのエスキース 118
ランズベルギス ランズベルギス−リトアニアの八十日に捧げる 124
昼休み 142
あとがき 146
ル・ペール・グリ(灰色の父)
どんより曇った空の下
白髪まじりの髪を乱したままで
あなたはゆっくりと
あるいは速足に
歩いていく
あなたの姿にはいつも靄がかかって
どうしてもその顔は記憶できない
ル・ペール・グリ
あなたはいつも地下道にうずくまり
ただ生きているが故に
体からにじみ出る汚れを
白壁になすりつけ
それで自分の存在を記録しようとした
事実あなたがいなくなっても
影だけがそこに座り続けていた
ル・ペール・グリ
あなたはどこまでも無力を装う
だがその長い眉
まばらな口ひげ
ごま塩色の陰毛
石灰質の肌
曲った左脚
あなたのあらゆる部分が
僕の生死流転の全体を
寸分もらさずに記憶している
そしてその陰うつな轍の中に
僕を閉じ込めようと
袖を後ろから引き続ける
カラオケの終わった深夜の酒場で
映画館の一番後ろの座席で
公園の公衆便所で
最終列車の連結器の上で
古い駅ビルのボイラー室で
カプセルホテルの蜂の巣の中で
守衛詰所の仮眠室で
スチームバスの湯気の中で
印刷工場の黴くさい倉庫で
大型トラックのコックピットで
社員食堂の厨房の隅で
嘔吐の匂う明け方の路地裏で
僕を引き寄せる
あなたの知識は幅広いが片寄っている
あなたの言葉は
深い意識から発せられているが
絶対に実を結ぶことはない
あなたの意志は強靭だ
しかし決っして責任はとらない
あなたはいつもほろ酔い
その歩行は危うげに見えるが
家に帰りつかぬことはなく
朝には平凡に一日を開始する
父よ
僕を不幸へと向かわせる
灰色の父よ
僕はもはや
あなたを信じない
僕はもはや
あなたを愛さない
僕はもはや
あなたに迷わない
僕はもはや
あなたに従わない
僕はもはや
あなたを隠さない
僕はもはや
あなたから逃げない
僕はもはや
あなたから目をそらさない
僕はもはや
僕はもはや
あなたの灰色の系譜に
終止符を打ちたい
あなたが歩く
街中の人外境の上にたちこめる
そのぶ厚い雲のむこうにも
光り輝く太陽が
必ず存在しているのだから
そして明日には
その日向くさい世界を駆けることが
もはや僕たちには許されているのだから
上述、田中健太郎さんの朗読に使われた詩集です。タイトルポエムを紹介してみましたが、この朗読も良かったです。特に「僕はもはや」という繰り返しが文字とは違う、肉声の味を出していました。前出のように、ここでの「父」は実父ではなく父と呼びたい男たちを指していますが、20代の感性がよく伝わってくると思います。「灰色の父」というタイトルも、「ル・ペール・グリ」というフランス語も奏功して、逆に現代の息子≠スちの群像も見えるようです。
○詩誌『山形詩人』60号 |
2008.2.20 山形県西村山郡河北町 高橋英司氏編集・木村迪夫氏発行 500円 |
<目次>
詩●小詩集 いろはにほへと/菊地隆三 2
詩●オムニバス・ブログの断片/阿部宗一郎 8
詩●小指のシンパシィ・穴/近江正人 14
詩●涙痕/佐野カオリ 18
評論●超出論あるいは未到への自己企投
――吉野弘詩集『自然渋滞』論/万里小路譲 21
詩●日本語/大場義宏 28
詩●二百三十八段/高橋英司 30
詩●棲息者への手紙/高啓 32
詩●秋の空・別れのうた/木村迪夫 36
論考●(承前)詩人としての真壁仁論デッサンの一試み
――『日本の湿った風土について』のあたりで――/大場義宏 39
後記 46
穴/近江正人
どこの家にも ひとつやふたつ
家の中のどこかに
ボッカリと穴がある
私は気を付けているが
妻は見て見ぬふりをしている
子供らは笑いながら
うまく避けて通っている
ある日 年寄りが落ちた
妻がすぐふたをした
穴はひそかに また位置を変えた
「穴」は死≠フ穴と採ってもよさそうです。中年の「私」は病気などで落ちないように「気を付けているが/妻は見て見ぬふりをしている」。生の活力に満ちた「子供らは笑いながら/うまく避けて通っている」。しかし、年齢の順番から行っても「ある日 年寄りが落ちた」。そして、ここが上手いのですが、「妻がすぐふたをした」。この短い詩の中に「妻」だけが二度も出てきます。それだけ「家」における立場、家族の健康を握っているという重要さを示唆しているのかもしれません。
なお、3行目の「ボッカリ」はポッカリ≠フ誤植かもしれませんが、方言の可能性もありますのでママとしておきました。ご承知おきください。
○個人誌『むくげ通信』37号 |
2008.2.15
千葉県成田市 飯嶋武太郎氏発行 非売品 |
<目次>
金光林詩集「虚脱しているとき」韓国のユリシーズ/金ジョンイム 1
韓国語をたたえる歌/朴喜 2
家を建てる人/金南祚 3
黄海の時代−詩で書く詩論/金東壷 4 写真一枚写す/崔金女4
夢の市場/魯命順 5 ラブホテル・天使/李正雄 5
朴堤千詩集「ア」から 5 龍頭山の男たち/南邦和 7
されど石の沈黙/石村柳三 7 堕ちてゆく日章旗/森五貴雄 8
人間の危機/飯嶋武太郎 8 編集後記 8
夢の市場/魯命順(ノミョンスン)
夢の多い人ほど夢の株式会社に負債が多い
哀しみの水位が高い家に住む人ほど
憂鬱な衝動買いに夢のカードをよく使う
家のすべてが水に浸かって
夢を積んでおく場所もないのだが
むやみに仕入れた夢が身を休められず箪笥の中や
台所の戸棚そして本の間にはめられ苦しがっている
偶然 日が射す日
濡れた夢を乾かそうと取り出してみれば
羽の付け根が折れたやつ、心臓の角が落ちたやつ、
足を引きずるやつ、どうも見るに忍びない
もっとひどいのは夢の株式会社が促す
滞った夢の督促状だ
“夢の決済金が滞っているあなたを告発します
すぐ夢を見る資格停止処分を受けることでしょう”
高貞愛訳「105韓国詩人選」より
一九八九年『月刊文学』登壇。詩集「生きているのはみな暖かい」等。詩劇公演。
「一九八九年『月刊文学』登壇」と紹介されていますから、まだ若い詩人なのかもしれません。ここでの「夢」は寝て見る夢もさることながら射幸心からの夢の意味合いの方が強いでしょう。「哀しみの水位が高い家に住む人ほど/憂鬱な衝動買いに夢のカードをよく使う」というフレーズがそれを指していると思います。「もっとひどいのは夢の株式会社が促す/滞った夢の督促状だ」というフレーズも現実にある話でしょう。「夢の株式会社」というロマンチックな名称とは裏腹に「むやみに仕入れた夢」の、現実の「負債」を教えてくれる作品です。
○隔月刊誌『新・原詩人』16号 |
2008.2
東京都多摩市 江原茂雄氏方事務所 200円 |
<目次>
《この詩14》ハイネの初期詩片/訳および紹介:江原茂雄 1
読者の声・賀状 3 伊勢町不調法/内藤健治 4
二〇〇八年はじめに(抄)/まつうらまさお 4 「嬉野民報」/伊藤真司 4
ライラのバラード/重信房子 5 一挙両得の策/小崎冨士一 5
ハードボイルド/佐相憲一 5 貧困と戦争でつくられている平和/橘安純 5
青い矢車草・初夏の風/羽生槙子 6 冗句/乱鬼龍 6
小さな講演会の報告/江原茂雄 6 事務局より 6
ぶちょうほう
伊勢町不調法/内藤健治
毎日かくれんぼをしていて
本当に隠れてしまう夕陽を追う
山の端に沈む夕陽は子供の帰宅を誘う
四月になっても生活のテンポは変らない
伊勢町の三婆たちのかくれんぼに目隠しはいらない
「よい子はおうちに帰りましょ」の音楽が
高い所から聞こえてくる夕刻になると
闇が老女たちの目隠しとなり
目がふさがれる
目だけでない 「度忘れ」「物忘れ」「不調法」
ボケの前駆症状かと深刻がる
この間、保健所からボケの講演のおさそいがあったと早川の婆さんが言う
老いへの道は一方通行「とうりゃんせ」
「反則金」払っても元には戻れない
片手に岩波文庫「箴言と考察」をさげている坂原の婆さん
狂気は一生を通じてわれわれについてくる(箴言二〇七)
おろか者のうちには みずからの愚かさを上手に使う人がある(箴言二○八)
ばかができるのも生きてるうち
死んじまったらできないョ
どんどんばかをやったろう
起きたハズミでギックリ腰
かかった医者は若かった 軽くてよかった腰まわり
ギックリ腰をドイツ語で病名を何とかと言っていたョ
直訳すれば魔女に腰を叩かれたというこった
魔女バアさんが婆さんの腰をたたくなんてひどいもんだ 広瀬の婆さん怒り顔
漂泊の人になり切れない伊勢町びとの溜まり場
赤提灯というより色あせた茶色あんどんの店
学校みちといっていた通りを入った所にあった
「ホッピーあります」の貼り紙がヒラヒラ
昔はストレートの白波しかやってなかったが
今では酎ハイ 水割り 氷割り
この店 氷はどれも一口ようかんの大きさに揃っている
氷を水屋から仕入れ 刺身包丁で切るのがヒケツとか
一貫目の氷を四十八個に切るという
氷は割ったらいけないすぐ溶けてしまうんだ
もったいない
白鳥さんが金庫まえの席に今日も陣取っている
カウンター席のいちばん奥で
背に古いあかずの金庫がおいてある
金庫も白鳥さんも
まだまだわずかばかりの悔いをもって現世とつながっている
人生は帳尻が合うとは決まってないョ が白鳥さんの口癖だ
この店で 自分より年上の人がいるというのが心強いことだ
ここに自分が居ることは誰も知らない
私は何をしているのだろう
この店の看板は「し・の・ぶ」
忍ぶなのだろうか
偲ぶなのだろうか
.・ ・・
「しのだのぶ」という名前ではないか
いちど騙されてみてもいいではないか
洗面所の扉に「おしてもだめならひいてみな」と紙がはりつけてある
やることが伊勢町は不調法である
(「騒」71号より)
下町らしい雰囲気がよく出ている作品だと思います。登場人物も多いのですが、読んでいて混乱しません。個々の人間像が短い中にピッタリと書かれているからでしょう。小説でこれだけの登場人物が出てくると、相当のページ数を使って書き込む必要があるのですが、詩ではこれだけで済んでしまいます。小説を読むようにおもしろい詩、と書こうとしてそこに気付きました。散文に対する詩の優位性を改めて感じます。もちろん散文では表現しきれないポエジーに溢れています。「伊勢町の三婆たち」も良いですし「箴言」も効果的です。「し・の・ぶ」もおもしろいですね。下町のモザイクを描きながら「不調法」な庶民の力強さを感じさせてくれた作品です。
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