きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.1.22 爪木崎・水仙群生




2008.2.21(木)


 日本詩人クラブの詩の学校「世界の詩を愉しむ夕べ」の第5回目が事務所で開かれました。講義タイトルは「多様化する韓国現代詩」。講師は佐川亜紀さん。

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 詩集が数十万部も売れるというお隣の国、韓国。しかも平明な詩ばかりではなく、難解な作品も読まれるという、日本の現状からは考えられないような実態が報告され、その秘密も判りやすく解き明かされました。参加者からは驚きの声が続出し、質問の多数出てにぎやかな講義でした。参加者は26名。懇親会も韓国詩の話題で盛り上がりました。



詩誌『砧』37号
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2008.2.25 東京都日野市
村尾イミ子氏他編集・砧の会発行 500円

<目次>
膝にきたねこ/天野さくら 4        桜/松崎 縁 6
ネジ/山本みち子 8            わたしの庭で/来栖美津子 10
まことに申し訳ありません/小町よしこ 12  雨の中/斎藤利江 14
わたしたち/小林俊子 16          春だから/大城友子 18
こびとの演奏/芳田玲好 20         たまゆら/加々谷喜美子 22
やませみ/倉田史子 24           逆襲/ねもとよりこ 26
暮れ落ちて/水野浩子 28          猫の毛布/牧 陽子 30
不思議のランプ/村尾イミ子 32

比留間一成先生に聞く 鈴木亨詩について/小町よしこ 34
よだか/小林俊子 35
ごあいさつに代えて/松崎 縁 36
倉田史子詩集『こころの樹に花咲いて』によせて/山本みち子 37
編集後記 38
同人住所録                 表紙題字 松井さかゑ



 不思議のランプ/村尾イミ子

長崎の びーどろ細工の店に
虹色のキラキラした ランプがあった
アラジンの魔法のランプかと
胸がときめいて 釘づけになる

そおっと さわってみる
そのうち内緒で こすってみる
いつのまにか 物語の世界に引きずり込まれて
わたしは 呪文を唱える
アラビン アザーン アルハーリー

大きめのランプは 壊れそうで持って帰れない
小さいと 魔法使いが出てくれそうにない
眺めたり なでまわしたりしたあげく
買いそびれたまま 長崎を後にした

あの店の びーどろのランプが
鮮やかに眼に残っていて
わたしの届かない手が 密かにランプをこする
呪文を唱えながら
アラビン アザーン アルハーリー

まもなく わたしは魔法の絨毯にのって
暗闇の夜を幾つも通り抜け
ザクロス山脈を越えて
アラビアン・ナイトの世界にいく
そこには 水煙草を吸いながら
千夜一夜の物語を語り続けている老人がいる

 「長崎」から帰京して、「わたしの届かない手が」長崎の「びーどろのランプ」に届いて「密かにランプをこする」。そして「わたしは魔法の絨毯にのって」「ザクロス山脈を越えて/アラビアン・ナイトの世界にいく」。地理と時間を超越した自由な行動が魅力的な作品です。現実には「内緒で こすってみ」ても、「魔法使いが出てくれそうに」ありません。夢は「買いそびれたまま」です。しかし詩人はその後の物語を語ることができます。それ自体が「不思議のランプ」の効用なのかもしれませんね。ファンタジーとは違いますけど、詩人の自由な発想を楽しんだ作品です。



護憲詩誌『いのちの籠』8号
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2008.2.15 神奈川県鎌倉市   350円
戦争と平和を考える詩の会・羽生康二氏発行

<目次>
【詩】
戦争はたいへんだ‥トウーニャ・ミカイル/佐川亜紀訳・紹介 2
危機の日本海‥堀場清子 4         満月の夜‥坂田トヨ子 6
時も過ぎ去る‥葵生川玲 7         海‥中村 純 8
ストレス‥島崎文緒 9           埋めこまれた種子‥安永圭子 10
ハッピーマンデー‥畑中暁来雄 11      散髪屋‥ゆきなかすみお 12
奉安殿の石段‥甲田四郎 13         二〇〇七年十月十九日の蝶‥石黒 忠 14
時評詩(1)〜(5)‥水上 洋 16        石の花‥納富教雄 23
ダリア‥柳生じゅん子 25          阿の字‥石川逸子 26
ともしび‥日高 滋 27           人間の学校 その130‥井元霧彦 28
えらいおがってたなあ‥麦 朝夫 29     百歳の人生‥山越敏生 30
海の話‥崔 龍源 31            満月を仰ぐと‥岡たすく 32
ウリ・オルレブさんへ‥山野なつみ 33    こみち‥白根厚子 34
奇妙な謎‥比尼空也 35           病んだ星‥うめだけんさく 36
テロ警戒中‥寺田公明 37          百二歳‥滝 和子 38
六十二年前の今日‥池田錬二 40       生還したけんど‥門田照子 41
六十余年の闇‥おだじろう 43        我が祖国‥築山多門 44
最後の授業‥池田久子 45          震え‥佐相憲一 50
海霧のむこうに‥日高のぼる 51       青い空‥大河原巌 52
切り岸‥中 正敏 53            花‥山岡和範 54
イースター島で起きたこと‥羽生康二 54
【エッセイ】
日本国憲法を読む(第7回)‥伊藤芳博 20   あたりまえ‥真田かずこ 46
いのちの恢復‥若松丈太郎 47        帰還できなかった若い兵士たち
あとがき‥57                    (「反戦反核映画」考(三))‥三井庄二 48
会員名簿/『いのちの籠』第8号の会のお知らせ‥表紙裏



 こみち/白根厚子

住宅地のなか
こみちがつづいている
古い一軒家の庭から
のうぜんかずらが空に
あこがれるように
花を咲かせている

猫がこみちをよこぎって
藪のある家へはいっていく

おばあさんが背をかがめて歩いていく
ときどき立ち止まっては
風呂屋の煙突からけむりがあがるのを
ながめている

学校帰りのこどもがランドセルをならして
駆けていく
約束があるのだろうか

そのとき
さーっと風がこみちをふきぬけて
ほこりが舞いあがった

まさか、こんなこみちに
戦争が歩きだしてこないだろうね
そしらぬ顔をして…

 「猫がこみちをよこぎって」いく。「おばあさんが背をかがめて歩いていく」。「学校帰りのこどもがランドセルをならして/駆けていく」。なんでもない日常の「こみち」。そこへ「そのとき/さーっと風がこみちをふきぬけて/ほこりが舞いあがった」。その埃のように「まさか、こんなこみちに/戦争が歩きだしてこないだろうね」。この転調は見事です。「そしらぬ顔をして」日常に忍び寄ってくるのが戦争なのだと思います。その怖さと、注意深く戦争の「ほこり」を感じる知性と感性の必要性を教えてくれる作品だと思いました。



個人誌『伏流水通信』26号
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2008.2.20 横浜市磯子区 うめだけんさく氏発行
非売品

<目次>

地下食堂…長島三芳 2           女先生…うめだけんさく 4
ボウフラの唄…うめだけんさく 5      コップの泡…うめだけんさく 5
 *
フリー・スペース(25)「民俗学」への誘い…富永たか子 1
 *
<エッセイ>
日本人観断章…うめだけんさく 6      詩集『三人』を見て…うめだけんさく 7
 *
後記…9                  深謝受贈詩誌・詩集等…9



 地下食堂/長島三芳

駅ビルの正午の地下食堂
列車を待つ時間の短い時間
慌しく客たちの足音がして
まるで狂った時計のように
急がしく食事を済ませ
次々と客が立ち去っていく

客が注文する食事の具
()も区々(まちまち)
お互いが合せる視線もなく会話もなく
笑いもないまったくの他人同志
ただ黙々と食べることに専念している
この瞬間の不思議な食堂の中の静けさ
人は何故こうも忙しく時間に追われて
エンジンをかけたままの車のごとく
黒い固まりとなって
空しく時を過ごして行くのであろうか

こんな地下食堂の
いちばん奥の暗いテーブルで
私がひとり手酌でビールを飲んでいる
客たちの騒音とは関係なく
時間に追われることもなく
遠く離れた旅人のように
ゆっくりゆっくりと一本のビールを空ける
この淋しい一人だけの時間が私は好きだ
或いはこの時間が私の人生の
いちばん空
(むな)しい時間かもしれない
体の中まで空缶のようにして
人の世のいちばん遅い時間の中で
私はひとり手酌でビールを飲んでいる

 「正午の地下食堂」で「私がひとり手酌でビールを飲んでいる」というだけの詩ですが、まず、私は≠ナなく私が≠ナあることに注意が必要でしょう。私は≠ナすと意志的になりますけど、私が≠ナは客観的になります。「客たち」を観察しながら、自分もまた観察対象にしているのだと読み取れます。
 次に客の観察ですが、「まるで狂った時計のように/急がしく食事を済ませ」、「エンジンをかけたままの車のごとく/黒い固まりとなって」と、都市の現代人の昼食に、ある意味、冷ややかな視線です。そして、その観察の対象は個人ではありません。あくまでも「人」たちです。ここにこの作品の特徴があるように思います。すなわち群集と「私」という個。「地下食堂」という同一の場所での対比にポエジーを感じさせる作品だと思いました。



個人誌『ぼん』47号
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2008.2.25 東京都葛飾区 池澤秀和氏発行
非売品

<目次>
詩  末梢 2
随筆 刻の狭間で47 4
詩  補助線 8



 補助線/池渾秀和

片手に 昨日の作業の残りを抱え
きょうの 日程表を視る
なんとか 処理できる範囲と 予測する

臨時の注文もあって
落ち着かない気持ちとは うらはらに
長年 現場で対応した血流が 活気を帯びる

ときどき 空白の日もあり
手持ち無沙汰のときには
てがかりを探して 補助線を一本
ダイヤルを 回すが 反応のない日もある

  すべては そこから始まっている

別の会議室では
地図の上に 線を引き 走り出す
あの手 この手の ネット網

終止符を 打つ筈だったのに
終わらない音階の 響鳴がつづいている

 実業の世界でのこと、と捉えてよいでしょう。「てがかりを探して 補助線を一本」出して、「すべては そこから始まっている」と採ってみましたが、これは実感でしょうね。私にも現職の頃に覚えがあります。何気なく試作しておいた製品が、のちに売り上げを伸ばした、なんてことがありました。最終連は「きょう」の「終止符」という面と、私の経験と同じ「終わらない音階の 響鳴」を謂っているのだと思います。実業の世界での詩的な「補助線」、佳い視点だと思いました。



   
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