きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.2.26 河津町・河津桜




2008.3.14(金)


 都内でF女史の朗読会があったのですが、行けませんでした。いや、無理をすれば行けないことはなかったのですけど、グッと堪えて家にいました。HPが遅れに遅れて収拾がつかない状態ですので、更新を優先させてしまったのです。Fさん、申し訳ありません!
 もう少し早く読めて、もう少し速く書ければ改善できるのでしょうが、なかなかそうはいきませんね。愚直に読んで、遅筆でも書く以外に、私の能力では無理のようです。礼状が2ヵ月近くも遅れていてすみません!



北野明治氏詩集
『サンシャイン国際水族館』
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2008.3.11 東京都板橋区 待望社刊 2000円+税

<目次>
 T深りゆく秋の気配の中で
輪廻転生 8                平凡な死 11
12月23日 14                深りゆく秋の気配の中で 16
匂い 20                  発見 21
真夜中に西瓜を喰う 22           春うらら 24
手を振る 26                氷雨が降る夜に 28
 U地獄
地獄 32                  ゴキブリ 35
造花 36                  賭 38
熱帯環境植物館 40             春 41
ノートとエンピツと消しゴム 42       茗荷 45
桜の花の散る頃に 46            幸せもの 50
 Vサンシャイン国際水族館
道 (一) 52                道 (二) 54
卍 56                   コタツ 59
不思議なもの 60              北風 62
検眼 64                  初詣 67
おみくじ 68                賀状の中に 69
煙草 70                  サンシャイン国際水族館 72
六月の雨 74                畑 76
淫らなそれでいて美しい女神 77
あとがき 78                表紙題字 北野明治



 サンシャイン国際水族館

日曜日でもないのに
茶髪のカップルたちが肩を寄せ
手をつなぎ合い
若い夫婦のダンナが
ゆっくりと乳母車を押し
振りむくと
あどけない子供たちが
子煩悩な大人たちが
あとから あとから
ああ
何という人の群れだ……!
A級戦犯
B・C級戦犯
此処が かつて
巣鴨プリズンであったことを
知っている人が何人いるであろうか……
〈戦争)とは何……?
〈平和)とは何……?
楕円形の水槽の中で
〈無心)で泳いでいる魚たち……
午前11時
そろそろ「ペリカン」のお食事タイムです

 表題作を紹介してみました。たしかに「此処が かつて/巣鴨プリズンであったことを/知っている人が何人いるであろうか……」と思いますね。「A級戦犯」が処刑されたのもこの地であったと記憶しています。そんなことには関わりなく「あどけない子供たちが/子煩悩な大人たちが」、そして「〈無心)で泳いでいる魚たち……」。時代の流れを感じされる作品だと思いました。
 なお、本詩集中の「幸せもの」はすでに拙HPで紹介していました。初出は
「しあわせもの」となっています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて北野明治詩の世界をお楽しみください。



館報『詩歌の森』52号
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2008.3.10 岩手県北上市
日本現代詩歌文学館発行 非売品

<目次>
大町桂月の蔦温泉/松田忠徳
文学館活動時評18 文学館の進む道/小野 浩
詩との出会い19 俳句に目覚めた時/中田尚子
連載 現代のこどもの川柳4 羽ばたけジュニア川柳/江畑哲男
連載 現代川柳時評1 川柳はいま/今川乱魚
資料情報・詩歌関係の文学賞・事業のご案内
第4回現代歌人の集い開催
詩作ワークショップ開講
特別企画展予告 川柳への招待
日本現代詩歌文学館振興会 評議員動向・評議員制度に関する懇談会
日録・後記



文学館活動時評18
 文学館の進む道/小野 浩

 久し振りに日本現代詩歌文学館に寄った。福島県いわき市から車で北上まで3時間30分位、9月22日9時30分過ぎに高速道を降りた。約束の時間まで余裕があったので、市内を回遊すると北上川に架かるレトロな鉄橋(昭和8年の珊瑚橋)を見つけた。「そうかぁー。賢治が亡くなった年にできた橋かぁー」と少し感激しつつシャッターを押した。

 いわき市立草野心平記念館の学芸員として勤務して10年になる。企画展の打ち合わせや研究会、全国文学館協議会の研修会などで文学館を伺う機会は多くあった。あわせてその近辺の文学館にも足を延ばしてきた。
 他館を見学して得るものは大きかった。後発の新しい文学館は、「展示空間」が際立っていた(10年前の当館もか)。先発の蓄積のある文学館は「整理・研究された資料の活用と展示手法の技」が見えた。施設のみならず、人もそうである。働いている職員が丁寧に積み重ねた経験と強固な信頼関係で繋っている「文学館の人的財産」がどっしりしている。「文学館の存在」と「利用者の期待」が合致しているのである。

 そして、展示の仕方や工夫を自館にどう取り入れようか自問自答する帰路があった。しかし、展示の意図や目的まで模倣はできないと思っている。その場所でその期間にその対象を考えてつくられた展示構成は、「地域ニーズ」「設置目的」にしっかり対応しての企画展であると思うから……。
 ただ、展示空間に入ると、作品・資料から作品世界を、身の回りのものから人間性を引き出す「見せる展示」なのか、それら展示物に生を与え、かれらが声を出すかのような「語る展示」までいっているか、さらには、観覧者が作家と向き合って体感や息遣いまで感じる「対話する展示」までいってるか、展示の意図と担当学芸員の感性を想像しながら見学してしまう習性には困ったものである。

 最近、指定管理者制度の導入により、事業評価の物差しが真っ先に「観覧者数」にあてられる現実がある。当館は詩人草野心平を核としての地域文学館である。施設機能の「資料収集・整理・研究」の基幹を簡略化し、安易な企画展・催しの多さが、市民の期待に応じた事業展開であるかのような風潮に疑問を抱きつつ、多くのメニューをこなしている。その点、日本現代詩歌文学館は 「文学館の力」の基である「人の育成」を大切にされているように感じる。これは、観覧者と研究者と作家と職員が共同で維持し高めていく日々を続けてきた結果であろう。  (おの・ひろし 草野心平記念文学館学芸員)

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 一度は行きたいと思っている草野心平記念文学館の学芸員が書いた文章がありますので紹介してみました。さすがに学芸員らしく「見せる展示」「語る展示」「対話する展示」という指摘は鋭いと思います。逆に言うと、私たち観覧者にも見る∞語る∞対話する♀マ覧が問われているわけで、今後は心して観る必要があるなと思いました。
 「指定管理者制度」についての言及も、直接、学芸員の言葉であるだけに重みを感じました。観覧者の立場から言えば「安易な企画展・催しの多さ」に惑わされてはいけないということでしょう。
 いずれも学芸員の貴重な意見です。文学館・美術館・資料館などの見学は大好きなのですが、今までの安直な見方を反省させられた文章でした。



個人詩誌『魚信旗』45号
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2008.3.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品

<目次>
アルバム考 1    単純な掟
(おきて) 2  突然の・・・ 4
俳優 6       背広 7       煙棚引く 8
後書きエッセー 10



 アルバム考

わが人生が色あせていく
叫んでも泣いても
夕陽に逆立ちしてもモノクロの虚像になっていく
やがて朽ち葉のように砕けていくはず
歳月はアルバムに詰まっているというが
どこにも貴重なあの時あの貌がない    ・・・
もう記憶にもないどうでもよい時と貌だけがりゅうとして在る
アルバムに残れば人生はそれでいいというものではない
生の重みと悲惨さが写っていないからだ
子供のころの泣きべそがあっても大人のときの号泣がない
アルバムは幸せだけが写るものとはよくいったものだ
壊れていった日の一齣
(ひとこま)もない
死者だけが澄ました顔して永遠を鎮座している
生がセピア色に塗られていくためのアルバムか
血を流した戦争や
泥をかぶせられた恥辱などの証
(あかし)は一枚もない
アルバムは虚構の縮図だと思わないか
美しい妻や可愛い子供たち
それが大切に保存されて満足している日常
知らずしらずのうちに感動も色あせていき
摘みたての朝には少しは元気を取り戻すが
過ぎ去った修羅がないのにアルバムも気づく
不幸や悲運は歴史から消してはならないのに
なぜか笑顔だけの極私的なアルバム
きょうは冬至の日
わが影の長きに驚くに如
()くはなし
忘れられない像
(かたち)をひっそりと吐き出して
わがアルバムに加え
わが扉を閉ざすことを忘れるまい

 言われてみれば確かに「アルバムは幸せだけが写るもの」なんだなと思います。わざわざ「大人のときの号泣」や「泥をかぶせられた恥辱などの証」などを遺す人はいませんからね。「過ぎ去った修羅がない」、「不幸や悲運は歴史から消してはならないのに/なぜか笑顔だけの極私的なアルバム」、「アルバムは虚構の縮図」という指摘は鋭いと思います。
 それから翻って愚考しますけれど、家庭用のアルバムが幸せだけを写すものなら、芸術写真はそうではないものを写すのかなと思います。それがプロの視座なのでしょう。私は写真会社の技術屋として長く勤めていた経験から、化学面でのアマ用とプロ用の写真材料の違いについては、一般の人よりは判っているつもりでしたが、ソフト面ではこの作品から多くを学びました。さすがは詩人の指摘です。敬服しました。



   
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