きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
080122.JPG
2008.1.22 爪木崎・水仙群生




2008.2.28(木)


 14歳を越えたうちの犬が、今日は様子がヘンでした。生まれつき心臓の持病があって、昨年調子が悪くなったときに、獣医さんから手術を勧められて断った経緯があります。申し訳ないけど信用していなかったのです。結果的にはそれが大正解で、持ち直しました。あれから半年近く経つでしょうか、食欲はなく、年老いたものの元気で過ごしています。

 しかし、今日はお昼に文字通り、ひっくり返りました。四足で中空をもがいている姿は、なんとも哀れで、急いで抱き上げました。震える身体を抱きしめているうちに発作は治まったらしく、そのうち落ち着きました。やれやれと思って床に置くと、安心したように寝そべっていました。

 ところが、そのうちに急に起き上がると室内を走り始めたのです。それも全速力という感じで、唖然としてしまいましたね。どうなっているんだろう? しばらく走って、今度はエサを黙々と食べ始めました。ここ数日はエサらしいエサを摂っていなかったので、よっぽどお腹が空いていたんでしょうね。アッという間に食べ終わってしまいました。本当にどうなっているんだろう?

 やっぱり手術をやらなくて良かったと思っています。自然治癒力は人間よりはるかに高いはず。そこを信頼していたわけですが、内心はヒヤヒヤものでした。獣医さんからは「今夜にも死んでしまうかもしれませんよ!」と脅された上での決断でしたから…。百個(モモコ)、長生きしろよ!



天童大人氏詩集『玄象の世界』
1997.6.15 東京都目黒区 北十字舎刊 1000円+税

<目次>
X 2        \ 4        ]V 8
]W 10       ]Z 13       ]]V 16
聲神医 20



 聲神医

〈発スル聲〉に秘めた力忍ばせ。
花吹雪舞う深夜。
見えぬモノに〈聲ヲ発ス〉。

タタラ オトド トモド トモド タタラ オトド オトド タタラ。
トモド トモド タタラ タタラ オトド トモド タタラ オトド。
トモド タタラ オトド オトド タタラ トモド トモド タタラ。

空に響き合う母音の音色 に耳済ませ。
閉ざされた心に甦る言葉なき〈聲ノ記憶〉。

オトド トモド タタラ タタラ オトド トモド オトド タタラ
タタラ オトド トモド オトド タタラ オトド トモド タタラ
オトド オトド トモド オトド トモド タタラ タタラ タタラ

〈彩(イロドリ)ノ聲〉の調べから想い出す人。
風鳴る闇の中 香りの気配訪れ 解き放つ。

 ラウンド・ポエトリー・サーキットの企画者として著名な天童さんの詩集ですが、日西対訳となっています。スペイン滞在も長かったようで、その成果とも言うべき詩集です。ここでは最後の「聲神医」を紹介してみました。天童さんが日頃から言っている〈発スル聲〉の具現化といえましょう。ぜひ声に出して読んでみてください。

 この詩集は、実は日本ペンクラブ電子文藝館掲載の原本として頂戴しました。
『玄象の世界』抄のすべては、http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html で読むことができます。ご訪問くださり、天童大人詩の世界をご堪能いただければ幸いです。



詩と批評POETICA53号
poetica 53.JPG
2007.12.20 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

<目次>
林檎のソネット T/清水恵子 634      林檎のソネット U/清水恵子 636
アウトライン/清水恵子 638         水の傷/山中真知子 640
携帯電話の電源を/中島 登 644       黄色い太陽/中島 登 646
恵贈御礼
エディット・ピアフ頌



 携帯電話の電源を/中島 登

携帯電話の電源をお切りください
携帯電話をお切りください
携帯をお切りください
なんでもいいからお切りください

大根をおきりください
人参をお切りください
玉葱をお切りください
なんでもいいからお切りください

欅の大樹を切らないでください
森の櫟を切らないでください
小楢の林を切らないでください

国家の不要な電源をお切りください
事故の多い原発の電源をお切りください
開発と言う名の破壊の電源をお切りください

衒學詩人が頬ずえついて欠伸していても
「文学」が亡びないために
「詩」の電源を切らないでください

 「なんでもいいからお切りください」という物と、「切らないでください」という対比がおもしろいのですが、それ以上に第4連は考えさせられます。特に「国家の不要な電源」という詩語は秀逸です。庶民が泣かされる原因は「不要な電源」にあるのかもしれません。最終連の「『詩』の電源を切らないでください」というフレーズは、私たちに向けられたものでしょう。「衒學詩人が頬ずえついて欠伸していても」、詩の電源を切る、切らないは私たち自身に懸かっている、そう読み取りました。



詩と批評POETICA54号
poetica 54.JPG
2008.1.30 東京都豊島区 中島登氏発行 500円

<目次>
一切 合財/よしかわつねこ 650       泥 塗りにくる/よしかわつねこ 652
【詩 四篇】/武藤ゆかり 654        ブロウスキーの詩(二篇)/中島 登・訳 662
恵贈御礼
東京音大、見事優勝
座右の友『広辞苑』



 藤椅子/武藤ゆかり

死にかけの婆さんに
藤椅子なんか送ってきたよ
丈夫な物はいいねぇ
末代までも残される
どこのどなたさんだろうね
身よりのないあたしを
憐れんでくださったんだ

荷をほどいた時
娘たちからの手紙があったが
婆さんは包みと一緒に
庭先で火にくべた
産んだことも育てたことも
燃え尽きて幸せだった
藤椅子にまどろむと
黒いぼろのようだった
暮れ方の風が灰を吹き上げ
奥でちかっと光った

 武藤ゆかりさんの【詩 四篇】の中の1篇を紹介してみました。「産んだことも育てたことも/燃え尽きて幸せだった」というフレーズには意表を突かれましたけど、案外「婆さん」の本音なのかもしれません。「身よりのないあたしを/憐れんでくださったんだ」というフレーズとは矛盾しますが、認知症であるとか、精神的なものと捉えれば解決できるでしょう。私には後者のように思われます。「庭先で火にくべ」られた「手紙」が灰になって、「暮れ方の風が灰を吹き上げ/奥でちかっと光った」という最終行にも、その精神的なものを感じる作品です。



   
前の頁  次の頁

   back(2月の部屋へ戻る)

   
home